ジャングルの本にも編集方針がある

メールがオオカミ少年だよ、と言ったらモーグリ? と言われたが、ファイナルファンタジーとは無関係のモーグリを知っている人が今世紀にどれだけ生き残っているのかさだかではない。

「メールがオオカミ少年」というのは、メールがじゃんじゃんぼくを呼びつけにくるが、その9割以上が「スカ」である状態をさす。

いま、ぼくのもとにメールの多くがMDPI社の論文投稿斡旋クソメールである。タイトルを見て捨てることが日課になっているからそういう感想にもなる。でも、たまに本物の「あなたの投稿論文を査読しました」みたいなメールが紛れ込んでいて、英語のメール全部をむげにもできないから困る。実際にオオカミがやってきたときにも相手にしないとあとで痛い目に遭う。

クソメール。「今度、われわれの雑誌では特集号を組んだんだ! 今なら掲載料は格安だよ! さあ、あなたの見識をレビューにして投稿してくれよ! 急いで!」みたいなメール。本当にじゃんじゃんくる。毎日すごい量だ。ブロックしてもきりがない。

これは別にぼくが優秀な研究者として認められたから来るわけではないというのがまた残念なところだ。

要は、「当選しました!系サギ」と五十歩百歩のことをやられている。ラッキーだね、と書いてあるが、なんのことはない、過去にかかわったことがある人全員にラッキーをばらまいている。

MDPI社をはじめとする一部の生命科学系出版社は、特集号という名前でオンライン限定の雑誌を増産し、レビュー、すなわちたとえるならば「まとめサイト」みたいな論文を多数掲載する。レビューはアクセスが稼げるので、インパクトファクターという、その雑誌がどれだけ他の人に参照されたかという値も高くなりがちだ。インパクトファクターが高くなれば雑誌の格は上がる。

しかし、レビュー=まとめサイトばかり増えても科学は前に進まない。新規性のある学術研究を発表する「アーティクル(記事)」が増えなければ科学は発展しない。MDPIはアーティクルを載せる雑誌をあまり真剣に作らないでレビューの特集号ばかり乱発している。そこが気に食わない。商売っ気が強すぎると感じる。

グレーなことをやっている、だめというわけではないがいまいちな会社、それが今のぼくの立場から見るMDPI社の姿だ。

ぼくが昔、ある病理AI関連企業といっしょに論文を作ったときに、うっかりMDPIの雑誌に投稿され(そういうのはやめてくれと言ったことがきっかけでぼくとその企業とは疎遠になった)、それ以来、MDPIの投稿しろしろメールが来るようになったのである。まったく迷惑なことだ。

ただし、医師・医療系研究者にとってMDPIはハゲタカぎりぎりの版元だけれど、一部の数学系・理工系エンジニアにとって、MDPIというのはいい版元なのだろうということを今ではちょっとは理解できる。AIの研究では学術的な新規性をきっちり時間をかけて査読するような旧来の科学雑誌ではスピード感が合わない。ちょっとでもプログラマーの仕事が前にすすんだらすぐに自分たちの優位性を世界に向かって発信する必要があり、それはもう特許取得合戦のような気持ちで、arΧiv(プレプリントサーバー)にPDFを瞬間的に載せつつ、MDPIのゆるゆる査読システムでかたちだけでも論文にしておくという流れは一定の意味を持っている。郷に入っては郷に従え、AI研究をするならMDPIも駆使すべきだったのだろうと今ならわかる。わかるがぼくは感覚的にそれが許せなくてたもとを分かってしまった。結果的にぼくの手元に残ったのは一度の過ちによるMDPIからの膨大な量のクソメールのみだ。

毎日メールを削除するたびに、きっとあのAI企業はいずれ大きくなるのだろうなという予感が脳裏をよぎる。ぼくはかつてその企業に、ある待遇でお金を払われる可能性があったのだが、ぼくのほうから「そういうのはやめてくれ、あくまで共同研究の立場で、金銭のやりとりがない状態で、ぼくの研究に対する興味が続く限りで付き合いをつづけてくれ」と言ったら快く応じてくれた。ああいう分かれ道で「一緒にはたらくなら社外取締役にしてもらっていくばくかの研究資金をこちらにも回してもらえれば私も全力で御社の力になりますよ」と、鼻毛を全部吹き飛ばすくらいに鼻息荒く言い切っていれば今のぼくは何か違ったものになっていた可能性はある。そんなぼくこそくそくらえである。