かわいいだけでいいです

車のイグニッションを押すと外気温が表示されるのだけれどどう見ても6℃と書いてある。そうか、そうか、そういう季節か、そうだよな。外は真っ白く霧にむせんでいて、その霧がなぜか魚介の臭いを含んでいるように感じる。霧といえば釧路、釧路は海沿いだから潮の香りがするのはまだわかるがここは旭川だ。なにかバグっている。前回のアップデートでよくわからないパッチをあてて、町の背景情報にミスが出たのかな、などと感じる。そのうち修正プログラムが送られてくるだろう。

体調は悪いままだが仕事のスピードはどんどん早くなる。余計なことを考えなくていいからか、あるいは、風邪を理由に人と話していないからかもしれないが、スッス、スッスと片付いていく。それだけ片付けてもまだまだとうぶん山積みなのだけれど、ま、いいことなのかもしれない。今日はスーパーが開いている時間に帰れそうだ。少しでも多く寝て風邪を治そう、それと、買い物もしておくのがよいだろう。歯磨き粉がそろそろなくなるはずだ、2本くらい買っておくのがよい。冷凍餃子も切れていた、買い足しておくとよい。先日の大須賀覚先生との月例ミーティングで、彼は料理もだいぶやっていると行っていた。パートナーが海外出張の間はワンオペで子育てしながらグラントの申請書も書くことになる、それが忙しいと言って笑っていた。立派なものだ。私も料理はするが今の料理はもっぱら自分の気持ちを落ち着かせるためだけのもので、人に食ってもらうようなものではないからだいぶ楽をしている。今日は少し長めにダイコンをふかしてみようかと思い立つ。

PCをもう一台買えば、家でも原稿が書けるようになるな、ということをぼんやり考える。


近頃、こうしてブログは日記となった。30年前の私がはじめてホームページを作ったとき、そこに書くものが日記ではつまらないなという自意識があったように思う。けれども今は普通に日記を書くようになった。こうやって収まっていく。

10代の終わりの私が作ったホームページには、メインの随想コーナーと、書評のコーナーがあった。高校出たての男のコが好みそうな音の単語選び。ほほえましい。ちょっと前まで昔の自分のことを「恥ずかしい」と思っていたけれど、今はもうなんだかほほえましい。極端さ、見えてなさ、見過ぎ、「何者か」になろうとするあがき、そこに飛びかかってくる、すでにもうオマエは「何者である」と断定してくる社会との摩擦熱で毎日顔をやけどしていた。

随想コーナーには、当時の私がめいっぱいに詩情をのせた文章を3日にいっぺん。それは日記のように見えるかもしれないけれど、私の中ではそれは単なる日記ではなくて「旅日記」だったのだ。私は常に旅がしたかった。根っこは沢木耕太郎や椎名誠の書くものへのあこがれであり、旅が好き、というよりも「旅が似合う人間になりたい」という自我があった。日常の日記なんてつまらないが「旅日記」はよいものだと思っていた。ちなみに今思い出したが、「がんばれゴエモン外伝」のセーブが「たびにっき」で、私はそういうところにも細かく影響を受けていた。

あのころの掲示板によく訪れてくださった幾人かの方々とは全員没交渉だ。そのうち幾人かは、あるいは亡くなってしまったのではないかとも思う。

ホームページはずいぶんと長くやっていたのだけれど、前の結婚がだめになったとき、まず私が家を出て、そのうち前の妻子も家を出ることになって、私はまだローンが残っていたマンションを売った。中古のマンションだったが立地がたまたまよくて、買ったときよりもわずかに値上がりし、ローンは完済できたしなんなら奨学金の返済にもあてることができた。そのとき、契約していたプロバイダを解約したら、プロバイダに紐づけていたサーバもすべて契約終了となり、私のホームページは次の日から一切みられなくなった。あっ、と思ったが、まあ、生活も変わるし、いいか、といってそれっきりになった。そのとき使っていたPCにはまだホームページのデータが残っていたはずなのだけれど、「まあいいか」の余勢で暮らしているうちにPCを買い替え、そうこうしているうちにホームページのデータはどこにも見当たらなくなってしまった。

それっきり私は自分のホームページをもつのをやめた。何度かブログをやって、「脳だけが旅をする」で少ししっくりと落ち着いたのだが、ほら、今更だけど、やっぱり旅をしている。私は何も変わらない。



