このあとシャワー浴びますね

「不機嫌な人」にはそれぞれ理由があったりなかったりする。理由もなく不機嫌な人のことをみんなは普通に嫌いだと思う。「気分屋」は迷惑だ。一方で、「理由があって不機嫌な人」に対して、世の中はちょっと甘い。怒るだけの理由があるよねー、とか言いながら、不機嫌で人を動かす人を甘やかす傾向が、今の地球にはある(大きい大きい主語)。

まあ世間は世間。

人前で不機嫌を使ってなにかを動かそうとする人が、どれだけ優秀だろうがどれだけすばらしい理念を持っていようが、私はそういう人となにかを積み上げていける気がしないし、あっというまに軽蔑する。たぶん世の平均より早めに軽蔑する。

物事というのは子どもが階段をグリコ・チョコレート・パイナップルで登っていくのとは違って、あちらがすこし盛り上がったなと思ったらこちらはすこし盛り下がったり、ここがやかましいと思っているうちにあっちがうら寂しくなったり、そういう、複雑な入れ替わり、ノイズ、シャッフル、ランダム、勝ったり負けたり、一進一退でやっていくものだ。あらゆる物事は、自分にとっての快と不快とをたくさん経由しながら進んでいくのが普通のことである。それにいちいち自分の機嫌をあてはめていたら、きりがないと私は思う。でも、なにかにつけて自分の「不機嫌」を動員し、それでなにかを動かそうとするという人たちがたまにいて、そういう人たちのアイディアのうすさに私はびっくりする。自分が不快を覚えない世界を達成するために生きている人間のあさましさに私はびっくりする。そんなの無理だろう。そんなの無茶だろう。



ある日、飛行機に乗った。けっこういろいろと無理をして仕事を片付けた。ひいひい言いながら空港に到着し、でも、ここまで来てしまえばあとは旅路に体をまかせていくだけなのだ。フードコートの山頭火のデジタルモニタの、デフォルトで紹介されているおすすめのバカ高いラーメンを避け、小さく表示されたメニュー欄から普通の塩ラーメン(それでも1000円ちょっとする)を選んで、もそもそ食っているうちに、ああ、よーし、俺、これから出張だ、デスクにいないからいろいろ仕事は溜まっていくけれど、それはもう旅路にあってはどうにもならないことだ、帰ってから考えるしかない、ああ! うわあ! よーし! そうか! もうどうでもいいんだ! こっからは楽しく過ごすぞお! と、スープの塩分濃度と共にテンションもバク上がりしてホクホクと機内に乗り込んだ。自分の座席に座って、シートベルトして、買ったばかりの本を読み始めて、すこし読んだところで猛烈に眠くなってきて、ああこれ寝て起きたら東京だよな、と思いながら目をつぶって、だいぶ長いこと無のなかにいて、ぱっと起きてもまだ飛行機が飛んでいない。聞くと旭川空港の保安検査場を、通過した客の確認をしているとかなんとか、それはおそらく符牒なんだろうなと私はとっさに思った、それくらい機内には多彩な人びとが乗っていて、あるいはその一部は公安に睨まれているとかパスポートが偽造だとかそういうこともあるのかもしれないなーと思った。まあ全部妄想なんだけど、とにかく事実として、19:30に離陸するはずだった飛行機は20:30になってもまだ地上にいた。うーん、これだと東京の定宿に入るのは23:00を過ぎるかもしれないなあ、でもまあ着けばいいか、飛べばいいか、せめて飛んでくれよと思った次の瞬間。

隣の席のおっさんが小さく舌打ちをした。

私はそれにものすごくびっくりした。客室乗務員に聞こえるようなボリュームでもない。それは隣に座っているたいして歳の変わらない私にしか聞こえないくらいに小さな控えめな、ミニマムな抑制まみれの舌打ちだった。彼はあきらかにいらだっていた。舌打ちが止まらない。何度も何度も舌打ちをする。一瞬、口腔内になんらかのトラブルを抱えていて舌打ち様に聞こえるだけなのかなと思ったけれど違う、彼は不機嫌なのだ。飛行機がなかなか飛ばないことを受け入れられなくて不機嫌なのだ、だから舌打ちをしている。自分の不機嫌を世界に伝えることでなにかが変わらないのかとニヤニヤしながら世界を眺めているのである。

