二股

しばし呆然としたのち、右側にチェック待ち生検のマッペ、左側に臨床医から写真撮影を依頼された希少例のマッペ、前方の棚に大学の「今週の一例」に提示する教育症例のマッペを置いて、それらから等しく距離をとりどれにも手を付けず、今こうしてブログを書き始めた。15分後にはすべてにとりかかる必要があるがここで15分呆然とすることを選べるようになったのが成長というものだ。マッペとは何か? そんなことはググって冒頭に出てくるAIが生成した答えを見ればわかることだからいちいち説明しない。先日も若者から「大菱形筋の付着部が教科書と解剖学アプリとで微妙に違うんですが、これはどちらかが間違っているんでしょうか?」と質問を受けたので「ググればわかることだ」と答えた。ところが今それを思い出してググってみると、どうも答えがうまく出てこないのである。大菱形筋 付着部 個体差。大菱形筋 頚椎 付着 バリエーション。生成AIはWikipediaの文章を丸パクリした内容をGoogleのトップに表示するが果たしてこれがどれだけのバリエーションを許容するものなのかという結果にはなかなかたどりつかない。ググっても何もわからなくなった。いや、違うか、ググるとすぐに答えは出てくるがその細部がどれだけ信用できるのかがわからない。新宿の雑踏で行き交う人の中から自信満々の紳士を選んで道を訪ねたら胸を張って「新宿ロフトはあっちです」と答えてもらえたが実際に歩いてみてもいっこうにロフトにたどり着かなくて、おかしいなと思ってスマホで地図を開いたら30度くらいずれたところを歩いていたあの日のことを思い出す。自信満々でちょっとずれることを言われるのが一番迷惑である。AIは今、一番迷惑である。


















AIは迷惑だし小賢しい。その場しのぎで質問者が内心考えている内容に絶妙に寄り添いつつ決して本質的ではない回答を秒速で返してくる。AIは結婚詐欺師のようだ。私はやるせない気持ちでいっぱいになった。これだけしゃべれても感情がないとなると人間はどれだけしゃべっても感情を証明できないことになりはしないか。15分経ったので仕事に戻る。マッペが私の即答を待っている。