寝過ごすところでした

京都大学の山本健人とNHKの藤松翔太郎とオンラインでイベントをやった。出張で釧路にいたので早めに飯を食ってしまおうと、直前にコンビニに寄って天津飯みたいなものを買って、いつものクセでビールも買ってZoomをひらく前に小腹を満たし、いざイベントをはじめたときにもそのままビールを持っていたら山本に普通に突っ込まれた。医学書院のウェブセミナーをビール片手にやっていることにおそらく一部の出席者は怒るだろう、何%くらいかな、1, 2%くらいじゃないかな、1000人登録があり、その大半はアーカイブで好きなときにみるわけだが同時接続が150人くらいいたはずで、となるとそのうち1.5人もしくは3人くらいが「もう少しまじめに話してほしい」だとか「本の販促のイベントだというから本を買って臨み、本の裏話を聞けると思ったのに本と関係ない話ばかりされて困り果てた」みたいな感想を送ってくるであろう。そういう直球な感想がまったくないイベントをやってもおもしろくないからそういう感想があったらぜひ医学書院は気遣いで削除するとかではなくて普通に私のところに全部届けてほしいと思う。そういうのを読んだ上で私はまた次のイベントでのやり方を微調整するだろう。選択はしない、選択肢なんてないからだ。オープンワールドRPGでプレイヤーがやれるのはいつだって左カーソルを左手の親指でごすごす撫でつけながら直進する主人公キャラを次のクエスト発生地点までダッシュさせることだけであり、その過程で鬼のように現れるサブクエの、どれとどれをこなそうかと選択しているように見えても実際にはすべてのサブクエをやらなければゲーマーとしての気は済まないのでそのじつ選択なんてしていないのだ、どれを先にやってどれを後にやるかという細かな調整をしているに過ぎない。私の視界に入ってくるクエストに対し、「選ぶ」「選ばない」という二択はもはや発動せず、それは「いつやるか、今すぐか、後でか」くらいの、微弱な首振りの末に結局突進するしかない昔のブラジルにいたほうのロナウドのドリブルみたいなものなのだ。


妻とケンカ、それも冷戦状態に突入している夢を見て、目が覚めたら4時台で、ふたつの意味でほっとした。ひとつはケンカが夢だったこと、もう一つはこの睡眠の仕方で自分が寝過ごしていなかったことだ。このあと始発のJRに乗って次の勤務地に移動する。予定だった業務に加えて昨日、エクストラの仕事が入って私はそれを受諾し、ついでに別の地域から関係者をもう一人読んで同席させるための交渉と調整を昨日のイベントの最中に左手でぽちぽちやっていた。外勤先の技師からはびっくりするくらいやせましたねと言われたが昔の写真を見るとここ数年の私が単純に前よりも太っていただけなので、まだ大丈夫、列車は霧の中を思った以上の揺れで爆走しており私はスマホのアラームを7:47にセットして、あとはこのPCを閉じて仮眠に入る、そのほうがいいような気がする、まあ、1日トータルでみたらいつ寝たところで結局同じくらいの分量しか寝ることはできないのだけれど。

マスクジエンド

九分九厘読み捨てている大学からの告知メールの一つに目がとまり、そうか、そうなんだ、と少し時間を止めて考えた。「今日からマスクは個人の判断になります(※ただし患者を診察する医療者や体調のすぐれない患者にお見舞いしにくる人は別)」みたいなことが書いてある。

そうか。個人の判断にするのか。いや、まあ、私も別に言われてマスクをつけていたわけじゃなくて、自分の判断でこれまでマスクをし続けてきたんだけど、じつは大学からも「言われてはいた」ようである。そうだったんだな。知らなかったが。それが「言われなくなる」わけか。へえ。

病院はいまだにマスク着用が必須のところが多い、それはまあそうだと思う。体調が悪い人、免疫が落ちている人、そういう人の集まる場所なのだから、元気な人が「俺は健康だからマスクなんかしないぜ」とかいう理屈を押し付けてはいけない。私もこれまで病院勤務中は朝から晩までマスクをはずさなかった。耳の裏の皮はすっかり適応してもはやマスクをして耳が痛いなんて感じる日はない(いつのまに角質が分厚くなったのだろう)。マスクのおかげだろうか、たぶん関係あるだろうな、長らく気道系の風邪を引いた記憶がない。2020年からこっち、ほぼ風邪を引いていない(1回あったかもしれない、くらいだ)。マスクをし続ける判断は結果的に私の生活を救った。実際にマスク1枚がどれだけ感染予防効果があるかというと微妙だなと思っていたけれど、手で口周りを触らないとか、まわりの感染予防意識を喚起するとか、いろんな理由で総合的に風邪のリスクは減ったんじゃないかと思う。ただしこれは、私が「風邪を引いても気づかないタイプ」の中年になっていたせいかもしれなくて、でもまあその場合でも、「気づかずにかかっていた風邪を人にうつさなくてすんだ」ということはあったのではないかと思う。

