「ほぼ日」というウェブサイトにピラミッドにまつわる対談が掲載されていて、おもしろく読んでいるのだが、その中に、
「ピラミッドというのは最初からああいうふうに作ろうと思って作り始めたものではなくて、作りながらいろいろと試行錯誤した痕跡が残されている」
という話がでてきた。
ピラミッドを調査すると、全体が統一された設計図のもとに作られたわけではどうやらないということがだんだんわかってきたそうなのだ。たとえば、王様の棺をいれる部屋の天井がひびわれていたり、一部の部屋が地盤沈下していたり、それを取り繕おうとした痕跡みたいなのもあるという。おそらく作成しながらああでもないこうでもないと、いろいろ試しているうちに少しずつできていった建造物なのだ。
ははあ、なるほど、ピラミッド。外見があまりに整った四角錐なので考えもしなかった。
しかし、確かにあの規模、言われてみればそうだよな。もし古代エジプトの人びとが、最初からピラミッドの完成形を見据えて工事をはじめたのだとしたら、いやいや、CADもない時代にいったいどんな天才が設計したのか、ちょっと想像の範囲を越えてしまう。とうてい人間業ではない、宇宙人かなにかがオーパーツとかアレとかソレとかをなんかうまいこと使って作ったものなんじゃないかと思えてしまうのだけれど、「作りながら考えた」というならば直感的に受け入れやすい。あちこちあれこれ試して部屋とか作りまくったあげく、最終的にすべてを覆い隠すようにでかめの四角錐でくるんだという想像もできる。砂場の子どもが町とかお城とかをがんばって作るんだけど、最終的に細かいところがめんどうになって破綻してただでかくてきれいに整った山を作り終えたところで親が迎えに来て「まあすごいお山ねえ」と拍手するんだけど子どもは本当は違ったんだよなってちょっとすねちゃう、という感じだろう。それはとてもよくわかるなあと思った。
さて、話はここからまるで違う方向にすっ飛ぶ。私は仕事でたくさんの「がん」を見ている。いわゆる「進行がん」と呼ばれる病気に対しては、がんを「がん足らしめている」、決定的な遺伝子変異に着目するようにしている。
ある細胞たちが凶悪になったのはなぜか? それは、この遺伝子に変異が生じたからだ! というかんじで、「原因」をさぐる。
たとえばEGFRという遺伝子の変異であったり、KRASという遺伝子の変異であったり、ときにはBCR-ABL1という遺伝子の異常な融合であったりする。
原因を決めて何がしたいのか。別に私たちの興味を満たすためとかではなしに、「原因に応じて治療を決める」ことができて便利なのだ。それぞれの遺伝子変異に対応した抗がん剤がどんどん開発されている。
がんをがん足らしめている遺伝子変異のことをドライバー変異という。進行がんを診療する医師たちはみんなドライバー変異に興味があるといっても過言ではない。
一方で、私は胃や大腸や膵臓や肝臓などの「がんの芽」を仕事で扱うことも多い。いわゆる「早期がん」と呼ばれるものもみるし、「まだがんですらないもの」、すなわち前がん病変と呼ばれるようなものをよく相手にしている。
前がん病変はほうっておくとがんになって人間の体に悪さをする。悪の芽ははやめに潰すことが肝心だ。医療従事者はこぞって前がん病変を探し出す。
しかし、じつは、前がん病変というのは診療するのがとてもむずかしい。進行がんの診療が簡単だと言いたいわけではないが(むずかしいが)、前がん病変には進行がんとは違った難しさがある。それはなにかというと、「まだドライバー変異が確定していない」のである。
がんをがん足らしめる変化が、まだ加わっていない。「ああ、ドライバー変異がまだ起こってないけど、これから起こるってことですね。変異が起こるまえに見つけて治療したほうがいいに決まってますよね」。まあそういう話なんだけど、ニュアンスはもう少し複雑だ。
じつは、前がん病変にも、さまざまな遺伝子変異がある。ふつうの進行がんにみられるドライバー変異と同じものが見つかることだってある。
ただし、変異はみつかるが、「どれが決定的な原因か」がわからない。これが前がん病変の難しさである。
いったい、どういうことか?
前がん病変はいくつかの遺伝子変異をもった集団だ。ある細胞はAという変異をもち、別の細胞はBという変異をもっていて、そのとなりにある細胞はCという変異を持っていたりする。このような多様な集団の中から、いずれ、「どれか一人だけが勝ち残って」進行がんになる。すなわち前がん病変とは、「まだ誰が勝つか決まっていないバトルロイヤルの現場」なのである。
たとえるならば戦国時代。群雄割拠。織田が勝つかもしれないし武田が勝つかもしれない。今川だってまだまだ元気。武田には騎馬武者隊があり、今川には……よく知らんけどなんか長い槍とかがある。で、織田はこっそり鉄砲を仕入れている。これらのどれが将来的に覇権のきっかけになるかは、戦ってみないとわからない。史実だと織田が勝った。しかしパラレルワールドでは違うかもしれない。
時代が何にほほえむのかは時間を先に進めないとわからない。
前がん病変というのは、顕微鏡で観察しても「一枚岩ではない」。見る場所によって形態がかわる。病理医になって間もない人が、「これは前がん病変です」と診断したものをよーく見ると、前がん病変という病名ひとつでは語り尽くせないようなバラエティに富んだ細胞がたくさん潜んでいることがある。まあ、「がんの手前」にいること自体は間違っていないのだが、よーく細胞をみるとやっぱり違う。
逆に、進行がんは、病気のどこを見ても細胞同士に共通点があるというか、「共通の悪さ」が感じられる。細胞を見ていると、この病気は統率がとれているなあ、と細胞を見ていると思えてくる。
したがって、治療はともかく、診断する(病名を決める)ときには、進行がんよりもむしろ前がん病変のほうが、バラエティ豊かな細胞を見極めなければいけないのでちょっとむずかしくなる。そういうことを私は日々考えながら働いているわけだ。
で、だ。
進行がんを見ていると、「がん細胞というのはがん細胞なりのルールを持って、このように広がろうとして広がっているんだなあ」みたいな「ストーリー」を勝手にアテレコしたくなることがある。がん細胞に「気持ち」なんかないんだけれど、あまりに統率がとれているから、あたかもがん細胞が統一した意志をもっているというか、まるで「設計図」に従って分布しているかのような秩序を感じてしまうことがあるわけだ。
しかし、実際には、がんは最初から計画的に悪さをしているわけではない。「前がん病変」の時代には、かなり試行錯誤をしている。この変異があるからといってがんとして育つかどうかはわからない、だからいろいろと変異をためこんで「いろいろ試している」時期がある。や、実際には試しているんじゃなくて試されているんだけど。
なんかこの一連の思考が、「ピラミッドは試行錯誤の末に整った形になって建造された」こととオーバーラップしたのである。
ピラミッドも「選択圧」によってできあがった秩序なのだな、と思って今日のブログを書き始めた。つたわったかなあ。説明へたでごめんね、もうちょっとうまく説明できるようにいろいろ試行錯誤してみる。