ゆくすえを振り返る
ハウトゥゴー
めしにしましょうを愛す
先方のオファーの遅れを、当方の努力で回収する。あと4日で臨床系の研究会に使う病理のプレゼンを作るというのは大変だ。ほんとうは24日くらいほしかった。実際に作業する時間は2日くらいなのだけれど、その2日のために整える周囲がプラス・マイナス5日くらいずつ必要。2日間集中するためにそこの仕事を周りに吸収させるバッファ、苗の周りに盛った土、アイドルのまわりを取り囲む警備員、みたいなものが要る。しめて5+2+5=12日のセットを、24日くらいの期間を眺めながら「ここだァ!」カシャーンとはめ込む。このようにして仕事をすると、そこそこよい病理のプレゼンができる。だから病理プレゼンの依頼は1か月くらい前にしてほしいのだ。でもいつもそのようになるとは限らない。オファーをするほうも忙しい。
これは「先方がもっとしっかりしていれば当方がこんなにあくせくしなくてよかった」という愚痴である。
このタイプの愚痴は古今東西ばりばりあって、よく聞くし、たまに言う。病理医がブログなどやっていると高確率でそれ系の記事が出てくる。見飽きた。うるっせーなとすら思う。たぶん臨床家はもっとそう思っているだろう。
ところで悪いのはいつも先方(臨床サイド)なのか? 「先方をしっかりさせるのも当方(病理サイド)の役割」という考え方もある。こちらがもっと「しっかりあれば」、むこうももっと「しっかりした」かもしれない。いやいや、そこまで、なんでもかんでも自分の責任にしてたら死ぬよ、というツッコミはある。でもこういうのは持ちつ持たれつ、互いが互いの鑑、という側面もある。今、変換が「他害が他害の鑑」だったのでキーとなった。他害の話でもある。
自分のためにやらなければいけないこと、優先順位、みたいなことを考える。「汚れた」みたいな気持ちになる。
『めしにしましょう』の新刊が4月に出ていた。今日まで気づかず、あわててダウンロードした。新刊情報をKindleのおすすめに頼っているとこうなる。さむわんへるつの4巻、異世界居酒屋のぶの22巻、ウィッチウォッチの27巻、佐橋くんのあやかし日和の3巻を全部ダウンロードしたあとに突然「読み始めたシリーズの続きを読むにはこちら」の欄に現れた。どうして4か月も遅れたのか。ぶつぶつ言いながら読む。おもしろい。待ちに待っていた。にしては遅れたが。『めしにしましょう』の青梅川おめがは、旧シリーズの最後あたりから、足掛け10年くらい、ずっと「料理とはなにか」について悩んでいる。このマンガはふしぎなマンガで、普通であれば編集者がなんらかの形で介入してなんだかんだで薄められてしまうことが多い、「作者の根源的な悩み」がそのままの形で作中の人物の迷いとして表出してくる。それは、編集者が「味」として残しているというより、この独特のマンガ家のやりたいことをあまりコントロールしないほうがいいという信念のもとに、もしくは諦観のもとにそうなってしまっているように見える。あるいは、マンガ界全体をひとつのディナーのコースと考えた場合に、「ほかの料理とのバランスを考えて、この料理については味付けを真ん中にしない」みたいなことをやっているようにも感じられるが、これはぜんぜん見当外れかもしれない。狙ってやっているのではなく、そうなってしまっているのかもしれない。こちらは読む側だ。ほかにも読みたいマンガはたくさんある。『めしにしましょう』というのはあくまで摂取する具材のひとつでしかない。だから「あえて真ん中からずらしたマンガはおもしろい」みたいな、残酷な感想を無責任に述べることができる。しかし、それは描く側の理屈にはならない。普通は。でも青梅川おめがは小林銅蟲の脳でそのまま悩んでいる。じつに不思議なマンガである。おもしろい。早すぎるトレスで描かれた背景は冷凍都市のようなひやりとする触感。主要人物はジェンダー含めてすべて転倒。リスペクトの対象であるゲストの顔は緻密かつ繊細。料理はどれも確実に温もりをもって描かれている。おもしろい。ただの絵のうまさではない。異様な、異常な、独特のうまさ。『めしにしましょう』シリーズはおもしろい。これをおすすめするのに4か月も遅れた先方(Kindle)のことを恨めしく思う。当方(病理サイド)がもっとしっかりしていればよかっただけの話なのだが。
レシピは守るべき
防衛のコツ
目が覚めてすぐに気づいた。米がない。3合炊いて、丸形の小さいタッパーに小分けに冷凍しておいたストックは昨日の夜に切れた。そこから今朝に向けて米を炊くはずだった。起きてすぐに米をかき混ぜ、朝飯のぶんだけ避けてほかを冷凍すれば、少なめ・6食分の冷凍ライスが手に入る、はずだった。それがぜんぶふっとんだ。朝飯をどうするか。今から炊くか。時間はまあある。しかし、早炊きはいやだなと思った。固くなる。愛のない米だなと感じる。早炊きはいやだ。じっくり給水してから予約で炊くことにした。炊飯器の予約ボタン、いつも1回だけ押して、5時40分に炊きあがるようにしているが、今が5時40分だ。だからもう一度押す。すぐに21:00の表示が出る。前にも、このミスをしたことがあるのだなと思った。そのまま今晩の9時に炊けるようにセット。
