コミカライズ人間

『俺だけレベルアップな件』の21巻が出たので読んでいたのだがインフレがすごくて笑ってしまう。テコ入れのほのかなラブシーンもそこだけ浮いてて味わいがある。このマンガほんとうにちゃんと終わるのかなあ。コミカライズ系ファンタジック中世風RPG的創作物の大半は完結しないイメージがあり、その点、ダンジョン飯は偉かったなあと思うし、ワンピースは(系統は違うが)だらだら長くやってるけどちゃんと全体を太く繋げるストーリーが最初にある(らしい)からやっぱりすごいんだよな。30年にもわたって整合性とるなんて現実の人生ならあり得ない。昔の私が思っていた世界と今の私が見ている世界はまじで別物だからな。

むしろ、人生とか世界を真剣に書けば書くほど、本来の人生と同じように、「設定が途中で自己矛盾する」とか「当初のポリシーがかえって足かせになる」みたいなことがたくさん出てくるものなんだろうな、つまり初期プロットの甘い創作物ってのはかえってリアルなのかもしれないな、ということを思う。

じわりとコロナが再燃してきているという話を聞く。しかし近頃はどこに出張するときもほぼマスクをしなくなった。特に飛行機は空調が上から下にばんばん抜けていくから、周りに妙に咳をする人がいるか、自分が咳をしているとき以外はマスクをしていない。満員電車ではわりとしている。気の所為かもしれないが、最近、人が少し臭くなった気がする。人が臭くなったのではなくてマスクをしていた数年の間、人の臭いを直接嗅ぐことがなくなっていたのだが、マスクを外したらなんだか気になるようになったということなのかもしれない。中でも東京と大阪は交通機関内の汗のにおいがけっこう激しく感じられる。ほかにも、外で人と会うときに相手の口臭がわずかに気になったりすることもあって、そうか、昔はこういうのを「感じ流していた」のだけれど、マスク生活を経てそういうのが流せなくなってしまっている、私はちょっと軟弱になったのだなというがっかり感はある。

私は今も職場ではマスクを外していない。それは私が病院に出入りし、お手洗いにいったりコンビニにいったりする過程で、通りすがった患者に私が無症状で感染しているコロナをうつしたら申し訳ない、みたいな職業的倫理によるものが大きい。あとはこの年齢なので肌も荒れてきているからそれを隠す意味でマスクが便利だっていうのもあるし、マスクしてるとリップクリームを塗らなくても乾燥しづらいってのもある。でもまあ惰性なのだ。病理という部門は基本的にあまり患者に会わないし、仕事に集中している間はお互いに距離をとって無言というのが原則なので、スタッフもだんだんマスクが適当になってきている。そんな中、主任部長の私が今もマスクを外さないのはもしかしたらある種の圧になってしまっているかもしれない。

導入したプロットを取り下げることに対して私は幾重かの意味でへたくそなのかなと思う。マスクにしてもそうだ。外したら外したで感性が弱っちくなっていて世界の肌理の多様性についていけなくて不快を覚えてしまうし、外さないとこではとことん外さなくてそれは一般には頑固と呼ばれる気質である。これらは、今日の話でいうならば、「いちど書いてしまったプロットを守らないことで、ストーリーが当初の予定からはずれていくこと」に対する恐怖感なのかなと思う。そういう恐怖を抱えたまま人生を執筆していくと、中盤以降に盛り上がりどころを作れず、いつまでも完結しないラノベ原作のコミカライズのようになってしまうのかもしれない。まあ完結しない作品なんていくつあっても困らないんですけどね。あっ俺だけレベルアップな件がそうだって言いたいわけじゃないよ。

ツーツーレロレロだ

息子からポストアポカリプスもののマンガのタイトルが無拍子で送られてきてさっそく購入、親子で互いに知らないマンガを提案しあうようになったことにまずは一安心する。かつて父は私が読んでいるマンガの大半を読んでいなかったと思う、しかし、それでも、よくあれだけいろいろ買ってくれたものだなと今になってありがたさが身にしみる。親ができることは子どもに本の背表紙を見せることなのかなという感覚は父から受け継いだものだ。


このように、現在を体験する過程では過去の断片が参照され、瞬間が拡張され、意味が輻輳していく。


過去の参照が過去との照合になってしまうときはつまらない。現在が過去の焼き直しになってしまっては息苦しい。しかし、たいていの場合、参照することで境界が破れる。現在の境界も過去の境界もどちらも破れる。解釈は固定されずに更新される。プロットなしの小説を書く際、途中で筆を止めて最初から読み返して表現をいじりながら少しずつ話を進めていくとき、あの、何度も何度も推敲されていく冒頭の文章のように、現在の筆記を進めていく過程で現在よりも過去が書き直されて研ぎ澄まされていく。こうして何かを書いているときも、誰かと話しているときも、「今・ここ」にだけ集中していることはなく、参照先の再解釈によりカロリーを消費している。

アイデンティティとは過去の解釈の総体なのかなと突然思う。「今・ここ」で私がどのように存在しているかが自我だとばかり思っていたが、たぶんそうではないのだろう。自分という小説の一行目に何を書くべきかということを、人生の続く限りで何度も推敲しつづけることが、自らをアイデンティファイするということなのではないか。


そしてだから忘却という装置があるのかなという気もする。自分の人生に対して校正ばかりをしていても新作は書けない。どこかで覚悟を決めて校了する必要がある。校了後には忘れるのだ。古い過去は順次、参照先としてのリンクを外される。それが忘却であり、ある意味、自分の人生に対する作家の役割を自分で担うにあたって、新作を書くためのコツなのかなと思う。ずっと統一の設定で書き続ける尾田栄一郎はばけものだ。ふつうは、似たような設定を、忘れたふりをして何度もこする、あだち充のような人生になっていくことが多い。


あだち充は全部は読んでいないのだがいつかどこかの夏休みを使って前作一気読みしてみたい欲望がある。それはなんというか人生の縮図みたいな体験になる気がするのだ。似て非なる過去を繰り返し想起しながら似て非なる現在を歩んでいくという過程が。

TATTOOあり

げっそりドンキーである。疲労がなかなかだ。しかし、いいこともある。近頃、夜がちょうどいい。札幌。身軽な薄着でタオルケットくらいで寝て、朝方にちょっと涼しい、くらいの絶妙の気温。19度とかだ。うれしい。うっすら窓を開けておくと、寝る前に涼しい風が入ってきて、夜半にちょっと冷えて目が覚めて、掛け布団をかけてまた眠る、贅沢な睡眠。いい感じなのだ。札幌。このような季節は、いつもは7月の半ばくらいに2週間くらい、あるかないかといったところなのだけれど、今年は高気圧がイキっていて、6月中旬なのにもうこんなことになっている。全国津々浦々で、みんな暑さによってひどい目にあっているだろうし、農業も漁業もいろいろ深刻で、水不足だとかイカが捕れないとかあちこちから伝え聞くので、あまりはしゃぐのもどうかと思うけれど、冬の厳しさを考えれば札幌民はこれくらいのいい目にあっても別に悪くはないはずだ。今、とてもいい季節である。

それだけでなんとかやっていけるかなという気持ちになる。



そういう気持ちになれたのはたぶん言葉にしたからだ。

夜が気持ちいいことそのものは、言葉にしなくても普段から、私がじんわりと感じていることだ。しかし、「最近、夜が気持ちいいな」と書き留めることで、そうか、私は夜が気持ちいいと考えているんだなと、自分が置いた言葉に自分が納得させられる。このときの「感じかた」のあざやかさは、言語化する前の彩度とは比べ物にならないほど強い。

言語化しておくことで、そしてそれを自分でこうして読み返すことで、「そうだそうだ今の俺はなかなかいいんだ」と噛みしめることに、効用がある。


そして無形のものを言葉にすることはいつも近似でしかない。

湧き上がってきたものを言葉にして置いた瞬間、そうかな、ほんとうにこうかな、ちょっと小さくなってはいないか、ちょっと強調されすぎてはいないか、ちょっと輪郭の形状が異なるのではないか、ちょっと前後関係が狂ってきているのではないかと、ズレを自覚する。そのズレをみながら、言葉にする前の自分は本当はなにをどのように感じていたのかを、逆行性に探る作業に入る。とりあえずの言語化を仮の足場として、そこに登ったりそこから降りたりを繰り返しながら、もっとよい言葉がないか、もっとよい表現がないか、もっとうまい組み合わせがないか、もっとそのものずばりの順列がないかと試行錯誤をする。

そうしているうちに、感じていた事象そのものと、事象の周囲にあるもの、私が言葉にするにあたって参照したもの、連想したもの、対置したものなどが、かたまりになって私の心の中に居場所を占めるようになる。


最近、夜が気持ちいいと言葉にしたことの周囲、裏側、鏡の向こう、光をあてたときのシルエット、そういったものの中に、私が進行形でとらえようとしている世界の揺蕩い、質感みたいなものが散りばめられており、そういったものは直接みじかい言葉や文章で表すことはできないのだが、仮の足場として提示した言葉の周囲をうろうろしている間に、概念として少しずつ腑に落ちて、私はそれをまるごと手に入れることになる。



だから……というわけではないが、嫌いなもの、気に食わないもの、いやなものを言葉にする作業を最近は回避しがちだ。言葉にするとかえってそれを深く彫り込んでしまうということがある。タトゥーを見せびらかすような人。気持ちはわからなくもない。自傷行為は快感を伴う。しかし、理解はできるが共感まではできない。私は、自分の心のポリゴンにテクスチャを貼るのに忙しくて、嫌いなもののために言葉をためつすがめつするような時間を今は惜しむ。

放熱の夜(3)

講演ならぬ講談がうまくいったのかどうかはよくわからない。金先生や、現地企業の担当者は、多くの場面で通訳をしてくださって、現地でのコミュニケーションをおおいにたすけてくださったのだけれど、出席していたドクターひとりひとりのナマの反応みたいなものを聞いて回れたわけではない。拍手の量が多いからといって聴衆が満足していたとは限らない。私の話した内容は、中国の医師にとって、簡単すぎただろうか。基礎的すぎただろうか。わざわざ海の向こうから金をかけて呼んだだけの価値があったと、感じてもらえただろうか。

朝8時からはじまった会が引けたのは18時。途中、昼飯を食いに連れ出してもらえて、重慶の町並みなどを短時間だけど見学させてもらったのはちょっとうれしかった。外気温は38度。6月だというのにもうこれかとびっくりする。ただ、日本の夏ほど湿気があるようには思えなくて、猛烈に暑いけれどまあこの程度なら……と思っていたら、来月には雨季が来て湿度が100%になるし重慶の夏は45度くらいになると聞いて、なんだこれでも夏の小手調べなのかと呆然とした。午後の症例検討は3時間、私も疲れたが、両方向の通訳を担当した金先生が一番疲れただろう。彼女は会が終わるなり北京にとんぼ返りして、明日もまた別の研究会に出るのだという。日本全土を飛び回るだけであんなに大変なのに、中国全土を飛び回る生活なんてちょっと私には想像がつかなかった。