あのころのホームページを見る方法がじつはひとつだけある。Webarchiveを用いるのだ。当時使っていた短縮アドレスを打ち込むと今でも断片化したホームページのデータを見ることができる。このことに気づいたのはつい最近だ。画像のたぐいはほとんど消失してしまっているけれど、「旅日記」はいくつか辿ることができた。そのうちの一つを貼っておく。



<ボールパークと野球場>

(1999. 3. 21. updated)


"Take me to the ballpark"という歌をご存じだろうか。

アメリカメジャーリーグにおいて、7回ラッキーセブンの前に

多くの球場で流されている歌である。

「私を野球場に連れてって。」

・・・「スキーに」ほどのインパクトはない?

いやいや。


アメリカでは、ベースボールのことを別名

"National passtime"

と呼ぶ。

国家的な、暇つぶし。

ほほう、と、思ってしまう。

アメリカにはアメフトというもう一つの国民的スポーツがある。

それをふまえて、

ベースボールというスポーツの位置どりが決まっている。

地域に密着しつつも、

歴史的な数々のスターを輩出している。

ミクロ、マクロという言葉を問わないスポーツだ。


さらに、野球が行われる球場、いや、

ボールパークにはそれぞれの特色が色濃く出ている。

ファールグラウンドが狭く、ファールボールをサードの選手から

直接手渡されるようなボールパーク。

外野スタンドが3重にも4重にもとりまく、

さながら摩天楼のようなボールパーク。

外野でバーベキューをしながら野球を見たり、

プールに入りながら野球を見たりできるボールパーク。

隣接するマンションの管理人が日銭を取って屋上を開放し、

すぐそばのボールパークで行われている野球を見せているような所もある。


ボールパークとは、すなわち、パーク・ウィズ・ボール。

アメリカの国民は、ときに憩うために野球を見に行く。


高校3年の春。

親父様がオレと弟を2つの野球場(日本の)に連れていってくれた。

かたや、東京ドーム。

もう一つは、千葉マリンスタジアムだった。


テレビで見る野球の熱狂は、

私達が憩うためではなく、燃えるために、

野球を見に行っているような感覚を覚えた。

だから、「アメリカのボールパークの方をみたいなぁ」

などとよく思っていた。

バーベキューしながら野球を見てぇなぁ。


ところが千葉マリンスタジアムを見て。

こんなにきれいなスタジアムが日本にあるのか、と思った。

なんかいいかんじ。すみっこまでエンターテイメント。

テレビで見るのとは違う。

当然球種も選手の顔も見えない。

でも野球を見ている気がした。

そしてオレは憩っていた。


東京ドームを見て。

グッズの販売はすごかった。

試合前の練習から見ていると、

なんかすごくほのぼのした。

遠くから遙かに見える背番号で、

選手の顔も表情も見えるような気がした。 

そしてオレはなごんでいた。


そして今。

オレはテレビを見ながら、ビールを飲みながら、

ときに解説者になりながら、

野球を見るのもまた好きだ。


日本にはにほんの。

アメリカにはあめりかの。

野球場とボールパークの違いは歴然だ。

日本はごみごみ。

アメリカはのびのび。

でもそれでいい。


しかし、バーベキューしながら野球を見るのは

未だに楽しみな夢のひとつ。

いずれのほほんとアメリカに行って、

そのときの事をこのコーナーに書こう。




かわいいな。俺……。

サイトカインの助言

まさかの風邪である、まあまさかというけれどたぶん鹿児島出張だろう。鹿児島空港から羽田への機内で斜め後ろの中年男性がずっと咳込んでいて、振り返って確認はしなかったけれどたぶん今の時期だ、マスクも何もしていなかったことだろう。少しいやだなと思って頭上の空調を私の背中にあたるくらいの位置に向けて「エアシャワー」的に咳きが跳ね返されないかなとか考えていたのだがまあ無理だったのだと思う。不幸中の幸いというか、その後、妻が泊まりの仕事にでかけ、私もさっさと家を後にして少し早めの仕事に向かったのはよかった、誰も計算はしていなかったがトータルではファインプレーだ。その夜からなにか喉に違和があり、そこから今まで延々と不調が続いている。あそこで妻と普段通り過ごしていたらうつしていたかもしれない。幸い妻の体調は好調でまあそれは本当によかったなと思う。

