ロストエイジ

急遽中国出張が決まり、3か月後には大連に行ってくる。2度目の中国だ。講座にいる中国人スタッフを連れて行こうかとも思ったのだが今回は予定が合わないようである。大連では英語より日本語のほうが通じるというし、WeChatも含めて中国の翻訳環境は整っているので、ことばの問題はあまり心配していないのだけれど、中国の医療の発展速度が早すぎて、半年くらい見ないでいると猛烈に先に進んでいるので、専門性どまんなかの消化管病理の領域とはいえ私が通用するかどうかが一番問題であるし心配だ。通用しなかったからといって向こうに悪いことはさほどないので(というかどうでもいいと思われているだろうし)その点は国内の講演よりも気楽だ、しかし、自分が通用しない場所で働くというのは胸をサンドペーパーで磨くような痛痒を伴う。死にはしないが不良肉芽となっていく。

それはともかく直近の仕事が忙しい。画像・病理対比のプレゼンを作る。十二指腸乳頭部(7/16)、乳腺(7/25)、胆道(7/26)がまだ完成していない。うしろのふたつは1時間半の講演に仕上げる必要がある。抱えているものが多くて大変だ。ぼうっとする。しかし、若い病理専攻医たちを見ていると、今の私はこれでもずいぶんとラクになったんだよな、と思ったりもする。


病理医になるにあたってはたくさんのタスクをこなしていかなければならない。たとえば病理解剖に関する一連の仕事。解剖をするということ自体がそうとう大変な労務であり、予測できないタイミングで解剖が入るとその日の仕事の予定がぼろぼろになって数日くらいはリカバリーが必要となるが、じつはそれ自体が大変なわけではない。解剖が終わってもやることはたくさんある。解剖の際に取得した肉眼所見をただちにまとめて中間報告をする。肉眼所見をもとに臓器を切り出す。できあがってきたプレパラートをたくさん見る。追加の染色なり免疫組織化学なりをオーダーしてまた見る。追加の免疫組織化学などをオーダーしてまたも見る。その繰り返しの末に、全身の臓器に対する診断を考え、文献を検索し、臨床とのカンファレンスの準備をし、臨床医たちとの予定をすりあわせて、カンファレンスを開催する。ここまでやって「1例」、そのような病理解剖をいまは24例やらないと、病理専門医試験を受けることはできない。

この、「専門医をとるまでの立場」の間はずっとパノプティコン的な緊張を強いられており、何をしていても良くない、足りない、満ちてない、という圧が常時かかっていて本当に大変だ。病理医に限った話ではなく、医師だけに言えることでもなく、国家資格をとってからさらに専門性のために免状を追加で取らなければいけないタイプの医療従事者に、みなあてはまるものだと思う。

現在、病理専門医試験を受験するために必要な病理解剖の経験数は「24例」である。ベテランの病理医は「たった24例」という。なぜならむかしは専門医試験を受けるのに必要な数が50例だったからだ。でも、大学病院が年間に50~100くらいの解剖をしていた20年前とは条件が異なる。当時の技師の解剖に関するサポート力は絶大で、解剖にかかる時間は今の半分くらいだったし、臨床の画像診断の解像度が低かったぶん、事前に要求される事項もそこまで細かくはなかった。病理解剖数が激減し、ひとつひとつの依頼が「重く」なっている昨今はなかなかに大変で、私がかつて専門医になるために施行した50例の解剖よりも、おそらく、今年専門医を受ける医師が施行した24例のほうが、費やしている労力は大きい。

そして今の専攻医はほかにもたくさんやることがある。解剖以外にもカンファレンスがひっきりなしにあって、毎週なにかの発表やすりあわせをしていかなければならない。ルーティンの業務だって指導医ほど高速でこなしていくことはできない。学会発表のプレゼンづくりにも時間がかかる。論文だってそうだ。そして何より、20代後半から30代前半にはライフイベントが集中する。そのくせ金がないからバイト(臨床医として診療を1日やる、とかを含む)もしなければならない。私と年の近かった先輩たちの中には、寝当直ばかりしてちょっとした財産を築き上げつつ、先輩たちにいろいろとある種のおこぼれ的な便宜をもらいながらさほど苦労せずに病理専門医をとって「これで食いっぱぐれない」みたいに胸を張っていた人間がいた。けれど今の専攻医にそんな余裕はない。どんな業界にも言えることだが病理医の世界もそうだ。

