エモい


エ モ い


エ  モ  い


みたいに書いたほうがブログのアクセス数は増えます。

大きなお世話だ。


最近、有名ライターたちはちっとも本出さなくなった。理由はあきらかである。書籍にするよりnoteで売ったほうがもうかるからだ。原稿料や印税をあてこむよりも会員限定記事への月額サブスクのほうが安定して大金を手に入れられる。国民に広く知られる必要なんてない。自分の文章に価値を感じるファンを一定数囲い込めば、それで一生食って遊べる額が手に入ると気付いた人たちはみな、本に背を向けて金稼ぎをはじめた。

本に背を向けていない人たちもいるにはいる。本を正面視して、しかし、やっていることは前蹴りだったりする。「本の価値に気づかないなんてバカだな笑」。本は看板なのだそうだ。本は宣伝になるのだそうだ。紙の本のフィジカルさは書店でネオンサインとして役に立つのだそうだ。ポッドキャスターの間で話題になれ! 王様のブランチにねじこめ! カモは年を取って死ぬ、だから定期的に若カモをオンラインサロンに誘導する必要があり、新規顧客は書店でもいちおう拾うことができるのだという。正確には、書店で生じた小さいアクションを皮切りに連鎖反応を起こしてネットで話題になればいいということだ。名刺代わりの本を少部数で刷る。信じられないほどの少部数で刷る。初回注文にすら足りないくらいの少部数だけ刷る。そしてすぐに少部数重版する。これで「重版出来するほどの人気作です!」といってメディアに取り上げてもらう。一番広告費がかからない「かしこい宣伝」なのだそうだ。「売れるものが売れるの法則」をハックしたつもり。


書店の平積みコーナーが、名刺程度しか情報量のないペラペラの紙束によって侵略されていく。


中身があればいいってもんじゃない。日常のふとしたできごとを気軽に書き留めただけの日記が出版されていてもそれは豊かさの証明であって眉をひそめるようなことではない。軽薄でもいいし重すぎてもいい。歪んでいてもいいしまっすぐすぎてもいい。

しかし、「口調」がみんないっしょなことに、本当に閉口する。

タイトル。帯。イベントの体裁。本というものにどんな価値を見ているか。

これらがみんないっしょなことに、がっかりしてしまう。

直前に成功した人たちのやりかたを古くならないうちに一斉に後追いし、古さが目につき始めたら次の戦略に飛び移るというやりかた。エンドポイントがインプレッションと金。文体が軽薄なのは表現としてありだ。でも本の作り方が軽薄なのはかんべんしてほしい。


古書店で買った本がおもしろくておもしろくて。

みんなにすすめようと思ったんだけど、古本すぎて、そう簡単には入手できない。

しょうがない。紹介はあきらめよう。「古本いいよね」の一言だけつぶやく。あとは全部自分の心にしまう。

そういったことがたまにある。本がそういう存在でもあり得ることに、しみじみとうれしさを覚える。

自分がこれまで、あるいは、これから書いていく本のどれかが、はたして、いつか未来の誰かが古本屋で手にとり「この著者の本って今はもうぜんぜん置いてないけど嫌いではないな」みたいな感想を口にしてくれることがあるだろうか。

もしあったら、夢のようだ。

「なにその妄想、未来の古本屋で自分の本が売れたって一円にもならないのに。」と、時代に正論で殴られているような毎日である。ほんとうにみんなそういう空気の中で生きている。


キモい


キ モ い


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