喉に何かへんな感覚がまとわりついているなと感じた夜、私にしては珍しく、ずっと眠れなかった。朝までうとうとしては起きる、うとうとしては起きるを繰り返し、細切れに睡眠はとっていたのだとは思うがじつに奇妙なざわつきだった。今にして思えばあれは体の中でウイルスが跋扈し、私の免疫がサイトカインの狼煙に火を付けて回っていたまさにそのタイミングだったのかなと思う。血液の中のざわつきが目を冴えさせたのだろう。次の日はまず全身の痛みからスタート。喉は大したことがなかったが昨日の夜のあれが「侵入者の痕跡」だったのだろうなと感じた。ただ熱がないのでそこまでつらくはなかった。なんだ、この程度で終わっていくのかと思いきや、そこから2日、体の痛みが引くと今度は喉がだんだん痛くなってきた。2種類くらいのウイルスに時間差でやられていた可能性もある。喉はだいぶよくなってきたけれど未だに痛みはある。今週はずっと調子が悪かった、なるべく人に合わないように働き、結果、講演もでき、抄録も書け、ある教科書の原稿もゼロからいっきに8割のところまで仕上がった。サイトカインのざわめきのたまものだろうか。

ついにメガネのイケメンからメールがきて、例の本の執筆をはじめることになる。サイトカインと話して決めたことなんですが、今回の本、本格的に書き始めたら、書き終わるまでブログの更新をお休みにする気がします。どうもそれくらい集中しないと書き上がらない気がする。ただ今日すぐやめるというわけでもない、まだ書かなければいけない原稿が3本あって、ひとまずはその3本を書き終えてから、本の原稿に取り組む予定だ。今のところ執筆開始予定は11月末から1月末のどこか。そこでこのブログもいったんおしまいです。

指先のリアリズム

ひさびさにまとまった強さの風邪をひいている。熱が上がらないのでなんとなく出勤できてしまうのだけれど(同室に基本的にスタッフがいないというのも自己隔離の必要性を下げる)、体が重く、関節が痛く、喉が腫れたり治ったりを繰り返す3日間くらいを過ごしておりスタッフミーティングも最小限にしている。タイミングが悪いことに先日かなり多額の研究費の分担金をいただけることが決まり、割り振られたタスクをやり遂げるためにも、その後の研究に続けるためにも、資金をいかに使ってラボを発展させ、ひいては本学のまわりの講座やたくさんの教員たちにもなんらかの形で還元をしつつ、学術の発展に地道に寄与する、そのための地ならしのメソッドを、朝から晩まで考えながら通常業務をこなす。コンサルテーションをする。教科書の原稿を書く。プレゼンを作る。自分の名前が乗らない上に直接私の専門性とはあまり関係のない仕事であっても頼られたらうなずいて粛々すすめる。前の職場の関連病院の研修医が出る発表に同席するために東京での授賞式をキャンセルすることにした。「優先順位」という言葉を用いて幾人かに諭されたのだけれど、今も昔も基本的に私の優先順位は「頼まれた順」ということにしている。10年ほど前、札幌の研究会に出るからと言ってフランスでの発表を断ったとき、チャンスを失ったねと言われたが、そのころやりとりをしていた多くのドクター(札幌も、フランスも)とは今も仲良くやらせていただいているわけで、まあ、なんか、そんなに失ってはいないのかなと思う。

失ったのはおそらく人間味だ。料理以外にはもうなにもしていない。SNSのおすすめフィードはひどいものになってしまった。これがおすすめだというならば私はもうSNSには適合していないのだろう。世間との価値観のずれを感じる。みんなといっしょのほうが大多数の人が喜ぶコンテンツを楽しむことができて得だろうなと思う。

