見て盗む時代でもない。とはいえ、やはり自分よりはるかに上の人間たちの診断にかんする思いが手取り足取り伝授されることはまずないので、ここは見て盗まなければいけない。しかし、同年代や下の人間だったら(失うものはあるのだけれど)堂々と、教えてください! と言ってもいい、だったら聞いちゃえ! ということで近頃はよさげな病理医に会うたびに診断の話をたずねる。迷惑な中年である。
よく返ってくるリアクションとしては「よい病理診断のコツですか? 臨床医とコミュニケーションをとることです」というやつだ。それはまったくそのとおりだし、そのとおりにすること自体がさまざまな理由で困難をはらむので(病理医と臨床医というのは活動時間帯も生息帯域もけっこう異なる、夜行性の昆虫と浅瀬の川魚とがどうやって交流するのかという話に近い)、いくつになっても気にしていなければならないのは本当だ。ただ、正直言ってその程度の話を「診断のコツ」として言われて納得するレベルで収まっていたら私がやばい。学生じゃないんだから。病理夏の学校の講師トークじゃないんだから。
そうだね、で、それで、その先は? と尋ねる。たとえば顕微鏡を見る前にどれくらい自分の心の中の「さくいん」をダーッと見返すの? 顕微鏡を見る前にプレパラートを光にかざして見る? それはいつもやる? 生検でもやる? むしろ生検だからやる? 顕微鏡にプレパラートを置いて何秒でいったん呼吸する? あるいはずっと呼吸している? プレパラートを見ている最中から診断の文章を考えるようにしている? それとも見ているときは文字はいったん横において顕微鏡を見終えてから一気に診断の文章モードに入る? それはなぜ? もちろんあなたは病理医だからすでにそういうやりかたのあれこれを試しまくっていると思うけれど、なぜ今のスタイルになったの? 依頼書をちょっとしか読まないスタイルと一気に最後まで読んでから顕微鏡にとりかかるスタイルで、結果として今、ちょっとしか読まないスタイルにたどり着いたのはどういう心境の変化? 悪性と良性の根本のところで間違える可能性があるような病気をいくつ暗記している? 臓器ごとにピットフォールとなる疾患をポケモン言えるかなみたいに暗唱する夜はある? 文章は長く書きたい派? なるほど、こだわりでたくさん書く、それは全部の臓器に対して? これらの文章はどれくらい先輩から受け継いだ? どこをなぜ変えようと思った? 教科書は参考にした? WHOオンラインは個人で契約している? 取扱い規約は通読する? そこまで仲良くない私に根掘り葉掘り聞かれてどう思った? とガチンコの国分太一化してあれこれをたずねていくことは年上の病理医にはまずできないので、後期高齢中年の役得と言っても過言ではない。
で、こういう話をそれなりにたくさんの病理医に聞いてきたのだが、優れた病理医の場合、最初の「顕微鏡を見る前にどれくらいさくいんを……」のあたりで、なるほど上級編のハウツーを聞きたいんですねといちはやく(はやすぎる)理解してくれて、こっちが何も言わなくてもありとあらゆる動きを言語化したり「言語化できない部分がある」ということを言語化したりしてくれる。冗漫でメタな結論としては、「いい病理医というのは、こちらの意図を汲んでからそれを議論に耐える文字情報として彼我の間に置くまでのスピードが早い」というもので、それって結局コミュニケーションじゃん、となって語るに落ちてお里が知れてとっぺんぱらりがぷうっとふくれる。