アルフォートの亮太
気に食わない書評
ノコギリの音にあわせてお前が言うな
「○○ための技術」と銘打った本がおもしろそうだなと思って買って読んでみたらぜんぜん技術じゃなくて精神の話だったので白けてしまった。ただ、まあ、言ってることは、べつにそうめずらしいことではないけれどそれはそうだな、と思って、本をうっちゃらずにそのまま読み進めている。ここで途中でゴミ箱にズバンと投げ込まれないということはそれなりに技術のある本なのだろうなということはしぶしぶ感じる。読中の感が悪い本というのはけっこうぶつぶつ文句を言いながら読むことにしている。それもおそらく編集者や著者がある程度計算しているのだろうな、と思う。
読み手の不快をドライバーとして計算して編まれた本というのは感じが悪い。
ただ、逆に、読み手が不快にならないような気配りが全編にわたって展開されている本というのは思った以上に多くない、と思う。不快になるような心づもりで書かれた本のほうがぎりぎり多いのではないか。一番多いのは「読み手の気分なんてそこまで考えてもしょうがないべ、合う・合わないは運だべ」みたいな本で、だったら同人誌でやれよという気持ちと、それこそ著作の醍醐味だよなという気持ちと両方ある。ところで、読み手の感情に対する気配りがされている本は、そもそもの話の軸がおもしろくなかったりするので、「フロアスタッフの雰囲気はめちゃくちゃいいんだけど、料理がまずいレストラン」みたいになっており、うまくいかないもんだな、と思う。なおそういうタイプの同人誌もあり、同人誌でやったんだな、と思う。さて、内容がおもしろいのに気配りもしっかりしている本となると、それはたぶん、古賀史健さんの書いた本なのかなという気がするのだけれど、世間も同感のようで彼はしっかりベストセラーを連発されている。彼の本には技術もたくさん散りばめられているがやはり精神が美しい。あれっ、やっぱり、技術よりも精神のほうが本にはいいのか?
かつて、『神饌』みたいなタイトルの本を買って、これ絶対おもしろいだろうと思って読み始めたのだが、あまりにニッチな専門的図鑑だったのであんまり上手に読めなかったことを急に思い出した。精神のことをいっさい書かずに技術だけを書くというのは、プログラマーとかゴルファーとかが読むタイプの技術書としてはニーズがあるのかもしれないけれど、一日の終わりにほうじ茶でもすすりながら数ページずつ読むような読書には、まあ、向かないんだろう。
どうかな。
それはどうかな。
今だらだら書いてきた本の、なかでもあまり私がきちんと読めていないほうの本については、単純に、著者のことが単純に好きになれてないだけのことかもしれない。あまり一般化はしないほうがいいのかもしれない。読んでいくうちに愛着がわくかもしれないし。
not for meの話は外でしなくてよい。大金を払わされたとか、大事な予定に割り込んできたとか、嫌いな人間から無理やり勧められたとか、いろいろ不満をぶちまけたい理由はあるのだろうけれど、not for me, but for ほかの誰か、ということはかなりある。そこで無理やり軋轢をうまなくてもよい。批判ばかりするタイプのアカウントが嫌われるのは、批判そのものに問題があるというよりも、「批判すること」を目的とするあまりに批判のクオリティにばらつきがあったり、肯定を用いないままなにかを批評していくムーブ自体に湿気の高さというか圧の強さがあって「読み手に対してやさしくない」からだと私は思っている。なにかを主張し、それを広げたいと思うならば、いや、そんな目的がなくても、自分の文章が誰かに読まれると思うならば、その読み手ができれば不快にならないように気配りをしている文章のほうが、トータルでは善性を帯びると思う。ろくに改行もしないブログを延々と書き続けている人間のいうことではないかもしれないが……。
老害
近頃の若い病理医はみなこぞって優秀なのだけれど、解説がだんだん長くなっている。先日も本州の医師を中心に開催されたウェブの研究会と、関西で開催されたハイブリッドの研究会に、2日続けて参加したのだが、複数の病理医がみな長々としゃべる。すごいなあと思いつつ、これ、臨床から不満が出ないのかなと、すこし心配にもなった。
病理医たちは、いったん病理の話をはじめると、ずいぶんと込み入った話をする。やたらと組織の拡大写真を出し、何本も論文を引いて、まるでミニレビューのような発表をする。さすがに近頃はちょっと過剰ではないか、というか、それがほんとうに求められている仕事なのだろうか、ということをうっすらと考える。
研究会において、フロアの臨床医は画像に関していくつもの議論をする。それらの議論が高まりきったあとに、「では、病理の解説をお願いします」と、病理にバトンが渡されるわけだが、そこで病理医が解説をすれば症例検討が終わるわけではない。そこで終わりではないのだ。先がある。「内視鏡像の疑問のうち、病理で答えが出せる部分はどことどこなのか?」、そこのところが、もっとも研究会の大事なところであり、内視鏡医と病理医がいっしょに会に参加している意義なのではないかと思う。そのことを考えると、病理医の解説は、基本的に、長い。長い上に、「病理医にしかわからないようなこと」ばかり語っている。「細胞を見なければわからないこと」を解説するのは大事だ。しかし、「細胞を見なければわからないこと」というのは、じつは「だから、内視鏡医がいくら考えても無駄なこと」を多少なりとも含んでいる(ものすごく工夫すると病理像を推測できる、ということもあるのだけれど、少なくともそこにはたくさんの努力が必要である)。
病理医が自分の強みばかりに依拠してしゃべりまくると、すこしずつ内視鏡医が置いてきぼりになる。とはいえ、近頃のかしこい病理医の中には、内視鏡医のほうをちらちら見ながら、「ほら、組織がこうだと、内視鏡はこう見えるでしょう?」みたいなことを言うのもいる。置いてけぼりにはしていませんよ、という意味なのだろう。しかし、「こう見えるでしょう?」というのが問いかけではなく、押し付けになっている気がしてならない。いったん臨床医にボールを投げ返したらいいのにな、と感じることはとても多い。
かくいう私も、そういう、「病理医による病理医のための解説」を、少なくとも30代の10年間は何度も何度もやってきた。……と、思う。
思い出す限りそうだ。私は、「誰にも止められず、最後まで気持ちよくしゃべるおじさん」という、飲み会ならハラスメントになるようなことを、病理の世界ではずいぶんと長くやってきた。そして、そのことがもたらす、相手の微弱な不満を収集し、すこしずつすこしずつ、「自分がしゃべれることを全部しゃべるのはブログでやればいい」と思い始めて、相手がいる場所ではとにかく投げ返さないとだめなのだなということを思うようになった。
私に病理解説の場を与え続けてきた診療放射線技師や超音波検査技師たちは偉かったんだなと、今更ながら頭が下がる。よく、あんなに、がまんしたものだよな。