「エルマーとりゅう」に出てきたのだと思うが、おばあさんが少年に向かって、「指先というのは話す相手に一番近いところにあるものだからきれいに保ちなさい、爪はきれいに切りなさい」と言っていたのをずっと覚えていて、職場という職場に爪切りを置いてしょっちゅう爪を切っている、という話をよくこのブログでする。これはこのことが私の心に深く刻まれているから何度も書く、というわけではなく、こうしてブログを書いているときに「あっ、爪、じゃまだな」と感じることが多いからそうやって書く機会も増えるということだと思う。逆に、ブログ以外のキータッチ作業、たとえば診断であるとか助成金の申請であるとかといったときには私はおそらく爪を気にしていない。ガチガチ音がしてもそのままキータッチを続けてしまっている。できれば私は爪を気にするほうの人間でい続けたいと思うのだけれど、人間味を失うことで清潔感とか倫理まで失っていくのだとするとそれはけっこうしんどいことだなと感じる。

浅生鴨さんのnoteが更新されると通知がくる。先日の小説「キーホルダー」は、構造としてはどこかで見聞きしたことがあるような話なのだけれど、詳しくは言わないが、途中、「2段階にわけて世界が解除される」。これまで私が読んできたこれ系の物語では、世界の解除は通常、最も見せ場となりやすいラスト付近で1回起こるだけのことが普通だ。なぜ鴨さんは解除を2段階にしたのだろう、と思ったし、理屈はよくわからないのだがなんらかの異界から現実に戻ってくるときに超えるべき境界が1つではなく2つだというのは、なにか、リアリティを超絶したリアリティのようなものを感じて、私は早朝からぞくっとした。

病理診断だけは

80代後半になってもまだ学会でめちゃくちゃ発言する病理医というのがいて、困ったものだと思われたり、一心に尊敬を集めたり、多重の反応を媒介しており、長く生きて活きることでこれだけの化学反応を同時に起こしている時点で是非なくひたすら偉いと私なんぞは思う。その病理医が、最近とある学会で一年にひとつずつ、私に説教をしてくださる。けっこうな幸運ではある。

昨年は、久留米で、「君の病理解説は形容詞が多い」と痛いところをご指摘くださった。ぐうの音も出なかった。私はこの言葉に一年間悩まされた。たしかに私は、「たくさん形容できることこそ病理医のスキル」と思ってやってきた。「組織形態からいかにたくさん言葉を引き出せるか」がテーゼであった。多弁であることがプロの仕事だと感じていた。そこを的確に刺された。

悩みながら一年経ち、今年、鹿児島にて、今度はこのように言われた。「結論までの流れを思い浮かべながら顕微鏡を見ないとだめだ」。昨年とはまた違った意味でものすごくむずかしい注文である。また一年深々と悩むことになる。

だいたいそうやって今は暮らしている。一年後、私は今年とも去年とも違った病理医になっているはずで、その違いがたとえば私とその老病理医くらいにしかわからないようだとだめで、多くの人から見て「ああ、あいつ変わったな」と思われなければなあ、ということを考えて暮らしている。


飛行機のシートポケットに『胃と腸』の最新号を置き忘れてきた。しまった。また買い直さなければならない。NISAもiDECOもやらずに本ばかり買っている。しかもそれは適切な買い方というわけでもなく、このように無駄も多い。垂れ流している。見る人が見たらたぶんすごく説教したくなるだろう。でも、私は私の生活によって「誰かのためになろう」とは思っていない。私は私の生活のことを人前でプレゼンすることもない。病理診断とは違うのだ。だから、病理診断のように私に説教をしてくれる人がいない。一年後、私の金の使い方はぜんぜん変わっていないだろう。昨年と今を比べても何も変わっていないように。

そう考えると私の病理診断というのはものすごく恵まれている。あちこちに師がいる領域でのみ、私は変わる。ほかは変わらない。ほかはずっとこうだ。

や、まあ、師がいない分野においても、人間というのはそこそこ変わる、でも、違うのだ、師のいる場面においての変わり方というものは、ちょっと、なにかが違うのだ。それは「変えてみましたけれど、どうですか?」と、おずおずとたずねて、「おい何をやっているんだ、ぜんぜんだめじゃないか」と、変えたことを怒られ、だから変え、しかし怒られ、その繰り返しの先にいつの間にか、えらく分厚く、ひどくしなやかに、まるで別物に、どうにもいい感じになっている、そういう変わり方であって、誰にも叱られるでもなくただのらりくらりと変わっていくようなものとは決定的に違うのだ。私の病理診断はそうやって変わってきた。だから私の生活よりも、性格よりも、趣味嗜好よりもはるかに、私の病理診断だけは、別様の異形に育っていくはずなのである。

