日中どんな感じで働いてますか、と聞かれて、即座に「トイレをがまんしながらですね」と答えたら救急医っぽくていいかなと思ったけれど、今の私の年齢と立場でそれをやるとパワハラでもモラハラでもセクハラでもイチハラでもありえるのでやらないほうがいいと判断。尿管結石になりますよとか訳知り顔でつっこまれても腹が立つ。でもこういう話題のときに「すぐ下ネタに流れるんだから~」みたいなことを言う人間の、「下ネタ」という概念の粒度が粗すぎることにはうっすら嫌気がわいてくる。嫌気が差すタイプの菌を嫌気性菌といいます。働いている間ずっと集中していて、その集中をとぎれさせるのが基本的には尿意もしくは便意なので、ふりかえってみると一日の中で記憶に残っているシーンがトイレをがまんしている部分なんですよね。☆細かく説明すればしただけむなしくなる話というのも世の中にはあると知った―――。もうちょっとちゃんと答えてくださいよ、ていうか、それで病理医としての矜持が伝わりますか? いや伝えなくていいだろそんなもの。しかしこういう仕事をしていると、たまに「病理医としての矜持をお教えください」みたいな依頼がくることもある。まあ、そうだな、他人を物語ろうとしたら、「プライドで化粧したペルソナ」という視点で話題を組んでいくというのも、ときには必要なのだろう。
優秀な人というのは世の中にはたくさんいる。とても優秀でちやほやされているタイプの人が、学会や研究会が終わったあとの懇親会で、列席者からあまりにほめられすぎて、かえって居心地が悪くなってしまったのだろうか、急に横にいた私に話をふって、「や、でも、私はこの市原先生ほど上手にしゃべれませんし」という流れの謙遜をすることがある。その瞬間、たしかにこの人はしゃべりでやらかしているなあと、妙に納得するし、申し訳ないがなんだその程度の思考の深度で人のほめられに晒されていたのかとがっかりもするし可哀想にも思う。思考や業績は一流だけど人前でのふるまいはまだまだ、というよそ行きの自意識のねっこには、自己評価が周囲との評価と釣り合わなかった時期に、「俺の脳がすべて表現できればお前らはみんな俺を尊敬するはずなのに」と、かつて自室で煩悶を爆発させていた時代の、ほつれてくたびれた部屋着の自意識が顔を出している。ちょっと人からちやほやされた程度で存在の属性にかかわる脆弱性を簡単に露出してしまっていて、中学の学校指定ジャージ並みに防御に不向きだ。膝のところはテカっておりシルエットはやぼったく、チャックは硬くて布が妙に分厚く洗って干しても乾燥に時間がかかる。ふと思い出したが「ぬののふく」はぼうぐではないけれど「かわのよろい」はなかなかのぼうぐだなと思う。剣道なんてまさに「かわのよろい」で身を守る武道だからな。
どうやったらそんなにポンポンしゃべれるんですか、と聞かれて、こんな半分揶揄みたいな質問をする失礼な人に真顔で向き合ってもしょうがないんだけど、どんな人にも嫌われるとめんどくさいしどこから刃物が飛んでくるかわかったものでもないので真剣に考える。口から飛び出す言葉というのはカツブシをカンナで削ったときにふわふわ舞い散る断片化した削り節のようなものだ。カンナの刃を紙一枚、高さを揃えてきれいに出して、そこにカツブシの頭部の部分から一定の方向、一定の向きでリズミカルに削ってはじめてきれいな削り節ができる。このときカツブシが乾燥しすぎているとうまく削れず粉になる。もととなったカツオの大きさや価格はじつはさほど味に関係するものでもない。乾式発酵のプロセスの成否にかかわるファクターは膨大な経験知と職人のフィーリングによるところが大きく極めて複雑だ。本枯節のいいやつだとご飯に乗せるだけでもしみじみうまいが、廉価なバッグのものだからといって味が劣るというのでもない。ひとつ言えるのは、カツブシの削り節というものはそもそも、カツオがありそれを干したものがなければ、カンナだけあっても絶対にできない、そして、ご飯の前に削ってもあらかじめ削って保存しておいてもいいが、「カンナでカツブシを削る」という行為自体が、楽しい食事の時間になり得るということ。