もっとも、内視鏡医はまた違った感想を持っているかもしれない。病理医にはとことん、しゃべりたいことを全部しゃべってもらって、気持ちよくなってもらいつつ、病理医の一言一句を栄養として摂取するくらいの気持ちで、ぜんぶ聞きたい、と考えているかもしれない。だとしたらむしろ、近頃の私のほうが、しゃべりたりないということになるはずなのだが、私はこれまで、「もう十分」とは何度も言われてきたけれど、「もっとしゃべって」とはあまり言われたことがないので、そのあたりの感覚はわかんないです。
喜びの経験
QOLを高めるための人生の工夫というものがいくつかあると思うが、さしあたって病理医の先輩後輩諸先生方とシェアしておきたいのは、きちんと昼も歯を磨け、ということだ。出張の連続で激務のあまり、腰痛になったり帯状疱疹になったりするのは防げない、それは不可抗力である。しかし、歯肉炎は防げる。口内炎もだ。これらは口内環境を清潔にしておくとそんなにはかからない。歯ブラシを持ち歩くのがよい。トラベルセットのような、細長いケースに入ったやつがあるだろう、歯磨き粉とセットになったやつがドラッグストアでもコンビニでも売っているだろう。あれでいいのだ。そしてできればでいいのだが、歯ブラシは、そのセットのものをそのまま使うのではなく、自分の口と生活に合っている「いつものやつ」と取り替えておいたほうがいい。関連して、ホテルの歯ブラシ、あれは質が低くて、歯茎を傷つけることもあるので、そういう意味でも歯ブラシは持って歩いたほうがいい。マイ箸なんていう文化も一部にはあるようだけれど、マイ歯ブラシだ、マイ歯ブラシこそは自分の体を保つために必要なツールだと思う。
口の臭い病理医に話聞くとうんざりする。そうさせないための努力は必要だ。
出張先で顕微鏡を見て、パソコンのモニタを見て、反対側のノートに目をやるときに鼻先を接眼レンズの角にぶつけた。いつもの顕微鏡じゃないとこういうことがしばしば起こる。無意識で日常に最適化した動きが自動的に行われていくからこうして環境が変わるとすぐにエラーが出たりバグが出たりする。ただ、この、鼻先の痛み、別に痛くない。この痛みは経験したことがある。ああ、ほね、骨につんとしみる、しみる衝撃、前にもこういうことがあった、と、感じて、それで通り過ぎていく。歳を取るとは身に覚えのある痛みが少しずつ増えていくということである。おそらく今ならタンスの角に小指をぶつけても、「ああーやっちまったな」以上のことは感じないだろうし、掘りごたつのテーブルにすねをぶつけても、弁慶って泣き虫だったんだなとしか思わない。一方で、この歳になってはじめて経験するタイプの痛みは、びっくりするほどつらい。経験がないとレジリエンスもない。さっき、Geminiが、いきなりタメ口になった。あれはなんだかすごくつらかった。敬語に戻してください、と、お願いをしているとき、過去に類を見ないくらい心が傷んだ。プログラムごときに私はいったい何をやっているのだ。
バイト先を定年退職したなじみの技師さんがさきほど挨拶に来てくださった。大福をもらった。うれしい。2つある。2つとも食べよう。
小学生日記
うーんとってもフィジカル
気づけば、業務時間の何分の一かはAIとやりとりするようになっている。日によって違うが、フィジカルな業務、たとえばそれは切り出しであったり、あるいは鏡検であったりする、肉体的で物理的な業務「以外」はたいていAIを使う。思考メインの業務のうち、だいたい半分くらいはAIのサポートを受けているというのが正直なところだ。一日にこなしている仕事量はおそらく昨年の倍くらい。これから、たぶん4倍くらいまでは上がるだろう。AIさまさまである。ちなみに、それだけ働いているからといって、脳がめちゃくちゃ疲労しているというわけでもなくて、どちらかというとAIのせいで長時間勤務していても脳がときどき遊んでいるような感覚を覚える。そういう自分に、なんだかなと思わなくもない。どうせ働くならへとへとになるまで考えてみてはどうか、という根性論みたいなものを私はいまだに抱えている。ただし、AIにいろいろまかせつつも、ときどきぽんと降ってくる「自分で考えなければいけない命題」に集中できるのは、結局ありがたいと思わなくもない。
……今、なにげなく「鏡検(顕微鏡をみること)」をフィジカルな業務の中に入れている自分に、遅れてびっくりした。
しかし本心である。デスクワークというのは肉体がなければままならない。物理法則が律速になる、というネガティブな意味ではない。逆だ。肉体をばねにして跳ね上がるような側面が、顕微鏡診断には確実にあるのだ。
臓器のマクロ像や顕微鏡像をみて考える作業は、かなり明確に、はっきりと肉体的である。「目で触りに行く」感じ、「指で嗅ぐ」感じ。五感のいくつかを同時に使うし、作用と反作用を意識しながら診断のプロセスを歩む。それは登山的だしトレイルランニング的である。
似たようなことは、読書のときもちょっとだけ感じる。たとえば優れたエッセイやコラムを読んだとき、自分がその風景の中に包埋されるかのような錯覚をするあのとき、本当は目からしか情報が入ってきていないし、しかもその入ってくる情報というのは文字、つまり記号のはずなのだけれど、その記号が脳のあちこちで花となって咲き乱れ、花びらが舞い散るように多方面にふわふわと乱れ散る。交差点の、行き交う動物の群れの中に自分の身をひたして、風花、圧のような、温度、しめりけ、地響き、かげろう、そういったもろもろの心地よさにしびれるとき、ああ、読書というのはとても身体的だなあと感じる。ただし、それは文字という記号がほんとうにきれいに扱われているときだけに生じる「わりと高頻度で発生する奇跡」に過ぎない。高頻度だけれどそれはやっぱり奇跡だと思う。なぜなら多くの文字はやっぱり無味乾燥で、読むという行為はあんまりフィジカルっぽくないと思う時間もけっこうあるからだ。
そこへいくと、細胞をみる行為は、別格である。どんな患者であっても、どんな臓器から採取されていても、それが大きくても粉微塵でも、良性でも悪性でも、その像を網膜が受け止めるときには、文字とは比べ物にならないくらいの物理的な手応えというか「目応え」がある。鏡検というのは文章を読むよりはるかにフィジカルコンタクト的行為である。
一日の中で何度か接眼レンズにまなこを近づける。そのとき私は、AIとのやりとりに飽きて感触をもとめている。グリップ。クラップ。転倒混和。エッペンドルフの中身よりもはるかに混ざる形態学的所見。無限にあふれるアーキテクチャ、有限を鼻で笑うテクスチャ、統計学と再現性で曼荼羅を一次元に抑え込むときの苦笑する感じ。力こぶ。ふくらはぎの痙攣。頸が笑う。
ねるねるうねるね
そろそろ原稿を書こうと思う。旧知の編集者から1年半以上前に依頼されていたものだ。旭川に異動する話をしたら、「環境が変わって働き方が変わって、診断に対する視座も変わればきっと新しいことが書きたくなるでしょう、そのほうがいいです」みたいなことを言われた。そうかと思って異動の前後では書くのをぱたりとやめた。はたして、こちらに来てから、ありとあらゆる診断に対する見方がちょっとずつ変わっている。基本的には、もどかしさ60%、困惑10%、怒り10%、さみしさ80%、ぜんぶあわせて源泉徴収10%を引き、確定申告して追徴金を納めると、私の考え方は20%くらい変わった。ただし、Aを見てBと思う、が、Aを見てCと思う、に変わるというわけではない。Aを見てBと思う、が、Aを見る前に何をしていたからBと思っている自分が見える、や、Aを見てBと思う私がCを見たらDと考えてしまうかもしれない、に変わった。前よりも多めに考えるようになった。それはトータルのアウトプットでいうと「変わった」と表現すべきだから、私は先ほど「変わった」と書いた。でも、本当は、変わったというより、うねった、のだと思う。うねりのなかにいる。