会が終わったら晩飯だ。「重慶の重鎮医師」と書くと画数が多くてわけがわからないがとにかく当地の医療を牽引するドクターたちと飯を食う。移動する車の中でふと気づいたのだがとにかく道を走っているとパッパパッパとすぐにフラッシュのような光が焚かれる。日本でいう高速道路のNシステムのようなもので、中国人はどこにいても延々と監視カメラに覗かれていてあらゆる行動が監視されている、オーウェルの世界とはこのことか、とすぐにわかった。しかし、なんというか、今の私はそれを不気味にも不安にも思わなくなっていた。

こんな国を仮にでもひとつにまとめるのがどれだけ大変なのかということが、なんだか、身にしみていた。監視されたからなんだというのだろう、くらいの気持ちに私はなっていた。彼らのエネルギーは枠を必ず飛び越えていく。監視を前提としてなおプライベートな感情を爆発させ、規範の上に意図を盆栽のように組み上げていく中国人の底力みたいなものを、たった一日だけとは言え全身に浴びた私は、この程度の監視ならもはや彼らは痛くも痒くもないのだろう、と感じ始めていた。

晩飯を終えると昼間に見学した川沿いにもう一度行くという。行ってみると果たしてそこは盛大にライトアップされていていかにも観光地然としていたのだが、驚いたのは人、人、人、鎌倉か江の島か、まあ、日本にも、こういう名所はあるのだけれど、その人のすべて(正確には私と平田先生をのぞいた全員)が中国人であることに私は圧倒された。滅殺開墾ビームならぬ内需爆発レーザーを照射され続けて私は年甲斐もなく高揚した。すごい。すさまじい。夜の10時なのにこの老若男女。洪崖洞で私は何枚も写真や動画を撮ったのだがそのどれもピンとこなくて私はほとんどの写真をその場で捨てた。そういうことではなかった。そういう体験ではなかった。


灯りはけばくて人工的で、趣きとかわびさびといったものとは無縁で、でも、その過剰な装飾は、揚子江を埋め尽くした無垢で朴訥な欲望の人びととよく調和して全体で猛烈なメッセージになって私の脳髄に届いた。これまで日本にいながら「あの国のデザインって華美でちょっと下品だよな」みたいなことを思っていた私はきちんとわかりやすくずれていたのだなということがこの日よくわかった。

私はこの地がとても好きになった。そして、今日の講演のでき、日本でなら120点くらい付けてもよかっただろうが、中国ではおそらく満点が250点くらいに引き上げられるんじゃないかな、みたいなことを、ぎりぎり降るか降らないかというまばらな小雨の船上で、私はずっと考えた。

来年もまた呼んでもらえるだろうか。それはもうわからない。中国の医療は指数関数的に発展しており、今年力を出し切った私はおそらくすでに中国の「経験」として組み込まれ、研究され、解析されて今日にはもう過去として消化され終わっているだろう。来年、今と同じ実力の私がいても、もう彼らは私を必要としない。私は来年この国に呼ばれるためには彼らと同じペースで成長しなければいけない。それはなんというか、ずいぶんと高くて幸せな目標だなと私は思った。

放熱の夜(2)

現地時間8時に会がスタート。重庆市医学会 消化病学分会 第五届消化免疫学术年会 暨消化内镜分会 第四届青年内镜医师学术会议 とやたらめったら長いタイトルがついている。最後のブロックを翻訳すると「若手内視鏡医のための会」で、参加者には若い医師が多いし男女比は半々、もしくはやや女性のほうが多いようにも見える。一方、前のほうに座っている医師たちは、オンラインで見たことがある顔が何人かいて、おそらく運営側や発表担当者なのだろう、そのあたりはベテランで固められていた。

金先生と挨拶。この方は1990年代の終わりに日本に来て、私がかつて所属していた大学院に何年かいてたくさんの病理解剖を担当した。日本語ぺらぺらだ。私は大学院生のころ、金先生といっしょにいくつかの剖検に入った。うちひとつはとある難病の症例で、20年以上経つがいまだによく覚えている。長年寝たきりだった患者なのだが見た目の雰囲気が普通の病人という感じではなく、異様に内臓脂肪がついていてお腹の中は脂肪まみれであった。今にして思うと治療に必要な薬の副作用だったのかもしれない(というかたぶんそうである)のだが、当時はなんて不思議な病気なんだろうとびっくりしたし、そんな驚き方をしているくらいだから私がまだぜんぜん病理学のことをわかっていない修業時代だったのだなということに間接的に思い至る。ちなみに私は基本的に、症例とか人間のことをまるで覚えない。海馬の先が崖になっていて長期記憶がぜんぶ海の藻屑になっていく。しかしその解剖のことはなぜか印象的でよく覚えているし、そのとき金先生の手技が大変丁寧だったこともセットで覚えている。

金先生はその後中国に戻り、現在は某医学系大学の、病理の主任医師・教授である。施設のプロフィールを見ると日本での経験症例数などが公式Bioに載せられており、中国の人びとにとって日本で解剖をやったことがあるというのがある種のステータスにはなるのだろうなということを思った。日本で500例くらいはやられているということなので驚く。数年いらっしゃったとはいえそんなにやっていたのか。昔は今より解剖が多かったにしても。

そんな金先生は私の発表や症例検討の通訳をしてくださる。現在、日本から多くの病理医が中国の学会を訪れるが、その多くと関わられており、ご自身の仕事(消化器や婦人科などの病理学)のかたわらで中国全土を飛び回りながら病理学関連の日本語通訳を担当されている。通訳のスピードは「プロ野球のヒーローインタビューくらい」なので非常にすばらしいし、病理や内視鏡の専門用語を言ってもほぼ理解してくださって、仮にわからないことがあってもその場で日本語で質問をしてくださって、すぐに内容を理解して通訳を進める。私が今から逆方向の(病理の解説を中国語でしゃべってもらってそれを瞬時に日本語にする)仕事をできるようになるとは絶対に思えない。頭が上がらない。

旧交を温めているうちに会が始まり発表が進んでいく。演者の中国語はまったくわからないし、翻訳アプリを使っても学会会場ほどでかいと音がうまく拾えないので使えない(ちなみにドコモの国際ローミングは中国国内でも普通にGoogleなどのアプリを用いることができる)。でも、プレゼンが漢字だと、なんとなく言いたいことがわかる。冒頭、クローン病の治療戦略に関する話、少なくともプレゼンに書いてある内容は9割以上理解できたのではないかと思う。このようなことはモンゴル出張のときには経験できなかった。おもしろい。急速に楽しくなっていく。この出張、得るものが多そうだなと期待が膨らむ。積み重ねてきた寝不足が心配だったのだが神経が興奮して覚醒レベルが上がっていくのが自分でよくわかる。

私の出番は9時45分からだ。講演を行う。タイトルは「来自组织病理的反馈:使用病理诊断更详细地阅读内镜」、すなわち「病理組織診断からのフィードバック:病理診断を用いたより詳細な内視鏡読影」というもので、もともと私が日本語で考えていたタイトルはもう忘れてしまったのだけれどかなりいい感じで翻訳してもらっている。担当は45分間。ただし通訳を考慮して20分相当のスライドを作った。金先生への感謝を述べつつ粛々と講演をすすめる。果たして、このレベルの内容で中国の医師は喜んでくれるのだろうか。

旅については事前にほとんど準備をしなかったのだが講演についてはかなりきっちりと相談をした。現地企業の担当者に、学会上層部へのヒアリングをしてもらい、ここ最近の日本人病理医の講演内容、そのレベル、そして聴衆の反応みたいなものを何度かにわけて細かくたずねた。最初は「どんなものでもいい。日本の病理医の発表はどれも勉強になります」みたいな反応であった現地担当の口調がメールを重ねるごとに細かいニュアンスを帯びるようになり、まとめると、「近頃の中国の内視鏡医・病理医はものすごく勉強をしているので、もうちょっと高度な内容でもいい」というものだった。言葉の壁を乗り越えながらの解釈なので間違っているかもしれないけれど、私はこのやりとりから、少なくとも中国の内視鏡医や病理医に向けて話をするならば、上から講演をするどころか、胸を借りるつもりで全力でぶつかっていかなければだめだと思った。そして、教科書的な、順を追った講演をするのではなく、現時点で私が一番本気でしゃべれそうな内容を、あまり構造化されていない状態の、エネルギーの塊のようなものにしてしゃべってみようと決めた。

45分間で提示する内容は「症例を2つ」だけ。日本国内でこれをやったら、「症例検討に毛の生えた程度の講演なんかしやがって」と怒られる可能性もある。しかし本来、私の一番のストロングポイントは、「一例でどこまで語れるか」にあるし、逆にいったらそこで一点突破していくしかないと思った。

過去に、中国で複数回、モンゴル、シンガポール、ミャンマー、香港で、(モンゴル以外はオンラインで)私は講演をしている。それらはすべて多かれ少なかれ構造化した内容であった。これらはいずれも、短い映画を一本作るような気持ちで作った。映画だから序盤、中盤、終盤の流れがあるし、ネタとかオチとかもところどころに潜ませる必要もあって、リズムも計算しておくのだ。しかし、今回、中国の聴衆が現地で私に求める内容は、「それよりもうちょっと高度な内容でもいい」のだなということが伝わってきた。そこで私は映画をやめて講談にすることにしたのだ。物語の一巻をすべて語るのではなく、「ここぞ!」という場面を細部までゴリゴリに描いて、非常に狭い一場面だけを語り尽くすスタイルだ。いいところで「続きはまたのお楽しみ」となれば言うことはない。

放熱の夜(1)

重慶出張の前日、目の奥が重すぎて開けていられなくなり、目薬を乱射してのけぞったまま、背もたれとしばらく癒着した。あまりに疲れていたし緊張もしていた。中国の情報が少なすぎる。観光のための本はぜんぜん売っていないしネットの話も偏っていて、YouTubeのVlogerたちの編集が浅くて見るに耐えなくて、なんだか、これほどまでに準備できないまま出張するのは久しぶりだなと思った。私は幸いなことに睡眠についてはめったに苦労しないのだけれどここ数日は眠りが浅くて、充電が70%くらいから上がっていかない昔の充電器のようだなと感じていた。


重慶への直行便は関空から出ている。しかし、ちかごろの関空は国内線のアクセスがあまり多くない。国際線の離陸よりも3時間前に空港に着いていようと思うと、土曜日にいちにち働くために木曜日に札幌を出て、関空近辺で一泊し、金曜日の直行便、みたいな話になってしまう。そんなに職場を開けたくなかった。現地のスタッフと相談すると、新千歳→北京、北京→重慶の乗り換えであれば金曜日の移動で大丈夫だと言われた。行ったことのない中国内部での乗り換え、かつて、Facebookかなにかで、先輩の医師が「中国の飛行機はがんがん遅れるし対応がまるで信用できない」みたいな話をしていたのを思い出し、不安は募るばかりだがこれしかないと思って予約を進めてもらった。