なんて小せえ人間なんだと思った。

無能だなーと思った。

病院にいる、あるいは病院にいた、もしくはこれから病院に入ってくる、さまざまな人間のことを瞬間的に思い浮かべた。こういう「舌打ちタイプ」がいるよなーと思った。

耳障りな舌打ちが何度も何度も響く。それは決して周りの多くの人には聞こえない、ただ、座席番号15Cのまわりに座っている15Bとか14Cとか16Cくらいの人間がぎりぎり聞こえるか聞こえないかというボリュームで、「自分はこの件に関して不機嫌である」ということを周りに伝える。そのために彼は舌打ちを繰り返している。私とたいして歳の変わらない、つまりは世間からみるとゴリゴリの中年が。

ああ⋯⋯と思った。なんてさみしい話なんだろうなと思った。「とても狭い範囲にしか射程が届かない舌打ち」をする人間。いわゆる郷土の英雄、地域の天才みたいなタイプに多い。それなりのポジションについてある程度人から尊敬されている人間にも多い、「気持ち小さめの舌打ちムーブで人に圧を与えようとする人」。


そういうタイプの人を見て私まで機嫌が悪くなるとしてそれは違うよなとじわじわ感じた。


飛行機は無事飛んだ。東京の定宿(離れたところにあってとにかく安いのだ)についたら日が変わろうとしていた。途中のコンビニで買ったレモンサワーのプルタブを開けようとしたらはやりの「ジョッキ缶タイプ」なのだ。あっ嫌だなと思ったけどとりあえず開ける、そしたら、せかせか歩いてきたときに揺らしていたせいか、中身が壮大に吹き出して、太もものあたりをいっぱい濡らした。ああ、どうしようかな、と思った。不機嫌をえらぶか。ご機嫌をえらぶか。誰も見ていない。誰も何も言わない。ホテルの部屋でひとり。私は、ご機嫌でいることにした。私は、不機嫌でなにかをするタイプの人から、とにかく離れて暮らしたいなということをかなり強く思っていて、だから本日、結果として、こうして、ベッタベタになったふとももを気にしながら軽くレモンサワーの糖分でべたついたPCをばかすか打ってブログを書いている。明日はシンポジウムである。明後日もシンポジウムである。ありがたい話だ。うれしい話だ。

その日も仕事はしそう

前職のときにやってた仕事を減らさずに今の職場で新しくいろいろはじめているのでほんとうにずっと働いている。さすがにこれは持続性がなさそうなのでいずれはいろいろやめていかなければいけないのだけれど、その、やめ方にもいろいろあって、たとえば自分のかわりに同じようなことをやる人を連れてくる、というのが軟着陸のありようとして上品かな、という気がする。下品なやめ方はしたくない。人道ということを考える。

もともと私しかやりたがらないタイプの仕事だからこそ、私にニーズが集中したと考えれば、そう簡単に次の人足が集まらないのも当然のことで、それこそこの10年くらいは私と同じ方向に適性のある人をずっと探してきたけれど、全国に目を向ければぽつぽついるかな、くらいのもので、ご近所にうろうろしているようなことはないし、ようやく見つけたと思ってもフタ周りくらい年上で、かえって私がその人の仕事をかわりにやることになったりもした。私の代わりなんていくらでもいる、という言葉はそらぞらしい。いくらでもいるかもしれないがみんな自分の持ち場で精一杯なのだから、私の代わりをやってくれと言ったって簡単には来てくれないし代わってもくれないのだ。交換可能性とかいうけどそれこそ机上の空論だと思う。どうでもいいけど机上の空論という言葉をみるたびに長机の上に仁王立ちになった空軍幕僚長、みたいなイメージを思い浮かべる。わりと軍事力強そうだなと思う。

車のない1週間はバスで過ごした。運転手がらんぼうだと1日のおわりにそこそこ無駄な体力を使う。乗り降りする人のいない早朝や深夜、爆走するバスは停留所のたびに時間調整の一次停止をながめにとっていて、ぶっ飛ばした意味ねえじゃねえかとおかしくてしかたない。ドアを開けたまま留まってくれたら夜の風を感じられて気持ちいいと思うのだけれど運転手は指一本動かすのもいやなのか、乗り降りする人のいない停留所では決してドアを開けない、それはまあ、冬とか雨とかのことを考えれば当然のムーブではある。でも私は。真夜中にバスに座って闇の風のにおいをかぐ日があってもいいのではないかと。思った。次の休みは海の日である。

