店内ご利用ですか。はい、スターバックス・ラテ、トール、ホットでください。かしこまりました。マグカップでお出ししてよろしいですか。お願いします。おまたせしました。早いなあ。こちら、トールサイズ・ブリュード・コーヒーになります。ありがとうございます。
なぜだろう。来し方を振り返る。発音がまずかったか。それとも見た目や雰囲気か。私はたしかにラテと言ったと思う。それも正式名称でだ。スタバでラテといえば中心メニューだろう。ジンジャーラテと言ったわけでも新作のスープと言ったわけでもない。なのに本日のコーヒーが出てきた。なんらかの陰謀を感じる。今日、この時間、このタイミングで、あと何杯か、本日精製したコーヒーを、出しきらないと無駄になるとか、そういう話なのではなかろうか? チーンチーン。ピロピロ、ピロピロ。正解のチャイムが鳴り響く。開いたPCの向こうに、少しヒールの高いパンプスが見え隠れして、なにやらスーツケースを少しだけ開けてまた閉めて椅子に座り直す人。私は面をあげず顔を見ないままでいる。なんとなく美女であろうなあという期待が心を沸き立たせる。ハラスメント。市原・ハラスメント。略して、イチハラ。トールサイズのホットコーヒーなど要らなかった。境界面に油分の浮かないきれいなコーヒー、しかし、胃の中には早くも油膜が張っていて、エコーで見れば境界面がスムースにぎらつくだろう。私はラテが飲みたかった。より、細かくいうと、私は牛乳がほしかったのだと思う。ホット・ミルク。研究会の世話人会がはじまるまでの1時間、特に何もやることがなく、細胞診専門医の資格を更新するためのクソみたいな書類でもちまちまいじろうかと、入ったスタバで私はあたたかい牛乳を口にしたかったのだと思う。胃粘膜を白くオーバーレイしてくれるものがほしかった。黒褐色の膜。にこにことマグカップを受け取った私に、店員はダメ押しとばかりに、「今度はこちらのスープもお試しください。はじめて、スープが出たんですよぉ」と言った。ほほえんだ。ポテトのスープだろうか。白い。私はそのスープでもよかった。なぜ、注文する前に、これをおすすめしないのか。もちろん、こちらが注文する前に勝手におすすめをしゃべる店員のほうが、普段は私はきらいだし、おそらく多くの人もきらうから、だからこの店員はきっちりとこの場に最適化されて、注文が終わったあとの客に次の来店をうながすように、新商品の説明をしたのではないかと予想する。チーンチーン。ピロピロ、ピロピロ。ふと顔を上げる。大きく広がった窓の手前に頭髪の少し薄くなった男性が座って、ほとんど動かずにスマホを見ている。セーターが椅子の背もたれの上に少しだぶついていて、彼は今、リラックスできているのだろうなと、私はかなりいい気分になる。「ねえ、それ、どういう意味?」が口癖だった人間の顔がぼんやりと思い出され、脳内で、四半世紀分、歳を取らせる。イチハラ。