そう、交通にしても宿泊にしても、「進めてもらう」のである。自分で手続きをするわけではない。だから余計に下調べが甘くなる。現地の人が全部やってくれるからなんとかなるだろう、くらいの気持ちで数か月過ごし、いざ、出張が近づいてくると、それなりに手間も時間もかかる移動のために自分が一切汗をかいていないことが副作用のようにじんわりと痛みを訴えだす。充電器は? 変圧器は? 国際ローミングの契約は? 家を出るとき、パスポートを忘れていることに気づいてさすがにあきれたりもした。半袖スニーカーで登山口に到着してしまった気分で当日の朝を迎えた。


中国国際航空(エアチャイナ)は普通の飛行機だった。シートはやや古いし安全確認動画を流すテレビは昔の少し小さめのやつだ。しかしガタピシ感はない。CAさんとのコミュニケーションはカタコトの英語で問題ない。機内で騒ぐ客がいるわけでもない。空調がきつくもない。腕時計を持ってこなかった私は時間をスマホで見るのだが「日本時間」がいつ中国時間に変わるのだろうかということを気にした。北京に着いて電源を入れると、位置情報の取得が行われてわりとすばやく表示が切り替わって私は一時的に一時間の回復に成功する。ただし昨日申し込んでおいたドコモの国際ローミングがうまくいかない。ああ、なんだろう、空港ではドコモの電波が遮断されているのだろうか、などと不安になったが、出国ゲートに向けて電車に乗ったり歩いたりしているうちにいつのまにか回線がつながっていた。これで空港内で行く先がわからなくなっても検索ができるから一安心だ。しかし、結果的に、私は中国国内では検索をほぼしなかった。漢字を見ればだいたいの意味は掴めてしまう。出口も乗り継ぎもまあ見た通りなのだ。不思議な感覚だった。


北京で現地企業の担当者と合流する。そこで聞いてびっくりしたのだが、事前に連絡を受けていた重慶行きのフライトが、新千歳空港でチケットを受け取った時点でそもそも1時間遅延していた。時差によるアヤかと思っていたがそうではなかった。でも担当者は「最近はこういうのは珍しいです」という。たしかにこれ以降、中国国内でなにかのダイヤが乱れたということはなかった。とくに行き詰ることもなく重慶の空港についたのが23時半。車で20分も移動すれば今日の宿。ひとまず日が変わる前に到着できてよかった。こういうときに自分でタクシーに乗ったり電車に乗ったりするのがいつも気がかりで、前日などは交通に失敗する夢を見たりするものなのだけれど、今回は企業の方が車を出してくれてとても安心だ。もっとも車を出してくれることに気づいたのが前日のことだったので、前々日くらいの眠りは十分に浅かったのだが。


宿はふつうにきれいであった。そういえば中国の出張の際にはトイレットペーパーを持っていくべきだ、置いていないことがある、そしてトイレに流すと詰まるから横にあるゴミ箱に捨てるものだ、とかつて何かで読んだ話を遅ればせながら思い出した。たしかにトイレにはゴミ箱がある。なるほどやはりそうなのかと思ったが、ためしに少量の紙を流してみると日本と同じような水流でふつうに流れていく。これ以上実験するのは危険なので翌日誰かに聞いてみようと思いながらその日は就寝。4時間ほどで目覚めてシャワーを浴び直して学会会場に向かう。


朝から学会に出た。別の便で日本からやってきた平田大善先生と合流。彼は上海、北京、杭州、大連、青島、あとどこだったかな、聞いたけど忘れてしまった、とにかく都会から地方まで、中国だけでなくさまざまな海外で技術指導・講演をしまくっている内視鏡医で、私の何倍も経験があるからあとはもう彼にいろいろ教えてもらえばいい。年は私の6つくらい下であるが、皮肉でもなく本当にそのままの意味で、私とタメかもしくは私よりも上の雰囲気で接してくれるのが私にとってはすごく居心地がいい。年だけ下だからといって下手にへりくだられてしまっても面倒だし、このほうがたくさん質問して教えてもらうことができるから助かった。まず聞くのはトイレのことだ。「今回私たちが泊まっているような、外国人が観光で泊まるようなホテルではふつうに紙を流して大丈夫です。それでトラブルになったことがないです」とのことだった。もちろん農村部などでは無理なのだろうが、トイレ事情も大きく変わっている。ネットの話の半分以上が古い情報、自分で体験していない情報、いわゆるコタツ記事なのだなということをあらためて思い知った。



針の交流

知人が最近英語をがんばっている。町中英会話に通い、オンラインサービスを用いて東南アジアの人と会話する。TOEICの点数を上げようみたいな野心はないらしく、用いているのは日常基礎単語ばかりで、「中学校からやりなおし」という雰囲気である。もっとも、海外の人と政治・経済についてディベートしたいとか、映画を翻訳なしで観たいといった欲望があるわけでもないようだし、海外に住むとか商談でしょっちゅう渡航するというわけでもないので、これくらいの初級英語で十分なんだろうと眺めていた。

そこから1年経ったか、2年経ったか、相変わらず発音は日本人のそれで、ボキャブラリーもとんと増えていないのだけれど、なんというか、聞いてみると、テンポが変わった。リズムが変わった。先日は、日本を訪れたとあるゲストに、これ以上ないというカタコト発音ではう・どぅ・ゆ・らいく・じゃぱんと問いかけていたのだけれど、発音はともかくリズムが日本語話者のそれから少しずつ離陸しようとしている。ゲストのほうもちゃんとその英語を聞き取って良好にコミュニケーションを取っていた。「きれいな英語」ではないのだろうが確実に用をなしている。そうか、こういうことなのか。尊敬の念がふつふつと湧いてくる。

こうあればよかったのか。

彼女はこの先もどんどん、「海外の人間とコミュニケーションをとる機会」を増やしていくだろう。それは、私がこれまで、英語をやるならこうあるべきとうっすら感じていた、「自分の語りたい意味を伝達するために十全な英語力を身につける」という方向性とは、似ているようだがけっこう違うように思えた。彼女がくりかえし訓練しているのは、「自分の気持ちをうまく伝えるための英語」ではなく、「互いになにか伝わるための英語」である。伝えると伝わるの違い。もっぱら能動的になにかを成すための語学力と、中動態で場とか間が相互になにかを結果的にもたらす語学力の違い。描写が細ければそれだけ意図がたくさん込められるというものでもない。

私のコミュニケーションは偏っている。頭で単語をなぞり、頭で口の中の形をととのえて、申し訳程度の発音を出す。それらはすべて、「私がふだん日本語で考えていることを、8割とは言わないが、せめて6割程度でも伝えることができれば、相手は私の脳内風景に屈服するはずだ」という、「知ってもらえばわかるはずなのだタイプの交流」に根ざしている。でも、本当は、彼女のやっているように、互いの言葉からなにか、ミストのようなものが場に提供され、それで彼我が共にうるおっていくようなふるまいこそが、真のコミュニケーションなのだろう。語彙力がどうでもいいわけではない、文法をおろそかにしていいなんて全く思っていない、それでも、彼女が英語をもとにこれまで組み上げてきた海外の研究者たちとの交歓のかずかずは、およそ私が日本語ですら語り尽くすことのできないくらいに繚乱なニュアンスをふくよかに含んでいる。

英語に限った話ではない。思えば私は、日本語であっても、相手と交流しようというのではなく、相手にいかに自分を伝達するかという部分ばかり研ぎ澄ませてきたように思う。場を興すことなく、そこにひとり、屹立するさみしいひとつの針が、ただ内省ばかりを繰り返しながら細く鋭く尖っていく、それがなんの伝達をできるというのか、そんな私を知ったうえでそれでもこれまで私と関わろうとしてくれた幾人かの人びとは、思えば圧倒的にコミュニケーションのうまい人ばかりだったのだなあと、今更だが納得をしてしまう。

ビグザムっぽい撃ち方

どことなく落ち着かない日が続いており、おそらくこの気分は12月くらいまでは続くだろう。いくつかの意味で引っ越しが近づいている。いわゆる「ホーム」にあたるスペースがグラグラ浮足立っている。この本棚の教科書は今月中にパッキングしなければならない。こちらのラックは3か月以内に処分する必要がある。この機会にPCも1台買い足すべきなのだろうが新たなタスクを差し込むのが怖くもある。メール。メールアドレス。連絡。連絡先の更新。出張医。当番の組み換え。カンファレンス。早回しのCPC。勉強会。研修医指導の引き継ぎ。研究。学会準備の持ち越し。家。すみかの掃除。

どことなく落ち着かない日に本を読んで、文字が結膜で滑ってしまってうまく読めなくて、そのせいか、最近はアニメを見ている。ストーリーが頭に入ってこなくても、視聴後にSNSでミームの答え合わせができればそれで一定の満足が得られる、便利だ。残念だったのは剣聖。めちゃくちゃ評判がいいので楽しみにしていたのだが、アニメーターの身体に関する理解が浅いためか剣を振ったときの重心がめちゃくちゃで、マンガ版の細やかな描写が一切反映されていない第一話、(もしかしたら大事なシーンではきちんと作画されているのかもな)と思わないこともなかったが、結局途中で切ってしまった。いつもならもう少しがまんして見ていたかもしれないが余力がない。楽しく見ている人には申し訳ない。

まごつく間にも研ぎ澄まされていくものはある。それは砂を敷き詰めた入れ物の中に刃物を入れてゆすったら砂のおかげで刃が研げた、くらいの雑な話なのかもしれないのだけれど、実際に各種の仕事に対する精度が高まっているように感じる。ちょうど10年前に研究会で扱った症例をふたたび提示することになって、当時のプレゼンを引っ張り出してみたら、新たに気づくことがいくつもあって、プレパラートを掘り出してきて写真から撮り直し、あらたに対比をやり直したところ、かつての解説とは雲泥の差で、なんとも複雑な気分になった。単純に私が成長したと考えてもいいのだが、「キョロキョロしすぎてあらゆるものを辺縁視した結果、これまで見えていなかったテクスチャが立ち上がってきた」という側面も無視できない。つまり10年前はこの仕事に専心したけれど、今は何に対しても「片手間」になるぶん、かえっていい仕事ができているのではないかという予感があるのだ。モナ・リザの微笑は口元をまっすぐ見るとあまり笑っているようには見えないけれど、目元や背景を見ているときに辺縁視的に口元をみると笑っているように見える、というあれ。岡目八目という言葉もある、それぞれ微妙に意味は違うのだが、大本のところでは似たようなことを言っている、すなわち、当事者性を高めすぎて、専心一如になりすぎると、かえって盲目になる、ということである。

例え話的になってしまうが、物事の観察というものは、フォーカスをぴったり合わせて注視すると過剰にアーキテクチャ重視になってしまいがちだ。肌理とか質感とか「見た目の温度感」のようなものは、むしろ雑に見ているときのほうが抽出しやすかったりもする。「いったん、目を外す」くらいの脱力をたまに入れるのが何につけてもコツなのだろう。その意味で今の私は、何事にも落ち着かないぶん、過去にないくらいに形態の総合認識能力が上がっている。

