ゆくすえを振り返る
枠の交渉がいる
金相場ならよかったのに
クリアファイルというものはオタクにとっての「お陰の御札」のようなもので、参拝の記念であり、実際になにかを挟んで使うようなものではない。ただ、私は、けっこう使っている。それもわりと便利に使っている。
今のデスクは造作が古く、重くて大人一人ではとても動かせない。天板にはきれいな木目があるのだけれど、そのせいで紙にボールペンで何かを書こうと思うとペン先ががたがたしてしまう。デスクマットが必要だ。しかしデスクマットというものは意外と、ほどよいものが売っていない。いまどき天板がガタつくようなデスク自体が売っていないからニーズがないのだろう。ネットで調べてみてほしい。昭和のころに食卓に引いてあったあのグニグニの透明のマットみたいな質感のものばかりが出てくる。かなり硬めのマウスパッドを買ってみたのだけれど(けっこう高額だ!)、それでも、ボールペンの先は沈んでしまって紙に穴が開く。「書けます」と明記してあるものを買っても結果的に書けなかったこともある。何種類も試した。オンラインの買い物はクソだと思う。やはり文具店に行かないとだめなのだろう。ただそんな時間はないしそもそも文具店なんてこのへんにはない。そこで今回取り出したのがこちらのクリアファイルになります。前職の本棚からきちんと持ってきた大量のオタクグッズ。何かを書くときに、クリアファイルをさっと抜き出して下に敷く。これできちんと字が書ける。こういうかたちでクリアファイルを使う日が来るなんて。SNS医療のカタチのクリアファイルが白くて便利だ。カンデル神経科学の黒いやつもいい。映像研には手を出すな!のやつはイラストレーションが多すぎて目がちかちかする。阿・吽のやつはイラストレーションが美麗すぎて、その上にペンを走らせることをちょっと躊躇する。
御札を使うなよ、という声がどこからともなく聞こえてくるので窓を防音のものに変える。
ポッドキャスト「熱量と文字数」を聞いていた。歴史あるコーナー「ブヒ部」というのがあって、ハイコンテクストすぎて素人にはまったくおすすめできないのだが、ここ数年楽しく拝聴しているし、なんなら出張の移動時間などにちまちまとアーカイブをたどって過去のものも聞いている。ひがもえるという芸人さんがいて、YouTubeではプラモを作ったりしているのだけれど、彼、ちなみに師範と呼ばれているそのひがさんが、滑舌は浅いが解釈は深くてとてもよいのだ。でもまあ全体的に最低のコーナーではあるのだけれどその最低の底の底のどん底のところを通底する、なんというか、オタクの、ざっくりと呼ぶと「気持ち」みたいなものに、私は心のどこかで憐れみとも哀れみとも怜れみとも違う慈しみのようなものを抱いている。ブヒ部というのはつまりはオタクの妄想を垂れ流すコーナーなのだけれどパーソナリティのサンキュータツオさんが、オタクとその妄想対象であるキャラクタ(女性が多いが男性のこともある)の声をむりやり演じ分けてお便りを読む、その現象、その構造、それらがすべてしみじみとした味を出す。いりこ。にぼし。かつおぶし。ちくわを入れておくと顆粒だしを入れなくてもそれなりに味が出ます。さて、このブヒ部において、先日、あまりにすばらしい表現があって私はのけぞって大笑いをしたのだが、それは、オタクの送ってきた妄想おたよりが二通続けて、「途中まで熱量があったのに最後なんかスンって急激に終わる」展開ばかりで、それを評してタツオさんとひがさんが二人で「最後、眠くなっちゃったのかなあ」と言ったのである。「最後、眠くなっちゃった」! ああ! ゲラゲラ! わかるなあ。オタクはみんな、もうすぐおじいちゃん・おばあちゃんだ。「最後、眠くなっちゃった」の、「っやった」が、まさに、刺さる、染み入る年齢だ。そうだ。そうなのだ。ブヒ部を聴いているようなオタクたちのコアとなる年齢層はおそらく40代後半。私と同年代。男性・女性問わず更年期との戦いがはじまっている。撮りためた録画番組をかつてのようには見られない。視力・筋力・関節・腱・脳。脳! 体力は落ちる一方。集中力は解散。「最後、眠くなっちゃった」。何度でも噛み締められるよいフレーズだ。ああ、私も、最後、眠くなっちゃうことが増えた。毎日そうだ。「なんだか、眠くなっちゃった」。そうやって日々、急速に意識を閉じて翌朝を迎えている。
私は王道のオタクではなく、どっちかっていうとオタクエアプ勢とでもいうか、オタクの空気の真ん中を歩きながらオタクを観察していただけの、オタクサファリパークの年間パス購入会員といった風情なので、本当はあまり、オタクコンテンツについてあれこれ言うべき立場ではないのだろうと思っている。けれど今回書いていて思った。私はオタクらしい行動はさほどしてこなかったけれど、オタクたちに共感できるくらいにはオタクたちの文化、風習、コンテンツに、人生の一部を預金してやってきたのだなということを。元本割れ。ペイオフ。
お詫びのメール
研究会で懇親会があったのは木曜日だ。そこから5日経った昨日、夜中に、若い病理医から丁寧なメールが届いた。「懇親会で無礼な言動をしてすみません」とお詫びが書いてある。何度か読んで混乱した。なにが? どれが?