6G

ダウンロードが進まないのでブログでも書くか、みたいな時間である。送られてくるファイルのサイズは10GBくらいなのだが、まあ、もちろん重いとは思うが、にしても有線環境であればそこそこのスピードで落ちてくるはずのものが、5Gとは名ばかりの1G回線のテザリングでは、ちっともメーターが進んでいかない。それにしても、5G導入時には、2時間の映画MP4がフルで2秒でダウンロードできるという触れ込みだったと思うのだがあの話は今や誰もしていない、どういうことだったのか。AIが後ろでがりがり稼働しているせいで人間が使えると思っていた帯域がほとんど使いつくされたとか、そういう、「言い訳」みたいなものを誰か教えてくれないだろうか、そうじゃないと、単純に、5Gも6Gも携帯電話会社が機種変を我々に強要するのに必要な方便だった、という把握で終わってしまう。

まあそういう把握でよいのかもしれない。

ラジオから泉谷しげるの曲がかかっていてびっくりする。東京ポッド許可局のかける音はもはや異次元に古くて聞いたことがないものばかりで、取り残されることでかえって尖ってしまうアメーバの偽足のようだ。


ダウンロードは一向に進まない。メールのやりとりも終わった。JRはあと数十秒で動き始める。今週は車のない1週間で、夜中の買い物もしないしバスのある時間までしか働けない。時間に足を引っ張られる、他人の都合に乗っかってはたらく週である。まるでそうじゃない週があるとでもいうような言い草だ。


妻に買ってもらった革靴の、靴紐の部分を少し緩める。


週末、研究計画書を5つ書き、依頼原稿を2つ仕上げた。順調だな、と思う。いろいろ後手に回っていたが、そろそろ、今週あたりは仕事の行く末に先回りするような働き方ができるかもしれ  、ここまで書いたところで車内放送がかかっていると気づく。イヤホンをはずす。よく考えると出発の時間を2分過ぎているのにまだ電車が停まったままだ。上幌向・のあたりで停電が発生し、電気関係の社員を向かわせているところ、電車はひとまず駅から動けない状態で、運行の見通しは立っていない、みたいなことを、車掌が多少なりとも慌てながら一息に、三度ほど繰り返してしゃべった。そうか、そうか、週の頭からそういうことになるか、まあ、そういうこともある。ファイルのダウンロードは25%のところで足踏みしている。次の放送で「とにかくいったん電車を降りてくれ」ときた。ひとまずPCを畳んで車外に出る。困惑した乗客たちが全員手元の端末を覗き込んでいて不気味さが際立つ。待つか、あきらめるか、いくつかのことを考える。駅前から出る高速バスの発車が15分後だ。切り替えるか。このまま待っていればうっかり電車は動き始めるかもしれない。でもまあどちらにしろ遅刻だ。ならば早めに「この先の遅延の度合いが確定するほう」を選ぼう、JRをあきらめる。改札の有人受付の前に人が並んでいる。払い戻しの列だろう。でも通路のところは開いている。払い戻しを後で受けるためのスタンプだけください、ということを伝えると優しい駅員が小走りにスタンプを押してくれる。ありがとうございますと、マイクを通さなくても窓口の穴ボコからきちんと相手の耳に届くボリュームでお礼をいう。バスまでダッシュして並ぶ。問題なく乗れる。バスの席に座ってPCをひらくとファイルのダウンロードが終わっている。さっき、電車の席に座っていたときのペースだと、まだダウンロードは終わっていないはずだったのだが、外を走っているうちに電波のよい領域に入ったのかもしれないなとふと思う。そんな都合のいい回線をdocomoが持っているとも思えないが、インフラのおかげで今日も働いているんだなと、ひとまず先程のJR札幌駅の改札で対応をしていた職員のことを思い出してもういちどありがとうの念を送る。

准教授の出る幕ではない話

かなり前の話。当時私は主任部長だった。某大学講座の、若手の異動にかんする話をしていたとき、その講座の教授に「人事についてなにかお手伝いできそうなことがあればいつでもお手伝いします」と述べたところ、「うれしいお申し出だけれど、人事ってのはおもいっきり教授の裁量だからね、それには及ばないかな」と釘を刺されたことがある。それはたしかに釘であると私は感じた。うわっ、なるほど、たいへん失礼しました、平謝りして引き下がった。かなり前の話。しかしよく覚えている。

そうか、大学の教授というのは人事の全権を有する点に喜びを感じる生き物なのか、と思い知った。この話を、揶揄で語るのも違うし、達観で語るのも違う。ウェットだしざらついたテクスチャだし、なんか、厚みのある話題だなと感じている。ちっちぇえ人間だと私のことをなじってもかまわない。そのエピソード以来私は、「人事」というものに価値を感じるあらゆる人間のことを「面白……」と思って眺めるようになった。

