ゆくすえを振り返る
球磨川禊文体はあると思う
キャッチャーアライザライ
冷凍豚肉をレンジで半解凍して、キャベツとたまねぎといっしょに肉野菜炒めにしようと思ったのだが、キャベツから出た水分が多くて肉野菜煮になってしまった。味は薄目の焼肉のタレ味だがまあ普通に食えてよかった。限られた食材をぶちこんで、限られたスパイスで味付けするのだから、そうそう失敗はしないはずなのだけれど、実際にはこのように、野菜から出てきた水で料理のジャンル自体が変わるほどに大きくずれが生じる、この現象に名前を付けて何かの寓話とすべきかなとしばし考えたがまあなんかどうでもよくなってきたのでやめた。あらゆることから教訓を引き出そうとするのはSNS時代の悪癖であろう。
自分に降り掛かってくる何もかもを学びにしています、と、瞳孔を開いて甲高い声でキータッチする人間の、インプレッションがじわじわと上昇している昨今、体験から何かを「引き出す」のではなく、体験をいったん「引き受ける」ことを意識してやっていったほうがいいのではないかと私は思う。スピリッツの最新号を買ったら、よく歳を取った後藤隊長が出てきて、さあここから盛り上がるのかと思ったらたいして盛り上がりもせずに新シリーズの宣伝にさらっとつなげて話は終わった、しかし、よく歳を取った後藤隊長を私は見たなあと、それをまずちゃんと引き受けようと思った。それくらいのほうがマンガは楽しめる。10代前半のころに夕方のテレビで放送されたアニメ・パトレイバーで、後藤隊長と南雲隊長がカラオケだったかラブホテルだったかの中で過ごすシーンというのが出てきて、それを私はほんとうに長いこと、「私がそのように勘違いしただけの妄想」なのではないかと疑っていた。しかし先日、全く違う文脈、メディアミックス作品のうち同一の設定をもとにメディアごとにまったく違う話を作って行く方策をとったもののことを読んでいて(代表はもちろんパトレイバーシリーズだ)、その中にまさに私が小学生のころに見たシーンが出てきそうな話がきちんと記載されていて、中等度にでかい声が出た。組織病理用語風に言えばloud voice, moderateだ。いや、loudでありながらmoderateということはありえるのか。こういう適当英語を聞いたネイティブはどういう気持ちになるのだろう。たとえばレストランなどでちょっと離れたところに座っているそこそこ日本語の上手な海外の人が、「おいしいリョウリ、チュウトウド!」などと言ったら、私はそれをどう聞くだろうか。チュウトウド、のところをきちんと中等度と変換できる自信はなくおそらくUAEとかオマーンあたりの料理に似ているのかなとかへんなノイズで頭の中を埋め尽くして、いくつかのシナプスはびっくりして手を引っ込めて、その引っ込めた肘の部分がとなりのシナプスに激突してあっどうもすみません、いえ大丈夫です、みたいなやりとりの末におそらく脳の接続がちょっとずつずれたりするだろう。冷静に読み返すと、この段落、どうなってんだ、どこに向かいたいんだ。向かいたくはないのだ、なるべく何かを出さないための思考のさなかにいる。
火曜日はいちばん仕事が多いというので私の担当にした。しかし、ちかごろ、別に水曜日も木曜日も金曜日もふつうに仕事は多いのではないか、という気がしている。それに気づいたとき、「仕事が多い曜日を担当してがんばっているというプライド」みたいなものに、私が思った以上に自分の重心を乗っけているのだなあと感じて、思わず何かを言いたくなったけれどまずは黙って受け止めるだけにする。
深呼吸しただけだヨ
専門の話なので読まなくても大丈夫です
前の職場を辞める前の5年くらいは、病理解剖の報告書をだいたい3週間くらいで書いていた。一般的に解剖の報告書は3か月から半年以内に出すとまあ合格、くらいの感覚とされていて、私の報告の出し方はすごく早かった。ただ、これは私が優秀だとか熱心だとか神だとかいう話ではまったくなくて、ひとえに、「臨床検査技師が通常の検体と同じくらいの速度で解剖の標本も処理してくれるから」という側面が大きかった。
解剖後、2日で切り出しをして、そこから1週間以内にすべての標本が上がってくるとわかっているからこそ、毎回同じペースで検索をすすめてレポートを書き、写真をとり、パワポをつくり、プレゼンまでまとめることができる。一気呵成の3週間だ。臨床医がレポートを読んで理解して、患者の遺族に説明をしたり、科内で相談をしたりして、だいたい2か月もすると臨床病理検討会(CPC)を開催し、研修医たちを招いてごりごりディスカッションをする。解剖後、3か月くらいの時点でCPCができると、担当医たちが次の勤務先に移動していなくなっているということもないし、何よりみんな、その患者についての記憶が新しいから、議論もすごく深まる。
解剖を十分に活用するにはとにかく早く検討を終えるに越したことはないのだが、ここでおそらく(私にとって)一番大事なのは、「切り出しを早く済ます」ことと、「技師さんがものすごく早く標本を上げてくれること」であった。標本ができてくるのが遅ければ遅いほど、解剖の後に入った仕事に忙殺されて、なかなか解剖関連の業務までたどり着けない。非常にいやな言い方をすると、「すでに亡くなっている人の検索と、今生きていて、これから生き死にに関わる選択をするかもしれない人の検索」だと、後者を優先せざるを得ないところがある。したがって、解剖関連の業務というのは、とにかく大事な部分を一刻も早く、急いで急いでやっていくことが肝心であり、そのスピードを可能にするのは臨床検査技師の強力な支援なのであった。
