「さっちゃんはね さちこっていうんだ born to be wild」は、
同じ系列のギャグである。
や、ま、ギャグではないかもしれないが。
こういう感じでなんでも分類。あれはあっちの箱、これはこっちの棚、形態学的に似たものを集める。似ているからには、たぶんその後ろに構造的なリクツがあり力学があるのだろう……まで考えを深めるのではなしに、単に「似てるなー」くらいのところで思考を保留する。浅瀬で踏みとどまったまま反復横とびするようにパチャパチャ思考を遊ばせる。
「牛乳石鹸 余に謁見」
これも形態としては一緒だ。「えっ、後半が英語になってないじゃん!」と構造主義者もポスト構造主義者も怒る。でもいいのだ。これくらいでいいのだ。音韻がもたらす帰結以外に思考を割く労力を惜しむ。ダジャレの荒野を着流しで練り歩く。
かつて、『分類思考の世界』と『系統樹思考の世界』という本があった。三中信宏という人の本である。10年ほど前にこれを読んだときにはおもしろいなーと思ってやみつきになった。先日読み返すと、なんだか、これに関する書籍を読みすぎて飽きてしまっていて(失礼)、初読のときほどの感動はなかったのだけれど、それでも水平方向の分類と垂直方向の樹形図トレースとで脳の使い方を変えるという方針は、ずっとぼくの中に目配りの方針として存在している。
病理形態学と遺伝子による分類でいうと、たとえばmalignant peripheral nerve sheath tumor (MPNST)はその名の通り神経系でまあよいとして、synovial sarcomaはsynoviumとはあまり関係がなくて実際にはMPNSTにむしろ遺伝子的背景が近い、みたいな話がある。では遺伝子による樹形図的な切り分けだけが至上なのかというと、意外とそうでもなくて、synovial sarcomaのbiphasic typeはやはり滑膜のような、上皮にちょっと似た(中皮の)細胞として診断していく「すり足でのにじりより」がわりと有効である。完全に遺伝子だけで話をすすめるよりも、形態学的な雰囲気で診断の方向を定めるほうが、結果的に1日くらい早く確定診断にたどり着ける、みたいなことがある。
分類と系統樹。系統樹だって分類じゃん、と言われると困ってしまうがまあそういう見立て。「意味なんかないさ うなじが松茸」は前述のギャグの子孫にあたる(選択圧を乗り切った強さが感じられる)。