病理診断科には毎月のように初期研修医がやってくる。当院には2学年あわせて14名しか初期研修医がいないが(もともと救急車が少なめの病院だった影響がある)、その半分以上が病理を選択するので、2ヶ月に1ぺんは研修医がいる計算になるし、実際、なんかしょっちゅういる。
彼女/彼らの将来の目標はさまざまだ。消化器内科医を目指す者、血液内科医を目指す者、皮膚科医を目指す者。
これらは一見、まったく違う仕事のように思えるが、顕微鏡の上で共通点が交差する。
共通点とは、「病理組織学を知っておいたほうがよい仕事ができる」ということ。細胞を採取して病理に依頼する頻度が高い科という意味でもあるし、細胞がどのような挙動を示しているかという情報が治療に直結する科という意味でもある。
手技や処置をがんばって身に付けなければいけない時期にあえて、患者と相対せず座学がかなり多い病理診断科での研修を選ぶやつらは、だいぶ熱量が高い。
顕微鏡を見ながら疑問が出てきたらすぐにぼくを呼ぶように言っている。すると本当にめちゃくちゃ呼ばれる。
これは、ほんとうに、仕事のジャマであるが、仕事の役に立つ。
この二律のどちらが優位か。
仕事のジャマ: 研修医といっしょに顕微鏡を見ている間は自分の診断ができない。
仕事の役に立つ: 顕微鏡を見始めたばかりの医師、病理の知識がまだあまりない医師が、細胞をどのように見て何をふしぎに思うのかの「サンプル」が大量に取れる。
はっきり言って「役に立つ」のほうが「ジャマ」の5倍くらいでかい。自分の仕事が多少遅れそうになっても、そのぶんほかでがんばって取り返しておけばよいし、研修医によっておそらくぼくの病理診断や細胞所見の解説手法はめちゃくちゃレベルアップしている。
研修医「先生、なぜここにはCD20が染まらないんですか? 異型を有する細胞があるのに。」
ぼく「なぜってここは……ああそうか! ここは潰瘍によって血管が増えているのです。血管の内皮は、慣れてくるとほかの細胞と見分けられるようになるけど、最初はコツがいるよね」
研修医「先生、どうして今回の病変は細胞がひしゃげているのですか? H&E染色だと特に……」
ぼく「ひしゃげているって? どれどれ? ああそうか! これはアゾパルディ・エフェクトと言って、検体の物理的な圧挫によって核質が漏れ出てしまうアーチファクトなんですよ」
偉い人が書いた教科書や、講演会などでいくら勉強しても、研修医との会話の中で出てくる「ああそうか」は出てこない。ふしぎなものだ。初学者であろうと上級者であろうと、各自の立ち位置から「なぜこう見えるのか」とたずねてくる臨床医の話はとにかく病理医の役に立つ。
ぼくは研修医たちがしょっちゅうやってくる病理検査室にいるおかげで、おそらく、たくさんの「師」を得ているのだ。寓話とか皮肉とかで言っているのではない。
仮に、病理診断という仕事が、「細胞を見て考えるだけで完遂する」ならば、あるいは研修医の存在は「考える時間を奪う存在」として、ジャマに思ったかもしれない。
しかし、病理診断という仕事は、「細胞を見て考えて、それを言葉にして伝達する仕事」なのだ。「伝達」が編み込まれている仕事は、異なる視座の人間とのコミュニケーションを重ねれば重ねるほど、スキルアップできるのだと思う。