何度かここで書いているけれど、野球のドラフトの話題とか、スタメンを誰にするかとか、このピッチャーとこのバッターの相性はどうだといった、野球をそれなりに見ている人どうしがする会話のほとんどは人事であると、芸人・プチ鹿島は述べた。スポーツだけの話ではない。永田町関連の話題も結局は人事だ。映画もアニメもわりと人事だ。投資だってわりと人事みたいなところはある。いやなことを言えば看護も介護も人事ありきである。雑なことを言うと、なにかの話題を思い浮かべたときにSNSの特定のアイコンが思い浮かぶタイプの案件は広義の人事なのではないかという気がする。人事じゃない話なんてほとんど思いつかない。「自炊」くらいか。

ああそうか、だから私はちかごろ、このブログで料理の話ばかり書いているのか。人事、人事とうるさい人間から距離をとりたいという深層心理が、人事から一番離れたところにある食材の加工に目を向けるように私の首の角度をそうと知らない間に調整している。私はあのときあの教授に、「人事は教授の特権だから手を出すな」と言われたことをずっと根に持っているのだと思う。横山三国志だったと思うが、劉備玄徳が諸葛亮孔明にこれからどうしたらいいかと尋ねたときに、孔明が「人です。すべて人です」と答えたシーン、そこから孔明は馬良を劉備に引き合わせるのだけれど、その「人です。すべて人です」を読んで以来私はこの言葉の魅力に自分が持っていかれそうになるのがなんだかいやで、たぶんずっと反抗期の状態でいるのではないかとひそかに勘ぐっている。玄徳が方針をたずねた相手が孔明じゃなくて中島みゆきだったら「糸です。すべて糸です」と言ったに違いない。

からくり道中から全部やる

そろそろ分類の話を書きたい。2年経ってしまった。内圧を高めて爆発させる必要があるし、爆発でわけわかんなくしてしまってももったいないのでその風圧をきちんと制御してタービンを回さなければいけない。シリンダーは曲がっていないか、オイルは十分か、なんちゃらブルーはいらない、あんなのマイナスイオンみたいなもんだろう。違うのだろうか。違うかもしれないが。興味はない。昔の車は動いていたけどなあ。それって「ピッチ(PHS)は簡単だしつながりやすくてよかったなあ」というおじさんと一緒だよね。はい。

Nintendo Switch 2をそろそろはじめたいのだけれど、分類の話を書き終わってからかな、と思っている。分類の話を書くためには、研究費や民間助成金の申請書をいいペースで書き続けていること、すなわち私が「お金集め書類を書き続けている状態であること」が前提で、そこを滞らせたまま分類の話を書くわけにはやはりいかない。「お金書類」を書き続けている状態でいようと思ったら、締め切りがある学術講演や病理解説のプレゼン、論文の原稿を完成させていないとエフォートを割けない。自分の学術のための時間をとるためには、ありとあらゆる臨床科からの問い合わせ、学会のための組織写真撮り・選び、研究のための相談を遅滞なく済ませていることが絶対に必要で、そこを遅らせながら自分や病理部のための仕事に入ることは私の倫理が許さない。ありとあらゆる臨床科からの問い合わせにすばやく答えるためには、その前段階として、まず病理診断の遅れが全くない状態を保っていなければ話にならない。病理診断の遅れが全くない状態を維持しようと思うとき、「自分が担当する症例」だけ間に合っていればいいというものではないので、講座すべての検体の動きを把握している必要がある。講座すべての検体の遅れに目配りするためにはまず「自分が担当する症例」に絶対に遅れが出てはいけない。以上をまとめると、Switch 2にたどり着くためには、


・自分の担当症例をすばやく診断する

・講座すべての病理検体を把握して遅れが出そうなところに介入する

・臨床からの問い合わせや学会・研究会準備、研究協力を遅れなくすすめる

・締め切りのある自分の研究をルーティンとして回し続ける

・申請書を書き続ける状態を維持する

・「分類の話」を執筆する


を順番に、もしくは入り乱れた状態で達成し続ける(瞬間的に達成しているだけではだめ)ということになる。なおこれらをすべて達成し続けていられる場合、できれば部屋の細かい掃除とかシーツの洗濯とか読まない本の売却などを先に済ませておくことが望ましい。Nintendo Switch 2でがんばれゴエモンコレクションが出る7月までに、私はそういう状態になっている予定である。ゴエモン、発売延期してくれてもいい。私はそんなことでは怒らない。コナミは考慮しておいてほしい。