とはいえそもそも患者に会わない病理部・病理診断科においてマスクをし続ける意味がどれだけあったのか。出張の多い私が外仕事で風邪をもらってきて、それを病理部内にばらまくのが申し訳ない、という言い訳を考えたことはあった。その甲斐あってか、幸い、この6年間、私の風邪が部内に蔓延したことは一度もなかった。そういうばつの悪さを味わわなかったのはマスクの功かなと思う。マスクが具体的に役に立つかどうかというよりも、マスクをするくらい日常気をつけている人が職場内にいるという安心感は、多少はあったのかなと思う。

ただ、こういうのはすべて後付の話で、実際はほとんど惰性でこの6年間毎日マスクを外さずにいた。今日からは、どうしようかなあと思う。

大学からのメールひとつでマスクを付けたり外したりというのが腹立たしい、みたいなタイプの人もたくさんいる。そもそもマスクの話は人と共有しづらい。交通ルールを守りましょうという話を昼飯時の話題にするか、いちいち? みたいな感じに近い。ブログ向きの話題ではある。今日から私は、とうぶんの間、病理部内でマスクをしなくなるだろう。マスクありの世界の感染予防のすばらしさをしみじみわかってはいるけれど、人とコミュニケーションする上でどうしても支払わなければいけないコストのひとつとして微弱な感染リスクを計上し、かわりにこれまでよりもちょっとだけ親身なやりとりを手に入れるほうを選ぶだろう。まあ、病理部で人と会ってコミュニケーションすることなんて、それほどたくさんあるわけではないのだけれど。

時間停止を解除。これを忘れると世の中はいつまでも先に進んでいかない。危ない危ない。まあ、進めばよいというものでもない。

おすすめのされかた

エンジンのスタートボタンを押すとカーナビが「今日は海外移住の日です。」などというのだ。そうか。そんな予定があったのか。すっかり忘れていた。コンソールにあるガムを口に入れながら、海外移住の日というのは記念の日なのか、祈念の日なのか、紀年の日なのか、どういうニュアンスなのだろうということを考えつつ出勤した。おそらくだけど明治時代とか大正時代あたりに、日本から海外に出て暮らして成功した人の業績を称えて、とかなんとかそういう理由で制定された日なのだろう。職場についてからググる。

「1966年(昭和41年)に総理府(現・内閣府)が制定した記念日であり、1908年(明治41年)に日本人移住者を乗せた最初のブラジル移民船「笠戸丸」がサントス港に到着した歴史的な出来事に由来しています。」

まあなんかまったくもっておよそ予想の通りではあったが、「成功した人の業績を称えて」というのはちょっと私の勇み足だったようにも思う。移民の方々が成功しなかったと言いたいわけではない。そうではないが、オリンピックのメダリストを称揚するようなニュアンスではなく、どちらかというとJICA的な香りを感じる。当時、海外に移住しようと決めた人たちにどういう事情があったのか。その声はもしSNSがあったらどのように増幅されて拡散されたのだろうか。SNSが拡散しやすい話題ではあるだろうなと思う。

今日は私にとってなんの日にあたるだろう。特になにもない日だ。さっきから、拡散と入力すれば核酸と変換され、日だと入力すれば襞と変換され、「予測変換大きなお世話の日」というフレーズがすっと頭に浮かんでくる。新刊のマンガがダウンロードされてこないかどうかをKindleでチェック。悪役令嬢モノを1冊読んだらおすすめがぜんぶ悪役令嬢系になるのを見て少し引く。その程度のアルゴリズムでおすすめするならAIなんていらないじゃないか、と思うし、実際、KindleやAmazonのおすすめアルゴリズムなんてたいして高尚なAIを使っているわけでもないのだろう。SNSのTLに気に食わないポストが流れてこないようにするには、好きな音楽とかゲームに関するポストを検索しまくって、そういったものをスマホの画面にしばらく表示させて「滞在時間」をAIに誤認してもらえばいい。それが一番いい。Trooper Saluteをおすすめしてくれたながまきさんのポストを表示させたまま、朝飯を食い、食器を洗い、薬を飲み、歯を磨いて、着替えてゴミをまとめて出勤しようと思ってスマホを手にとったら、ながまきさんのポストの下に石破茂元首相が出演したTBSラジオの告知ポストがずっと映っていたらしく、あれから私のTLには救国とか売国とかアンパンマンとかの関連ポストが延々と流れてきたらおもしろいのだけれどXのAIはクソなのでまだそこまでの変革には至っていない。