おそらくだが同席したほかのドクターに何か言われたのだろう。昨日きみは市原にだいぶ失礼なこと言ってたぞ、お詫びしときなさい、とか。
まいったな、と思った。そして、これは私の責任だなと思った。
先に書いておくと、その若い病理医は私にたいして何も無礼な言動はしていない。それどころか、懇親会では率先して店を探したり会話を回したり会計の手続きをしてまわったり写真を撮ったりと、ほんとうによく気がついてくるくるとよく動き回って、好印象でしかなかった。つまり、私は本当に「謝られる意味がわからない」。ただしこれをより正確にいうと、「謝られる意味はわからないが、謝られる構造はわかる」。カマトトぶって「えっ何が~わかんないわかんない、謝まんなくていいよぉ~」みたいな「馬鹿のふりをしているがじつは聡いギャルタイプのホスト」として胸の前で手を小刻みに振っていてもしょうがない。私は、あの日、その若い病理医が、謝りたくなるような存在だった。
私は懇親会の席で、47歳である自分の単純な見た目・社会的な見た目を考慮することなしに、「多動の30代」くらいのノリで振る舞っていたのだと思う。「思う」というのがまたよくないのだ、本来であれば、自覚してコントロールしていなければいけないのだけれど、若手病理医からのびっくりするような謝罪メールを見てあらためて自分を分析すると、たぶんそういうことだったんじゃないかなとようやく気づく、ということだ。
それは、たぶん、若い人間からすると、すごくやりにくかったのではないか、と思う。
思えば今の私は、相手が40代くらいなら、基本的にいつも下から目線で敬い以外の何も表面に出さない。これは悪いことではないと思うのだけれど、そのことを徹底しようと思うと、気付かないうちに自認が30代になる。だから、話し相手が30代くらい、つまり自分より10も15も下の人間のときに、「タメ」の感覚が出てきてしまう。本来ならば47歳の相手にすべき「タメ」の言動が、30代の相手に対して漏れ出てくる。それは間違いなく恐怖の対象だろう。一回り以上年齢が上の人間が、「私なんてとてもとても」「まだまだです」「実績がないんで」などと謙遜をくりかえすと、下の人間にとっては、「こういう人間を敬うための装置を用意してそれを起動させないとこの場にいつ火が付くかわからない」という、クリアと罰の基準が両方わからないデスゲームに強制参加させられた状態になってしまう。あと、単純に、たどりついた雰囲気としては「若手と話を合わせようとチラチラこっちを見てくるおじさん」と区別がつかない。ドライバーミューテーションは違うがフェノタイプは一緒、みたいな感じに近い。
これまで人の少なかったこの業界で長く下働き・下っ端・奴隷として働いてきて、「慇懃無礼だから君のことはこれからインギンオブジョイトイと呼ぶよ」などと言われながら、永遠の部下ポジションとしてやってきた私は、しかし、札幌のいち病理医として働いていた間は、どこか、大学やハイボリュームセンターの人間から、「いろいろ得手はあるのかもしれないが、それはそれとして単なる市中病院のコマ」と安心されてきた。「こいつ、ずいぶん謙遜するけど、でも、実際に下の人間だからな」と、どこかで思われていた。でもポジションが変わったことで、私の内在していた圧がわかりやすくなったように思う。元はなかった圧、ではなく、いつ吹き出してもおかしくなかった圧が、火口からはっきり視認できるようになった。つまり私は、私自身は何も変わっていないし、親しい人間からしたらそんな当たり前のことは言うまでもないので逆に身近な場所では話題にも登らないのだけれど、ふだんあまり付き合いのない界隈からすると、「ふつうに年齢相応」の人間としてわかりやすくなったのだと思う。そのことに私はまったく自覚がなかったわけでもないのに、懇親会の気楽さで、ちょっとはめをはずした。つまり、懇親会で本当に無礼なことをしていたのは私だったのだ。私がしっかり礼を認識していたならば、あの場で私は、会話を盛り上げようとも、受け答えを楽しもうともせずに、周りの70代・80代の病理医と同じ顔で(これは誇張ではなくほんとうにそういう場だった)、静かに笑い、なるべく偉そうにしゃべり、自らの経験を問わず語りし、空気を読まずに英霊のように実績を見せびらかして、「若手が近寄りがたい中年」を徹底していたはずだ。でも私はそれをしなかった。フランクな、話の分かる、隙があって弱さもある、付き合いやすい病理医、みたいな顔をしていた。それは単純に今の私の見た目や立ち位置からしてミスマッチだった。そういうところが若い人間に「逆説的な圧」を与えた。私は47歳の中年男性として、「若い人間からは決して理解しきれない、めんどうな中間管理職」らしく振る舞うべきだったのだ。そのほうが、相手する人間たちからしても、「型通り」の接し方でよく、だいぶ楽だし、こんなに気を揉むこともなかったであろう。
