80代後半になってもまだ学会でめちゃくちゃ発言する病理医というのがいて、困ったものだと思われたり、一心に尊敬を集めたり、多重の反応を媒介しており、長く生きて活きることでこれだけの化学反応を同時に起こしている時点で是非なくひたすら偉いと私なんぞは思う。その病理医が、最近とある学会で一年にひとつずつ、私に説教をしてくださる。けっこうな幸運ではある。
昨年は、久留米で、「君の病理解説は形容詞が多い」と痛いところをご指摘くださった。ぐうの音も出なかった。私はこの言葉に一年間悩まされた。たしかに私は、「たくさん形容できることこそ病理医のスキル」と思ってやってきた。「組織形態からいかにたくさん言葉を引き出せるか」がテーゼであった。多弁であることがプロの仕事だと感じていた。そこを的確に刺された。
悩みながら一年経ち、今年、鹿児島にて、今度はこのように言われた。「結論までの流れを思い浮かべながら顕微鏡を見ないとだめだ」。昨年とはまた違った意味でものすごくむずかしい注文である。また一年深々と悩むことになる。
だいたいそうやって今は暮らしている。一年後、私は今年とも去年とも違った病理医になっているはずで、その違いがたとえば私とその老病理医くらいにしかわからないようだとだめで、多くの人から見て「ああ、あいつ変わったな」と思われなければなあ、ということを考えて暮らしている。
飛行機のシートポケットに『胃と腸』の最新号を置き忘れてきた。しまった。また買い直さなければならない。NISAもiDECOもやらずに本ばかり買っている。しかもそれは適切な買い方というわけでもなく、このように無駄も多い。垂れ流している。見る人が見たらたぶんすごく説教したくなるだろう。でも、私は私の生活によって「誰かのためになろう」とは思っていない。私は私の生活のことを人前でプレゼンすることもない。病理診断とは違うのだ。だから、病理診断のように私に説教をしてくれる人がいない。一年後、私の金の使い方はぜんぜん変わっていないだろう。昨年と今を比べても何も変わっていないように。
そう考えると私の病理診断というのはものすごく恵まれている。あちこちに師がいる領域でのみ、私は変わる。ほかは変わらない。ほかはずっとこうだ。
や、まあ、師がいない分野においても、人間というのはそこそこ変わる、でも、違うのだ、師のいる場面においての変わり方というものは、ちょっと、なにかが違うのだ。それは「変えてみましたけれど、どうですか?」と、おずおずとたずねて、「おい何をやっているんだ、ぜんぜんだめじゃないか」と、変えたことを怒られ、だから変え、しかし怒られ、その繰り返しの先にいつの間にか、えらく分厚く、ひどくしなやかに、まるで別物に、どうにもいい感じになっている、そういう変わり方であって、誰にも叱られるでもなくただのらりくらりと変わっていくようなものとは決定的に違うのだ。私の病理診断はそうやって変わってきた。だから私の生活よりも、性格よりも、趣味嗜好よりもはるかに、私の病理診断だけは、別様の異形に育っていくはずなのである。