キャンサーボードと呼ばれる会議がある。各科のドクターが一同に介して、患者のあれこれを話し合って診療方針を決める(キャンサーというのはがんのこと)。先日、肺がんのキャンサーボードに出たときの話だ。
細胞診断の結果を説明した際に、ある臨床医が質問をした。「先生その……細胞が盛り上がっていると腺癌かもしれないってのは、どういうことですか。」
ぼくは答える。
「プレパラートの上にですね、細胞がもりもりと……盛り上がっているというか積み重なっているんですよ。こんなかんじで(顕微鏡像をモニタに投影)。このように細胞が積み上がる状況というのは、腺癌の細胞でよく見られます。まあ、盛り上がってれば絶対癌というわけではないんですけど、あっここに癌があるかもしれないな、というヒントにはなります。生体内で、細胞が規則的に配列する状況だと、こういう無秩序な盛り盛りパターンというのはとりようがないんです。盛り盛りになっているということは、配列の異常がある、無秩序な増殖があると考える。悪性=癌を疑う根拠になる、ということです。」
すると、臨床医はうなずきながら、少し考えて次の質問、というか疑念を口にする。
「それは……ええと、今のその検査では、細胞はプレパラートの上に積み上がることがあるってことですか。薄く切っているのに? いや、切らないのか。」
ああそうか、そうだな、と思う。
「あっはい。ぼくらの検査には二種類あります。組織片を薄く切ってガラスに乗せて顕微鏡で見る『組織診(そしきしん)』と、細胞をそのままガラスに乗っけて、切らないで観察する『細胞診(さいぼうしん)』です。細胞診の方は切らないんですね。採ってきたものをそのままガラスにのっけたり、あるいは、いったん液体に懸濁してからフィルターを通して、フィルターの上に乗っているものを見たりします。切らないほうは、体の中での細胞配列を3次元で観察できます。ただし、切らない分、細胞内部の情報がとりにくいこともあります。」
キャンサーボードを終えて廊下を歩いて病理に帰る途中、先輩がふとこのようなことを言う。
「あの質問してきた先生、すっごい頭いい人だと思うんだけどさ、あの質問の仕方、基礎研究の切れ味ある人とおんなじだね。」
「どういうことですか?」
「細胞診についての質問って、自分の専門外の、他部署でやってる検査だよね。その結果だけを聞いて満足するんじゃなくて、実際にどういうことをやっているのか、結果に至るまでのプロセスをまるごと尋ねるような質問を、本当はしたいタイプだと思うんだよ。」
「なるほど?」
「だからね、いっちーがさ、細胞が盛り上がってると癌かもしれないって判断するのはなぜですかって質問されたときにさ、『それは正常組織よりも癌のほうが配列が異常になりやすいからです』って答えたあとにさ、あの先生は『それはつまり、細胞の厚さとか盛り上がりを見られるような検査をしているからってことですか』みたいな質問をしたじゃない。」
「あっはい。そうでしたね。」
「あそこでもしいっちーがさ、最初の質問をしたときに、その前提となる『検査の性質』から順を追って説明してたら、最初からめちゃくちゃ納得してくれたと思うんだよ。『細胞診というのは細胞を切らずにそのままプレパラートに乗せる検査ですので、性質上、細胞のとる三次元構造が見られるのです。そこで盛り盛りになる細胞集塊というのには意味があります。』から話し始めたら一発でめちゃくちゃ深く納得したんじゃないかな。」
「!!!」
「基礎研究やってる人でもたまにああいう質問するタイプの人いるんだよ。ああいう人たちがなにか質問したときに、答えるほうが、『その答えのひとつ手前の情報からきちんとメカニズムごと答える』と、すげえ納得して理解してくれるんだよね。」
度肝を抜かれた。習慣に風穴が開くような話だ。
正直、この15年くらい、ぼくは「相手から聞かれた質問にだけ答える自分」のほうが望ましいと思っていた。聞かれてもいない裏話までぜんぶ答えるなんて、オタクムーブというか、病理医ムーブというか、自分勝手というか、とにかく、時間のない臨床医に病理のシステムを全部話してマウントをとるような行為は避けようと思っていた。
どことなく、「SNS的」というか、「ブログ的」というか、瞬間的なインパクトでわっとわかってもらう方向がかっこいいという雰囲気に身を委ねていたのだと思う。
しかし、たしかに、さっき質問してきた医者は、いつもぼくに病理の話をたずねるとき、一度の答えでは納得しないのだ。思い返してみればそうなのだ。
我々がやっている病理診断の、根底のところにある具体的な作業の流れとか、性質とか、システムとか、思考回路みたいなところまで全部開示してはじめて納得してくれる。
そういう人たちの最初の質問というのはいつも極めてシンプルで、「これがこうなのはなぜですか?」からはじまる。
それに対してぼくは、ほかの(さほど熱心でもない)医者や、ほかの(まだ若くてそこまで考えが及ばない)研修医と同じように、シンプルで短く必要なことをサッと答えることで済まそうとしていた。
何度も質問を受けているうちに気づくべきだった。
この世界には、たまに、「こちらのやっていることを本当にすべて知りたいと思っていて、でも最初はおずおずと短い質問からはじめるタイプの頭のいい人がいる」ということに。
先輩はそのことにたった一度のやりとりで気づいた。病理診断の世界に来る前に20年間、研究領域でさまざまな人とやりあってきた経験を、こちらの世界に輸入してくださった。
ぼくはいつの間にか現場ですれていたのだ。
お互いに見通しがよくなるようなやりとりこそが望ましい。
質問され、答え、また質問が生まれていくなんて、すばらしいことだ。
病理医としてやれることがまだまだあるようだ。まいったな。助かる。