うねりと言えば組織病理像である。ところで「病理組織」ではなく「組織病理」が正しい、なぜならhistopathologyという言葉を翻訳すれば組織病理学だからだ、という文章を読んで以来、なるほどと思って私は組織病理という言葉を使うようにしているのだけれど、たぶん多くの日本人は、元ネタがどうとかいうのではなくて、「病理(部門でみる/学的にみる)組織像」というニュアンスで語順を決定して、それがしっくり来ていたのだろうから、別に元の言葉がどうであっても、日本語なら病理組織像でいいんじゃないか、ということを近頃はよく考える。だいたい組織病理像と書くと、組織所見の中にある→正常から逸脱した部分(病的である部分)の→ことわりを→像として判断する、という順で読み手の脳に飛び込んでくる。でも、本当は違う、病理医がみる組織像の中には、病的でないものと病的なものとが1:2くらいの割合で存在している。この比率はほんとうはさまざまだけれど、解析の際には、ここを1:2くらいにして取り組んでいくとうまくいくような気がする。ともあれ、病理医がみる組織像は、病的なものだけではなくて、アロスタシスの中にいるもの(便宜上、正常と呼ぶもの)もけっこう含まれている。だから組織病理像をみる、と書くと、「えっ正常は見ないの?」という気持ちが喚起される。となれば私はやはりこれからは病理組織像と呼称していったほうがいいのかもしれない。語順を変えれば解決するというものではないにしろ、だ。なんか、そういう、言葉の順番によって脳のシナプスの一部が潤滑になって、思考が一定の方向に重力加速度を受け続ける、みたいなことはあると思う。まだ考え中。ここはまだ、迷っている。とにかく、「組織病理像という呼び方が正しい」という大声にはちょっと保留のランプを灯しておく。
それはともかくうねりと言えば病理組織像である。ある腫瘍の、細胞がずっと、直列に配置していて、かなり伸長した構造を作っていた。こんなに縦に長く配置するようすを見て、私はまず、「なぜうねらないんだろう」と思った。腫瘍というものは自律性増殖をする。それは私を含めた多くの医療者からすると、好き勝手に、奔放に増えるという意味をまとっている。でも、この、「まっすぐ伸長した構造」というのは、日頃みる腫瘍よりもかなりよくコントロールされている。そのことに私はひっかかった。もう少し、うねるなり分岐するなりするのが普通なのに。なぜこうなるのだろう。
もっとも、腫瘍の「異常な増殖」は、ある程度の秩序をもってコントロールされていることのほうが多い。まったく法則なしに伸びていくのではなく、たとえば階層状分岐、それは川の流れが固有のフラクタル次元に即して分岐していくのと似ている、それはなにか、少数の決定的な因子が全体をとりまとめているために生じる規則性、「垣間見えてしまう強い法則」によるのだろうと想像できる。しかしだ、それにしても、今回の腫瘍は、あまりにストレートに構築されすぎなのだ。どうしてこうなるのだろう。
研究会の最中、コメントをもとめられて、この不思議な病理形態のことを考えていた私はぐっと詰まってしまった。増殖帯はどこにあるのだろう、細胞分化が不思議だ、そういったことを言いながら、少なくとも1時間前までには思っていなかったことが口から出てきた。これは、上皮細胞の遺伝子異常だけで説明できるのかはわからない。たとえば間質細胞から放出されるリガンド、つまりは上皮・間葉の協働という側面でも見たらいいのではないかと思う。なぜかというと、こんな珍しい病像が、こんにちまで解明されずに来ているということ(少なくとも私はこの像になにか特定の名称が与えられているのを知らない)、それは旧来の解析手法である「上皮細胞を培養することで遺伝子の変化をしらべていく方法」ではこの現象が明らかにならなかったからなのではないか。上皮細胞の中に存在する決定的な変異がどれだけ作用していようとも、普通はこういう構築にはならないし、なれないはずである。もっと強い力、秩序の側に引き戻す力がないと、こうはならない。近年になって少しずつ行われるようになってきた共培養の系で、上皮と間葉系細胞との相互作用をふまえた検討をすれば、この「上皮細胞がなにか別の力によって強制的に整えられているかのような像」は、説明できるかもしれない、ということをクルクルしゃべった。周りには、全く、伝わっていないようだった。うねった。
フェイスレス
根っからのワークワークさんなのでゴロリがいないとツッコミ役が不在である。本日は「早出A」という勤務体系で、定時を7:00-15:45にシフトさせてあり、夕方からの出張に時間給をあまりつけなくても済む。旭川空港からいったん羽田に出てそこから小松空港まで、乗り継ぎがあまりよくなく、定時運行ならば25分の間に乗り換えれば20時前には小松に付けるのだけれど、さすがに冬季の旭川から飛行機がぴったり定時で着くとは思えなくて、結局羽田で2時間ちょっと待って、金沢駅に到着するのは22時を超えるだろう。明日、朝から肝血流動態・機能イメージ研究会に出て、昼に発表をして、夕方には羽田経由で新千歳に戻る。札幌でもやることがある。あと、札幌ではたぶん、また大雪が降るので、札幌でやることはすべてうっちゃらかして結局雪かきをすることになる予感もある。月曜日は旭川でたくさんの仕事があり、夜は米国の研究者と悪巧みをするのだけれど、こちらが夜の20時に、向こうは朝の5時なのだ、なんだか早起きをさせて申し訳ないなあと思う。会議が終わって21時、そこからスーパーに寄って来週の食材を買い込むというのはちょっと厳しいかもしれない。冷蔵庫に冷凍肉と冷凍餃子は入っている。チクワが1本あった。なめこはまだひとつかみ以上ある。ヨーグルトもある。先日母からトマトジュースもまだある。だったら買い物はしなくてもいいだろう。となると来週の買い物は火曜日か。水曜日が祝日だ、ハッピーマンデー以外の祝日は旭川に来てからはじめてだ。そして休日の日中に旭川にいるのもじつははじめてである。ここまで必ずどこかに出張していた。正月は妻の実家にいた。休みの日に旭川。さてどうしたものか、ラーメンでも食いに行くか、ああ、枕を買いに行くべきだろう。うちにはまだ適切な枕がない。最初に買った枕はこれまで愛用していたものよりもやや高くて合わなかったのでウォーキングクロゼットの上のほうに放り投げてある。今は枕カバーの中にタオルを詰めて即席の枕としたものを使っている。そばがらがいいんじゃないの。妻はそう言った。まったく同感。へたに低反発なんちゃらみたいな調整の効かないものを買うからこういう羽目になるのである。白菜に塩昆布をふっただけのサラダを食いながら反省をする。この組み合わせ、妙にうまい、これも妻がかつてさっと作ってくれたコンビネーションだが準備時間が体感で0.5秒くらいなのにちゃんと5分以上楽しめてタイパがいい。コスパ・タイパという言葉を使うのはヒャクパ中年である。「若者はすぐコスパ・タイパなどというが」と、みんな判で押したように同じ使い回しをする。気持ち悪くてしょうがない。ちなみにヒャクパはおわかりだと思うが100%勇気の略である。