と、いうように、弁護していいほうに解釈しないとやっていられない、という事情もある。

少なくとも、どれだけ仕事の内容が向上していようとも、集中していたときのほうが、効力感はあった。「やり遂げた感」はあった。散漫になった意識のかたすみでたくさんの仕事に「済」のスタンプを押す。決済の書類をろくに見もせずに。拡散メガ粒子砲。もう少し集中したいなと思うことが近頃は増えた。でも、まあ、これまでよく、集中させてもらえたと、感謝をしなければいけないのだろう。私はもう十分に集中した。そういうおいしいポジションは、次の人たちにたくすべきだろう。雑多を散漫に扱う役割。パノプティコンの真ん中に居座るようなだめな大人にならないように、よくよく、気配りが必要ではあるだろう。

美食家ムーブ

スパムメールの着信音で目が覚めた。スマホのメアドは迷惑メール対策を強めにかけているから、それを貫通してくるなんてわりと珍しいなと思うし、ならばいかにもホンモノっぽいメールなのかというと、一目でわかるくらいにスパムメールなので困ったものである。このアドレスが公式なわけないだろう。「なわけないだろう」に対する機械判断、9割9分正しいが、たまに漏れてくる1分の失敗に私は目くじらをたてる。たてた目くじらを寝かしつける。まだ眠い。


「よくできているもの」が増えたなと思う。半端な製品というものを見なくなった。祭りの露店の景品にあったパチモンのガンダムみたいな代物が昔はどの業界にもあった。形あるものだけの話ではない。音楽、料理、旅行会社のパッケージ、「これで金取るのか」というものの数々、急速に駆逐されている。それに慣れて、私は世界にどんどん厳しくなっていく。たまに漏れ出てくる失敗にかなり強い怒りを浴びせるようになっている。


中国出張の準備のために本を探したがない、という話の続きになるが、「本なんて今どき別にどうでもいいじゃん、YouTubeにいくらでも解説動画が落ちてるよ」というので、いくつか見てみた。しかし、YouTuberのしゃべりや動画の編集が素人くさくて見ていられない。声に張りがない。画角が落ち着かない。照明がおかしい。字幕がへん。いつもは巨大YouTuberとか在京テレビ局の番組ばかり見ているからアラが目立つ。

しかし、それにしても、私はいつからこんなに「素人らしさを残したコンテンツ」に厳しくなったのかと、時間差でぎょっとする。これはもしや、昔から私が、下品な大人のふるまいナンバーワンと認定してきた、「うまいものしか食ってない私にこんなものを食わせるつもりかムーブ」と大差ないのではなかろうか。共感力が衰えている。過程を想像する力が摩耗している。人の作ったものに文句を言いたくてしょうがない気質を若さと体力で抑え込んでいたのが、加齢とともに制御できなくなったということなのかもしれない。

目が肥える、などという言葉もある。だらしないし、はしたない。経験の蓄積によってぶくぶくと目を太らせて、他者の評価軸を先鋭化させていくなんて、いやな成熟以外の何ものでもなくてがっかりする。しかしこの自己卑下の連鎖のきっかけが早朝のよくできたスパムメールなのだからなお一層がっかりする。眠りを妨げられた中年のうらみはあさましい。いやな大人になったものだ。大人とはもう少し、思慮深く寛容で鷹揚で含蓄の深い生き物ではなかったか。これもまた、「完璧な人間信仰」なのかもしれないが。

考えるとできるとはぜんぜん違う話ではある

これは使えるはずだ! と思って買った皮膚病理の教科書が、いまいち私と噛み合わない。それなりに高価な教科書なのだが残念だ。説明のレベルが自分の理解と微妙にずれる。使いづらい。「そういう簡単なことを聞きたいわけじゃない!」と、「そんなこといきなり書かれても前提知識がないからわからない!」が、交互に散りばめられている感じだ。全体としてよくまとまっている本だとは思うのだけれど(つまりは編集者はきちんとやったのだろう)、日常の使用にあまり堪えない。実用的ではない。

ひとつひとつの文章とか写真とか項目の、「守備範囲」が狭いというか、あるひとつの節を読むにあたって必要とされる前提知識・問題意識が、かなり限られた範囲にしぼられてしまっている。著者が思い浮かべたシチュエーションでしか通用しないような記述。このくだりを読む人にはさまざまなバリエーションがありうるということを、おそらく著者(陣)があまり気にしていないのだろう。著者なんてものはけっきょくのところ、書けることしか書けないのだけれど、あまりにも手前勝手で読者のほうを向いていない文章というのは、これほどにも読みづらい。誰か数人でもいいから具体的に読み手を思い浮かべながら書いてくれていれば、こんな教科書にはならなかったはずだ。まったく使えないわけではないのでこれからも参照はするが、いまいちな買い物であった。


とはいうが、あまりに読者のほうばかり向いた文章というのも、それはそれで辟易するものである。内容を研ぎ澄ませることなく、「いいね」を少しでも多くもらえるように構文ばかりを磨き抜いた文章は、映えるばかりで体験としての重さが足りない。なににつけても言えることだが、極端なのはよくない。まあ医学書を書くような人間に中庸を求めるというのも無いものねだりなのだろうが、真ん中をずしんずしん歩くような本を買いたい。



書きたい。私は最近、おぼろげに、理想の医学書のことを考えている。何かを求めて読む人に、求めた以上の知恵をもたらすような本。かたちや数をあらわすだけでなく、読むうちに脳内に新たな道理が生まれてくるような本。沈思黙考のきっかけとなるような本。辺縁と中心を入れ替えるような本。他人の人生を追体験することで自分の人生の厚みを増すような本。

ひとつの出逢いによって聴衆がびっくりしてその後の人生がまるっと変わってしまうような強烈な講演というものにかつてあこがれ、だいぶ訓練を繰り返してきた。でも、私が思い描いているものを達成することが万が一できるとしたらそれは(うまくはなったけれどまだまだ先は長そうな)講演ではなく、あるいは本なのではないか、ということを最近たまに考えている。


声で伝える講演と、文章で伝える教科書との違いは、文章が持っている同時性というか、抱き合わせ感覚というか、直前に読んだところにちょっと戻ることができるアレンジ性というか、リズムを読み手の側にかなりまかせてしまう委任性というか、そのあたりにあるように思う。微妙に異なるものを同時に脳に飛び込ませることができる点を、体験の代替手段として使わない手はないし、非線形的に手をつなぎ合う複雑系をあらわす手段として換喩や提喩はほどよく役に立つ。一方、映像や動画というのは、どうしても物理法則の範囲でしか成り立たないところがある。表現の非現実性が理解のノイズになってしまうところもある。落語の頭山みたいな状況を映像化するととたんに陳腐になってしまうようなものだ。じつは映像というのは文章よりも不便だなと感じることがある。

文章はときに映像化するよりも読み手の脳内に大きくて不思議な情報をあたえることができる。それはたぶん、病理のマクロやミクロを語るうえでも言えることなのではないか。たとえば、解剖の様子を高解像度のカメラでどれだけ語ったとしてもそれは語りきれるものではないのではないか。「そういうの」を誰かに伝えるとしたら、文章一択なのではないかと、最近しょっちゅう考えている。

脳だけが旅をする

そういえばと思って本屋に行った話をもう書いたっけ? 書いていてもいいか。また書きます。書いてなかったらはじめまして。

中国出張に備えて探してみたのだが、本屋の旅行ガイドブックのコーナーには中国のものがない。びっくりする。北京とか上海とか書かれた本が昔はあったような気がするのだが一切ない。あるのは台北とか香港ばかりだ。アメリカ、ヨーロッパ、オセアニアはいっぱいあるのだけれど。札幌の本屋がたまたまそうなのかと思ったが、こないだ出張のときに訪れた大垣書店京都本店でもほぼなかったので、東京とかは調べてないけどたぶん全国的にそうなのではないかという気がする。札幌と京都だけ調べて日本を語るなと言われそうだが、どちらも「自分のところが都会だと思っている田舎」という意味で、日本の精神を十分に代表しているのでサンプリングとしては適切だろう。その都会ヅラした田舎の民にとって、中国は観光の目的として成立していないということか。そんなわけはない、あれだけでかい国だぞ、歴史がある国だぞ、と思ったのだけれど、少しネットを調べると、本当にそういう、「もはや中国は観光しづらい国である」という文言がポンポン出てくる。というか本だけでなくネットにも観光情報があまりない。さすがにYouTubeを探すといくつか出てくる。タイとかマレーシアとかベトナムあたりの情報を調べるときに目にするYouTuberが中国版の動画もたしかに出している。しかし……内容があまり多くない。ほかの国ほどの熱量が感じられない。

風潮ほど当てにならないものもない。口コミは転売と似ている。時代の空気に悪ノリしてどんどん「やりたいほうだい」化している。情報の真偽や質が軽視され、言葉や画像の力でどれだけ拡散されるかのほうに価値観が移ってしまっている。本末転倒、というか、本消失・末肥大だ。ただ、中国情報に関しては、少なくとも日本国内においては拡散されようという感覚がまったく感じられない。情報の総数が少なく、周りのほかの国と比べて違和感が大きい。中国の観光のメインターゲットは中国人なのだろう。日本からの観光客に何も期待していないのだろう。しかし、それにしても、だ。

本がほしい。口コミではなく取材と執筆と編集を乗り越えた書籍で読みたい。でも、ない。あるいは、旅行ガイドブックをつくる企業のほうが、中国での取材になんらかの困難を感じて、うまく本を作れていないということもあるのかもしれないし、いまどき旅行書籍というもの自体があまり流行っていないのかもしれない。

2週間くらいいろいろと調べて考えてみた。そして、考えれば考えるほど、今の中国という国に対する倒錯的な魅力が立ち上がってくる。私はもはや微笑んでいる。

昨今のウェブ4.0とでもいうべき環境によって、バックパッカー的旅、行き当たりばったり的旅情みたいなものがかなり困難となった。旅でなくて日常生活にもそういう雰囲気はすごくある。ホテルはもちろんだが飲食店にしても、当日の予約というものがとにかく難しくなっている。たとえば、「適度に混んでいるラーメン屋」を思い浮かべてほしい。いくつかあるとは思う。しかし、「観光客が行きやすい場所にある、適度に混んでいるラーメン屋」というのを私はなかなか思い浮かべることができない。ましてや居酒屋ともなると、当日その場でぱっといい店に行くというのがどこの地域でも難しい。この現象は、結局、みんなが事前に検索するようになったからじゃないかな、ということを思う。どんな細かい地域にも、必ず見せ場というものがあって、失敗しない旅程みたいなもののモデルがあって、マストのなんちゃらみたいなものがあって(ヨットかよ)、それらを事前に検索せずに旅に出ることがなくなった。みんな、そういう生活に慣れた。

