すごく圧なんだよね

病理学会が終わって、幾人かの先生方にご挨拶のメールをお送りしている。みな、どことなく興奮しており、いい学会だったのだなとあらためて納得をする。私が座長をしたセッションに演者・ディスカッサントとして登壇してくださった方々にまとめてお礼をお送りすると、そのうちの一人から、喜びのメールが届いていた。

「あの学生さんの言葉は身にしみました」

職場のデスクでひとり大きくうなずく。たしかに。セッションの最後に北海道の医学生がひとこと、我々中年の横っ面をひっぱたくようなすばらしいことを言った。ステージに上っていた演者、座長、そして会場の聴衆だれもが、はじかれたように笑い、轟音となった笑い声のうちにベースギターのように感服のため息がもれたことを私は聞き取った。

その学生さんはこう言ったのである。


「病理が好きだっていうと、どの先生も『じゃあ病理に入りなよ』と勧誘モードに入るんですけれど、そうじゃなくて、病理に純粋に興味をもった学生に病理学のおもしろさをシンプルに伝えてあげてほしいです」


病理医はすぐ勧誘をする。いや、医者はすぐ勧誘をすると言い換えてもよいかもしれない。どの科も人が足りない。だからいつも若手を勧誘するチャンスをうかがっている。そして、じつは単純に人集めをしたいというリクルート欲だけではなしに、若い人の感性が自分たちの仕事を認めてくれているかどうかというのをすごく気にしている。自分がおもしろいと思って働いている場所を、次の価値観の持ち主が同じようにおもしろいと思ってもらえたらいいなという欲望を隠さない。

結果として、「病理学の概念や手法に興味があり、ほかの科の医師になりながら病理学の知恵を活用してみたいと願う学生」たちにとって、病理診断科のスタッフのきらきらとした目線は毒になりうる。病理に興味があると言うとすぐ「なら入る? 入ったら?」の話に転換されてしまうことに違和を感じてきたのだろう。

くだんの学生さんは、じつは、何年も前から病理に足繁く通い、ほとんど病理学講座のスタッフではないかと間違われるくらいに病理になじんでいる。そのような学生さんだからこそ言えることなのだ。もはや勧誘されることなどないくらい病理のみんなと仲良くなっているからこそ、逆に苦言を呈することができる。もともと、社会性が非常に高く、おそらく私たち中年よりもはるかに周りに気遣いができ、明るさを失わず、向上心をもったすばらしい人だからこそ、あの場で怒りを一切含まない笑顔とともに、私たちの摩耗したむき出しの欲望にくさびを打ち込むことができたのだと思う。



「あの学生さんの言葉は身にしみました」と書かれたGmailをスマホで確認した朝、妻にそのことを告げると、妻は少しうなずくようにしてこう言った。

「私たちの一言って若い人からするとすごく圧なんだよね」

本当だ。気をつけないと。

私もかつては年の近い後輩たちに「病理に入んなくていいんですけど、でも、病理の知識を使うとあなたの臨床が便利になるということはありますから、視界の片隅にでも病理を入れておいてくださいね」くらいのことを言っていたものだが、そういう「搦め手の勧誘」みたいなことをしすぎてきて、慣れてしまって、いつしかシンプルに「おっ病理来る?」と、終電がなくなった瞬間に「うち来る?」というときのスピードで若手に語りかけていたように思う。我々は歳をとり、圧を増したイシである。漬け物がいい感じで漬かるだろう。人に踊りかかってはいけない。ケガをさせてしまうからね。