落日の病理医

昨年のいまごろはたしか半年先の講演プレゼンを作ったりしていた。しかし今年は1か月後に迫った病理学会の準備をまだしていないのだから、この1年でずいぶんと堕落したものである。ほかにも、某学会から依頼された総説論文のしめきりが6月なのだが、これもまだ何も取り組んでいない。資料すら集めていない。

去年ならありえなかった。早めに取り組まないと不安でしょうがなかった。

でも今は、なんか、「どうせできちゃうだろうな」という確信があり、むしろ、「あんまり早く完成させても当日忘れちゃうからなあ」くらいの達観までして、意図的に仕事の開始時期を遅らせたりしている。

そこまで悪いこととは思わない。

少しだけ「待てる」ようになってきたことは私の体にとってはすごくいいことだろう。過剰な負担を回避できる。

しかしさみしいことだと思う。

しゃにむに突っ込んでいくバイタリティを失ったようにも感じる。

仕事にどれくらいの労力をかけたらいつ頃どこまで完成するだろうかという読みがかなり上手になってきていることは、リスクマネジメント的には満点だ。

依頼を受けてすぐに「完成図」が描けると、逆算して、だいたいいつ頃から取り組めばバッファ込で間に合うだろうという見込みが立つ。

だから悪いことではない。

そしてそれ以上にさみしいことである。

「うまくいくだろうか」という不安、「ちゃんとできるのだろうか」という緊張感が日に日に失われている。



先日、某大学の基礎講座にたのまれて、Zoomで30分程度の講演を行った。学生の基礎配属実習の一環であり、聴講生は医師や医療者ではなく医学生であった。依頼を受けてから講演の数日前まで、スケジュール的には覚えていたのだが肝心のプレゼンをどうするかということをほとんど考えていなかった、というか、正確には依頼を受けた瞬間に「ならばあの話をしよう」と思って安心してしまい、数日前にZoom URLが無味乾燥なメール本文と共に送られてきてはじめて、「あっ、プレゼン作らないとな」と遅まきながら思い至った。

プレゼンは過去に別の場所でしゃべった内容をもとにいろいろと手直しをした。使いまわしではない。症例が古すぎると思えば差し替えるし、まとめに至る論理がごちゃついているなと思ったら大胆に順番を入れ替えたりカットしたり、実例を付け加えて「概念み」を薄めたりする。この作業は1日かからなかった。

当日もプレゼンはとどこおりなくすすんだ。とどこおりなさすぎたとも言える。よどみなくしゃべりきったプレゼンの最中は小さい笑い声も聞こえてきて、事前に想定していた反応はおおむねいただけた。質疑応答は一切なし。正確には、時間はもうけたが、学生からの質問はなかった。落語や漫談を聞き終わったあとに質問をする客がいないのと似ている、とふと思った。そしてZoomの回線を切ったとたん、猛烈なやりきれなさにおそわれた。

こんなプレゼンテーションで誰かの心が動くわけがない。

最近はなんでもそうである。無茶振りに答えて短い時間で猛烈な量のスライドを用意して講演をする。私を呼んだほうは私の講演内容よりも「私がしゃべって場をつないだ」ことで満足してしまっている。聞くほうもまたあまりにすらすらとしゃべり終える私の講演最中はもはやメモもとれず、一本のエンタメを見てため息ひとつついて映画館を出て楽しく家に帰るような感じになっていてあとには何も残らない。

案の定、2週間の実習を終えた学生からのアンケートには、私のことは何一つ触れられていなかった。当然である。よどみないということはすなわちひっかかりがないということだ。表面がつるつるすぎるラーメンにはスープが絡まない。



昔、ある宴会の席に、全国的な知名度があるお笑い芸人がやってきたことがある。その芸人が登壇すると、広い立食会場の前方には女性を中心に客が殺到してスマホで写真を撮り、芸人は慣れたものでいわゆる「音ネタ」をやって会場をわかせていた。営業1回で何十万か稼いで去っていったあと、宴会はとどこおりなく進行し、最後にはビンゴかなにかをやって会は終了した。駅までの道すがら、私は周囲の人びとがだれも芸人の話をしていないのを見て少しぼうぜんとしてしまった。あんなに有名な人が来たのに。しかし同時に、私自身もその芸人の「うまさ」と「場を作る力」にばかり感心していて、肝心のネタのおもしろさなどはもはや何も覚えていないことに気づいていた。

私があのお笑い芸人と同じレベルでしゃべっているなんて思わない。向こうは本物のしゃべりのプロである。しかし、学術講演で、豊富な経験をもとに、引き出しからなんでも出てくるぞとばかりに、とうとうと    、病理診断学のおもしろさや奥深さを語るという構成、めずらしさ、価値、そういったものが「なんのひっかかりも持たなくなりつつある」ということに、私はあのお笑い芸人と同じ位相の何かを感じた。話す方も聞く方も真剣勝負、うまくいくかはわからないがなんとか心に届かせてみせる、という渾身の何かが込められていない、技能と手癖、連想と反射でどうにかしてしまっている今の私の講演には正味で言うと価値がないのだ。



最近、やってくる仕事の多くを、私より若い病理医に振るようになった。依頼を受けた人たちはみな緊張したメールを返してくる。そして、ときに私に、「どうやって講演を作ったらいいか悩んでいます」と正直に内情を吐露し、私が過去に作った講演のプレゼンなどを見せてくれないかと依頼してくることもある。私はそれに応じて、だいたいこのような依頼のときはこういう感じでプレゼンを作るんだということを、具体的に見せて説明をし、いくつかのパワポをこっそり渡してあげたりもする。

しかし、私のプレゼンを参照したところで、「講演の形」をそれらしく整える役には立つだろうが、それ以上の場所にはたどり着けないのではないか、ということをよく考える。

聴衆が聞きたいのは、なんらかの縁あって登壇することになった人間が、依頼内容を自分なりにどう考えて、どこでどう戦って、何を生み出して、それをどうまとめてどう語ろうとしているのかという戦いの過程すべてである。「これで伝わるだろうか、これなら伝わるだろうか、これだと伝わりにくいだろうか、どうやったらみんなが喜んでくれるだろうか」と、頭をひねり、体をよじって、大量の口内炎をつくりながら講演前日の夜中までうんうん唸ってこねくり回した魂のパワポ、それはメイリオと游ゴシックが入り混じったような統一感のないスライドかもしれないし、引用文献のクレジットが間違っているかもしれないし、依頼の一部を読み違えていて見当外れな部分ばかりを解説してしまっているかもしれないし、本当に聴衆が聞きたいことからは1歩、2歩ほどずれているかもしれない、それでも、「確かに演者がそこで激突した」という衝撃が刻まれていさえすれば、講演というのは大成功であり、そうでなければ大失敗なのだ。

私はこの先、かつてほど苦悶して何かを作り上げて人びとの審査を待つような機会を得られるものだろうかということを、不安に思っている。査読論文に投稿することにもどこかルーティン的な「飽き」を感じるようになった今、講演も、解説も、すべてが白々しく思える。自分はもう折り返してしまったのだなということを残念に思う。それでもなお、十年一日の依頼に本気で答え続けることでしか、私自身の閉塞に点穴は開かない。私の没落を受け止めることができるのは私以外にはありえないのである。