呪いの話をした。病が、病と、名付けられることによるスティグマの話で、まあそれは振り返ってみればあちこちにあった闇で、とっくに見えてはいたはずだ。しかし私はがんの話を読み、書き、語りを聞いていく過程でいつしか、その呪いを解くといいながらまた別種の、「前の呪いと比べればまだましなほうの、つまりやむを得ないとか言われてしまうタイプの、別の呪い」で上書きしてしまっている医療者の、「罪」に対して無垢だったように思う。無自覚。積極的に「別個の呪いを与える存在」として、なんなら胸を張っている多くの医療従事者たちの、
肩を持っていたように思う。
山内令南『癌だましい』。文春文庫、短編ふたつ、表題作と『癌ふるい』の二作が入っている。ここには医療従事者が、医療が、所詮は人の暮らしというマラソンの、何箇所かに存在する給水所でしかなくて、その水を取るも取らぬも患者の、人間の自由であり尊厳であり、だからそういった患者がどれほどのスピードで、各人のゴールに向かって走っていくのか、そのゴールテープとはなんなのか、走る道すがら、どこでどう力尽きるのかあるいは力尽きないのか、といったものが。
おどろく装置と、おどろく執念で書かれていた。
今回、インタビューをする中で、名付けるということ、事理由(ことわけ)を言分けするということの、功罪についてずっと考え続けている私自身の「こだわり」(呪い? スティグマ?)に、あるいは解呪の目がありうるのかということを、強く考えた。
萩野昇先生はその解呪の話をじつはされていた。あるいはこれからもしかすると、一方向にではないけれども、紆余曲折の過程を通じて語られるのではないかと私は思ったし、そのとき、やまびこが響いていた。
バタイユやヨブ記(※その後、賢治とヴェイユとヨブと判明)を語った吉本隆明の講演集、そのリンクをいずれひらく日がくるとよいなと自分に対して強く思った。それは、なんか、そうすると思う。だってすごく探したくなってしまったから。
萩野先生の配偶者は、私が萩野先生・竹之内の教科書『膠原病のホントのところ』に勝手に寄せた書評を読んで、「これ、ドラちゃん(※萩野先生)のファンじゃん…」と言ったらしい。
そうだが?