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根っからのワークワークさんなのでゴロリがいないとツッコミ役が不在である。本日は「早出A」という勤務体系で、定時を7:00-15:45にシフトさせてあり、夕方からの出張に時間給をあまりつけなくても済む。旭川空港からいったん羽田に出てそこから小松空港まで、乗り継ぎがあまりよくなく、定時運行ならば25分の間に乗り換えれば20時前には小松に付けるのだけれど、さすがに冬季の旭川から飛行機がぴったり定時で着くとは思えなくて、結局羽田で2時間ちょっと待って、金沢駅に到着するのは22時を超えるだろう。明日、朝から肝血流動態・機能イメージ研究会に出て、昼に発表をして、夕方には羽田経由で新千歳に戻る。札幌でもやることがある。あと、札幌ではたぶん、また大雪が降るので、札幌でやることはすべてうっちゃらかして結局雪かきをすることになる予感もある。月曜日は旭川でたくさんの仕事があり、夜は米国の研究者と悪巧みをするのだけれど、こちらが夜の20時に、向こうは朝の5時なのだ、なんだか早起きをさせて申し訳ないなあと思う。会議が終わって21時、そこからスーパーに寄って来週の食材を買い込むというのはちょっと厳しいかもしれない。冷蔵庫に冷凍肉と冷凍餃子は入っている。チクワが1本あった。なめこはまだひとつかみ以上ある。ヨーグルトもある。先日母からトマトジュースもまだある。だったら買い物はしなくてもいいだろう。となると来週の買い物は火曜日か。水曜日が祝日だ、ハッピーマンデー以外の祝日は旭川に来てからはじめてだ。そして休日の日中に旭川にいるのもじつははじめてである。ここまで必ずどこかに出張していた。正月は妻の実家にいた。休みの日に旭川。さてどうしたものか、ラーメンでも食いに行くか、ああ、枕を買いに行くべきだろう。うちにはまだ適切な枕がない。最初に買った枕はこれまで愛用していたものよりもやや高くて合わなかったのでウォーキングクロゼットの上のほうに放り投げてある。今は枕カバーの中にタオルを詰めて即席の枕としたものを使っている。そばがらがいいんじゃないの。妻はそう言った。まったく同感。へたに低反発なんちゃらみたいな調整の効かないものを買うからこういう羽目になるのである。白菜に塩昆布をふっただけのサラダを食いながら反省をする。この組み合わせ、妙にうまい、これも妻がかつてさっと作ってくれたコンビネーションだが準備時間が体感で0.5秒くらいなのにちゃんと5分以上楽しめてタイパがいい。コスパ・タイパという言葉を使うのはヒャクパ中年である。「若者はすぐコスパ・タイパなどというが」と、みんな判で押したように同じ使い回しをする。気持ち悪くてしょうがない。ちなみにヒャクパはおわかりだと思うが100%勇気の略である。


かつて札幌で勤務していたとき、朝の勤務はだいたい5時半とか6時くらいにはじめていた。旭川に来てからはだいぶ遅めに働き始めるようにしている。7時すぎに出勤して8時くらいからのそのそ働き始めることが多い。時間外の勤務表を記載するときには、7:00-8:30はだいたい「自己研鑽」もしくは「自主的な研究」の項目をチェックしている。ときには研究費の申請書を書いたり、気分が乗ったらさっさと診断をはじめたりもしているので、「業務命令としての研究」だとか「診療」にチェックをつけて残業代を申請することもできなくはないのだけれど、それはしないようにしている。ちょっと損するくらいのほうが私の場合はトータルで見たときの精神の衛生状況がよくなる。そういう必要経費なのだと思っている。もっとも、国立大学から支給される残業代なんてたかが知れていて、地域貢献休暇(1日休めば1日分の給料が減らされるが、職員の評価が下がることはない、という謎の休暇。つまり有給休暇に対する無給休暇)を使ってバイトに出たほうが確実に年収はあがるのだけれど、あまりバイトに行くとそれはそれで働き方改革とやらにひっかかってアラートをぶつけられる。それに、できればバイトの枠は専攻医とか若いスタッフに渡したほうがいろいろいい、私が集めてきたバイト先は私が行かないほうがいいのだ。これから物入りな30代が行くといい。過酷な医師の労働環境で、プライベートを構築し、自分育てもしくは子育てに忙しい30代の、燃費の悪さは筆舌に尽くしがたいが、50が見えた中年が自分の取り分を過剰に主張しなければ、30代にも多少いい思いはさせられると思う。


Facebookで知らない医療関係者から友達申請が来る。申請しなければ友達になれないような関係(笑)、という感じで無視している。中にはあるいはかつて名刺交換をしたような人も混じっているのかもしれないのであんまりここでこうやって書くと角が立つのだけれど、申し訳ないことに、私は人を覚えられない、毎日SNSで見かけているアイコンはなんとか覚えているのだけれど人のアイコンであるところの顔は忘れる。当科の職員と街で会っても気づかない可能性すらある。レヴィナスも顔ない。覚えているのは何度も何度もやりとりをした人間だけだ。Xのタイムラインにがんばれゴエモンの話が流れてきた。コナミが突然アーカイブを出すのだそうだ。あのコナミが。びっくりした。Switchでゴエモンができるのはうれしい。思い出すのは35年前、弟と毎日のようにいっしょにやっていた、がんばれゴエモン2(FC)、がんばれゴエモンキテレツ将軍マッギネス(SFC)の記憶、そして、弟の顔。近頃あまり会っていない。大人になってからの我々はちょっとコミュニケーションが少なくなってしまった。今にして思い出す、10代のころ、私は必ず1Pのコントローラーをにぎり、RPGでも基本的に私が操作する、典型的な兄ムーブであって、弟はそれに文句をいうでもなく、2人同時プレイのゲームのときだけは一緒にコントローラーを握るのだけれど、それも決してゴエモン側ではなくエビス丸側を使っていた、そのころの私の強権性が、当時の彼にとってどれほど浸漬するものであったのか、私はおそらく40代になるまであまり自覚していなかった。もう謝ることもできないくらい遠い場所にいる。そういうことをちらちらと考えていたある日、身近な目上の方が、「近頃の若い人はわがままばっかり言うんですよ。もちろん、昔の上司みたいに、ハラスメントで言うことを聞かせるつもりなんてないんですけれど、もうちょっと、自分のために研鑽しようとか、目先の利益だけ考えるのではなしに、長い目で見て自分の得になるような修業をしようという感覚はないんですかね」と言った。私はそれを聞きながら、20代とか30代なんて、兄だったときの私のように、自分以外なにも見えていないんだから、それはもちろん当人も、あとで振り返って悔やんだり顔を赤らめたりするものではあるだろうけれど、今、この瞬間に、当人に何を言ってもわからないだろうし、それはもう、そういうものだと割り切って、爆進する時期には爆進してもらうしかないし、それによって割りを食う人がいたらそこをすくいとって楽しいほうに軌道を修正するのは、我々のような人生を折り返した中年のやることなんじゃないですか、と、言いたかったけれど、黙って「そうですねえ」と言った。