かつて札幌で勤務していたとき、朝の勤務はだいたい5時半とか6時くらいにはじめていた。旭川に来てからはだいぶ遅めに働き始めるようにしている。7時すぎに出勤して8時くらいからのそのそ働き始めることが多い。時間外の勤務表を記載するときには、7:00-8:30はだいたい「自己研鑽」もしくは「自主的な研究」の項目をチェックしている。ときには研究費の申請書を書いたり、気分が乗ったらさっさと診断をはじめたりもしているので、「業務命令としての研究」だとか「診療」にチェックをつけて残業代を申請することもできなくはないのだけれど、それはしないようにしている。ちょっと損するくらいのほうが私の場合はトータルで見たときの精神の衛生状況がよくなる。そういう必要経費なのだと思っている。もっとも、国立大学から支給される残業代なんてたかが知れていて、地域貢献休暇(1日休めば1日分の給料が減らされるが、職員の評価が下がることはない、という謎の休暇。つまり有給休暇に対する無給休暇)を使ってバイトに出たほうが確実に年収はあがるのだけれど、あまりバイトに行くとそれはそれで働き方改革とやらにひっかかってアラートをぶつけられる。それに、できればバイトの枠は専攻医とか若いスタッフに渡したほうがいろいろいい、私が集めてきたバイト先は私が行かないほうがいいのだ。これから物入りな30代が行くといい。過酷な医師の労働環境で、プライベートを構築し、自分育てもしくは子育てに忙しい30代の、燃費の悪さは筆舌に尽くしがたいが、50が見えた中年が自分の取り分を過剰に主張しなければ、30代にも多少いい思いはさせられると思う。
Facebookで知らない医療関係者から友達申請が来る。申請しなければ友達になれないような関係(笑)、という感じで無視している。中にはあるいはかつて名刺交換をしたような人も混じっているのかもしれないのであんまりここでこうやって書くと角が立つのだけれど、申し訳ないことに、私は人を覚えられない、毎日SNSで見かけているアイコンはなんとか覚えているのだけれど人のアイコンであるところの顔は忘れる。当科の職員と街で会っても気づかない可能性すらある。レヴィナスも顔ない。覚えているのは何度も何度もやりとりをした人間だけだ。Xのタイムラインにがんばれゴエモンの話が流れてきた。コナミが突然アーカイブを出すのだそうだ。あのコナミが。びっくりした。Switchでゴエモンができるのはうれしい。思い出すのは35年前、弟と毎日のようにいっしょにやっていた、がんばれゴエモン2(FC)、がんばれゴエモンキテレツ将軍マッギネス(SFC)の記憶、そして、弟の顔。近頃あまり会っていない。大人になってからの我々はちょっとコミュニケーションが少なくなってしまった。今にして思い出す、10代のころ、私は必ず1Pのコントローラーをにぎり、RPGでも基本的に私が操作する、典型的な兄ムーブであって、弟はそれに文句をいうでもなく、2人同時プレイのゲームのときだけは一緒にコントローラーを握るのだけれど、それも決してゴエモン側ではなくエビス丸側を使っていた、そのころの私の強権性が、当時の彼にとってどれほど浸漬するものであったのか、私はおそらく40代になるまであまり自覚していなかった。もう謝ることもできないくらい遠い場所にいる。そういうことをちらちらと考えていたある日、身近な目上の方が、「近頃の若い人はわがままばっかり言うんですよ。もちろん、昔の上司みたいに、ハラスメントで言うことを聞かせるつもりなんてないんですけれど、もうちょっと、自分のために研鑽しようとか、目先の利益だけ考えるのではなしに、長い目で見て自分の得になるような修業をしようという感覚はないんですかね」と言った。私はそれを聞きながら、20代とか30代なんて、兄だったときの私のように、自分以外なにも見えていないんだから、それはもちろん当人も、あとで振り返って悔やんだり顔を赤らめたりするものではあるだろうけれど、今、この瞬間に、当人に何を言ってもわからないだろうし、それはもう、そういうものだと割り切って、爆進する時期には爆進してもらうしかないし、それによって割りを食う人がいたらそこをすくいとって楽しいほうに軌道を修正するのは、我々のような人生を折り返した中年のやることなんじゃないですか、と、言いたかったけれど、黙って「そうですねえ」と言った。
Wiiはハードオフで売ってしまった
無為の奥山を明日越える。けふはあさきゆめのなかにいた。スタートアップ科研費の前段として民間の財団の助成金を申請するための書類を書いている。正直、この程度のものにみんなヒイヒイ言っているのかと拍子抜けする思いはある。もちろんほかにもやることがいっぱいある中で書かなければいけないので時間はぜんぜんない、しかし、こんな、「書けばあとは査読次第」みたいな書類になぜそんなにみんなエフォートをとられているのかまだよくわからない。自分がラボの責任者になって、人を雇うために朝から晩まで必死になって研究費の書類を書きまくる、ビッグラボのPIだとか教授だとかならまだわかるのだが、ただ自分の業績に色を付ける程度の目標で研究費をとっただのとらないだの、その書類がめんどくさいだの、ほんとうに、多くの人は事務作業が苦手なのだなと思うし、私はそういう人たちがちっとも苦手にしていない社会性とか協調性とかコミュニケーションといったものがぜんぜんできないぶん、かわりにこういう事務仕事が苦にならないので、結局トータルとしてはみんな普通の人間だし私も普通の人間だなと感じる。
デザインが派手でちょっと趣味が悪いワイシャツを水曜日や木曜日くらいに着る。オンラインの会だとちょっと派手なくらいでちょうどいいのだけれど、オンサイトの会でこれを着るといかにもワイシャツのたたき売りみたいな場所で適当に買った見切り品だなという感じがあってはずかしい。リアルイベントはたいてい週末なのでそこにあまりこういうタイプのワイシャツを着ていかないように、ローテ的に週の真ん中でなるべくへんなシャツを着るようにしている。捨てろよ、という感想でもあるが、ちかごろ、ワイシャツも高いのだ。平気で4500円とか5500円とかする。そこまでのものかよ、と思う。思うが、この値上げの分で、ワイシャツの製造にかかわったたくさんの人の時給が1円くらいずつ上がるのだろうな、ということも思う。ならば私はこれからも若干攻めたストライプのシャツを買ってオンラインで人と会うような日に積極的に着ていかなければならないだろう。その時給のあがる人々というのが果たして日本国内にどれだけいるのかはわからないが、ベトナムであったとしてもインドネシアであったとしても、誰かが少し幸せになるならいいだろう。なんとなく、そういうところにこの値上げ分は届かないような予感がしっかりあるけれども、いや、届く、と信じることくらいしか末端の買い手である私にはできない。