しかし中国では事前の下調べが通用しない。今回私が訪れる重慶の情報はネットの個人ブログだよりだ。体験ベースで網羅性は皆無。重慶ではラブホテルに泊まればいいよって言われてもそこまでどうやって移動するの? 予約しなくていいの? 言葉通じないんじゃないの? 上級者が初級者向けに何かを教えることの難しさを知りたければ「重慶 観光」で検索するといいだろう。40を越えてからというもの、この程度のインプットでどこかを訪れるということ自体、極めて珍しい。それが楽しい。ワクワクする。「私だって下調べせずにいきなり旅行に行くことはあるよ」みたいな人もいるだろう。でもそれは、スマホが使えてインターネットが使えて電子マネーが使える、片言の英語が通じていざとなったらクレジットカードが使える場所だからこそ、できることなのではないか。沢木耕太郎の深夜特急を今できる人間がどれだけいるというのだろうか。まして、自国民純度100%のオーバーツーリズムでぱんぱんにふくらんだ未知の都市に、人民元20000円分とドコモの国際ローミングひとつでつっこんでいく状況、どことなくケン・リュウのSFを彷彿とさせる、身震いする。脳だけで旅ができない場所に行く。ははあこの年でなあ。

道草を食うのは人ではなく馬だったのではないか

出勤してからジャンプを一通り読み終わってまだ7時前だ、のそのそとPCを開く。意味のある新着メールは3件だけ。昨日の夜中にあらかた返信し終わっていたから余裕がある。ただ、3件はいずれもぱっとは返事しにくいメールだ。眉根に重量を感じる。

ひとつは連続出張のアレンジについて。土曜日にある県ではたらき、日曜日にその隣の県ではたらくのだが、宿泊はどちらにしますかと尋ねられた。どっちでもかまわないのだが日曜日の仕事の時間帯がまだわからない。日曜日の午前中からスタンバイしたほうがいいなら早めに現地入りして前泊したほうがいいだろうし、日曜日の午後でいいなら土曜日は最初の県でそのまま宿泊したほうが楽だ。さあどうするか。情報が足りないので答えられない。直近にもうひとつ、県またぎの仕事があり、そちらは土曜日の開催者が「うちの懇親会に出るように!」とあらかじめ申し渡してくださったので、迷うことなく宿泊地も決定済みである。いっそ今度のメールの相手も強めに「うちの県に泊まってください!」と言ってくれたほうが楽だったのにな、と考えなくもない。

ひとつは大学の講義について。毎年担当しているいくつかの講義のうち、ここ数年あらたに担当することになった、年1回の教養講義を、今年もやってもらっていいか、という連絡である。ただし先方の教授は私がもうすぐ異動することも知っているのであまり無理せずというメッセージになっている。これもすぐには答えられない。異動先のボスやスタッフと相談してみないと、これまでのように半ば自由に飛び回るわけにはいかないようにも思う。

最後のひとつは学会の企画の相談だ。私が座長をすることを前提として企画を立てたのだけれどどう思うか、これですすめてよいか、と、「共同座長の偉い方」から送られてきた。もちろんやぶさかではない。ただ、この学会では私は座長というより発表者に回ったほうが格調的にはちょうどいい気もする。本当は、ほかの演者が決まるまであまり私の立ち位置を確定しないほうがいいのにな、という気もしないでもない。すぐに返事してしまえばいいのだがワンクッション置くべきかもしれないということをじわりと考える。

「展開をスッススッスとすすめるような返事」というのはラノベ的だと思う。二つ返事とか、打てば響くとか、気風の良い一言、みたいなものは現実には思ったより使い勝手が悪い。ずっとデスクにいればメールが着信した瞬間にそれを読んで5分もしないで返事をすることも可能ではあるし、わりとそうしているのだけれど、案件によっては、「こちらでそれなりに時間を使って吟味したこと」を、返答までにかけた時間を提示することで相手にも伝えないとコミュニケーションが成り立たないということもある。そして、なににでも即答するというのは現代においてはAIらしさを感じる。爆速で返事を返せば返すほど、こいつAIみたいだなと思われて、その程度の信用度まで下がってしまうということもあるように思う。


倍速再生とかタイムパフォーマンスの類がなぜこんなにも中年を不快にするのかという話とも関係しているようにも思う。


思うと入力するところを打ち間違えてオムと表示された。「omu」の入力は、即座にカタカナに変換され、もう一度ためしてみるとGoogle変換が備えているほかの変換候補としてはHOMME、雄武、嚴、御む、雄む、であった。最初のはフランス語である。次のは「おうむ」であり北海道にそういう地名がある。三つ目の「嚴」がわからなかったのだが検索すると韓国の姓で「嚴(おむ)」というのがあるようだ。へえ、なるほど。ざっと調べ終わって、やはり、「omu」の変換として真っ先に出るのがカタカナのオムなのはまあわかる、さすがGoogleといったところである。オムレツからの変奏でオムライスとかオムカレーとかオムハヤシといった「オム物」があり、日本人が「omu」と言ったらまず頭に思い浮かぶのはタマゴの黄色だ。だからomuと入れたらまずはオムとカタカナにすべきだ。選択のための吟味から判断までを即座に終えて提示された結論だけをケンケンパで跳躍しながら私は文章を書く。


メールがもう一通届く。某学会の事務を担当しているスタッフからだ。要件は学会にあまり関係がない、週末に私が要件に対して返事したのにさらに返事した内容なのでもう本来の要件が含まれていない。友人がSwitch2に当選してその開封の儀につきあったという内容、そして、自分はまだSwitch2が当たってないので週末にセールで買ったサンブレイクをやるという内容が書かれていた。本筋に関係ないどころか筋がないメールで私は思わず頬を緩める。眉根をほどいて返事しようかと思ったがまあこれはブログにこうして書けば1週間以上遅れて彼女がこれを見るだろう、それで返事としては十分だろうということを考えた。私はそのうち彼女が以前に勧めたゼノブレイドクロスをやることになる。

懐ゲの扉

朝の研究会の真っ最中だがトイレに行きたい。あと20分で終わる。終わったらすぐ行こう。「ふえーん、おしっこしたいよ!」35年くらい前にファミコン「チャイルズクエスト」で見たセリフが頭をよぎる。思えばひどいゲームだった。笑っていいとも!の冒頭で歌って踊る無名の3人組「チャイルズ」を担当するマネージャーが主人公のRPGで、チャイルズの3名は戦闘ではべつになにもしてくれないので基本的には自分で殴ったり蹴ったりして敵を倒していかなければいけない。ただしチャイルズはワガママで、戦闘中に言うことを聞かなかったり、急にもよおしたりする(それが冒頭のセリフ)、そういうときにはアイテムの紙おむつをあてがってその場の対処をする。書いていてうんざりするほどひどいゲームなのだが当時はとにかくRPGというと我々子どもはドラクエだけでなくどんなものもひととおりやってみた。冒険をすすめていると、「くるす・はるこ」という名前の女性が登場し、「おり」さんという男性と結婚したいのだがもろもろの事情でそれが叶わないという。なんかいろいろクエストをクリアしていくとはるこさんは無事おりさんと結婚できることになる。「うれしいわ。私もこれで、おり・はるこになれるのね。おり・はるこ。おり・はるこ。そういえば私、オリハルコンを持っていたわ」みたいな話で重要アイテムのオリハルコンが手に入る。ひどい。それに輪をかけてひどいのが「ちくわのあな」で、これはストーリーを進めるためのパスワードなのだが、ヒントが「音程」しかないのだ。ポ・ピ・ピ・ピ・ピ・ペ! みたいな音が慣らされて、さあこの音にあった言葉を入れなさいと言われるのだけれど、こんなの「ちくわのあな」だろうが「あなごのたれ」だろうが「うたたねした」だろうがなんでもありではないか。攻略本を読まないと絶対にクリアできない。チャイルズクエストは何もかもがそういうできのゲームだった。冒険とは別に、アイドルのタマゴであるチャイルズが、デパートの屋上で営業をするという展開があり、マネージャーがバトルのための装備を整えていく裏でチャイルズにもマイクだとかドレスだとかを装備させて魅力を高めていく必要がある。魅力を高めると営業でお客がたくさん入るようになり、「おひねり」もいっぱいもらえて冒険が楽になる。これほど労働基準法を無視したゲームもすごい。ハラスメントまみれ。ラスボスは事務所の社長。ゲームの慣習は令和の今となっては悪名しか聞かないラサール石井。一から十まで記憶に残るゲームであり、しかし、まあ、正直、ここんとこずっと忘れていた(記憶に残っていない)のだけれど、自分がおしっこしたくなったタイミングで閃光のように思い出した。ひどい話である。今日はそれだけ。ほかにも甲竜伝説ヴィルガストとか摩訶摩訶とかへんなRPGはいっぱいあってな。

粉飾

メールの文章を見ると、自分を大きく見せようと思ったタイミングというのがなんとなくわかる。他人の書いたメールだと難しいのだが、少なくとも自分で書いたメールに関しては「あっ、ここ、虚勢だな」というのがだいぶわかるようになってきた。「わかるようになってきた」? 今さら? これまでわかっていなかったということ。恥ずかしい。しかしまあ、ずっと気づかないよりはなんぼかましだ。「なんぼかましだ」ってすごい字面だな。口語だとするっと伝わるのだけれど、文字にするとすごく違和感がある。まあ、文章というのは、概してそういうものなのかもなと思う。ひらがなや漢字の形態がもたらす雰囲気みたいなもの。音や韻律が乗る口語とはまたちょっと違うけれど、ともあれそういうことも考えながら、作っていく。作り込んでいく。あるいは放り投げていく。

メールだと自分を大きく見せてしまう。大きさだけではない。忙しさを自慢したい、なにかに没頭している姿を見せたい、案件に対して俯瞰的であることを知らしめたい、そういったものが少しずつ付与される。化粧品のひとつひとつは慎ましいのだけれど、いくつも塗りたくっていると最終的に能面かよというくらいの厚塗りになる、みたいな感じ。加工がデフォルトになるとすっぴんを見せられなくなる、なんてこともしょっちゅうだ。しかし、ときには、「逆に」、「あえてのすっぴんですよ、ほら、すごいでしょう、地肌がきれいで」みたいに、ちょっと痛々しい中年の俳優みたいなムーブで、「逆に」(二度目だから元通り)、自分を持ち上げてみたいという欲望が生じることもある。文章から、「ほら、私はメールから装飾を取り除けるんだぞ」というイキリがにじみ出る。すっぴんという化粧も大仰だ。すっぴんというスタイルも押し付けがましい。結局は中身のふるまいによるのだと思う。中身がすかすかだからどうつくろってもだめなのだ。「どうつくろっても」のあたり、リズミカルで気持ちがいいのだが、文字として見るといまいちだなと思う。


大学から仕事というか新しい勉強会の指導をしないかというメールが届いてその返事を何度も書いてまた書き直す。最初に答えたかった内容はたったひとつ、「忙しくて余裕がないのでお断りさせてください」であったのだが、粉飾加工をしたり彫琢研磨をしたりを繰り返した結果、最終的に、「●月は○日と○日が空いていますがいかがでしょうか」と、なぜか、本来とまったく逆の、つまりは快諾みたいな内容のメールになってしまい笑った。なんでだ。私の気持ちや都合とはまったく違う「はりぼての私」がメールの中で組み上げられていって私はそれをとっさに着用する。外骨格アーマード私。AUTO PILOT MODE. ガンダムを見ていて思ったけれどオートモードを自動的に発動させたらさすがにだめだよね。そこは自分で決めさせてよね。でもまあガンダムだからな。あれは現実に起こったことだから、つくりばなしの住人である私がとやかく言うことではないだろう。「つくりばなし」って音も文字もあまり印象が変わらない。そういう言葉もある。そういう言葉になりたい。