ケチな暮らし

けっこうな額の研究費を獲得できたので、人事のことを考えている。こういうことを年がら年中やっている大須賀先生は偉いなあ。しみじみ思う。お金をとるだけじゃなく実際に手を動かして研究も推進しているから偉い。逆か。実際に手を動かして研究を推進しているだけじゃなくラボの人間の給料を集めるために研究費の申請をし続けているのが偉い。偉いというかすごい。すごい、尊敬する。尊敬するし、目指してみたいものだ。しかしそこにたどり着くまでにきっとたくさんの試行錯誤をし、たくさんの見取り稽古をし、明晰な千鳥足にて夢を現実にしてきたのだろう。彼はそういう感じだ。



老若男女にかかわらず、人間がなにか鋭い洞察をするなあと思ったとき、その口から出てくる言葉はたいてい、ネットのどこかの誰かが先に述べた言葉の寄せ集めである。しかし、それが借り物の言葉だからといって価値が下がるなんてことはなく、むしろ、言葉で言い表せないもやもやを、誰の言葉で語れば一番しっくりするかという終わりのない作業に着手してなにがしかの結果を出しているのだから、小さく拍手をするほかない。つまり我々はいつも借り物競争をしていて、ただしコースの中に落ちている指示票を拾うとその紙にはグラデがかった色が乗っているばかりで言葉は書かれていない。それは拾った人の心の中でほむらのかげりのようにもやもやと腰をくねらせる何かと、似て非なる、非なるが似ているものである。指示票と心の蠢きを重ね合わせ、差分を薄めでやり過ごしつつ、それと同じシルエットを示すさらに別のもの、この世のどこかにあるかもしれないしないかもしれない言葉を探して右往左往する。それを人より先に拾って世に提示すればいくばくかの拍手が得られるが、誰よりも遅れて言葉を見つけてひそかに胸ポケットにしまい込んだとして、その健気さに恥じるべきところはない。



ANAのアプリの仕様が変わったことを一番悪しざまに罵っているのは空港職員ではないかと思うことがある。今回の鹿児島出張ではめずらしくHISを通じてツアーで航空券とホテルを確保した(自腹で完遂するタイプの研究会ではたまにそういうことをする)。鹿児島から札幌までの空路はソラシドエア→AIR DOで、いずれもANAのコードシェアだから、ANAのアプリに旅程自体は表示されるのだが、以前はできたはずのアプリからのチェックインが一切できない。おまけに、航空券番号(ツアーでまとめて発見される)ではソラシドエアのチェックインはできるのだがAIR DOのチェックインがなぜかできずに、サイトをたらい回しにされてしまうのでほとほとあきれた。むしろこれはソラシドエアのQRコードでAIR DOにも乗れるのか? と思って羽田空港の乗り継ぎカウンターでコードを出してみたが案の定はじかれる。係員にわけをいうと係員はひどく申し訳なさそうな顔をして、「すみません……アプリが変わってからこういうのが多くて……」というのだ。なんだかそれで怒るにも怒れず、AIR DOの地上係員を呼んでもらって待っている間に、そういえば試してなかったなと思い、がんばってメールとアプリをクロールしてなんとか見つけ出した「予約番号」(航空券番号とは別)を使ってAIR DOのウェブサイトでチェックインしたらあっさりとQRコードが発行された。まいった。係員に謝って、乗り継ぎ口を通過する。地上係員は今頃ここに向かって足早に歩いているだろう、でも申し訳ないけれど、その方を待っている義理は私にはない。かわりに謝っておいてもらうしかない。ANAをやめたい。JALに変えたい。しかしANAでなければ飛んでいない空路もある。結局航空会社なんてのは時間と本数の兼ね合いによって浮かび上がってくるもので、どちらがいい・悪いというのはあまり関係なく、受動的に候補として立ち上がってくるばかりだ。ANAのマイルにも感心が失せて、近頃はANAクレジットカードを使う頻度が下がってきている。そもそもマイルとかポイントとかにかかずらうことで精神的に得をしたと感じることは極めて少なく、そういうのはもうやめようかなと思いながら今日もなんとなくd払いでdポイントをちまちまためている。生協でもトドックのイラストがかわいいちょこっとカードを必ず提示する。そんな自分があまりに愛らしくていやになる。