新作の準備

『俺だけレベルアップな件』のコミックス版が完結した。話はおもしろいのだが作画がものすごく見づらい。アニメのセル画(というのも死語だろうが)っぽいフルカラーのマンガで、集中線とか効果線の類がほとんど使われていないため、バトルがはじまるとどのキャラがどちらに向かって移動しているのか、どの力がどの方向に放たれているのかを瞬時に理解することができない。キャラが立ち止まって、あるいは座って、なにかを語っている間はよいのだけれど、バトルがはじまるとわけがわからなくなる。研ぎ澄まされた現代のマンガの技術をあえて使わずに書かれているのか、もしくは、これがポリシーなのかもしれないが普通に読みづらい。それでも25巻、読み通した。いい最終回だった。なぜならちゃんと終わったからだ、ラノベ原作のマンガはとにかく終わりが見えない。昨今の創作物の作者たちは成功した一冊で死ぬまで稼げと言われているような気がする。『俺だけレベルアップの件』、終わっただけでも本当によかった。最終回までちゃんとタイトル通りだったのも地味によかった。

あらゆる仕事には最終回を用意しておくべきだ。そして、終わったら少し休んで遊んで、食っていくために次回作に入る。その繰り返しが大事なんだろう。簡単なことではないけどな。

私は前職を辞してからも前職の縁を切らずにいくつかの仕事を続けている。それはまるで終わりのこないラノベのコミカライズのようだ。サーガになる前にきれいに畳んで、あとはスピンオフでもちょろちょろ書きながら、全く違う物語に入ったほうがいいのだ。そうしたほうが読者にとっては優しい。そういうことを、最近はうすうすわかってきている。けれど、そうできないでいる。終わりのない連載を何本か抱えている。そのことに飽きもするが、そのおかげで生かされているという面もある。レベルアップのスピードは鈍化している。しかしここで何もかも捨てて今の興味だけに走っていくようなことを私はできない。飽きてはいない。やることはいっぱいある。でもこの先私は、どこかで「選ぶ」ことをおそらく迫られるのだと思う。そこで私は、選ぶなんて方便だ、私たちがやっているのはいつだって微調整だけなのだと、おそらく声高に抗弁するだろう。



暫定報告

ウェブで会議に入っていたら、元締めにあたる人が、「ガントチャートってぜんぜんわかんないんだよなー、頭に入ってこないよ」と言った。私は、そうか、このチャートがわかりづらいと思っていたのって私だけじゃなかったのか、と、なんだかめちゃくちゃ安心した。


診断一致率調査とか、新診断基準を用いた診断一致率調査とか、そういう話を延々とやっている。私が主導するメインの研究というわけではないけれど、私はこういう研究をしっかり勉強したほうがおそらくいいんだろうと思う。心ある方々のおかげで門前の小僧をやっている。習って経を読む。



専攻医が8月には病理専門医試験を受ける。それにそなえて科として勉強会をやろうということになった。

バーチャルスライドのケースセットが何百例かある。毎日、専門医が交代交代で、1日15問ずつ、プロジェクタにバーチャルスライドを表示させる。それを3名の専攻医が見て、それぞれ順番に診断名を答えていく。古典的な勉強会だ。しかし、あらためてこういう、「純粋に顕微鏡像だけを勉強する会」というのに出ると、なんというか、自分の病理医としての最もプリミティブな部分が喜ぶ。


やりたい仕事、やりたくない仕事、やってこなかった仕事、思いもよらなかった仕事。


医学界新聞の記事の校正刷りが送られてきた。またもインタビューだ。そんなつもりはなかったのにまんまとろくろを回している。刑部カメラマンは書籍『がんユニ』で3年ほどご一緒し、いまや盟友となった。しかしまんまとろくろを回したなあと苦笑している。7月頭くらいにたぶん発刊になってネットでも見られるのでよかったら見ておいてください。この記事で対談した相手と、かれこれ何年も裏でいろいろ相談してきたのだけれど、そろそろ表に出て活動を開始する。私が主導するメインの人生というわけではないけれど、私はこういう人生をしっかり運用したほうがおそらくいいんだろうと思う。