イエスイエスパーフェクトパーフェクト

脳腫瘍病理学会(金沢)では運営というか下働きをやった。会場責任者という名のバグチェックをしたり、演者と座長の手元でカウントダウンされる時計の管理をしたりといった、誰でもできる代替可能な仕事を誰かにやらせることなく自分で引き受けることで、誰もが自分の時間をすこし多くとることができる、というタイプの仕事であった。一方で学会そのもののほうは門外漢として楽しんだ。脳腫瘍の知識がぜんぜんないのに学会の運用をやるというのは「学会業者と同じ気持ち」になることができて便利である。とはいえ私も今の職場に居続けるならばこの領域の知識をこれから取得していく必要があるので勉強はしておかなければいけない。門前の小僧ならぬ演台前の虚像としてたくさんの発表を見聞きし、いつしか脳腫瘍領域は私の第2の故郷となり、そこで子を産み、育て、そして死んでいった。

あまりにこの業界に実績がないので事務以外の仕事はほとんどしなかった。そんな中、ふたつだけ請け負った演台上での仕事が、全体懇親会での司会業務と、特別企画「Meet the legends」の司会というものであった。全体懇親会の司会業務なんてものは誰がやってもいいのだ。だって誰も見ていないのだから。つまりこれも代替可能な仕事であり、だからこそ誰もが押し付けられる可能性があって、すなわちそこを私が引き受けることで、このどうでもいい仕事を託されてうんざりしたかもしれない若手を一人救うことができるのである。もうおわかりかと思うが、「誰がやってもかまわない仕事」を率先してやるのが好きだ。タスクシフトがどうとか「医者には医者にしかできない仕事があるのだから」とか言い出す中年の語りは話半分に聞くようにしている。全体懇親会の司会は日本語を私が、英語をロシアから来た留学生が担当することになった。よく考えたらふしぎなものだ、ロシアから来た留学生にロシア語ではなく英語をまかせるというのはなんなんだろうという気がする。日本人は、もしくは私は、ただ英語がへたというだけじゃなく、「第2言語としての英語ですらへた」なのかなということはうすうす気づいてはいたのだけれど。その留学生の名前が読みづらかったので本人に直接たずねると、名字のほうはあまりカタカナではしっくりこない発音だったのだけれど名前のほうはわかりやすくてユリアというらしい。ユリアってロシア系の名前だったんだな。北斗の拳のユリアも言われてみればロシア人っぽい顔に見えなくもないな。

午前中に学会の受付で招待演者にネームカードを渡す仕事をしていたとき、なんかどっかの国からやってきためちゃくちゃ有名らしい(私は知らない)脳腫瘍病理医のアルダペさんという人に、これはあなたのカードだよ、ネームホルダーはそっちにあるから自分でやってくれよ、あなたの出番はこのあと2Fではじまるよといいうのをカタカナでダーッと伝えたところ、アルダペさんはこっちをまっすぐ見てニコニコしながら「perfect!」「perfect!!」「perfect!!!」と3回言った。ほう、英単語を3回連続でしゃべるだけでも、「英語が話せるようにみえる人」ならばなんの問題もないんだなと、私は妙な感心をした。そのことを覚えていたので、ロシアのユリアと司会のリハーサルをやったときにロシアのユリアに向かってperfectだねと3回ほど伝えてみたらユリアのロシアはなんだかすごくうれしそうにありがとうと言った。ありがとうアルダペ先生、今回の学会で私はあなたの講演を聞きにいかずに裏番組のシンポジウムで時間をはかっていたけれど、とても大事なことを教わって、ユリアのロシアに喜んでもらえたよ。これからはgoodとかniceとかfantastic以外にperfectを使っていこうと思う。かつてモンゴルで大阪国際がんセンターの上堂先生が、英語ペラペラのモンゴル人と、猛烈に複雑な話題について「イエスイエス!!イエスイエスイエス!!!!」というシンプルな相槌だけでどんどんコミュニケーションをとっているのを見て、ああ、こういうことなんだな、語学というのは少なくとも私の場合はこっちを目指していくのがよいんだろうな、とうっすらぼんやり考えたことを思い出した。