夜中、Gmailの着信したスマホを片手にフリーズした私は、これにどう返事をするか悩んで、結局ひとばん待って、翌朝出勤して、デスクのPCを立ち上げてメールソフトを起動させる。
しかしだ。
この関係は、修復しないほうがいいのではないだろうか? だって、ここで、私がフォローにフォローを重ねて優しく明るく「そんなことないんですよ、これからも仲良くしましょう」みたいなことを書いたら、それこそ、「47歳の病理医っぽくない返事がきた!」と相手を怖がらせてしまう。私はもう、このまま、「30代からすると付き合いづらい病理医」として、つまり、世間一般の40代後半と同じようなハコに放り込めるわかりやすいキャラクタのまま、やっていったほうがよいのではないか。
そう思った。しかし、指は、いつものようにメールを打っていく。これを送るとまた、相手には圧がかかるんだろうな、懸念をしたけれど、私はメールを結局このようなことばでしめくくった。
「これからもご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申しあげます。市原 拝」
拝 じゃないのだ。怖いだろう、むしろ。
空砲
雪かき
大雪の札幌にいて雪かきなどをしている。ポッドキャスト「熱量と文字数」の10年以上前のアーカイブを有線イヤホンで聴きながら雪をのけていく。今年は異様な量だ、道がまるで見えなくなっているし、積雪地域で除雪・排雪のインフラが整っているにもかかわらず多くの車がスタックしてあちこちの国道が麻痺している。音が雪に吸収されて街がしずかに崩落していく。スローモーションの落盤の上でめまい。空がブロック塀のように区画され、それらの隙間からビームが漏れ出て、地上の私たちの元素を焼いていく、その香ばしいにおい、花椒のようなパウダー状の。しびれ。唾液。
ポスト・アポカリプスの午後、親に電話をして様子をたずねる。電話を切ったあとパソコンを立ち上げて、古い友人からのメールに応えるために別の古い友人に連絡をとり、ふたりを引き合わせて新しい仕事に向かって送り出す。そろそろ昼寝をしておいたほうが安全なんだろうという予感。明日の朝はかなり早い。日の昇るだいぶ前に起きて、排雪によって道の左右に積み上げられた雪をどけておかないと、妻が車庫から車を出せなくなる。自分が出勤したあとのことには想像が届かない。なにか仕事を積み残してきているような気はするのだがあまり気が回らない。
どうしてそんな、あらゆる人に気を配るような真似をするのか、と強めに詰問された。もっと、気の合うものどうしで、やる気のあるものどうしで、まずは集まって、具体的なプロジェクトをしっかりローンチさせたほうがよいではないか、と、なぜこんなにわかりやすい理屈がわからないのか、と、派手な声色で何度も詰め寄られた。
それでも私は、やる気がある人も、ない人も、どちらにとっても似たような距離にある場所のインフラを整備する仕事をやりたいのだ、と言った。その人は、本当にわけがわからないとあきれた顔をしながら、うまそうに麦茶かなにかを飲んでいた。
ContributionとかAuthorshipのこと。Contribution: 貢献、Authorship: 著者資格。医学の領域では、だれかと一緒に仕事をする際に、その仕事に対する貢献度、どれだけ汗をかいたかということをとても厳しく評価しようという流れがある。論文に掲載されている著者リストの順番に意味がある。学会のポスター発表の発表者に名前を連ねるだけのことにも意味がある。貢献した順に名前を書き連ねる。決して、同じ医局にいるだけのドクターを、連名の中に加えてはならないと、近頃はだいぶうるさい。貢献している人間に申し訳がないと思わないのか、みたいなことを、あちこちでだいぶ目にする。
心底くだらない。
どうでもいいじゃないか、そんなもの。
