大学院を出てすぐ今の病院にやってきた。半年だけ築地の病院で任意研修をしたから実際に赴任したのは10月1日。2007年10月1日。それからぴったり18年勤務してつぎの10月1日から私は別の場所で働くことになる。7月1日からは後任の主任部長にデスクをあけわたして3か月ほどかけて引き継ぎを行う、そのためにデスク周りにあるさまざまな物品を整理して一部は次の職場に送りつけている。病理部のデスクの片付けは7月までには終わらないだろう、なので、先に医局の個人ブースの片付けをすませて、そっちに病理部の荷物を運んで、ピストン輸送的に跡を濁さずやっていくつもりである。
医局の本棚に18年間挿しっぱなしだった古いクリアファイル・リングファイルが20冊ほどある。昨日はこれらを捨てた。かつて大学院時代に病理診断の修行をしていたころ、自分が診断をつけた症例の診断文と所見の部分をコピーしてファイリングしたもので、いまほどITの力を借りずに手作業でちまちま集めたものがたくさんある。これは修業時代の残滓というやつで思い入れもあったのだが、もはや開くこともないだろうと思いこの際全部捨てることにした。個人情報は消去済みとはいえいずれも診断にかかわるものだ、病院以外で処分することはできず、医療関連の書類といっしょに裁断して廃棄する。だからけっこう手間がかかる。人に任せることはしない、私には秘書も部下もいないので自分でやるしかない。時間外だが労働とはいえない、真の意味での自己研鑽的な時間でやっていくことになる。過去の自分が残したものを捨てることほどに自己を研鑽する行為があるだろうか?
20代の私が書いたメモ書きがしょっちゅう挟まっている。今よりはるかに字がきれいだ、というか、文字が四角く書かれていて縦横の軸もしっかり守られていて、なるほど私は歳を取るごとに字がどんどん汚くなっているのだなということを少しさみしく思う。センチメンタルな脳とは裏腹に手は次々と目の前のファイルからルーズリーフをはぎとっていき、医局事務員からもらった段ボールに容赦なく詰め込んでいく。学生時代に勉強した生化学、薬理学、内科診断学のノートなどもいくつか紛れ込んでいる。これらは大学院入学時に大半捨てたはずだったが、当時の私がなんらかの哀愁を覚えて取っておいたものであろう、この際、捨てる。誰が見てもノートでしかないもの、学びも悦びもない、私が湿っぽい気持ちを向けなければただの古ぼけた紙の束だ。
着々と捨てていく。ファイリングしてある書類の1/6くらいが診断関連で、残りはすべて実験ノートだった。ここに実験ノートがたくさんある、というのが、今ではじつは考えられないことで、昔のおおらかさを感じる。昨今、大学院とか研究所というのは、実験ノートの類は外に持ち出してはならず10年以上は保存していつでも証拠として提出できるように厳重管理していなければいけない。でもこれらはなにせ18年以上前のものだ。今ほど規定がはっきり存在しなかったころのものだし、加えて言えば、これらの実験はひとつとしてまともな論文にならなかったのだから、今更おとがめも何もないだろう。日付と共に淡々と記されたプライマーの設計、制限酵素のメモ、電気泳動のバンドを撮影した写真、タイムラプスの計測結果、今読み返してももはや、情が通っておらず報ずる価値もない無機質な記号のかたまり、一束一束、撫でながら廃棄。粛々と段ボール。夜討ち朝駆け膨大な時間の浪費の証拠、なにも成し遂げなかった大学院博士課程、ずっと引け目に感じ続けた屈曲の歴史、私が医局のデスクにひそかに保存し続けてきたもの、全部捨てる。
引け目が失われたわけではない。さっぱりしてもう振り返らないと決めたわけではない。ただ摩耗した。口論、こだわり、いきり、ひねくれ、鬱屈、それなりに長い時間の中で、私の肌からじわりとしみこみ真皮表層のエラスティック・ファイバーに混ざって硬化して、皺となって刻まれてびまん性に全身を覆っている。もはや取り出すことも紫外線でほぐすこともできなくなった加齢の痕跡、私はそれらの歴史と一体化して、重ね重ねの新陳代謝ですべてがとろけてうるかされて、非分離となった。
紙は捨てる。忘れることはなく、思い出すこともない。それは過去を捨てることなくしまいこむこともなく現在の一部に矮小化して特権を剥奪することに等しい。紙を捨てる。何もかも捨てるわけではない。あっさりとしている。じっとりと裏側にこびりついたものがすでにあるから象徴としての紙を捨てる。偶像としての紙を捨てる。
古い写真もいくつか出てきた。自著の著者贈呈分は捨てるのもへんかと思って研修医室に寄贈、迷惑な先輩だなと思って少しおかしい。研修医や見学の学生たちがメルカリにでも売るならそれでいいだろう。いちど通読したっきりの医学書や、なぜか医局においてあったあまりおもしろくない小説の類、売ったり捨てたりする判断をひとつひとつくだしていくほどの時間と興味が私にはなくて、ひとまず記憶にある医学書は寄贈、今の今まで忘れていた本は廃棄とする。自宅の本棚も非常に小さくてこれ以上なにも入らない。私はそもそも本棚を使うのがへたくそだ。ここにある本たちにしても、ただあっただけ、並べていただけ、私に見返られも振り返られもしなかったものばかり、急に燃えて消えたとして誰がとがめることもないものばかり、もちろん、若い医者たちが当直のひまつぶしに読んで楽しい本ならば残していくのもいいが、しかしもはやそういう時代でもないような気がする。誰かにさらに20年後に捨てるか捨てないかを私の代わりに迷ってもらうような押しつけは迷惑だろう。インターネットで見つけた一時的にブームとなった本の多くはブックオフで売ってもいいがそこまで運ぶときに傷めた腰の治療費が本の売却値を上回ることだろうから捨てる。こんな人が一時期バズったな、こういう本の感想を表面だけ飛ばしまくって楽しかったな、8ミリビデオを見るような気持ちで本を捨てる。
古いPCが出てきた。水に沈めて捨てればいいんですかと医局事務員に聞くと、震災のあとに復活したPCもあったくらいなんで水ではだめです、ハンマーとか用いて物理破壊が一番です、というので、この事務員が槇村香のハンマーでPCを殴っている風景を想像しながらひとまず保留とする。異動先の本棚の一角に古いPCを飾るだけのノスタルジーを私は持ち合わせているだろうか? もはやウェブアーカイブスにも残っていない、私が大学生のころに作っていたホームページのデータはこのPCには残っているのだろうか? 実験ノートすら捨てた私もさすがにいにしえのVAIOを見て手が止まる、思い余ってラップトップのモニタを開ける、キーのへりというへりが変色していることに苦笑して、ハンマーの調達のことを考える。