書き終えた原稿にボツが出た。朝からずっと腹が立っていた。これをボツにする編集者は何もわかっていない、とぶつくさ言いながら一日考えて、リライトを跳ね除ける怒りのメールを脳内で何度も書いたが結局キーボードより先にその文字が飛ぶことはなかった。ため息で浮き輪がパンパンになるくらいため息をついたあと、あきらめて、受け入れて、帰宅まぎわに一気に書き直した。するとだいぶいいものになった。第一稿の三倍くらいよくなった。がっっっっっかりした。爆豪勝己もかくやという猛烈な失望と共にメールを送信。餅は餅屋ということであった。もちもち、餅屋さんですか?(電話)
朝の気温が低くて路面が凍りかけていて、あぶないなと思いながらそろそろ運転して出勤したら7時からの定例ミーティングに遅刻してしまった。申し訳ないことをした。Zoomに接続すると先方の電波状況が激重だ。裏でうっかりsingle cell RNA seqの解析を回し始めてしまい、PCがそちらに能力を全振りしているので回線も遅いのだとずいぶんと謝られた。でも悪いのは私のほうなのだ、遅刻したからたぶん「今日はこないのかな」と思って解析をはじめたのだろう。今月は先方に報告できるような内容はなにも進んでおらず、回線の遅さを理由にして「詳しくはまた来月」といって早めに会議を終えてしまったのだけれど、本当は回線が超早(チョッパヤ)だったとしても私がしゃべれる内容はあまりなかった。言い訳を書割のように組み立てて、ライトを当てて、裏で影になった部分に真実が寝そべって出番を待っている。そのまま寝落ちする真実。申し訳ないことである。
3階というが気分的には2階だ。ドクターヘリの音が聞こえるどんつきの部屋で足元からせり上がってくる寒さをひざ掛けで押し返す。遠くに嬌声。もそもそと事務作業。知事が大学にやってくるというメール。うちの大学じゃねぇじゃねぇか。立場につけあがる年の近い人間。暖房にノドが乾いて冷蔵庫を開けるといつか私が買って置いたペットボトルが4本並んでいて、うち2本がジャスミンティー、2本がほうじ茶である。端から一口ずつ飲んでみた。家の冷蔵庫のことを思い出す。まだ納豆も豆腐も期限内だから今日はスーパーが閉まる時間まで働いても大丈夫だ。少し葉の黒ずんだキャベツ。フィジカルなことばかり考えようとしている。僕のヒーローアカデミアには2種類の描き文字があって、普通に日本語で描かれているところは全く違和感なく読み飛ばしてしまうがアメコミ風のSMASHな音のところでは必ず引っかかる。そういうノイズを楽しむためのマンガであり、言語の違いのところでつんのめるたびに、私の身にたくさんの慣性が働いていることを思い出す。
ボツになる、遅刻する、違和感に髪の毛を引っ張られる、等速直線運動に摩擦がかかってGがかかる、そういうとき、生きて暮らしていくことは、黙って座っているのではなくテクテク歩いているのだなということを意識する。そうでもしないと意識しない。マグロは泳いでいないと死んじゃうんだよ、というフレーズがなぜこんなに愛されているのかよくわからないけれど、たぶんマグロは止まっても生きていられる。ただし、マグロの気持ちとしては、泳ぐのをやめると体に要らぬ慣性がかかっていずい(北海道弁)、くらいのものだろう。私はべつに歩いていなくても生きていける。毎日デスクワークで何も困らない。でも本当はずっと歩いている。ときどきつんのめるたびに、ああ、知らぬうちに歩いていたのだなと気づく。