おばかさんよね

北海道、冬、積雪のあと、車の通行が多い大きな国道の雪はあっというまに解けるが、小さな道路では車が通るたびに車輪の痕だけが踏み固められてそこだけがへこみ、轍(わだち)となる。

轍ができるといろいろあぶない。脇を歩いている歩行者をドライバーがよけようと思っても、轍にタイヤをとられてふたたび道の真ん中にズリっと戻ってしまったりする。タイヤが小さく車高が低い軽自動車などは、いわゆる「亀の子」状態になってタイヤが空転し、にっちもさっちもいかなくなってJAFを呼ぶはめになる。

轍のできる条件は、「同じ場所を何度もタイヤが往還すること」と、「道が広すぎないこと」である。そもそも車の行き来が少なければ轍にはならない。また、道が十分に広いと、轍ができかけた段階でドライバーは轍を避けて車を走らせるのでかえって轍はできない。つまり家の前に走っているような中小の道路が一番危ない。



思考にも轍ができる。毎日同じくらいの時間に同じようなことを延々と考えてしまうときに轍ができる。行きつ戻りつ、同じタイミングでハンドルを切り、同じ場所に何度もタイヤの痕をつけて、道をえぐり、もはやそこから抜け出せなくなってしまうのだ。

思考の総量が国道なみに太ければいいのだが、たまに考える程度の、たまにしか考えない程度の、生活道路くらいの交通量の思考だと、容易に轍にはまりこむ。つまりは「もっと深く鋭く考えればよい」のだけれど、人間、いつもいつも十全の思考ばかりできるわけではない、というか、たぶん軽自動車で近所をうろつくくらいの思考こそ、私がもっとも頻度高く行っているものであり、そういう思考というのは往々にして轍を作りがちなのである。


かつてサザンが「希望の轍」という歌を歌っていたが、今にして思うと、「視野が狭くなった状態で希望の話をするとたしかに考えは轍のように同じ場所にはまりこんでしまうものだよな」ということを連想してしまう。思考のタイヤを轍にとられないためにはどうしたらよいか? 同じ道ばかり往還するのをやめること。仕事中でもときどきスイカゲームをするなどして思考を別の場所に飛ばすこと。いっそ自動車ばかりではなく徒歩で思考すること、あるいは逆に空を飛んでしまうこと。

どれだけ車の排気量が高くドライバーの運転がうまくても、限られたルートばかり通っていればそのうち轍にはまりこむ。思考にはそういうところがある。