ミラクル

帯広での仕事。昼過ぎのJRに乗るつもりでスタッフにタクシーを読んでもらい、PCの時計をみながらぎりぎりまで働いて、よーしおわり、ありがとうございました、よかったよかった、きりのいいところまでやれましたね、はい、ありがとうございます、ええこちらこそ、ではこれで、ええと腕時計腕時計。あれ? もしかしてPCの時計遅れてました? あっ……あっあれ、JRまであと10分ですか? うっ……じゃ、じゃあ行きますね! 運転手さん帯広駅まで! お客さんバスですか。いいえJRです。おっ……それは……ですね……あのお支払い方法で一番早いのってどれですかねそれはカードですね、カードのタッチ決済かな、ちょっと画面開きながら向かいますね、マジすんません、いやーお昼ゴハンも買ってないんですよ、あそれはあきらめですね(笑)そっすね(笑)ちなみにチケットもまだ発券してないんですよ(笑)それは笑えなくないですかそっすよねマジすんませんうわっ最後この信号の並び奇跡ですね! すごい! 思ったより早くついた! ありがとうございました! まあ奇跡っていうかさっき時計遅れてる時点で負の奇跡すでに起こしてるからこれでイーブンなんだけど(笑)それは笑えなくないですかそっすよね。ここで大丈夫です! ピッ! やったタッチ決済って早いですねありがとうございます。コンビニ突っ切ればすぐ改札よこの発券機に行ける、QRを出しながら歩いて画面数回指で殴ってQRコード読み込み、発券、やったひとまずJRは間に合ったぞ! でも弁当買いたいな、コンビニ戻るか、おっ、ヨコに駅弁売ってるじゃんここでいいや! 今の時間だとこの大盛りの豚丼弁当が100円引きですよ。じゃそれで。あたためますか。あたためられるんですか? はい、じゃあたため……あっ4分後のJRなんですけどあたため間に合いますか、大丈夫だと思いますよ、そうですかじゃお願いします、お支払いは。えっ現金のみ。やば。1万円しかないですマジすんませんいいですよ。あたためめちゃゆっくりですね。じっくりあたたまりますね。おいしそうで何よりです。これ車内で食ったらニオイしそうだな。でもほかの人も食べてますから。そんなに人気ですか。はいさっき1個売れました。1個か。階段を駆け上がる。電車がもうホームにいる。ぞっとする。危なかった。乗り込む。あれこれ帯広始発のやつか。じゃあ危なくなかった。なーんだもう少し余裕あったんじゃん。荷物を置く前にドアが閉まる。おいぜんぜん余裕なかったじゃん。息を切らして弁当を置き荷物を置き座る。呆然とする。30秒くらい。この数日本当に忙しくて全身が痛くなっていたけれど、あと明日、札幌で日中働けばようやく休みだ。8時間程度の日曜日。来週もこのペースなんだよな。がっくりしつつまずは腹ごしらえである。弁当のフタを開ける前から車内には豚丼のニオイがしている、あっまさか、と思うと斜め前の席に座っている男が私と全く同じ弁当を開いて食べていた。4号車の、8Aと9Dに、2つだけ売れた豚丼弁当の、中年男性が揃った。奇跡と言えば奇跡かなと思った。私は奇跡に愛されている。

寝過ごすところでした

京都大学の山本健人とNHKの藤松翔太郎とオンラインでイベントをやった。出張で釧路にいたので早めに飯を食ってしまおうと、直前にコンビニに寄って天津飯みたいなものを買って、いつものクセでビールも買ってZoomをひらく前に小腹を満たし、いざイベントをはじめたときにもそのままビールを持っていたら山本に普通に突っ込まれた。医学書院のウェブセミナーをビール片手にやっていることにおそらく一部の出席者は怒るだろう、何%くらいかな、1, 2%くらいじゃないかな、1000人登録があり、その大半はアーカイブで好きなときにみるわけだが同時接続が150人くらいいたはずで、となるとそのうち1.5人もしくは3人くらいが「もう少しまじめに話してほしい」だとか「本の販促のイベントだというから本を買って臨み、本の裏話を聞けると思ったのに本と関係ない話ばかりされて困り果てた」みたいな感想を送ってくるであろう。そういう直球な感想がまったくないイベントをやってもおもしろくないからそういう感想があったらぜひ医学書院は気遣いで削除するとかではなくて普通に私のところに全部届けてほしいと思う。そういうのを読んだ上で私はまた次のイベントでのやり方を微調整するだろう。選択はしない、選択肢なんてないからだ。オープンワールドRPGでプレイヤーがやれるのはいつだって左カーソルを左手の親指でごすごす撫でつけながら直進する主人公キャラを次のクエスト発生地点までダッシュさせることだけであり、その過程で鬼のように現れるサブクエの、どれとどれをこなそうかと選択しているように見えても実際にはすべてのサブクエをやらなければゲーマーとしての気は済まないのでそのじつ選択なんてしていないのだ、どれを先にやってどれを後にやるかという細かな調整をしているに過ぎない。私の視界に入ってくるクエストに対し、「選ぶ」「選ばない」という二択はもはや発動せず、それは「いつやるか、今すぐか、後でか」くらいの、微弱な首振りの末に結局突進するしかない昔のブラジルにいたほうのロナウドのドリブルみたいなものなのだ。