じゃあ解剖臓器の標本のできあがりが遅い病院は、技師がちゃんと働いていないのか、といったらそういうわけでもない。それはもう、バランスなのだ。バランス。一般的な患者の検体にかんする作業が一日の中にどれほど詰め込まれているかというのは、その病院の検体量と技師の数、さらにはその技師が病理以外の業務にどれだけ従事しているか(生化学や一般検査や細菌検査などのサポートに入っている病理技師も多い、当直もしているかもしれない)、さらに、マンパワーだけでなくマシンパワーの問題もある。病院が大きくて技師がいっぱいいればなんとかなるというものでもなくてとにかく配置とバランスなのだ。前職場で、私が在籍していたころは、検体量は爆裂に多かったが技師の業務が大変うまく回っていて、解剖の標本もきちんとルーティンの業務の中で回せるだけの体制になっていた。だから私はあのスピードで解剖関連業務がこなせていたのだなということがよくわかる。
今はさすがにむずかしい。3か月はかかってしまう。臨床サイドには申し訳ないなと思っている。切り出しもだいぶ早くやったし標本も相当早く出してもらっているが、そこからなかなか先に進まないことが多い。この職場にもう少し慣れたら、もう少し早くなるとは思うのだけれど、慣れる・慣れないなどと甘えたことを医者が言っている間にも、患者は生き、そして死んでいく。申し訳ないなと思っている。
しんどいらーのリスト
重くない講演などないのだけれども、それにしても、これから半年くらいの講演の準備はずっしりと腹にたまる感じで、寝ても覚めてもいつも心のどこかで気にしている。胃にピロリ菌はいないので胃に穴が開かないが、かわりにあちこちの筋とか腱とかが痛んでクンクン鳴いている。還魂。
今の還魂とは「かきくけこ」を揃えるために探した単語だ。しかし還魂とはなんとも味のある字義の言葉である、ただ、その字義はともかく字面は……「魂が還ってくる」という感じには……あまり見えない。私の主観なのでピンとこない人はさっさとブラウザを閉じてスイカゲームにでも興じたらいいと思うが私には、「還魂という字の形状は、還魂なかんじがしない」と感じられる。なんだろうな、この、堅苦しい、あちこち角がある漢字と、魂、ソウル、ゴースト、そういったものとの相性の悪さ。還魂という単語の形状だけをみると、税金の還付みたいな、堅苦しくて融通がきかない雰囲気をすごく私は感じてしまう。字義と字面のゲシュタルトが合わない。そうでもないと感じる人が多いのか? いや、でも、私と同じように違和感を覚える単語だからこそ、世にあまり広まらなかったのかもしれない。選択圧を乗り越えて世にはびこる言葉というのは、見た目と中身とがどことなく寄り添っているものだ。燃焼という単語はボンボン燃えさかっている感じがすごくあるし、怪我という単語はいかにもあちこちにぶつかって七転八倒した雰囲気を纏っている。あ、でも、「纏っている」の「纏」は、あまりまとっている感じではない、どちらかというと、モンハンを200時間くらいプレイしたときの装備のような、まとっているというよりも重装備に埋もれてしまっているような感じがする。だから流行らないのだろう。そういうところだぞ。
閑話休題、と書きつつブログに閑じゃない話も題も別にないので閑話休題と書かなくてもいいとは思うが書いてしまった、話を戻す。「しんどい講演」の話だ。30代のときはいわゆる「しんどい講演」が、ありがたいことに、1年に1回ずつくらいの頻度で襲いかかってきて、いや、1年に1回ずつくらいしか経験しなくて済んでいて、今にして思うと、それは周りがゆっくりじっくりと私を育ててくれていたのだなと、まあ誰もそこまで意図してはいなかったのかもしれないけれど私にとっては結果的にそういう意図を感じざるを得ないくらいに、なんだかうまい具合の頻度で、着実に一歩一歩、経験を積んでいた。そんな私は運が良かった。ああなるほど。運が良かったんだ。こんなに運が良かったんだ! 振り返ってみると運が良かったんだ! 振り返らなければ思い出せないくらいだからありがたみはぜんぜんないけれど、ここでありがたがっておかないと、私の人生のラッキーだった部分をあとでリストアップしたときに、思いつく候補が減ってしまう、それはいかにももったいない。まあ人生のラッキーポイントをリストアップして悦に入る日が来るかというと、そんな日はこない気もするけれど。
今こうして、しんどい講演、しんどい研究、しんどい診療をミルフィーユ的に積み重ねて大口を開けてばくばく食っている日々も、あとで振り返ったら「あのころはラッキーだったな」と感じることになるのだろう。たぶん、なるんだろう。ならば私はやはり運が良い。なんかすごくそういう気がしてきた。やったやった! 「やったやった!」とはしゃぐとバカっぽい、と書いてあったのはなんのマンガだったか、もう覚えていないのだけれど、たまに「やったやった!」と声に出すと、私はもちろんだが周りにいる人たちもみんな苦笑して、苦笑の輪が広がって、なんだか温かい空間になっていく、それがわりと好きなので、私はよく「やったやった!」と口にする。そういうところも含めて全部、なんか、私は運が良いのだ。やったやった! あとでこのラッキーも数えられますように。あとでどのラッキーもぜんぶ、数えられますように。忘れようとしても、思い出せないものを、覚えていられますように。