かくいう私は、病理専門医の取得に関するあれこれはそこそこしっかりやったほうだと思うし、そこはなんか、向いていたというか、さほど苦労はしなかった。けれども若い頃は大学院でうまく行かない研究(それは最後まで一度もうまくいかなかった)をなんとかするべく毎日深夜まで論文を読みまくり、でもそれらははっきり言って「ただ読んでいただけ」で、なんの役にも立たなかったし、つまり私は臨床と研究の二刀流をやりたいという美学のようなものにザンブと浸かって溺死していた。あの頃の、「何と何とをこなさないと一廉の人間になれない」と感じるプレッシャーは、今の比ではなかった。過去を美化しすぎか。べつに美しくはないけれど。


今の私は単純に忙しい、昔なら信じられないくらいの量の仕事をしている。でも、これらはもしかすると「やってもやらなくてもじつは大丈夫な仕事」ばかりで、いや、もしかしなくても、すべて代替可能で私が明日とつぜん遁走したとしても一部の臨床医や病理医が一時的にブチギレるだろうがその影響は半年もすればすべて回収できる程度には私がやらなくてもいい仕事。おまけに私の今後のキャリアにも年収にも関係ない仕事。じゃあなんでやっているのかというと私の大切な大切なお気持ちのためだけにやっている。「望んで忙しくしている」案件ばかりだ。そして私も経験を重ねた、やはりスキルはアップした、だからひとつひとつの仕事自体にかかる精神的なストレスなんて昔と比べれば天使の羽(ランドセル)くらいの軽さである。あのころ、「何になれるかわからない」と慟哭しつつ、不安定なプライベートも含めていろいろ煩悶したり韜晦したりと忙しかったころ、に、比べて今は本当にラクになった。ただし体はズタボロだ。それは単純に私が年を取って、肉体的にも精神的にも体力がなくなっているからだ。まあ、ラクにはなったのだ。若い人、がんばるとそのうちラクになるぞ。体力さえ続けば。


今の私は高望みも後悔もどちらも必要ない。ただ、私の今の仕事の内容とか分量を、たとえば35歳ころの私が引き受けていれば、体力的には余裕だったろうなあということは悔しく思わなくもない。でも私が今の仕事をするのにこの20年の彷徨は必要だったのだ。だからしょうがない。それに、35歳のころ、今のように何もかも投げ捨てて仕事をしていたら、そんな人生には疑問符がいっぱいついて、トゲの先の丸まったウニもしくはクリみたいにイガイガになっていた。何度振り返ってみても、こうしかできなかった、私の場合は、そしてそんな私は今、たぶん、昔よりすごくラクをしている。しんどいのは年のせいだ。悲しい結論だがずっと望んでいたことなのかもしれない。

俺は知らない見たことはある

荒野を延々と歩き回っているかのように足の裏がじんじんとした、いや、正確には、足から返ってくる血液が私の心臓を下からどくどくと突き上げているような感覚があった。そして目が覚めた。時刻は5:27で、毎朝の、ブログの告知をする時間ぎりぎりで、この時間より遅く目が覚めたときには私のブログの告知は遅くなるが、これよりあまりに早く起きてしまうとかえってブログの更新告知を忘れてしまったりもする、私にとっての端境となる時刻、それが5:30で、私はこの日、5:27に目が覚めた。覚めた瞬間から夢の内容は一切忘れていたが、私は心の中に猛烈なさみしさがしっかりと質量をもって残っているとはっきり感じた。顔がごわごわとして、頭皮の毛根が私を押さえつけているように思った。今、哀しさの中にいる、と理解した瞬間に、猛烈な勢いで涙が流れ始め、驚いた。哀しみの対象はないのだ。自分のことを哀しむわけでも、他人のことを哀しんでいるわけでもない。しかしただ哀しいという気持ちだけが私の中に充溢し、毛根から溢れて周囲に蒸散して表皮の周囲5 mmくらいを雲のように包んでいて、私は自分の手を涙まみれの眼球越しに見た、すると、その手の表面にうっすらと乗っかっている大気の、成層圏のあたりで、世界から降り注ぐさまざまな情報が、大気圏突入する宇宙塵のように燃えて消えていくのが見えるのだ。驚きは止まらず、涙も止まらないまま5分ほどが経過した。顎までびしょびしょになってさすがに始末が悪いなと思って立ち上がり、ティッシュを取りに行くために1, 2歩歩くと、まるでセミの幼虫が殻を脱ぎ捨てるかのように哀しみの被膜が後ろに置き去りにされて、ベッドの上で青白くくすんで崩壊していくのである。もう涙は出なかった。しゃくりあげるような横隔膜の動きはもともとなかった。私はなぜ顔が濡れているのかわからないという不思議な状態に置き去りにされたかのようだった。

