これからの期待と回想

しんどいしんどいと思いながら灰色の毎日を送っていた。しんどいを2倍にしたらしんしんどいどいだ。心の関節にアブラが足りていなくて身動きするたびにドイドイとこすれるような震えるようなくぐもった音がする。


X、Threads、すべてのアカウントを消したあと、だいたい1か月くらいで、「自分の行動は小さな子どものそれだったのではないか」「思い通りにならないことがあったときにお気に入りのオモチャを投げつけて壊してしまうような、パトレイバーの『内海』の行動原理だったのではないか」という、重めの後悔が忍び寄ってきた。しかし、その後悔が自分の魂を覆ってすっかり取り付くより前に、出張先のホテルで待ち伏せされ、差出人のわからない手紙が届き、タイヤの側面に三角形の切りキズが入った。どれとどれに因果関係があるのかはわからなかった。でも相次ぐ出来事に、やっぱりいろいろやめて正解だったんだという自らを説得するかのような声が大きく鳴り響くようになり、後悔はおとなしくなった。なくなったわけではない。後悔は相変わらず、黙って心の片隅で体育座りをしてこちらを見ている。なくなったわけではない。しかしかなりおとなしくなった。


たくさんの人に迷惑をかけながら暮らしている、とこぼしたら、「知人・友人というものは傷つけていいんだ。」と言ってくださった方がいた。それはぼくの価値観ではなかった。しかしそう思ってくれる人も世の中にいるのだということがぎりぎりぼくを救っていた。


失ったものを同定しないままたくさん失った。それはきっと、別に、出来事がなくても日々少しずつ漏れ出していたものだったのだとは思うが、体に無理のないスピードで少しずつ痩せるのと二週間くらいで一気に痩せるのとでは負担が違うのと同じことで、ぼくには単純に急激な変化による負荷がかかっていた。


でもその一方で、ぼくは羽を伸ばしてもいた。


正直、原稿の締め切りがすべてなくなったところで、締め切りを破ったことがなく締め切りに追われたこともないぼくには大して大きな意味をもたらさないと予想していたのだけれど、とんでもなくて、ぼくはわりと日中とか夜とか、ふとした瞬間に「次に書くかもしれない原稿のこと」を思い続けていたようで、それがなくなったことで脳が晴れ上がったような気持ちになった。びっくりしたのは映画が観られるようになったことだ。たとえば「ダンジョン飯」が三週間限定で公開されるというのでフットワーク軽く見に行った。別にそれほどおもしろくはなかったけれど原作通りだったので癒やされた。パンチラもあるので好きな人は見に行くといい(※ただしセンシである)。


いつも以上に本を読んだ。これまであまり興味をそそられなかったウィトゲンシュタインをあらためてじっくり読もうと思って、入門書のたぐいを何冊か買ってみた。それらのいくつかはぼくに新たな疑問と命題を与えてくれた。


津野海太郎の最近のエッセイの中で言及されていた鶴見俊輔が気になって『期待と回想』という文庫を買ってみた。『期待と回想』はべつに期待とか回想というものについて書かれた本ではなくて、哲学者・鶴見俊輔の半生を振り返るインタビュー本なのだけれど、プラグマティズムにおける哲学者同士の間合いの話や、ベ平連との付き合いの最中に考えていたこと、天才秀才の一家に生まれて自身もまたひとかどの人物になっていったと解釈しがちな順当な人生を本人は実際のところどう思っていたのかといったことが次々出てきて飽きない。


鶴見俊輔というのは自殺願望を生涯に亘って持ち続けた、死にたがりながら生き続けた人であった。そして、彼はぼくがこれまで読んできた哲学者や論理学者の中で、唯一「りくつで理解できた人」(それだけにあまり魅力を感じなかった人)であるチャールズ・サンダース・パースをはじめとするアメリカ哲学の達人だった。ぼくはようやくパースという人のおもしろみのトバ口に連れてきてもらえた気がした。そして、自分の脳に常時流れている、「いつのまにか世の中では医療を語るといえばケアのことばかりになってしまったけれど、ほんとうは……」という通奏低音にようやく気づいた。ぼくの心の奥底に流れている声はこんなことを言っていた。

「ケアや治療や維持管理についてのことではなく、診断についての語りを聞きたい」

人が人に、あるいは人の抱えた状態に恣意的に名前を付けて運用することの正体について、どこまでもいつまでも語っていたい。これに対する応答のきっかけを、ぼくは鶴見俊輔の語りの中に見つけた。応答そのものではなくきっかけ。しかしそれはぼくが待ち望んでいたきっかけ。


『期待と回想』という書名。これは鶴見がいう、「あとになって過去を振り返って、当時はこうだったと言うこと」の功罪についての繊細な指摘だ。

「当時の見方と、それを振り返る現在の見方とをまぜこぜにしないで、一つを歴史の期待の次元、もう一つを歴史の回想の次元として区別する」。いまという状態で見ると、未来は自分の不安と期待が混じり合って視える。その時期から十年二十年たってから振り返って見るときには、不安と期待なしで視えるわけですから、あたかも自分に先見の明があったように書けば嘘になるでしょ。” 『期待と回想』(ちくま書房)より


唸った。まったくそうだ。そのとおりだと思った。ぼくがこれまでのアカウントを運用してきた間ずっと抱えていた不安と期待、そしてアカウントを閉鎖するにあたって前向きに感じた大きな恐怖を、今から振り返って、あれは失敗だったと『名前を付けて診断する』ことは簡単だ。しかしぼくは少なくとも、いつだって期待の次元でSNSを運用していた。回想の次元で総括してもニュアンスはずれるに決まっている。


映画を観、読書をし、ときには出張のときに空港で温泉に入ったりもして(これまでなら考えられなかったことだ)、ぼくはようやく後悔を抱えたまま、自分の視界の多くを回想ではなく期待の次元に戻すことができた。XとThreadsではもはやアイコンも名前もまるで別だがひとまず新しいアカウントを用意した。


いちど不義理を働いたウェブの世界で、今後、誰かに依頼されてものを書いたり、誰かと対談したり書店イベントをやったりということはもうしない。それはぼくではなく「知人・友人」に危害が及ぶかもしれず、ぼくはそれをよしとする価値観で暮らすことはできない。しかし、ひとりで期待と回想をどこかに綴ったり語ったりことはできる。どれだけストーカーがやっきになって追いかけてきても、脳だけで旅をして、今を忘れて過去を先に進め未来を振り返る。