茶色の研究

なんとなくだが動画を見る時間がちょっと増えてマンガを見る時間は横這いで文字の本を読む時間が少し減った。スマホの契約をようやくいわゆるギガホにしたことがちょっと関係しているとは思う。人と比べて何周も遅いが、決め手となったのはDAZNで、ドコモの今の放題プランはなぜかDAZNが無料で見られるようになり、これで日ハムの試合を毎試合チェックできるようになるなと思った瞬間にようやく重い腰が軽くなった。いままでほかにもいくらでも、きっかけなんてあったろう、なのになぜDAZN? と自分でもふしぎに思うが、こういうのは理屈とか損得とか福利計算とかでは説明ができない。背中を押してもらうきっかけというか、グラスのふちから盛り上がる表面張力の酒がこぼれる瞬間を探しているというか、とにかくそういうものをまとめて「めぐり合わせ」と呼ぶのだろう。めぐり合いという言葉はあまり好きではないがめぐり合わせという言葉は好きだ。神の放埒、ルーレットの軸の上、能動の積み重ねであったものがいつのまにか誰の意図とも噛み合わなくなる剣ヶ峰。

人の意図の底の浅さを経験するごとに、偶然とか複雑系とかそういうものに身を委ねたくなる偏り。しかし、人の意図、すなわち意識とか意思というものも、シナプスの曼荼羅の錯綜の末に総体として出力されたものなのだから、それをことさらに下に見るというのも理屈としてはまちがっているのだろう。損得とか福利計算とか経常利益とかでは説明できなかろう。


カードの引き落とし額を見て肩を落とす。転勤に備えてたくさん買ったからしかたがない。居場所を変えると金がかかる。ルーティンを変えると金がかかる。日々おなじことのくりかえしでじわじわベーシックアウトカム漏出状態のときのほうがはるかに金はかからない。しかし、我々の仕事で、日々おなじことのくりかえしなんてよく言えたものだよな。毎日違う人間が産まれ、歩き、死んでいるというのに、同じこともなにもないだろう。ともあれもっかの問題はカードの引き落とし額だ。複雑系の位相を転換しようとするときに金がかかるということを、中年もなかばをすぎた私はもう少し真剣に考えて、そろそろ腰を落ち着けたほうがいい。というか、18年、あんなに落ち着いていたのに、私は本当に落ち着かないままでいた。次は落ち着けるだろうか。無理に決まっている。多動なのではない、私の右往左往はブラウン運動だ。大量の原子が高速で四方八方からぶち当たってくる中に暮らしている限り続く本質的な振動だ。その振動のさなかに腰を落ち着けるなんてこと、はずかしくて、できたものではない。