シャロンの薔薇

目の周りに血が足りてない、と感じるが、この感覚はおそらく、鍵盤の上に置いた指と鳴り響く音の関係、あるいは磁場を送ってプロトンを共鳴させてスピンの度合いによって画像を生成するMRIのメカニズムみたいなもので、形とか圧とかがそのまま反映されているのではなく、なんらかの変換を経た記号的なものだと思う。つまりこの、目の周りに血が足りていないと感じるときの重苦しさ、目の開けていられなさというのは、目をつぶって何もしないで休息したほうが統計学的には生殖可能年齢を超えて長生きできるという、適者生存の理によって導かれた生きる知恵みたいなものであって、ほんとうに目の周りに重苦しい何かが沈着・鬱滞・浸潤しているわけではない。目を開けたからといってすぐさまそこで何か痛いことが起こるというわけでもない。仕事を続けたからといってすぐさま眼窩底が爆発するというわけでもない。変換の手前に目配りすれば、狂った体調を意志によって元に戻すことができる。さらにいえば今の私はとっくに本来の人類の平均年齢を超えて生存しているわけで、進化的に備わった危機回避能力もおそらくは10代後半から20代前半にかけて種の存続を果たすために必要な機能だったはずであり、今の私に発揮されたところであまり意味はない遺物なのだから、形骸化したアラームの安全装置を故意に解除して人体をハックすることに後ろめたさがない。

「体は正直だ」とか、「疲れたら素直に休んだらいい」とか、「体調不良は人体が発しているシグナルだ」とか、「ガンダムが言っている」みたいな話をうのみにせず、中年というものは多少体が重かろうが足が動かなかろうが目が開かなかろうが気持ちを奮い立たせて仕事に邁進すべきである。いつまで体の言う事をまじめに聞いているのだ。子離れできない親のように体離れができていない。自分の身体を愛でることがアイデンティティとして許されるのは40代前半までだろう。そんなひまがあったら他人の精神をあたたかく愛でたほうがどれだけ豊かになれることか。



先日の会議は17時半開始だった。主催者が「時間外ですみません」という。思わず私は「時間外なんて言葉ひさびさに聞きました、ずいぶん懐かしい言葉ですね」と答える。主催者は驚いた顔で「むかつくー! うちの施設だいぶきびしいんだからね! 時間外とかもうぜんぜんつかなくて自己研鑽でつるっつるなんだから!」といきりたつ。私は「自己研鑽! 一番好きな言葉です! 私も大好きなムーブメントです!」と返す。きれいに会話がかみあっていて列席者たちも目を細めて拍手を送っている。二言目には「最近は若い人に勉強してもらうのがとても大変だ」、「時間外とか自己研鑽とか厳しくなって若手がなかなか成長しない」などと言いがちな中年たちを見ていてつくづく思う。私が20代のころから若者はもともと勉強なんかろくにしなかった。寝食を忘れて臨床に没頭するようなタイプは今と対してかわらず全体の30%くらいだった。口を開けば「自分の時間を大事にしたい」だった。なんでそんなに記憶をゆがめてまで今の体制や今の若者をやりだまにあげようとするのか。そもそも40代後半から50代前半というのは時代という雑駁な鈍器で若者を殴りたくてしょうがない時期なのだろう。そこそこの経験とだるだるの反射によって自分の活動が最適化されて「動きすぎるモビルスーツに乗ってあわてるオールドタイプの気分」になってしまったあげく、まだ躊躇も熟慮もきちんと備わっているからこそ八面六臂になりきれない若手に向かって「俺達の若い頃はもっと研鑽していた」と言いたがる。赤面するほかない悲しく情けないお年頃なのだ。いちいち真に受けていられるか。「大学は時間外に厳しくなった」? ほんとうに昔と比べてそう言っているのか? やる気のある若手の割合なんて、昔も今もたいして変わらないし、雇い主が文章にしたからといって、そこまで目くじらを立てるものでもあるまい。残業代をあてにして車を買うみたいなケチな金銭感覚のあてがはずれただけだろう? 人間のやる気の向く方向はたしかに万別だ。しかし少なくとも若手のそれに関しては、私たちが私たちの価値観で測って図れるものではそもそもない。だいいち、時間外ってなんの理の外なのだ。次元外自己研鑽。ララァ・スンがまっすぐつぶやく。向こうの世界で何度やり直しても大佐は白いモビルスーツにタイムカードを勝手に押されたあとに論文にならない画像と病理の対比をつづけて過労で目の周りの血が足りなくなってしまう。凍結したモビルアーマーの中だったら目が休められていいのかもしれないと私は思った。

追跡者の偏り

学会にパソコン持ってきたけど、ほとんどブログ書くのにしか使ってないのでどうかと思う。セッションとセッションの合間の時間に、PCを開いて論文読んだり書いたりしている人たちを見ると、立派だなあと感心してしまう。どうも私は職場以外でPCを開くことにしんどみがある。

代わりに本を持ってきた。学会中、移動中に読み終わった本は、ホテルのゴミ箱に捨てることが多い。捨てないで持って帰る本は三冊に一冊といったところ。多くは捨てる。もったいない、と言われる、しかし、自分の部屋の本棚がとても小さくてもう入らないし、またいつか読みたいと思ったらそのとき買い直せばいいので、とりあえず読んだら手放してしまう。古本屋で売ったらいいじゃないかとも言われ実際にそのようにすることもなくはないが、なんというか、「読み終わったら捨てていいんだよな、よーしこれは楽だぁー!」というメンタルでいることが、私にとって「本を楽しく読み続けるコツ」みたいなところがある。今回の出張ではいまのところ3冊捨てた。最後の1冊はとっておいてもよかったが、続編もあるということだし、気が向いたらまた買うだろう。

そういう私の「捨て癖」が無効化されるのがKindleである。ちょっと前からほとんどのマンガはKindleで読んでおり、どうしても紙を手元に置いておきたいものはKindleとの二重買いにしている。ちかごろは一部の新書もKindleにしはじめた。Kindleのいいところであり悪いところは「本を捨てられないこと」である。はるか昔に途中まで買って読むのをやめてしまったマンガなどもいまだにリストの中には入っている。これをぱっと消去できるとスッキリするのだけれど、一度購入した電子書籍のリストというのはなかったことには基本できないようだ。できるのかもしれないが私のリテラシーではその技術までたどり着かない。「はずれ」の本が表示され続けているというのは長い目で見ると自分に在る種の圧を与える。私の買った本すべてがばりばりに私にささったわけではないんだよな、もちろん、みたいなことを、Kindleの一覧を見るとつくづく思う。逆に、紙の本を私がすぐさま捨ててしまうのは、自分が購入した本が「あたりばっかり」であるかのように私が本棚の前で錯覚したいからなのかもしれない、とふと考えた。そんなことがあるだろうか。あるかもしれない。

何に対する自意識なのだろう。他人の目を気にする、という言葉があるが、他人がこう思うだろうという価値観の部分の多くは自分の価値観である。他人の多様な受け取り方を想定せずに、「分離した自分が自分を見て恥ずかしい思いをしないように」みたいなことを日々念じて行動を縛っている。結局気にしているのは自分の目なのかなということも思う。

本以外にも古くなっていた靴下を捨てた。旅先でどんどん軽くなっていくことが気持ちいい。ホテルのフロントにたまにおいてある使い捨ての歯ブラシや化粧水のたぐい、あれらを、お得だからと持って帰って荷物を増やすようなことを、かつてやっていなかったわけでもないのだが、今はとにかく旅に出て荷物が増えることだけはないように、ということをかなり念入りに気にしている。

ちなみに、今回の出張、たまたま、何もいただかなかったおかげで以下を書けるのだが、私は出張先で先方から良かれと思って渡されるおみやげの類にいつも困惑している。お気持ちだけいただいて、本当に固辞したい、社交辞令とか遠慮ではない、マジで要らないのである。食べ物ならまだ食ってなくなるからいい。しかし酒などを渡されると、持って帰るには重いし、近頃はもうあまり酒を飲んでいないのでせっかくのこのいいお酒も当分は納戸で眠りに付くのだろうと申し訳ないやらめんどくさいやら心のノドに小骨がひっかかった気分になるやらでがっかりする。献本が嫌いなのとも通じる。いっそ、みんなに嫌われれば、ものももらわなくてよくなるだろうから、嫌われたいと思って書くけれど、私に嫌われたくない人はおみやげを持ってこないでほしい。こういう記事を読む人は、細部に気遣いのこもった、荷物にならず、私の好みにもばっちり合うような、小さなおみやげをいつも私にくださるタイプの人ばかりで、そのやさしさや心遣いを私が踏みにじるようなことになってしまうのは本当に申し訳ないことだと思うし、私のことなど何も考えずに自分が「私、遠くからやってきた人間にちゃんとおみやげを渡せた、できる人間!」と気持ちよくなるためだけに私に荷物を押し付けるストーカータイプの人間に限って(ストーカーのくせに)こういうブログの記事だけはまるで読んでいないというか読んでも読み捨てて忘れてしまうのでほんとうにいやになってしまう。書いていてつくづく思うけれど、私はおそらく、本質的に、本を捨てるところ、他人目線といいながら自分の目で自分を見ているところ、これらの気質は、どちらかというとストーカーのほうに似ているのかもしれないと気付かされてがっくりする。

出張前の開放感

出張。Xはいまだにフォロー制限が解除されず、16人しかフォローできなくていろいろ不便。でも今日から出張だからインターネットのことをしばらく忘れていられる。もうXに期待するのはやめよう。何にも期待することはやめよう。他人にも。自分にも。時間にも。いろいろ忘れよう。予定の時刻より2時間早く(フライト予定より、ではなく、フライトに備えていつも到着する時刻より、なのでだいぶ早く)空港に着くように移動する。そのために昨日はあれだけ働いておいた。目の下がまっくろだ。でもここからの3泊4日で全部回復してやるんだ。いいだろう。うらやましいだろう。えぇーうらやましい。いいなぁー。昨年の私と来年の私が嫉妬に駆られた声をあげる。

空港に到着。印刷しておいたQRコード(アナログ~)をみると、思ってた時間よりもフライト時刻が1時間40分ほど遅い。うわあ。まちがえた。11時台かと思ってたら13時台かよ。えっ、まじかよ。なっ、えっ、あっ、まじかよ。着陸してからご飯食べようと思ってたのに。離陸する前に食べないとだめじゃん。なんだこれ。どうしよう。映画見に行こう。決断は早い。しかし空港の映画館に行くと、適度な時間のプログラムはコナン君しかやっていない。コナン君こないだ見たばかりだ。こんなことなら今日まで取っておけばよかった。ミッション・インポッシブルもやっているのだが、これを見ると絶妙にフライトに間に合わない。まあもう間に合わなくてもいいか。ミッション・インコンプリートになってしまうからだめだ。空港の温泉に行く。時間が有り余っている。温泉ならば時間が使える。決断は早い。温泉。受付の方が中国なまりの日本語をしゃべっている。時代だなあ。笑顔満開だ。時代だなあ。聞いた話だが中国ではビジネスの範囲内の付き合いにすぎない相手と笑顔で接することがめずらしいという。そんなこともないのかな。まあ聞いた話なのであまり真に受けないでほしい。でも、たしかに、思えば、飲食店などでは中国の店員さんはめったに笑わない。ある意味真実の一端は述べているのだろう。印象論で申し訳ないが。しかし、温泉の受付の方は笑顔だった。日本向けにアレンジしてくださっているのかもしれない。努力があるのかもしれない。いずれにせよありがたいことだ。