昨晩、晩飯のあと、洗って拭いて、キッチンの上に広げて乾かしてあった食器を片付ける。いつもなら、食器は寝る前に片付けており、朝には朝食に使う食器以外はここには出していないはずだ。でも今朝はそれもできていない。本当にいろいろできていないなと思った。
理由は明らかだ。昨晩、ビールを飲みながら、宇宙兄弟をラストまで読んだからだ。その衝撃を受け止めることに体力を使い切り、やるべきことをいろいろ忘れた。でも、むしろちゃんと歯を磨いて寝たことをほめてもいい。「べき」なんて、たまにはすっぽかしてもいいのだ。息子にもそう伝えてきた。ただ、「べき」を失った私は私ではないようにも感じる。
朝飯がない。冷蔵庫の中を覗いていて、気づいた。今日・明日とここで飯を食うと明後日からは出張が連続。するとここにある3つのヨーグルトの期限が一斉に切れる。ならば今、朝飯代わりに、いつもは1つ食っているヨーグルトを2つ食えばよいのではないか。それで朝飯になる。さっそくヨーグルトを2つ出してきて、白桃のほうから食べる。ひとつ食べ終わり、スプーンを洗わずに、もうひとつのヨーグルトのほうにスプーンを入れるとき、とんでもない悪行をしているような気持ちになった。まあいいのだ。悪でよいのだ。さてもうひとつ食べる。ああっ、こちらも白桃だ。白桃かぶりしてしまった。メーカーが違うのだけれど味がいっしょ。いや、食べると微妙に違う、中に入っている具のサイズが違う、けれどもどちらも白桃だ。地球外生命体が私たちの生活をランダムにサンプリングしているとして、今の私の朝食シーンを4秒程度の動画でピックアップすると、「地球の日本の北海道の旭川に住む医師・博士・死体解剖資格保持者・国立大学准教授は日の出の直後に白濁したゲル状の物質を2セット摂取する」という情報が地球外生命体居住惑星外クラウドサーバに保存される。そこから学者はどういう意味を読み取るのだろう。地球外生命体が次の侵略先を私たちの星に定めたとき、先住民族から白桃のヨーグルトを奪うことで戦力を削ぐことができると考えて、明治や北海道乳業や森永やオハヨー乳業を優先的に爆撃する、といったことがおそらく起こる。その奇妙な非効率によって我が星の人びとの行動に余裕が生まれて結果として侵略の危機を脱することができる。It's a piece of cake. ヨーグルトって英語でどう書くんだ?
ローリングブリジストンテイクアノーモス
たくさんの読み物があり、たくさんの切り取りコンテンツがある昨今、誰かにある作品を激推しして、それを首尾よくゲットしてもらうなんてのは、田舎の国道を延々と走っているときにぱっと出てきたドライブインに入って飯を食うのに似ており、「や、いきなり出てこられても、心の準備が」となりがちだ。
誰かに「これおもしろいよ!」と伝えたいと思ってポストをするとき、自分がドライブイン化していると感じる。高速で通り過ぎていかれるばかり。それはそうだろうなと思う。
ただ、中には、新しい店に、一期一会だとばかりにすっと飛び込んでいける人というのもいる。そういう人は楽しそう。そして、限られている。孤独のグルメのファンタジー性。玉袋筋太郎がスナックを渡り歩く番組を持っていて、それが人気だというのも、そういうことを普通の人間はあまりできないからだ。みんながやるから人気なのではない。できる人が少ないから人気なのだと思う。
「いちども入ったことのない店」にひょいっと入れるかどうかは、ATフィールドのサブタイプの違いみたいなものと関係がありそうだ。自他の境界の部分に入力される刺激の総量をどこまでコントロールしているか、そもそもコントローラブルか否か。自分の内側から燃え上がってくる非日常的な快不快の熱に、自分が焼かれることが平気か。それが気持ちいいと思えるか。「新体験」の周りに生じる複数の付随体験を「刈り込む」かどうか。私なんぞは、新しいものは食いたい、でも、そこにいる店主とのやりとりがめんどうだ、常連客にどう見られるかが心配だ、みたいなことを考えてしまう、メインの体験の周りについてくるよしなしごと全部がうっすらストレスになって、新しい体験のドアを開けるのにすこし躊躇する。その点、新しい店にすぐ入る人というのは「料理がうまいならそれでいい!」とばかりに、周辺で起こることをノイズリダクション的に削除してしまえる。自分の見たいものだけを見るというのはリスクマネジメント的にはむしろウィークポイントでもあるし、するかしないかはあくまで差異にすぎず、優劣ではないかもしれないが、とはいえ、うらやましいと感じることは多い。
ところで境界があいまいなら店にも入れるとか、ストレスを減弱させられるなら店にも入れる、とまとめられるほど、簡単な話ではないかもしれない。かくいう私はあまり新しい店に気軽に入るタイプではない一方で、「よくSNSにあんなにもの書けるね」「ああやって不特定多数に見られて気にならないの?」などと、自他の境界がマジョリティと比べておかしいのではないかと、それこそ「発達障害」を語るときの口調で長年さまざまな人から詰められてきた。そこはATフィールドの違いみたいなもんで、どっちがいいとかじゃなく個性なんですよ、みたいにモゴモゴ言い訳をしてきた。そういうの怖くないんだねーと言われて、そうですねーなどと答えてきたけれど、そんな私も新しい店は怖いしめんどうくさい。ほかにもファクターがあるのだろう。