母から昨年もらった無印良品のフリーズドライの味噌汁・スープのたぐいを少しずつ飲んでいる。夜は自分で汁物を作るのであまり使わないのだが朝飯といっしょにお湯を注いで豚汁だとかつくねと生姜のなんちゃらだとかテールスープだとかを喫するのは悪くない週間だ。それほど安いものでもないので普段だと手に取らないけれど、めちゃくちゃ高いというわけでもないので親からもらうとすごくほどよくうれしい。自分もいずれ息子にこういうものをたまに送りつければよいのだな、ということを学ぶ。金というものは別種の価値にトランスフォームしてなんぼだと、小学生もしくは奨学生なみの感性で今も私は考えているけれど、金を使って金を増やしたり、金を溜めて価値をためたと感じたりする人々がインターネットにはたくさんいて、そういう人たちは果たして私の金の使い方をどう見ているのだろうなということをたまに気にする、それは、憂いか、いや、憂いくない。別に憂いくない。
そういう異常
学会の年会費を払う。12000円。まあこんなものかなと思う。特にこの学会からは何もよいことはされていないのだけれど、たまに発表することがあって、そのショバ代として上納している。そういう金はたくさん回っている。たいていは、学会の、あまり熱心ではない事務員とか、熱心でやさしい事務員などの時給になって、社会に還元されていく。自分で稼いだ金ではあるが、それも、よく考えると、たくさんの人が整備した環境の中で獲得した給料であることにかわりはなく、自分だけで稼いだ額面なんてきっと給料の3割にも満たないのだ、しかしそのことを私は普段あまり意識せずに暮らしていて、ああ、今月も自分ひとりの力でこんだけ稼いだなあと悦に入ったりしているわけだけれどとんでもないことで、だから、社会から預かった金というのはそこで留めることなくきちんと社会に循環させていかなければ人倫に悖る。先日、すでに紙で買い揃えているマンガをKindleで書い直した。これを「無駄な出費」ととらえるのは簡単だが、「末梢の循環が良好」ととらえるべきである。金銭を送受する毛細血管の抵抗が少なければそれだけ金銭を循環させるポンプにも負担はかかりにくいし金銭から価値を削ぎ落とす腎臓にも金銭から毒を抜き取る肝臓にもよい。学会の年会費は、いま、あわせていくら払っているのだろう、計算すればすぐわかることなのだが、こういうのは計算ばかりしていてもメンタルにとっていいことはあまりない。
スーツを買いたい気もするのだが、親しい人たちからこぞって、「今ので十分だよ、そんな細かいところ誰も見てないよ」と止められる。なるほど一理あるなと思って買うのをやめる。このスーツを買わなかったお金を、ほかにどういう用途に使えるかというと、おそらくそのまま別にスライドできるというわけでもなく、いったん頭の中で固まりかけた5万とか8万とかいう額は、数日くらいかけて風化して、移動中のおにぎり代の400円とか、学会のランチョンをスキップしたときの麻婆豆腐代の1280円とか、ポロポロと表面から剥がれ落ちるようになくなっていって、3か月もすると、高揚感も達成感もなしにいつのまにか手元からなくなっている。そのなくなった場所には次の収入と支出のリストが次々とcsv.ファイルで流れ込んできて、結局私は何を買った気にも何を稼いだ気にもならないまま、本来は得られるはずであった抑揚を失う。この、一連の、「抑揚を失う」ことこそは、買おうと思ったものを買わないことの最大のリスクなのではないかと思う。このような言い方をすると、往々にして人は、抑揚ばかり求めるギャンブル依存的逸脱のことをやたらと心配するけれど、凪いだまま暮らせと命じつつ、人としての凹凸や輪郭を発揮せよと期待する社会の二面性に、あまりまともに取り合ってもいいことはない。私は決して、スリルがほしいわけではない。循環する手稲プールに浮き輪で流されながら景色が変わっていくのを楽しみ日差しをぽかぽかと感じる、ただそのような生き甲斐を、そこそこの節制とエイヤの発散とを織り交ぜながらほどよく生活に組み込んでいきたいと願うこと、それを、他者がとどめることに対して、どこか釈然としないものがある。とはいえ結局スーツは買わないのだ。2台めのNintendo Switch 2を買おうと思ったがそれも止められた。それはなんかまあそうだなと私も納得した。
現在のポジション的に若手のバイト先・収入源のことをわりと毎日考える必要がある。外勤日の上限、外勤先での負担、やりたいこと、やりたくないこと、金額、回数、移動距離、業務とのかねあい、本人の成長のための機会、本人の成長のための投資、そういったものを3か月くらいおきに微調整しながら、かつ、いったん安定した振り分けができてもそこで安心せずに、「年次があがるごとに少しずつ額面も増えるような体制をいつでも見据えておくこと」などを考えて、さまざまな病院・医療機関と交渉をする。たとえばとある研究関連の出張を、私が行くのではなく若手に行ってもらおうと考えるとき、日程の候補の中に定例の外勤が組み込まれていた場合には、「外勤を一日中止して出張に行ってもらう」という選択肢はもってのほかである。それは本人が生涯に得られる収入を少し削るということにほかならないからである。その共同研究によって本人が将来どれだけ恩恵を受けるかなどとは関係なしに、金額という一側面だけで、その日程は候補から外れる。調整者としてそういったことを毎日考えているが、自分の出張に関しては平気で、「この病院にごめんなさいして一日おやすみにして、自腹でこの研究会に行ってこよう」みたいなことをやっている。外勤のバイト代が◯万円もらえなくて、研究会(日帰り)の往復航空券が◯万円かかって、参加費、食費、職場を不在にした分の仕事をあとでやるしわよせ、そういったものを、自分が自分に課す分にはなんのストレスもなく一気にやれてしまう。耳垢がごっそりとれたときのような。摩擦係数を超えたずり応力に伴う微弱な振動が心根を適度にマッサージしているかのような。そんな快感がある。なんらかの逸脱ではあるのだろう。しかし、やめられない。
ワーイフクバスランラ
意味からはじまらないのに伝わるもの
エルヴェ・ギベールというフランスの作家の、エッセーになるのだろうか、『ぼくの命を救ってくれなかった友へ』を読んでいる。唐突に出てくる固有名詞、ミシェル・フーコー、50年近く前のフランスや世界の医療の状況などについて、単行本裏表紙の解説、さらにはWikipediaなどを見ないと、文章だけではあまりよくわからないのだが、それはべつにこのような本に特有の現象ではなく、たとえばファンタジー風RPGの文脈をもたずに『ダンジョン飯』を読むとあきらかに説明不足と感じられるのと同じで、その時代、その文化、その背景、その文脈を共有できていない人間は、独白にも物語にも入っていけないものだ。人間というのは、閉鎖された共同体のドアを無理やりこじ開けようとする欲望を持っている。しかし、このドアは、おそらく、私には開けられないタイプのものだ。それでもなぜか読み進めている。ふしぎな本である。