温泉の入口を写真に撮って、私の教え子を含むごく一部の人しかフォロー許可していないインスタに載せたところ、風呂上がりに教え子から連絡がきていた。「今度沖縄でこの温泉に行ってみてください」。えぇー沖縄行く予定ないよ。「沖縄に出張で行くことあるんですか?」行きたいけどあそこスーツで行く場所じゃないと思う。そして私は自分が仕事の予定以外で移動するイメージがあまりわかない。困ったものだ。最後に沖縄に行ったのはいつだったか。息子と日本縦断したときか。あのときは、沖縄には2時間程度しかいなかったはずだ。日本縦断には時間的にも金銭的にも余裕がないから旅情もない。しかし家族の情はあり思い出にもなっている。

出張。今回の出張では3つの仕事をする。途中、陸路で移動する。通過する都府県の数がいくつになるだろう。Googleで検索してみる。「山形から京都まで 通過する都府県の数」。AIが出した答えは5つ。そんなわけないだろ。何を学んで何を最適化したらそういう答えになるのだ。地図を出して自分で数えてみたらたぶん11個。山形新幹線ってのがあるんだな。乗ったことがない。はじめての経験だ。そうかサンキュータツオさんがいつも乗っているのはこれか。いちど仙台に出ないとだめなのかと思っていた。自分ですでに新幹線の切符まで取っているのに、頭の中にルートがきちんと表示されていない。検索、オンライン予約、オンライン発券、そういったことばかりやっていると、自分がこの先、自分の身体で体験するはずのものを、脳内CGとして描けない。こういうときの自分の情報処理は映像というよりも音声を扱っているのに近いようにも思う。順列がある感じ。文字が文字を連れてくるような感じ。小さく前倣い。文字情報が文字情報のために展開されて文字情報のまま背景化してその上にまた文字情報。ベクトルの内積を取り続けるような。わかった気になっているけれどじつはなんにも「思い浮かんで」いないから移動中にどの県を通り過ぎるかもすぐには思い浮かばない。そんな私の思考は現実からどんどん乖離していく。AIと何が違うのだろう。AIは人間の姿を学習しているからこそ信用できないツールに着々と育っていくのだなとふと思った。AIが信用できないのは人間だからだ。ああ、すばらしいなAI、人間が滅んでもきっと人間の姿を後世に残してくれるだろう。

ちかごろ毎日のように見かける言説というのがある。「こういうのはまだAIには無理だから云々」。だから人間には価値があると言いたいのか、いや、だから自分の仕事にはまだ給料が発生すべきだと言いたいのか。いずれにせよ、私たちが私たちである必要は急速にマニアックな領域に限定されてきている。これらの言説が増えれば増えるほど逆に人間である意味は矮小化していくように思えてならない。私のやれることがすべてAIの劣化版だったとしても、私は私の欲望のために、働き続けたい、暮らし続けたい、生き続けたいと、堂々と宣言して、荒野に仁王立ちして、自動運転の戦車の一個師団に蹂躙される、そういう言説を読みたいと願うけれど、ふみつぶされた人間からは、もはや私の手元に届くほどバズる文章は漏れ出てこないから、たどりつけない、どこかにはあるはずだ、しかしAIの学習からは漏れて漂ってしまっている、だったら、自分で書くしかない。人としての断末魔。断末魔ってすごい漢字だな。人は最後に悪魔になってしまうのだろうか。断末人でありたい。字面がどことなく未亡人に似ている。

ゴルフ好きそう

大腸の粘膜の陰窩がどうやって「生える」のか、という話を先輩と話した。

粘膜には陰窩という試験管のような穴がいっぱい空いており、表面積を増やして水分を効率よく吸収できるようになっている。この穴は勝手に空くのではない。生体がこうあるべきとコントロールしている。粘膜の表面や穴の表面をつくっている細胞(上皮という)が、どこでどう増えてどう移動するかがかなり緻密に定められており、それによって穴がきちんとできていく。まあ人体というのは真皮だな、違った神秘だなと感じ入ることになる。

さて、陰窩、穴。通常の粘膜に空いている穴はまあいいとして(よくはないが)、問題は腫瘍である。腫瘍にも穴が空くのだ。魔貫光殺砲で貫通するような穴ではなくてケンシロウが秘孔を付くように粘膜の表面にたくさんのアナボコが空いている、それは腫瘍であっても一緒なのだ。多くの腫瘍は、対応する正常構造のかたちを模倣しながら悪者になっていくので、粘膜から出るタイプの腫瘍の場合、もとの粘膜と同じような構造を、やや乱れた形態で有している。腫瘍における陰窩は正常の粘膜の陰窩とは形がちょっと違う。細胞の動き方も違う。そしておそらく「生え方」も違うよね、このあたり、どうなっているんだろうね、という話をしたのである。

腫瘍が増えていく過程では、ありとあらゆる腫瘍細胞が好き勝手に細胞分裂をするというわけではない。どうも「細胞が増える場所」と「増えない場所」がきちんと分かれている。いや、きちんと、は語弊がある。きちんとは分かれていないんだけれど、でもなんとなく棲み分けはあるなあということが、顕微鏡をみているとわかる。

キール大学でつくられた67番目の抗体だからキール67。これをKi-67と書いて「キーシックスティセブン」と発音する。ルだけ省略すんのかい。いっそルまで発音すれば七五調なのにもったいない。ともあれこのKi-67を使うと、細胞周期がG0(休止期)以外のすべての細胞、すなわちG1-S-G2-Mいずれかの周期にある、今増殖の最中であるところの細胞がぴかっと染まる。簡単にいうと「細胞分裂する気のある細胞はKi-67で染まる」。これを使えば、正常の粘膜だろうが腫瘍だろうが、細胞がどこで分裂している・しようとしているかが一目瞭然。

さて、正常の粘膜の細胞はどこで増えているのかナーとおじさんは胸の高まりを抑えきれずに絵文字のたくさん入ったメールを送る、すると、増殖帯は穴の底にあるということがわかって、おじさん、ちょっと、びっくりしちゃった☆ 上じゃなくて、底なんだね、カワイイネ\(^o^)/。自身の新たなコミュニケーションの可能性に興奮しつつ、細胞の増殖場所が通常と異なる場合、ではこれらの細胞はどのように産まれて、どのように「歩いてたどりついて」、どのように「配置」しているのかという、発生のメカニズムの奇妙さにさらに興奮する。

ボトム・アップで増生する通常の陰窩と異なり、管状構造をとる腫瘍の一部は増殖帯が粘膜の最表層にあって、トップ・ダウンで上から下に向かって細胞を押し出すように増殖しており、その結果、ロケットが爆炎で推進力を得るように腫瘍部の粘膜が外向性に厚みを増していく。これはわかる。しかし、表層で鋸歯状構造を呈するような腫瘍の場合、増殖帯が粘膜の中層にあって、つまり粘膜のうすかわの少し下あたりにおいて細胞が上と下に供給されるような形態をとっていることもあって、この場合、増殖帯の上下で細胞が増えるのはわりと簡単に了解できるのだけれど、「腫瘍が水平方向に発育・進展する理由」がよくわからない。粘膜の真ん中あたりで増殖する細胞がとなりの陰窩にも飛び移ってまたそこで増えるなんてことは許せない。トップ・ダウンならわかるのだ。表層は隣同士つながっているからだ。しかし中層で増える腫瘍というのはいったいどのように水平方向に発育していくのだろう。増殖に関与する細胞がそれ以外の細胞の間をすりぬけるように「移動して」、次の陰窩に異常を伝えていくというのだろうか? ハァ、ハァ、甘いものでも、食べちゃおうカナ!?!?

ちなみにおじさん構文を使っているのは私の脳内の話でべつに先輩がこういうしゃべりかたをしているわけではないのでファンの方は安心してほしい。

ヴァレリー鼻から牛乳

私の後任がやってくるまであと1か月。そろそろデスクの片付けをしなければならない。デスクの裏のほこり、疲労した棚の数々、捨てるものと捨ててはだめなものが入り混じった本。いくつかは捨てる。いくつかは詰める。麺通団の讃岐うどんの本はおもしろいのだが古すぎてもう開くこともなかろう。えっあの女優の写真集!? さっき自宅で目にしたばかりの文庫本がここにも。18年の堆積物の上澄みの、たまり醤油の塩分のあまりの濃さの、めまいのふらつきの高血圧の、ためのピルケースの壊れたの。

ちかごろいつも精神的に五叉路の真ん中に立っている。四つ辻ならば虱潰しに歩いていく気にもなるのだが、それ以上道が増えるとずぼらな私はどこか一方向だけにずんずん歩いて半端な散歩をしてしまう。選択をしたくないのだ。そもそも人生が選択の連続だなんて思っていない。エンジンの出力が落ちないままのボートで海上の五叉路に差し掛かったとしたらどれだけ舵を切っても基本的には前方にしか進めないだろう、だって、私たちは急ハンドルとか急展開とかできない、なぜならアクセルが弱まることはあっても停止することはないからだ。つまり私たちは選択をしているのではなくて方向の微調整くらいまでしかできない。あとはアクセルをより強く踏み込むか、ゆっくりやわらかく風船を踏むようにするかといった強弱の調整くらいだ。したがって五叉路は困るのだ。進行方向と逆側にある星型の足の部分みたいな二本の道にはそもそも振り返って目をやることすらできない。安易に後ろを向くと頸椎症で腕がびりびりしびれてしまう。

電話を早く取る。メールを早く返す。プレパラートを早くしまう。そのあたりに自分の、満足の慰撫のあれこれの、とにかくそういうところのアイデンティティがあるのだけれども、今は、段ボールひとつを用意するにも考え込んでしまう。どれを捨ててどれを持っていこうか。夢にもそんな光景を見た。今朝の夢、私は病理医で、なにかにエントリーしてなにやら出場をしている。もうひとり病理医がいる。私は野球の内野の、一塁のベースのそばに立っている。もうひとりは、二塁ベースのそばの、審判員の立ち位置にいる。ランナーが一、二塁間に挟まれている。今から私は、内視鏡所見の病理解説をして、ランナーを一塁に呼び戻す。もうひとりの病理医は、二塁審判の場所で、私と同じ症例に、違う解説をして、ランナーを二塁に進塁させるのだ。さあ、どちらの病理解説がより切れ味があって、ランナーを引き付けることができるかな? しゃべる。とうとうとしゃべる。しかし私は少し自分の解説が長いのではないかということを、しゃべりながら気にしている。こんなに長く丁寧にしゃべっていると、ランナーは私のほうを嫌って二塁に走ってしまうかもしれない。しかし、省略できないのだ。内視鏡形態と組織形態のとりあわせを説明するには言葉を積み重ねる必要があって、でもそれは、私よりもっと優秀な病理医であれば、決定的かつ蠱惑的な単語をうまく使ってもっと端的に述べられるものなのかもしれないと思って私はまごまごとしている。捨てられない。選べない。どれも順番に語っていきたい私は冗長である。ああ、ピッチャーがもうすぐ投げてしまう。投げたらランナーは決断をしてしまう。選択をしてしまう。私は言葉を減らせない。ランナーはおそらく二塁に進んでしまうだろう……。

