脳だけが旅をする

おもしろい本、おもしろそうな本、企画が今風だけどめくってみるとあきらかにつまらなさそうな本、定期購読でごくごく水を飲むように読むだけの本。届く。届いた。あまり意味のない動きで出迎えた。トランプを、もうそのへんにしておけよと言われるまで、えんえんと切り続けている子どものような動きで、さっきから本の上下を入れ替えながら表紙に目をやっている。読む順番を考えているように見えるかもしれないがじつはそこまで考えていない。これが私なりの「積ん読」のやり方なのかもしれないなとふと思う。効能・効用など一切ない。まとめて買ってきた本の順番を入れ替えながらどれから読んでやろうかと無駄に10分くらいを過ごす時間は、しかし、数少ない私の趣味ではないかと思われる。

まあとにかく本ばかり読んでいる。契約していたジムもやめてしまった。運動はとうとう趣味にできなかった。妻もあきれている。むかしは40代も後半になったらおそらくウイスキーとかワインとかをもう少し飲んでいるのだろうと予想していたけれど、実際は真逆で、金麦(75%オフ)を数本飲んだらすぐに寝てしまう毎日だ。なじみのバーからも足が遠のいた。もちろん感染症禍が原因ではあるのだが、今も出不精の終わる兆しはない。出不精ついでにいうとドライブも一生分したのでもうあとは用事だけでいいなと思っている。旅行に出られるほど時間に余裕ができたとして私は果たしてどこかに旅をするタイプの人間だろうか、もう、正直あまりそこは期待できない。近頃は食にたいしても興味が持てない。音楽は好きだが車の運転中にポッドキャストを聞くようになったせいかあまりそれ以外のものを聞かなくなってしまった。一日の中でまともに耳にした音楽が風呂場から聞こえてくるJ-POPだけということもざらにある。そうそう、これ、けっこう重要だなと思うのだけれど、私はそもそも金ならびに金が必要なあれこれに興味が持てない器質なのかもしれない。何かを買うこと、あるいは稼ぐことに対して、「金があるから使ったのだろう」「金で金を増やしたのだろう」以外の感想があまり出てこない。「金があるだけで脳とは関係なく何かを起こすことができる」という、金の「努力も運も関係ないただひたすらの平等さ」の前に私はしらけてしまうのかもしれない。金は偶然すら平らにならしてしまう。ないよりはあったほうがいい、という一般論を秒で拡充して「だからあるだけあったほうがいい」まで引き伸ばしてしまうタイプの人とはおそらく一生話が合わない。こうして列挙してみると自分の中に本しか残っていない理由もなんとなくうっすらわかってきた。本はまったく平等ではない。易しくもない。そして必要以上に金がかかるわけでもないがまったく無料で読めるというものでもない。そういうバランスの最たるものがおそらく本なのであろう。

ところでちかごろは、月に一度くらい映画も見に行くようになった。きっかけは漫才師・米粒写経の「談話室」というYouTube番組だ。毎月更新されており、あっというまに常連たちによって50000再生くらいされる優良番組で、本編のほうもおもしろいのだが、同時に更新される「映画談話室」というコーナーもこれまたおもしろくて、それがきっかけでちょくちょく映画を見に行くようになった。というか、私はおそらく、自分ひとりだけでは映画をとことん楽しみ抜くということは無理なのだと思う。米粒写経のふたりと松崎さん(映画評論家)のやりとり、語りがあって増幅されてはじめて映画という一大エンタメを楽しめるだけの「ゲタをはかせてもらった」のではないかと思っている。映画談話室では、1ヶ月後に番組で語られる予定の「お題」を提示してもらえる。それを映画館に見に行って、自分でつたない感想を持ったのちに、YouTubeで米粒写経と松崎さん(映画評論家)の話を聞く。このリズムが私にはちょうどいいのだった。

ちなみに米粒写経の談話室の本編内には「居島一平 古書探訪」というコーナーがある。その名のとおり、居島さんが首都圏やときにはもう少し遠いところにある古書店・古本屋をおとずれて、その場で古本を書い、「つまんだ本の話」を10分くらいしてくれるのだけれど、これがまた抜群におもしろい。「よくそんなこと知ってるなあ」という言葉をちかごろは1日に何度か口にする、そのほぼすべてを萩野昇先生と居島一平さんのために用いている、それくらいの「本の虫」を目の当たりにできることが喜びだし、そういう人たちが語る映画の話だからこそ私は映画をも趣味にできつつあるのかもしれないな、と思う。私は元来古本にあまり興味が持てなくて、でもそれはべつに人が持った本がだめだというような衛生的観点から生まれた距離感ではなかったのだけれど、なんか、どうせ読むなら新しい本のほうがいいやという謎のルールで自分を長年しばっていたのだが、そういう「古本への苦手意識」すらも古書探訪は取り除いてくれた。

こうして書いてみると、「本しか趣味がない」どころか、本という趣味ひとつを基軸にしつつも少しずつ横の違う世界にずれていく感覚があって、ハマヒルガオの地下茎が横に伸びて新たな花を咲かせるかのようで、本とはなかなかいい趣味なのではないかと思えてくる。金を稼ぐことが趣味である人も、おそらくこうしてリゾーム的に、金の成る木から横に伸びたなにものかをも楽しんでいるのだろうから、本ばかりひいきして語るのもマナーの悪いことなのだろうが、ようやく私が腰を落ち着けることができそうな場所の話なので、そこはご容赦いただきたいものである。