かつて、ロブ=グリエ『迷路のなかで』を平岡篤頼と縁のあるサンキュータツオさんから教えてもらって読んだとき、単語の意味はわかるのだが総体としての意味はわからない文体に、なんだか哲学のような本だなと、最初は雑に思っていたのだけれど、読み進めていくうちに、意味はわからないままなのだが自分の周りにすこしずつ、粒度の粗い霧のような、浮いている霰のような、作品の持つ雰囲気が漂い蓄積をしはじめるような感覚があった。それは、文字や単語が順列となって意味をつくりだしていく日常のコミュニケーションベースの言葉とは違うもので、つながりとか連携ということを介さずに、顆粒のような文字がスープの中に染み込んで総体としてなんらかの味わいになっていくのである。その味をただ飲み込んで胃の粘膜下層あたりで温度を知覚し、有機体が有機体と拡散によって混在するときの流圧のようなもの、それが気管とか横隔膜とかを妙におしつけて「体感」となっていく、なるほど、そういう文学体験があるのだなと、私はそこで確実に驚いて、言葉というもののむずかしさに絶句した。私はロブ=グリエのことも、平岡篤頼のことも、なにもわからないままに読んだ、つまりそれは、国産の西洋系ファンタジーが50年かけて語ってきたエルフに関する文脈を一切もたない非・オタクが葬送のフリーレンを読むようなものだった。そのような状態での『迷路のなかで』の読書は、意味とか、いわゆる「スジ」と呼ばれるようなものを私に与えはせず、しかし、舌圧子で口腔内をおさえられたときのような「押される感じ」を私に与えた。
エルヴェ・ギベールの読書はそのときのことを私に思い出させる。それはもしかすると単に、フランス語圏の文学を翻訳されたものの文体に共通するクセを雑に探っているだけの話なのかもしれないけれど、どうも、私は、思索の「索」というつながりの部分を切断されても人間の思いはなにか別のものをすくい取ることがあるのではないかということが気になりはじめている。かつて、そこを言語化できないままに考え始めるきっかけとなったロブ=グリエの著作と、『ぼくの命を救ってくれなかった君へ』とが、共鳴したり干渉したりしながら私の幼稚な読書を、そして生をゆさぶっている。それは今の私が、「うまく意味に落とし込めないところからはじまり、そこから結局意味までたどり着くことがないのに、なにか終わりを見せようともしている塊状のもの」に、興味を惹かれているということを意味する。
枠の交渉がいる
金相場ならよかったのに
クリアファイルというものはオタクにとっての「お陰の御札」のようなもので、参拝の記念であり、実際になにかを挟んで使うようなものではない。ただ、私は、けっこう使っている。それもわりと便利に使っている。
今のデスクは造作が古く、重くて大人一人ではとても動かせない。天板にはきれいな木目があるのだけれど、そのせいで紙にボールペンで何かを書こうと思うとペン先ががたがたしてしまう。デスクマットが必要だ。しかしデスクマットというものは意外と、ほどよいものが売っていない。いまどき天板がガタつくようなデスク自体が売っていないからニーズがないのだろう。ネットで調べてみてほしい。昭和のころに食卓に引いてあったあのグニグニの透明のマットみたいな質感のものばかりが出てくる。かなり硬めのマウスパッドを買ってみたのだけれど(けっこう高額だ!)、それでも、ボールペンの先は沈んでしまって紙に穴が開く。「書けます」と明記してあるものを買っても結果的に書けなかったこともある。何種類も試した。オンラインの買い物はクソだと思う。やはり文具店に行かないとだめなのだろう。ただそんな時間はないしそもそも文具店なんてこのへんにはない。そこで今回取り出したのがこちらのクリアファイルになります。前職の本棚からきちんと持ってきた大量のオタクグッズ。何かを書くときに、クリアファイルをさっと抜き出して下に敷く。これできちんと字が書ける。こういうかたちでクリアファイルを使う日が来るなんて。SNS医療のカタチのクリアファイルが白くて便利だ。カンデル神経科学の黒いやつもいい。映像研には手を出すな!のやつはイラストレーションが多すぎて目がちかちかする。阿・吽のやつはイラストレーションが美麗すぎて、その上にペンを走らせることをちょっと躊躇する。
御札を使うなよ、という声がどこからともなく聞こえてくるので窓を防音のものに変える。
ポッドキャスト「熱量と文字数」を聞いていた。歴史あるコーナー「ブヒ部」というのがあって、ハイコンテクストすぎて素人にはまったくおすすめできないのだが、ここ数年楽しく拝聴しているし、なんなら出張の移動時間などにちまちまとアーカイブをたどって過去のものも聞いている。ひがもえるという芸人さんがいて、YouTubeではプラモを作ったりしているのだけれど、彼、ちなみに師範と呼ばれているそのひがさんが、滑舌は浅いが解釈は深くてとてもよいのだ。でもまあ全体的に最低のコーナーではあるのだけれどその最低の底の底のどん底のところを通底する、なんというか、オタクの、ざっくりと呼ぶと「気持ち」みたいなものに、私は心のどこかで憐れみとも哀れみとも怜れみとも違う慈しみのようなものを抱いている。ブヒ部というのはつまりはオタクの妄想を垂れ流すコーナーなのだけれどパーソナリティのサンキュータツオさんが、オタクとその妄想対象であるキャラクタ(女性が多いが男性のこともある)の声をむりやり演じ分けてお便りを読む、その現象、その構造、それらがすべてしみじみとした味を出す。いりこ。にぼし。かつおぶし。ちくわを入れておくと顆粒だしを入れなくてもそれなりに味が出ます。さて、このブヒ部において、先日、あまりにすばらしい表現があって私はのけぞって大笑いをしたのだが、それは、オタクの送ってきた妄想おたよりが二通続けて、「途中まで熱量があったのに最後なんかスンって急激に終わる」展開ばかりで、それを評してタツオさんとひがさんが二人で「最後、眠くなっちゃったのかなあ」と言ったのである。「最後、眠くなっちゃった」! ああ! ゲラゲラ! わかるなあ。オタクはみんな、もうすぐおじいちゃん・おばあちゃんだ。「最後、眠くなっちゃった」の、「っやった」が、まさに、刺さる、染み入る年齢だ。そうだ。そうなのだ。ブヒ部を聴いているようなオタクたちのコアとなる年齢層はおそらく40代後半。私と同年代。男性・女性問わず更年期との戦いがはじまっている。撮りためた録画番組をかつてのようには見られない。視力・筋力・関節・腱・脳。脳! 体力は落ちる一方。集中力は解散。「最後、眠くなっちゃった」。何度でも噛み締められるよいフレーズだ。ああ、私も、最後、眠くなっちゃうことが増えた。毎日そうだ。「なんだか、眠くなっちゃった」。そうやって日々、急速に意識を閉じて翌朝を迎えている。
私は王道のオタクではなく、どっちかっていうとオタクエアプ勢とでもいうか、オタクの空気の真ん中を歩きながらオタクを観察していただけの、オタクサファリパークの年間パス購入会員といった風情なので、本当はあまり、オタクコンテンツについてあれこれ言うべき立場ではないのだろうと思っている。けれど今回書いていて思った。私はオタクらしい行動はさほどしてこなかったけれど、オタクたちに共感できるくらいにはオタクたちの文化、風習、コンテンツに、人生の一部を預金してやってきたのだなということを。元本割れ。ペイオフ。
お詫びのメール
研究会で懇親会があったのは木曜日だ。そこから5日経った昨日、夜中に、若い病理医から丁寧なメールが届いた。「懇親会で無礼な言動をしてすみません」とお詫びが書いてある。何度か読んで混乱した。なにが? どれが?