抄録に名前だけ入れてもらって何も貢献していないタイプの人間。たしかにいる。でもそれがいたからなんなのだ。街の片隅にネズミが生きている。それが許せないと言ってすべての飲食店の下水溝を掃除して回る。そういうのと同じようなテンションで突き上げている。ばかばかしい。
それは所詮は「建前」の話だ。建前にいちいち目くじらをたてる数秒、私たちの人生にとって本当に無駄な数秒、脳のリソースを使うだけ無駄だと思う。ポスターごときに、学会発表ごときに、名前をつらねたことが本当に名誉とか誇りになると思っている人間こそ、馬鹿だ。馬鹿にかまっていられない、もったいない、それよりも大切なことに電解質を使いたい。医学を、医療を、進歩させるための礎となるために、心と体を実際に消費して、なにかあたらしいものをしっかりと打ち立てていきたい。名より実。誰それの研究に名前だけ入った・入らなかった、なんて、医療の発展にも医学の希求にもなんの意味ももたらさない。手を動かしている人間がいちばんすばらしい。まあ、えらくはない。金ももうからない。でも、すばらしい。きちんと織りなされていく布、着実に積み上がっていくレンガ、そういった、後世に残るもの、公益のためになるもの、もしくは、後世の役にも人類のためにもなる予定はないけれど、でも、もしかするといつか誰かが使えるかもしれない、いや、それすらも建前だ、とにかく、新しい科学の扉がひとつ開くか開かないか、それはゲームのクリアに関係ない素材、ボスがいない場所におけるセーブポイント、そういったもの、それらをひとつずつ世の中に見出し、あるいは彫琢し、あるいは刻印していく、それがもっとも大事なことではないのか。名前? 記録? 本当に馬鹿なのか? 雪かきだ。それは雪かきといっしょだ。いくら積み上げても、いくらやりとげても、春がくれば全部解けて、なかったことになる。
ある病理医が話しかけてきた。先生、先生はなぜ……どうして、いまさら、大学に戻ろうなんて思ったんですか。私はそれにこう返事をした。
「札幌厚生病院で18年間はたらいてきました。市中病院のいち病理医です。縁あって、とてもたくさんの人と関わることができたのですが、ただ、私と一緒に仕事をした人は、私が担当病理医であったということで、最終的に、到達点という意味で少しだけ損をしているなあと思いました。私といっしょに働くと、途中までしかたどり着けないんです。画像と病理とを使って、ひとつの症例をすごくおもしろく検討することはできる。でも、ここからさらに進むためには遺伝子検索をしなければいけない、分子生物学的解析をしなければいけないとなったときに、札幌厚生病院にいるだけの私では、そこから先にお連れすることができない。私はそういうのが本当に悔しくて、だから、今回、ご縁をいただけるとなったときに、まあ、今さら私のような人間が、アカデミアで皆さんと同じように活躍できるかというとそれもけっこう難しいとは思うんですけれども、でも、いただいた機会です、なんとか、今度は私が、臨床の疑問を『最後まで連れて行く』ことができるようになりたい。だから大学に来ました。精進しようと思います」
私の答えを聞いた病理医は、なんだか、ものすごく驚いていた。私はそれが驚きをもって受け止められるのだなあということに、驚いた。
私がこのような考えに至った理由は、たぶん、何人かの、インターネットで知り合った悪友の影響によるものかなと思う。自分と働く人がどこまででも登っていけるような存在になりたい。公益のために尽くしたい。これらはだいぶ強欲で、私が生まれ持った謙虚な性格からはあまり出てこないと思われるもので(笑)、つまり、おそらく、ネットの悪影響を受けたのかなと私は思っている。鴨とか、犬とか、あと、幾人かの医者とかを見ているうちに、私は、そういう強欲な人間になりたいと感じるようになったのだ。
私は、この強欲なキャラクタを、他人から教わって演じていた、最初は。
しかし、なんだか、いつのまにか、演じていた役柄と自分とが癒合して、夢と現実の区別がつかなくなって、本当に自分が心からそういうことを思っているのだと、勘違いできる程度には、演じている時間が長くなってきた。
優秀な人間が優秀でいるためだけにストイックに働いている姿を見ると、なぜそんなに、演じることができないのかと、あわれに思う。優秀であることがそんなに大切か? 自分の理想に近づくことが目標だなんてちっぽけだと思わないか?
なぜ、公益のために身を粉にしてはたらくくらいのことを、目指せないのか? 私は演じ続けている。舞台役者のように、ちょっと、大げさすぎるかなとも思ってはいる。