この話を職場の数人にしてみたところ、鬱病になっているのではないかとずいぶん心配されたが、私はそういうのとは違うと感じた。ストレスで統合失調症を発症するときのそれともちょっと違うと思った。そういうのとは別に、私は、ストレスと疲労で、おそらく自分の中にある哀しみの核のようなものに触れて、それが本当に哀しみの核だったからこそ、正しく反応して泣いたし、それは核であって本当は内奥になければいけないものだったから、目覚めてしばらくして覆いが戻るにつれて涙は引いた、ただそれだけのことだったのだろうと思った。でもこのことを人に説明するのはなんだかとても難しいなと思った。

ドパ楽毅

助成金の申請が通った、採択された。はじめてだ。うれしい。教授と握手した。またすぐ次の申請書を書こう。アメリカの大須賀は四六時中申請書を書いていると言っていた。私は彼とはまるで生きている場所が違うし研究の規模もぜんぜん違うが、でも、その心づもりみたいなものは真似してみたいものだなと思った。次の申請書を書こう。

しかしこのへんで猛烈な眠気が来た。顔にふたつほど皮疹が出ている。さすがに疲れすぎているようなのでめずらしく19時台前半に仕事を切り上げて帰った。昨日、夜更けのスーパーに駆け込んで一週間分の食料を買い込んだばかりだからさほど買いたいものはないのだが、せっかくなので果物など買ってみよう、連日のスーパー。でも、今ナイフを使うと指先を切りそうだなと思って皮を剥くタイプの果物を買うのをやめる。結局マリービスケットだけを買って家に帰る。さあどうする。いつもより時間がある。シャワーを浴びて飯を食って片付けて、いつもはそこで寝るだけだが、今日は時間がある。シャワーを浴びながら考える。どうしよう。どうしよう。

Nintendo Switchは置いてきてしまったから今この家にはない。本棚。一度だけ読んだ本が並んでいる。いくつか抜き出して読めば、おそらく今晩をいい時間にできる、わかってはいる、しかし、今日は気持ちが切れすぎている。文字を読める気がしない。まぶたが落ちそうだ。さっさと寝てしまおうか。でも、あまりに早く寝ると未明に目が覚めてしまい、明日の日中に悪影響が出る。Netflixで古畑任三郎でも見ようか。ピントフリーズ現象で端末がやけに遠く感じるだろう。今、そういう目だということがなんとなくわかる。

いっそ職場で新しい申請書でも書いておけばよかったなと思う。

うっすらと壊れ始めている。

シャワーを終えて体を拭き、部屋着に着替えて、もう、あとは自動的だ。大量の乾燥お揚げをたんざく状に切って耐熱どんぶりの中にネギといっしょに詰め込んで上から絹豆腐のばらしたやつと乾燥わかめをふりかけて水を張ってレンチン500wで3分30秒。大量のキャベツを切って塩昆布をふりかけて一皿完成、大柄なサバを皮から両面焼いて、小分けにしてある冷凍米を解答。耐熱どんぶりに少なめの味噌をといてこれで4皿だ。15分でボリューミーな晩飯を作りわしわしと食べる。胃が野菜や魚や米をとても喜んでいる。洗い物を15分。食器はすぐにふきんで拭いてシンクのヨコに並べて寝るまでの間に乾燥させて、睡眠直前には戸棚にしまう。水回りも毎日きれいに拭く。浴室も毎週1度はバスタオルで拭いておくとよい。家を出るときにどこもかしこも乾いている状態にするといい。そうすると部屋がいつまでもきれいに保たれる。

今、私は料理が楽しいし、家事が趣味だ。さらにいえば、炊事洗濯のレベルに達しない名も無き家事の数々によって、かろうじて人間でいられている。ほかには何も趣味らしい趣味がない。なぜこうなっているのかな、と考えている。ふと気づく、家事というのはつまりは仕事だ、つまり私は、仕事を終えて家に帰り、趣味の仕事をして、それで人心地を取り戻している。そうか、私は本当は帰りたくないしずっと仕事をしていたいのだ、でもそういうことを言うと世間からも知人からも怒られるから、ちゃんと趣味があるよという顔をして、家事を仕事のようにこなしてドーパミンを得て満足している。