おそらくだが同席したほかのドクターに何か言われたのだろう。昨日きみは市原にだいぶ失礼なこと言ってたぞ、お詫びしときなさい、とか。
まいったな、と思った。そして、これは私の責任だなと思った。
先に書いておくと、その若い病理医は私にたいして何も無礼な言動はしていない。それどころか、懇親会では率先して店を探したり会話を回したり会計の手続きをしてまわったり写真を撮ったりと、ほんとうによく気がついてくるくるとよく動き回って、好印象でしかなかった。つまり、私は本当に「謝られる意味がわからない」。ただしこれをより正確にいうと、「謝られる意味はわからないが、謝られる構造はわかる」。カマトトぶって「えっ何が~わかんないわかんない、謝まんなくていいよぉ~」みたいな「馬鹿のふりをしているがじつは聡いギャルタイプのホスト」として胸の前で手を小刻みに振っていてもしょうがない。私は、あの日、その若い病理医が、謝りたくなるような存在だった。
私は懇親会の席で、47歳である自分の単純な見た目・社会的な見た目を考慮することなしに、「多動の30代」くらいのノリで振る舞っていたのだと思う。「思う」というのがまたよくないのだ、本来であれば、自覚してコントロールしていなければいけないのだけれど、若手病理医からのびっくりするような謝罪メールを見てあらためて自分を分析すると、たぶんそういうことだったんじゃないかなとようやく気づく、ということだ。
それは、たぶん、若い人間からすると、すごくやりにくかったのではないか、と思う。
思えば今の私は、相手が40代くらいなら、基本的にいつも下から目線で敬い以外の何も表面に出さない。これは悪いことではないと思うのだけれど、そのことを徹底しようと思うと、気付かないうちに自認が30代になる。だから、話し相手が30代くらい、つまり自分より10も15も下の人間のときに、「タメ」の感覚が出てきてしまう。本来ならば47歳の相手にすべき「タメ」の言動が、30代の相手に対して漏れ出てくる。それは間違いなく恐怖の対象だろう。一回り以上年齢が上の人間が、「私なんてとてもとても」「まだまだです」「実績がないんで」などと謙遜をくりかえすと、下の人間にとっては、「こういう人間を敬うための装置を用意してそれを起動させないとこの場にいつ火が付くかわからない」という、クリアと罰の基準が両方わからないデスゲームに強制参加させられた状態になってしまう。あと、単純に、たどりついた雰囲気としては「若手と話を合わせようとチラチラこっちを見てくるおじさん」と区別がつかない。ドライバーミューテーションは違うがフェノタイプは一緒、みたいな感じに近い。
これまで人の少なかったこの業界で長く下働き・下っ端・奴隷として働いてきて、「慇懃無礼だから君のことはこれからインギンオブジョイトイと呼ぶよ」などと言われながら、永遠の部下ポジションとしてやってきた私は、しかし、札幌のいち病理医として働いていた間は、どこか、大学やハイボリュームセンターの人間から、「いろいろ得手はあるのかもしれないが、それはそれとして単なる市中病院のコマ」と安心されてきた。「こいつ、ずいぶん謙遜するけど、でも、実際に下の人間だからな」と、どこかで思われていた。でもポジションが変わったことで、私の内在していた圧がわかりやすくなったように思う。元はなかった圧、ではなく、いつ吹き出してもおかしくなかった圧が、火口からはっきり視認できるようになった。つまり私は、私自身は何も変わっていないし、親しい人間からしたらそんな当たり前のことは言うまでもないので逆に身近な場所では話題にも登らないのだけれど、ふだんあまり付き合いのない界隈からすると、「ふつうに年齢相応」の人間としてわかりやすくなったのだと思う。そのことに私はまったく自覚がなかったわけでもないのに、懇親会の気楽さで、ちょっとはめをはずした。つまり、懇親会で本当に無礼なことをしていたのは私だったのだ。私がしっかり礼を認識していたならば、あの場で私は、会話を盛り上げようとも、受け答えを楽しもうともせずに、周りの70代・80代の病理医と同じ顔で(これは誇張ではなくほんとうにそういう場だった)、静かに笑い、なるべく偉そうにしゃべり、自らの経験を問わず語りし、空気を読まずに英霊のように実績を見せびらかして、「若手が近寄りがたい中年」を徹底していたはずだ。でも私はそれをしなかった。フランクな、話の分かる、隙があって弱さもある、付き合いやすい病理医、みたいな顔をしていた。それは単純に今の私の見た目や立ち位置からしてミスマッチだった。そういうところが若い人間に「逆説的な圧」を与えた。私は47歳の中年男性として、「若い人間からは決して理解しきれない、めんどうな中間管理職」らしく振る舞うべきだったのだ。そのほうが、相手する人間たちからしても、「型通り」の接し方でよく、だいぶ楽だし、こんなに気を揉むこともなかったであろう。
夜中、Gmailの着信したスマホを片手にフリーズした私は、これにどう返事をするか悩んで、結局ひとばん待って、翌朝出勤して、デスクのPCを立ち上げてメールソフトを起動させる。
しかしだ。
この関係は、修復しないほうがいいのではないだろうか? だって、ここで、私がフォローにフォローを重ねて優しく明るく「そんなことないんですよ、これからも仲良くしましょう」みたいなことを書いたら、それこそ、「47歳の病理医っぽくない返事がきた!」と相手を怖がらせてしまう。私はもう、このまま、「30代からすると付き合いづらい病理医」として、つまり、世間一般の40代後半と同じようなハコに放り込めるわかりやすいキャラクタのまま、やっていったほうがよいのではないか。
そう思った。しかし、指は、いつものようにメールを打っていく。これを送るとまた、相手には圧がかかるんだろうな、懸念をしたけれど、私はメールを結局このようなことばでしめくくった。
「これからもご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申しあげます。市原 拝」
拝 じゃないのだ。怖いだろう、むしろ。
空砲
雪かき
大雪の札幌にいて雪かきなどをしている。ポッドキャスト「熱量と文字数」の10年以上前のアーカイブを有線イヤホンで聴きながら雪をのけていく。今年は異様な量だ、道がまるで見えなくなっているし、積雪地域で除雪・排雪のインフラが整っているにもかかわらず多くの車がスタックしてあちこちの国道が麻痺している。音が雪に吸収されて街がしずかに崩落していく。スローモーションの落盤の上でめまい。空がブロック塀のように区画され、それらの隙間からビームが漏れ出て、地上の私たちの元素を焼いていく、その香ばしいにおい、花椒のようなパウダー状の。しびれ。唾液。