妻とケンカ、それも冷戦状態に突入している夢を見て、目が覚めたら4時台で、ふたつの意味でほっとした。ひとつはケンカが夢だったこと、もう一つはこの睡眠の仕方で自分が寝過ごしていなかったことだ。このあと始発のJRに乗って次の勤務地に移動する。予定だった業務に加えて昨日、エクストラの仕事が入って私はそれを受諾し、ついでに別の地域から関係者をもう一人読んで同席させるための交渉と調整を昨日のイベントの最中に左手でぽちぽちやっていた。外勤先の技師からはびっくりするくらいやせましたねと言われたが昔の写真を見るとここ数年の私が単純に前よりも太っていただけなので、まだ大丈夫、列車は霧の中を思った以上の揺れで爆走しており私はスマホのアラームを7:47にセットして、あとはこのPCを閉じて仮眠に入る、そのほうがいいような気がする、まあ、1日トータルでみたらいつ寝たところで結局同じくらいの分量しか寝ることはできないのだけれど。

マスクジエンド

九分九厘読み捨てている大学からの告知メールの一つに目がとまり、そうか、そうなんだ、と少し時間を止めて考えた。「今日からマスクは個人の判断になります(※ただし患者を診察する医療者や体調のすぐれない患者にお見舞いしにくる人は別)」みたいなことが書いてある。

そうか。個人の判断にするのか。いや、まあ、私も別に言われてマスクをつけていたわけじゃなくて、自分の判断でこれまでマスクをし続けてきたんだけど、じつは大学からも「言われてはいた」ようである。そうだったんだな。知らなかったが。それが「言われなくなる」わけか。へえ。

病院はいまだにマスク着用が必須のところが多い、それはまあそうだと思う。体調が悪い人、免疫が落ちている人、そういう人の集まる場所なのだから、元気な人が「俺は健康だからマスクなんかしないぜ」とかいう理屈を押し付けてはいけない。私もこれまで病院勤務中は朝から晩までマスクをはずさなかった。耳の裏の皮はすっかり適応してもはやマスクをして耳が痛いなんて感じる日はない(いつのまに角質が分厚くなったのだろう)。マスクのおかげだろうか、たぶん関係あるだろうな、長らく気道系の風邪を引いた記憶がない。2020年からこっち、ほぼ風邪を引いていない(1回あったかもしれない、くらいだ)。マスクをし続ける判断は結果的に私の生活を救った。実際にマスク1枚がどれだけ感染予防効果があるかというと微妙だなと思っていたけれど、手で口周りを触らないとか、まわりの感染予防意識を喚起するとか、いろんな理由で総合的に風邪のリスクは減ったんじゃないかと思う。ただしこれは、私が「風邪を引いても気づかないタイプ」の中年になっていたせいかもしれなくて、でもまあその場合でも、「気づかずにかかっていた風邪を人にうつさなくてすんだ」ということはあったのではないかと思う。

とはいえそもそも患者に会わない病理部・病理診断科においてマスクをし続ける意味がどれだけあったのか。出張の多い私が外仕事で風邪をもらってきて、それを病理部内にばらまくのが申し訳ない、という言い訳を考えたことはあった。その甲斐あってか、幸い、この6年間、私の風邪が部内に蔓延したことは一度もなかった。そういうばつの悪さを味わわなかったのはマスクの功かなと思う。マスクが具体的に役に立つかどうかというよりも、マスクをするくらい日常気をつけている人が職場内にいるという安心感は、多少はあったのかなと思う。

ただ、こういうのはすべて後付の話で、実際はほとんど惰性でこの6年間毎日マスクを外さずにいた。今日からは、どうしようかなあと思う。

大学からのメールひとつでマスクを付けたり外したりというのが腹立たしい、みたいなタイプの人もたくさんいる。そもそもマスクの話は人と共有しづらい。交通ルールを守りましょうという話を昼飯時の話題にするか、いちいち? みたいな感じに近い。ブログ向きの話題ではある。今日から私は、とうぶんの間、病理部内でマスクをしなくなるだろう。マスクありの世界の感染予防のすばらしさをしみじみわかってはいるけれど、人とコミュニケーションする上でどうしても支払わなければいけないコストのひとつとして微弱な感染リスクを計上し、かわりにこれまでよりもちょっとだけ親身なやりとりを手に入れるほうを選ぶだろう。まあ、病理部で人と会ってコミュニケーションすることなんて、それほどたくさんあるわけではないのだけれど。

時間停止を解除。これを忘れると世の中はいつまでも先に進んでいかない。危ない危ない。まあ、進めばよいというものでもない。