研究会で懇親会があったのは木曜日だ。そこから5日経った昨日、夜中に、若い病理医から丁寧なメールが届いた。「懇親会で無礼な言動をしてすみません」とお詫びが書いてある。何度か読んで混乱した。なにが? どれが?
おそらくだが同席したほかのドクターに何か言われたのだろう。昨日きみは市原にだいぶ失礼なこと言ってたぞ、お詫びしときなさい、とか。
まいったな、と思った。そして、これは私の責任だなと思った。
先に書いておくと、その若い病理医は私にたいして何も無礼な言動はしていない。それどころか、懇親会では率先して店を探したり会話を回したり会計の手続きをしてまわったり写真を撮ったりと、ほんとうによく気がついてくるくるとよく動き回って、好印象でしかなかった。つまり、私は本当に「謝られる意味がわからない」。ただしこれをより正確にいうと、「謝られる意味はわからないが、謝られる構造はわかる」。カマトトぶって「えっ何が~わかんないわかんない、謝まんなくていいよぉ~」みたいな「馬鹿のふりをしているがじつは聡いギャルタイプのホスト」として胸の前で手を小刻みに振っていてもしょうがない。私は、あの日、その若い病理医が、謝りたくなるような存在だった。
私は懇親会の席で、47歳である自分の単純な見た目・社会的な見た目を考慮することなしに、「多動の30代」くらいのノリで振る舞っていたのだと思う。「思う」というのがまたよくないのだ、本来であれば、自覚してコントロールしていなければいけないのだけれど、若手病理医からのびっくりするような謝罪メールを見てあらためて自分を分析すると、たぶんそういうことだったんじゃないかなとようやく気づく、ということだ。
それは、たぶん、若い人間からすると、すごくやりにくかったのではないか、と思う。
思えば今の私は、相手が40代くらいなら、基本的にいつも下から目線で敬い以外の何も表面に出さない。これは悪いことではないと思うのだけれど、そのことを徹底しようと思うと、気付かないうちに自認が30代になる。だから、話し相手が30代くらい、つまり自分より10も15も下の人間のときに、「タメ」の感覚が出てきてしまう。本来ならば47歳の相手にすべき「タメ」の言動が、30代の相手に対して漏れ出てくる。それは間違いなく恐怖の対象だろう。一回り以上年齢が上の人間が、「私なんてとてもとても」「まだまだです」「実績がないんで」などと謙遜をくりかえすと、下の人間にとっては、「こういう人間を敬うための装置を用意してそれを起動させないとこの場にいつ火が付くかわからない」という、クリアと罰の基準が両方わからないデスゲームに強制参加させられた状態になってしまう。あと、単純に、たどりついた雰囲気としては「若手と話を合わせようとチラチラこっちを見てくるおじさん」と区別がつかない。ドライバーミューテーションは違うがフェノタイプは一緒、みたいな感じに近い。
これまで人の少なかったこの業界で長く下働き・下っ端・奴隷として働いてきて、「慇懃無礼だから君のことはこれからインギンオブジョイトイと呼ぶよ」などと言われながら、永遠の部下ポジションとしてやってきた私は、しかし、札幌のいち病理医として働いていた間は、どこか、大学やハイボリュームセンターの人間から、「いろいろ得手はあるのかもしれないが、それはそれとして単なる市中病院のコマ」と安心されてきた。「こいつ、ずいぶん謙遜するけど、でも、実際に下の人間だからな」と、どこかで思われていた。でもポジションが変わったことで、私の内在していた圧がわかりやすくなったように思う。元はなかった圧、ではなく、いつ吹き出してもおかしくなかった圧が、火口からはっきり視認できるようになった。つまり私は、私自身は何も変わっていないし、親しい人間からしたらそんな当たり前のことは言うまでもないので逆に身近な場所では話題にも登らないのだけれど、ふだんあまり付き合いのない界隈からすると、「ふつうに年齢相応」の人間としてわかりやすくなったのだと思う。そのことに私はまったく自覚がなかったわけでもないのに、懇親会の気楽さで、ちょっとはめをはずした。つまり、懇親会で本当に無礼なことをしていたのは私だったのだ。私がしっかり礼を認識していたならば、あの場で私は、会話を盛り上げようとも、受け答えを楽しもうともせずに、周りの70代・80代の病理医と同じ顔で(これは誇張ではなくほんとうにそういう場だった)、静かに笑い、なるべく偉そうにしゃべり、自らの経験を問わず語りし、空気を読まずに英霊のように実績を見せびらかして、「若手が近寄りがたい中年」を徹底していたはずだ。でも私はそれをしなかった。フランクな、話の分かる、隙があって弱さもある、付き合いやすい病理医、みたいな顔をしていた。それは単純に今の私の見た目や立ち位置からしてミスマッチだった。そういうところが若い人間に「逆説的な圧」を与えた。私は47歳の中年男性として、「若い人間からは決して理解しきれない、めんどうな中間管理職」らしく振る舞うべきだったのだ。そのほうが、相手する人間たちからしても、「型通り」の接し方でよく、だいぶ楽だし、こんなに気を揉むこともなかったであろう。
夜中、Gmailの着信したスマホを片手にフリーズした私は、これにどう返事をするか悩んで、結局ひとばん待って、翌朝出勤して、デスクのPCを立ち上げてメールソフトを起動させる。
しかしだ。
この関係は、修復しないほうがいいのではないだろうか? だって、ここで、私がフォローにフォローを重ねて優しく明るく「そんなことないんですよ、これからも仲良くしましょう」みたいなことを書いたら、それこそ、「47歳の病理医っぽくない返事がきた!」と相手を怖がらせてしまう。私はもう、このまま、「30代からすると付き合いづらい病理医」として、つまり、世間一般の40代後半と同じようなハコに放り込めるわかりやすいキャラクタのまま、やっていったほうがよいのではないか。
そう思った。しかし、指は、いつものようにメールを打っていく。これを送るとまた、相手には圧がかかるんだろうな、懸念をしたけれど、私はメールを結局このようなことばでしめくくった。
「これからもご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申しあげます。市原 拝」
拝 じゃないのだ。怖いだろう、むしろ。