ポスト・アポカリプスの午後、親に電話をして様子をたずねる。電話を切ったあとパソコンを立ち上げて、古い友人からのメールに応えるために別の古い友人に連絡をとり、ふたりを引き合わせて新しい仕事に向かって送り出す。そろそろ昼寝をしておいたほうが安全なんだろうという予感。明日の朝はかなり早い。日の昇るだいぶ前に起きて、排雪によって道の左右に積み上げられた雪をどけておかないと、妻が車庫から車を出せなくなる。自分が出勤したあとのことには想像が届かない。なにか仕事を積み残してきているような気はするのだがあまり気が回らない。
どうしてそんな、あらゆる人に気を配るような真似をするのか、と強めに詰問された。もっと、気の合うものどうしで、やる気のあるものどうしで、まずは集まって、具体的なプロジェクトをしっかりローンチさせたほうがよいではないか、と、なぜこんなにわかりやすい理屈がわからないのか、と、派手な声色で何度も詰め寄られた。
それでも私は、やる気がある人も、ない人も、どちらにとっても似たような距離にある場所のインフラを整備する仕事をやりたいのだ、と言った。その人は、本当にわけがわからないとあきれた顔をしながら、うまそうに麦茶かなにかを飲んでいた。
ContributionとかAuthorshipのこと。Contribution: 貢献、Authorship: 著者資格。医学の領域では、だれかと一緒に仕事をする際に、その仕事に対する貢献度、どれだけ汗をかいたかということをとても厳しく評価しようという流れがある。論文に掲載されている著者リストの順番に意味がある。学会のポスター発表の発表者に名前を連ねるだけのことにも意味がある。貢献した順に名前を書き連ねる。決して、同じ医局にいるだけのドクターを、連名の中に加えてはならないと、近頃はだいぶうるさい。貢献している人間に申し訳がないと思わないのか、みたいなことを、あちこちでだいぶ目にする。
心底くだらない。
どうでもいいじゃないか、そんなもの。
抄録に名前だけ入れてもらって何も貢献していないタイプの人間。たしかにいる。でもそれがいたからなんなのだ。街の片隅にネズミが生きている。それが許せないと言ってすべての飲食店の下水溝を掃除して回る。そういうのと同じようなテンションで突き上げている。ばかばかしい。
それは所詮は「建前」の話だ。建前にいちいち目くじらをたてる数秒、私たちの人生にとって本当に無駄な数秒、脳のリソースを使うだけ無駄だと思う。ポスターごときに、学会発表ごときに、名前をつらねたことが本当に名誉とか誇りになると思っている人間こそ、馬鹿だ。馬鹿にかまっていられない、もったいない、それよりも大切なことに電解質を使いたい。医学を、医療を、進歩させるための礎となるために、心と体を実際に消費して、なにかあたらしいものをしっかりと打ち立てていきたい。名より実。誰それの研究に名前だけ入った・入らなかった、なんて、医療の発展にも医学の希求にもなんの意味ももたらさない。手を動かしている人間がいちばんすばらしい。まあ、えらくはない。金ももうからない。でも、すばらしい。きちんと織りなされていく布、着実に積み上がっていくレンガ、そういった、後世に残るもの、公益のためになるもの、もしくは、後世の役にも人類のためにもなる予定はないけれど、でも、もしかするといつか誰かが使えるかもしれない、いや、それすらも建前だ、とにかく、新しい科学の扉がひとつ開くか開かないか、それはゲームのクリアに関係ない素材、ボスがいない場所におけるセーブポイント、そういったもの、それらをひとつずつ世の中に見出し、あるいは彫琢し、あるいは刻印していく、それがもっとも大事なことではないのか。名前? 記録? 本当に馬鹿なのか? 雪かきだ。それは雪かきといっしょだ。いくら積み上げても、いくらやりとげても、春がくれば全部解けて、なかったことになる。
ある病理医が話しかけてきた。先生、先生はなぜ……どうして、いまさら、大学に戻ろうなんて思ったんですか。私はそれにこう返事をした。
「札幌厚生病院で18年間はたらいてきました。市中病院のいち病理医です。縁あって、とてもたくさんの人と関わることができたのですが、ただ、私と一緒に仕事をした人は、私が担当病理医であったということで、最終的に、到達点という意味で少しだけ損をしているなあと思いました。私といっしょに働くと、途中までしかたどり着けないんです。画像と病理とを使って、ひとつの症例をすごくおもしろく検討することはできる。でも、ここからさらに進むためには遺伝子検索をしなければいけない、分子生物学的解析をしなければいけないとなったときに、札幌厚生病院にいるだけの私では、そこから先にお連れすることができない。私はそういうのが本当に悔しくて、だから、今回、ご縁をいただけるとなったときに、まあ、今さら私のような人間が、アカデミアで皆さんと同じように活躍できるかというとそれもけっこう難しいとは思うんですけれども、でも、いただいた機会です、なんとか、今度は私が、臨床の疑問を『最後まで連れて行く』ことができるようになりたい。だから大学に来ました。精進しようと思います」
私の答えを聞いた病理医は、なんだか、ものすごく驚いていた。私はそれが驚きをもって受け止められるのだなあということに、驚いた。
私がこのような考えに至った理由は、たぶん、何人かの、インターネットで知り合った悪友の影響によるものかなと思う。自分と働く人がどこまででも登っていけるような存在になりたい。公益のために尽くしたい。これらはだいぶ強欲で、私が生まれ持った謙虚な性格からはあまり出てこないと思われるもので(笑)、つまり、おそらく、ネットの悪影響を受けたのかなと私は思っている。鴨とか、犬とか、あと、幾人かの医者とかを見ているうちに、私は、そういう強欲な人間になりたいと感じるようになったのだ。
私は、この強欲なキャラクタを、他人から教わって演じていた、最初は。
しかし、なんだか、いつのまにか、演じていた役柄と自分とが癒合して、夢と現実の区別がつかなくなって、本当に自分が心からそういうことを思っているのだと、勘違いできる程度には、演じている時間が長くなってきた。
優秀な人間が優秀でいるためだけにストイックに働いている姿を見ると、なぜそんなに、演じることができないのかと、あわれに思う。優秀であることがそんなに大切か? 自分の理想に近づくことが目標だなんてちっぽけだと思わないか?
なぜ、公益のために身を粉にしてはたらくくらいのことを、目指せないのか? 私は演じ続けている。舞台役者のように、ちょっと、大げさすぎるかなとも思ってはいる。