あと、もうひとつ、Meet the legendsのほうだけど、これは業界の誰もが知ってるレジェンド=伝説級の方々を3名壇上に上げてべらべらしゃべってもらう、という雑なんだか手が込んでいるんだかわかりづらい企画で、まあこの企画を立てたのは私なんだけど、大阪基盤研の中村祐輔さんと、藤田医科大学の佐谷秀行さんと、病理医の市村幸一さんという、説明するのも野暮な方々に思い出話をしてもらうセッションの座長をやった。この座組で座長が私だけというのは完全に失礼なのでさすがに東海大学の脳神経外科の教授をやってる高橋先生という方にメインの座長をたくして私は結婚式の司会役みたいな「うるさいけど誰も見ていない人」を、前日の懇親会の司会と同じノリでやることになった。できれば若手にたくさん聞きに来てほしかったのだが会場を見回すとベテランというか教授ばかりいる。Legendをlegendとして感じられるのにはある程度の経験というか常識が必要なのだなと、壇上で自分の立てた企画の欠点に今更気づきつつも、legends3人のお話しがきちんとおもしろかったので私は楽しかった。終わってから楽しかったですねと知人にいうと目を丸くして「お前、もうちょっと感想あるだろう……」と言われ、そこはperfectと言ってほしかったなと私はくちびるを歪めて拗ねた。









謝罪

脳腫瘍病理学会に参加。本学が主催なのだがアジアの脳腫瘍病理学会と共催する都合上、開催地は旭川ではなく、札幌ですらなくなんと金沢で行う。主催なのに遠方。おかげで人員が足りなくてたくさんの仕事を少人数で請け負う必要がある。まあほとんどの仕事は金沢大学脳神経外科のスタッフがやってくれるので、我々はたいした仕事量ではないのだけれど、それでもここは、メンツというやつで、「さすがに旭川勢もたくさん働かないと寝覚めが悪い」という理由で、朝から番までなにかかにか働いている。金沢に来てからずっと走り回っている。あるいは延々と座り続けている。健康に悪い。医者は健康に悪い。医学は健康に悪い。学会は健康に悪い。

脳腫瘍病理はぜんぜん私の専門ではないのだけれど、いろいろと興味深く奥深く、計時や受付のしごとの合間につい発表を見入ってしまう。専門じゃないんだけどな、そんなの関係ないのかもしれないな。おもしれー! とは言わない。だって今見ていることの裏には患者がいるからだ。死んでいったたくさんの患者がいるからだ。おもしれー! とは言えない。けれど、学術というのは、ときに残酷なまでに心を沸き立たせる、思わず、おもしれー! と言いたくなってしまうこともある。必死で踏みとどまるのだがしかし、そういう側面は必ずあるだろう、ということもぼんやりと感じている。

沸き立った心を使ってお茶を淹れる。沸騰した気持ちをただ蒸気にするのではなくてなにかを淹れたり蒸したりすることに使って別の形に仕上げていく。その一連のプロセスの中で、どうしても、「おもしろい」という味わいが抽出されてくる。決して、患者の病のことをおもしろいと思っているわけではないということは、わかってほしい。そうではないのだ。わかっている。私もこの歳になれば、脳に限らない、病気に命を奪われた人たちのことをいくつも思い起こす、自分の体験に立脚した悲しさとか悔しさだって、人並みには持っている。けれどもそれとは別に、やるせなさ、怒り、そういった熱量によって燃え立った心を、茶葉に注いで何かを成していこうとする過程で、「おもしろ味」みたいなものがじわりと出てくる。そのことはわかってほしい。

ものすごくたくさんの言い訳を用いないと、私は自分のやっている仕事を堂々と「おもしろい仕事だよ」と言えないような気がしてならない。



思えば私はとても恵まれた人生を送っている。なぜならどれだけ心身ともにぼろぼろになっていても、自分のやっていることを全体的におもしろいと思っているからだ。それは病の理を探る仕事をおもしろいということに等しいが、病そのものをおもしろいと思っているわけでは……いや、ぶっちゃけ、病の理そのものは、なんだかおもしろいなと感じてしまうことはある。申し訳ない、ほんとうに申し訳ない。これで苦しみ悲しむ人がたくさんいるということは心の底からわかっている。それでも私は、この、病に鋭く潜り込んでいく仕事というものを、つい、おもしろいと思ってしまうことがある……。