それを指摘されたら顔が真っ赤さぁ

踏み固められた獣道のように、そのようにおさまってきたとしか言いようのない、私の職場のレイアウト、デスク、棚、通路、物を置く場所、プリンタの配置、提出物の収納スペース、連絡事項を引き受けるラックなどは、引き継いだものをツギハギしながらいじっていくうちにこのようにできあがっているものに過ぎないので、歴史を知らない新任の主任部長からすると非効率な部分がたくさんあり、だから私はここを去る前に、「これがここに置いてあることには(私の日常になじむ以外の)特段の理由がないから捨てていいですよ」とか、「ここに新たにこれを設置してぜんぜんかまわないし、むしろそうすべきだし、なぜ今まで私がそれに気づかなかったのか、あなたがやってくることでこの科の抜け・落ちがたくさんわかってお恥ずかしい限りですね」などと毎日のようにつぶやいている。

デスクの横の電話は外され、外来の何も知らない看護師から病理医に「報告書の印刷をしてほしい」という直電がかかってくることもなくなった。生検体の提出にあたって主治医が電話をかけてきた際、それまで私の頭の中で整理しておけばよかったものは、電子掲示板でスタッフに平等にシェアされることになった。報告書の書式はシステマチックになり、Geboes histopathology scoreは簡易版ではなくフルで記載することになり、所見は長く、免疫組織化学は多くなった。

すべてがいい方向に進んでいくかつての自分の職場を眺めている。私は出張医の座るデスクに座って顕微鏡を見て、ステージが振動することに気づいてニコンの関連会社であるホクドーの、嘱託再雇用の旧知の技術屋に、顕微鏡の修理を依頼した。鏡筒にステージが接続する部分の3つのネジのうち2つが緩んでいたのだという。気づかないまましばらく放置していたから、ここ数年、当院に出張にいらした先生方は、レンズのレボルバーを回すたびに細かく振動するこのイカれた顕微鏡でがんばって診断をなさっていたのだろう。申し訳なかった。こういうところにまで気が回らないまま私は18年をここで過ごした。

空調の角度。ゴミ箱の位置。パソコンでいうとメモリに相当する、デスク上のフリースペースの広さ。椅子のクッションの強さ。マウスの精度。ペンのインク。セル・カウンターの押しやすさ。キーボードの汚れを掃除する。バーコードリーダーの柄のところを掃除する。

まだ1か月ここにいる。立つ鳥跡を濁さずという言葉がこれほどまでに広まった理由は、鳥でない人間は跡を濁さざるを得ないために、鳥に仮託するしかないからなのかもしれないが、私はせめて最後は鳥となって、棲み馴れたこの職場をきれいにしてから去りたいと思う。老兵は死なず、ただ去りゆくのみ、と生意気にもほざいた軍人は退職の前に掃除をしたのだろうか。事務員にお礼の挨拶をしたのだろうか。各部署に菓子折りを配ったのだろうか。新式の掃除機を寄贈したり、したのだろうか。