懇親会の最中に軽口の一貫として、「この会に出るといっつも夜に悪夢を見るんですよ。前回は下半身が腰まで消失するユメを見ました」と言って失笑を買った。そして よが あけた。本当に、また、悪夢を見た。私の顔は奈良美智の絵に出てくるようなパースになっていて、頭蓋骨が、陰陽のまがたまのようなゆがんだ曲線に沿ってぱっかりと左右に割れているのであった。中心で割れているわけではなくて、やや脳の左側のほうが多めに露呈している。私は思う、硬膜はどこにいったのかと気になって、そばにある人間の手を掴んで自分の脳の表面に押し当ててみる。目に火花が飛ぶとか異音がするとかいった入力エラーは一切起こらず、UFOキャッチャーで獲得する以外に入手の仕方がわからない謎の材質のぬいぐるみのような不思議な触感が人間の手を通じて感じられた。ああ感染の心配はない、しかし、歩いているうちに何かがこぼれそうなので、少し右にかしいだ状態で、ふるめかしいメトロポリタンホテルの鎧格子を左右にかきわけて私は石畳の道をうろうろとする。そうして目が覚めたとき私はあまりにわかりやすく自分の頭蓋を、もちろん自分の手で確認して、やっぱりユメだったのか、と確認して、それきり目が冴えた。猛烈な勢いで飛び去っていくユメの中身を、上顎洞のあたりでぼそぼそとつぶやいて、何度かこすっているうちに、いつもは急峻に忘れていくはずのユメを今もこうして文章に書けるくらいには記憶することができ、ああ、海馬のカオスエッジを超えて斜面のこちら側に落っことすことができたのだな、と安堵した。
つまりはそういう夢を見るくらいに私は疲れていた。研究会では私の新しい職場の話など一切しなくてもよく、症例のことを何時間も語り合っていればよい。そして懇親会では他大学の教授や地域の重鎮たちと、「枝葉を細かく記述していくだけの作業から、いかにして幹を探り当てていくか」というような、かなり難しいことをやろうとしていた、廃れつつある画像系研究会の最後の矜持みたいなものに関して、世を徹して語り続けた。滅びの美学だとか思い出がたりにならないために、若手を勧誘したいねーみたいな中身のほとんどない中年トークを乗り越えて、自分たちが今なお最前線で若者のようにチャレンジし続けるためにどこからどう取り組んでいくかという話を、大して食い物も入らなくなった消化管に舌打ちをしながら弱いつまみを放り込みつつ延々とこねくり続けた。
私は解剖のことを考えている。腑分け。言別け。ヒトの残骸をディールする。それは常に枝葉をかきあつめて火を付けるような作業になる。必要なのは常に幹に対するリスペクトであり、しかし、森を見るために木からはじめ、根の周囲のマイクロビオームから森をおしはかるような転倒の先に、私はみずからの技術と使命の使い道を見ている。
チェックアウトは11時だ。飛行機はその後でも十分に間に合う。6時に目覚めた私はそれからずっと、大学から送られてきた来週金曜日の研究会症例の解説スライドを作った。できた。葉脈に指を這わせるようなスライド。メイリオに飽きて髄液を吐く。Ki-67すら施行されていないプレパラート群。H&E染色にルビを振る。増殖と分化のみだれ、正常からのかけはなれ、X-Z軸で観察しきれないY軸方向の情報を、液性因子の痕跡を、沈着物の気まぐれを、You canと読み替えることもできるような炎症性発癌的矛盾を、語りの数々を読みやすいようにルビを振る。いつか教わった話。明日教わる話。これらをまぜこぜにしながら、まだ、読みたいと首を伸ばして待っている、頭蓋骨のぱかりと開いた人間たちのためにルビを振って音読をする。