私の後任がやってくるまであと1か月。毎日目が覚める時間が早くなる。時間は限られている。私も限られている。選んで捨てないといけない。そうか、私にとって、選択とはつまり、捨てるものを選ぶということなのだ。だったら私はいつも選択している。この世のすべてを一気に選択したいといつもぼんやり感じている。写真を複数選択して捨てられるようになってから、スマホは便利になったよなと、私はときどき思い、ゆえにときどき存在している。

ガンダムジークアクスアマテユズリハさんとの5月のブヒ部です

思った以上に世の中にはハラスメントがいっぱいあるよね、という話をしながら飯を食った。もうちょっといい話題はないのかなと思わなくもない。でも、歪みとかきしみの部分を気にしてしまうのは人の性だ、お互いにアラートを鳴らし合いながらなんとか道をはずれないようにそろそろ毎日を歩いていく。社会に仇をなさないために。若者の道をふさがないために。

花を愛で、旅路の記憶をたどり、microscopic colitisってcollagenousとlymphocyticだけじゃなくてもうひとつ核偏在性腸炎ってのがあるらしいけどあれって要は薬剤性だよねと指摘する。こういう会話だけで過ごせたら素敵だなと思う。シャンゼリゼのカフェで昼下がりにコーヒーを飲むように、学会の休憩ブースで見知らぬ病理医と一般演題の発表者が1秒しか出さなかったFigureの意義について語り合えたら素敵だなと思う。

しかし、なかなかそうもいかない。

油断するとすぐに米の値段がどうとか、米の値段について人心を惑わせ将来の視聴率アップにつなげようとするメディアの取り組みがどうとか、米の値段について人心を惑わせ将来の視聴率アップにつなげようとするメディアのカウンターパートとしてのウェブの素人の構文がどうとかいう話をしてしまう。

おしゃれで洗練されていて、上品で思慮深く、芯が強くて包容力のある、そういう人で私はありたい。ネットで見つけた「今日の火種」を日替わり定食のように摂取してエネルギーに変えているようなことではだめだ。

だめなのだ。

しかし油断するとすぐに減点法の世界に逆戻りである。世のほころびや人のだめさに目が惹きつけられてしまってしょうがない。メールの文面が失礼な中年に返事をするのがめんどう。何だこの書き出しは内容は居丈高な態度は要件がバラバラじゃないかそれは自分でやれるだろ礼も儀もないのか締めの挨拶もないいったいどうなっているんだ。これで仕事が回ると思っているのならば、果たして彼は今までどれだけの人間に迷惑をかけ続けてきたのだろう、人ごとながら心配になる。放っておけばいい。しかし、「ここで自分が苦言を呈することで、将来この人に悩まされる人の数を減らすことができるかもしれない」というような、謎の使命感のようなものも脳裏にちらつく。

イライラとしながらしばらく時間を置いて、精神が凪になったところで短く返事をする。「承知しました」「かしこまりました」「今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます」。あたりさわりない。おそらく相手はこれでまた一つ面倒な仕事を終えたと満足しているだろう。気に食わない。憎まれっ子世にはばかる。しかり。

いつも以上に疲れて帰路。「他人の短編夢小説の朗読」みたいな企画を有する「熱量と文字数」を聞く。「ハイスクール・オブ・ザ・デッド 毒島冴子先輩とのブヒ部です」。「NEW GAME! 涼風青葉さんとのブヒ部です」。ばかばかしい。どうでもいい。心が洗われていく。脳がスカスカになって隙間風がフルートのように楽しげに響く。人とはこんなにも、いい意味で腹が立つ生き物でもある。現実の中年にかかずらっていやな思いをしている私が下等なのだ。虚構によって自らの機嫌をとる人間こそが一番立派なのだ。

分光

Bingの提供するPCの日替わり壁紙、今日はカメだ。カメが石かなにかの上に乗っていて、そのカメの頭というか鼻先にガのようなチョウが一匹とまっている。なんだこの写真と思って検索してみると、カメはエクアドルに生息するモンキヨコクビガメという種類のもので、このカタカナ、どこで切るのかよくわからず、モンキヨ・コクビガメ、かな? と思ったらどうやらモンキ・ヨコクビ・ガメのようである。頭に黄色い紋様がついている(紋黄)、ヨコクビガメ科。ヨコクビガメという種類自体をよく知らないのでさらに検索をかけてみると、この種類のカメは頭を甲羅の中に引っ込めることができないために、頭を守るときには甲羅のヨコに首を曲げるようにして隠れるという。なるほど。そして写真でチョウがとまっているのも意味があるらしく、チャイロドクチョウ(茶色毒蝶だろう)はこのカメの流す涙を栄養源にしているという。なるほど意味があるわけである。今日は世界カメなんとかデーとのことであるからこの写真が選ばれたのだろう。


ところでこのカメ、やたらと狭くて急角度な石の上に乗っかっていて、いわゆる前足が宙に浮いている状態である。自力でこの場所にどうやって登ったのだろう。写真をそのままスクショすると著作権的によくないかもしれないのでイラストにする。



背景は川のようだ。なんとなくだけどこのカメ、撮影者によって石の上に置かれたのではないかという懸念がちょっとだけある。石の上に置いて待ってたらチョウが飛んできて絶好の構図になりました、という雰囲気。まあわからないが……。どうにかして石の上に登りたがるカメなのかもしれないが……。


そもそもこの日、デスクトップ壁紙にカメが選ばれたのは、「世界カメの日」だから、ということらしい。「米国のカメ保護団体「 American Tortoise Rescue 」が、カメの保護を呼びかけるために 2000 年に制定した記念日で、今年で 25 周年を迎えました。同団体はこれまでに約 4000 頭のカメの保護・救助に携わり、生息地の保全にも力を注いでいます」とのこと。Tortoiseとturtleの違いはなんなのかと思うとtortoiseがリクガメでturtleはウミガメ(も含むカメ全般)のようである。TMNTは陸戦ばかりしているけれどあれはじつはウミガメだったのかもしれない。TMNTがなんの略だって? それはもちろんカワバンガである。ともあれ、もしカメラマンがカメを石の上に置いて映える写真を狙ったのであれば、それはカメ保護団体としては許せないことであろう。私も義憤にかられる。しかし、あるいは、カメというものは、私が知らないだけで、こういう突起のような石の上にもホイホイ登れる能力があるのかもしれない。怒りで有頂天になる前に(ふいんきで書いているので間違いを指摘していただなかくても大丈夫です)、もう少し検索をかけてみる。するとこんなページが見つかった。


うちのカメが気がつくとこのように高いところにいるのですが何故なんでしょうか?


途中から話がぜんぜん違う方向に向かってそれでも相談者が喜んでいるので一読の価値はあると思う。一読の価値しかないとも言えるが。まあいい。カメはこれくらいの石にも登れるのかもしれない。カメラマンを悪人にするのはやめよう。カメ専門のカメラマンがいたらカメカメラマンだな。入射光と分子との相互作用によって入射光の振動数が変化する光散乱現象を利用しカメの構造についての情報を得るカメラマンがいたらカメラマンカメラマンだな。



ちなみにBing壁紙には「AI画像を表示する」という項目があってそれがデフォルトでオンになっていた。デスクトップの壁紙がAI画像であっても特に困らないのだけれど、そうか、AIによって生成された画像を世界のどこかの風景だと勘違いしてしまうことも十分にありえるのだなということが、なんだかとてもさみしくなってしまって、チェックボックスをオフにした。それでカメが消えたらいやだな、と思いながら。

エイブラムシ

アメリカ陸軍の採用している戦車にM1 エイブラムス(Abrams)というのがあるようだがこれは当然アブラムシに由来している。この記事が公開されるころにはおそらくいなくなっていると思うのだけれど、現在札幌の町中にはアブラムシが大量発生していて、私もつい先日、北海道大学の構内を歩いているときに、季節外れの雪虫(冬のはじめに飛ぶアブラムシ、白い体をしている)が飛んでいるなあと気になっていたのだが、やはりその後ニュースになっていた。大発生なのだ。北大構内を自転車に乗って移動する学生たちは気をつけなければならない。横を伴走する友人と無駄口でも叩こうものならアブラムシが口の中に飛び込んでくるし、無言で走っていても髪の毛や服に白っぽい虫がぴしゃぴしゃくっつくのだ。メガネにもつく。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%AA%E8%99%AB

この雪虫のWikipediaを探している最中に、季節外れのアブラムシについて北海道の有識者がコメントしていた。どうも今飛んでいるのはいつもの雪虫ではないらしい。

https://news.yahoo.co.jp/articles/f6a181bbaae8d005d0ab26aa58639a2e7a3ae152

ニタイケアブラムシ、だそうだ。となると私が先日見た、いかにも雪虫っぽい白かったやつはなんだったのだろうか。専門家は雪虫ではないといっているけれど、私だって病理の専門家だからわかる、専門家というのは、メディアからコメントを求められるとあわててしまって、間違ってはいないけれど微妙に合ってもいないことをうっかり述べてしまうことも往々にしてあるし、その時点では確実に正しいことを言っていてもその後の検討でまるで瓢箪から駒的に、素人の意見のほうがただしかったなんてことはままある。

というわけで今まさに札幌市内には雪虫(じゃないと専門家は言っている虫)が大量発生している。ちなみに町中にはいない。たぶん木の側とか林の近くなどにいるのだろう。北大は、町じゃないから、しょうがない。札幌駅から歩いていけるけれど原生林が残っているのだからもはやあれは森なのである。一方、私が車で移動しても、さほど雪虫が目に入ることはなく、本当に木々のそばでしか発生していないのかもしれない。大通公園あたりはひどいのかもしれない。

雪虫は飛ぶ力が弱くて風に流される。なので車で走っていてもフロントガラスに雪虫がたくさんひっつくということはあまりない。乱流に巻き込まれて車をかすめてフワフワ去っていってしまう。自転車くらいがかえってよくない。冬のもこもこした服装だとさらによくない。海外からの観光客の、ダウンのファーやニットにたくさんの雪虫がついているのを見ると、風物詩だから愛でて帰れと声をかけたくなるが私にそんな英語力はない。

エイブラムスという名前の由来はユダヤの始祖であるアブラハムに由来するという。クレイトン・エイブラムスのWikipediaに書いてあった。アブラムシの由来がアブラハムだという話を私は聞いたことがない。英語力がないからであろう。情報収集には当然語学力が物を言う。「語学力が物を言う」というワンフレーズにはさまざまな角度からツッコミができそうだが私にそんなお笑い力はない。