脳内麻薬に惑溺する昌国君のことを考える。諸葛孔明もそうなりたかったのだろう。私は彼とはまるで生きている場所が違うし研究の規模もぜんぜん違うが、でも、その心づもりみたいなものは真似してみたいものだなと思った。次の申請書を書こう。

新作の準備

『俺だけレベルアップな件』のコミックス版が完結した。話はおもしろいのだが作画がものすごく見づらい。アニメのセル画(というのも死語だろうが)っぽいフルカラーのマンガで、集中線とか効果線の類がほとんど使われていないため、バトルがはじまるとどのキャラがどちらに向かって移動しているのか、どの力がどの方向に放たれているのかを瞬時に理解することができない。キャラが立ち止まって、あるいは座って、なにかを語っている間はよいのだけれど、バトルがはじまるとわけがわからなくなる。研ぎ澄まされた現代のマンガの技術をあえて使わずに書かれているのか、もしくは、これがポリシーなのかもしれないが普通に読みづらい。それでも25巻、読み通した。いい最終回だった。なぜならちゃんと終わったからだ、ラノベ原作のマンガはとにかく終わりが見えない。昨今の創作物の作者たちは成功した一冊で死ぬまで稼げと言われているような気がする。『俺だけレベルアップの件』、終わっただけでも本当によかった。最終回までちゃんとタイトル通りだったのも地味によかった。

あらゆる仕事には最終回を用意しておくべきだ。そして、終わったら少し休んで遊んで、食っていくために次回作に入る。その繰り返しが大事なんだろう。簡単なことではないけどな。

私は前職を辞してからも前職の縁を切らずにいくつかの仕事を続けている。それはまるで終わりのこないラノベのコミカライズのようだ。サーガになる前にきれいに畳んで、あとはスピンオフでもちょろちょろ書きながら、全く違う物語に入ったほうがいいのだ。そうしたほうが読者にとっては優しい。そういうことを、最近はうすうすわかってきている。けれど、そうできないでいる。終わりのない連載を何本か抱えている。そのことに飽きもするが、そのおかげで生かされているという面もある。レベルアップのスピードは鈍化している。しかしここで何もかも捨てて今の興味だけに走っていくようなことを私はできない。飽きてはいない。やることはいっぱいある。でもこの先私は、どこかで「選ぶ」ことをおそらく迫られるのだと思う。そこで私は、選ぶなんて方便だ、私たちがやっているのはいつだって微調整だけなのだと、おそらく声高に抗弁するだろう。



暫定報告

ウェブで会議に入っていたら、元締めにあたる人が、「ガントチャートってぜんぜんわかんないんだよなー、頭に入ってこないよ」と言った。私は、そうか、このチャートがわかりづらいと思っていたのって私だけじゃなかったのか、と、なんだかめちゃくちゃ安心した。


診断一致率調査とか、新診断基準を用いた診断一致率調査とか、そういう話を延々とやっている。私が主導するメインの研究というわけではないけれど、私はこういう研究をしっかり勉強したほうがおそらくいいんだろうと思う。心ある方々のおかげで門前の小僧をやっている。習って経を読む。



専攻医が8月には病理専門医試験を受ける。それにそなえて科として勉強会をやろうということになった。

バーチャルスライドのケースセットが何百例かある。毎日、専門医が交代交代で、1日15問ずつ、プロジェクタにバーチャルスライドを表示させる。それを3名の専攻医が見て、それぞれ順番に診断名を答えていく。古典的な勉強会だ。しかし、あらためてこういう、「純粋に顕微鏡像だけを勉強する会」というのに出ると、なんというか、自分の病理医としての最もプリミティブな部分が喜ぶ。


やりたい仕事、やりたくない仕事、やってこなかった仕事、思いもよらなかった仕事。


医学界新聞の記事の校正刷りが送られてきた。またもインタビューだ。そんなつもりはなかったのにまんまとろくろを回している。刑部カメラマンは書籍『がんユニ』で3年ほどご一緒し、いまや盟友となった。しかしまんまとろくろを回したなあと苦笑している。7月頭くらいにたぶん発刊になってネットでも見られるのでよかったら見ておいてください。この記事で対談した相手と、かれこれ何年も裏でいろいろ相談してきたのだけれど、そろそろ表に出て活動を開始する。私が主導するメインの人生というわけではないけれど、私はこういう人生をしっかり運用したほうがおそらくいいんだろうと思う。