カツオへの伝言

カツオが外で何やら読んでいる。となりに気難しそうな初老の男性が立っている。カツオは「ハハハ この小咄おもしろいや」と楽しそうに話す。

 男「アタシ最近 膝が痛いんですがね」

 医者「それは年のせいでぇ」

 男「そいつはおかしいや 左の膝も同い年なのに」

カツオ「だってさハハハ」

初老の男性「よく考えたらもっともな話だ。どこがおかしいんだ?」

カツオ「だってェ……」

初老の男性「(カツオの答えを黙って待っている)」

カツオ「弱るなァ……」



手元に該当する4コマがないのでうろ覚えを書き起こしただけだが、だいたいこんな感じのマンガであった。40年くらい前に読んだのに今も覚えているというあたり、さすが長谷川町子というべきだろう。

「よく考えたらもっともな話」というのをよく考えてはいけない。なあなあにすべきなのである。それが教訓だ。うそだけど。



さて最近左の肩が痛い。肩というか首の付け根から腕までずっとだ。五十肩かもしれないと思ったが、四十肩を一度やっていて、あのときと痛みが違うので今回のは別物ではないかと思っている。頸椎症が悪化したのかとも疑ったが、たしかに姿勢・首の角度によって痛みの強さが変わるのだけれど、しびれはたいしたことなくてもっぱら痛いのだ。やはり筋膜とか腱の痛みだろうと思う。

そこで思い出したのがくだんの4コマだった。「そいつはおかしいや 右の肩だって同い年なのに」と、カツオが小咄を音読する声が耳に響く。しかしカツオよ、そういうものでもないのだ、なぜならな、人間というのは、わりと傾いて日々働いているからなのだ。

私のデスクには二台のパソコンと一台の顕微鏡があるのだが、このうち、私物のノートPCには外付けのモニタをつないで画面を拡張している。ノート本体のキーボードを使わず、外付けのワイヤレスキーボードを使ってキータッチをしているので、ノート本体とも液晶モニタとも少し離れて座って両方のモニタを交互に見ながら仕事をするのである。つい先日まで、私の右側にある大きい液晶のほうにテキストファイルとPDFを表示させ、正面のノート液晶に図表のパワポを表示させて、ちょっとだけ体を右にねじりながら論文を書く作業が続いた。本当は画面にきちんと正対してキータッチすべきだったのだろうが、幾度となく右・左・右・左と目線を移す間になんとなく「右ねじり」で働く時間が増えていた。

そして痛みはまるっきり、私が右をくいと向いたときに増強するのだからこれはもういいわけができないのである。ちゃんとした姿勢で働いていなかったから痛みに左右差が出る。

くりかえすがカツオよ、同い年であっても、それまでに何をやってきたかによって受けた傷の数は違うのだ。他人と自分の話をしているんじゃない。左右の膝やら左右の肩やらが同期入社だと過程しても、46年も経てば地位も過程も趣味嗜好も変わろうというものだ。いいか、初老の男性、こんなこと、どこの大人だって多かれ少なかれわかってることなのに、小咄の男はそこをカラッとおかしそうにしゃべる、それが楽しいんだぞ。内容がもっともだから笑えない、なんて了見が狭いことを言うんじゃないよ。


肩が痛いだけのことからどうでもいいブログを1本書いてしまった。こうしてキータッチしている間も左腕全体がびんびんに痛い。アホかと思う。安静にしろ。