ユニクロのサブスクがあれば残りの人生のストレスが半減するはずだ

内田百閒の『ノラや』は中公文庫にたくさんの古本があるのだが(新刊もあるだろうが)、最近、中央公論新社より『愛猫随想集 ノラや』として2000円超えの単行本になって再販された。再販というか、サザエさんに対する「よりぬきサザエさん」みたいなもので(このたとえが令和に通用するのだろうか)、元本のどっぷりみっちり猫猫したエッセイの中から8編を選んで掲載したものであり、商魂たくましくお得感のない割高本である。しかしそれでも装丁や口絵(なにを載せているかは秘する)がよくて私としてはわりと満足している。まあ金を出して買ったからひいきをしているのかもしれないけれど私は今回の買い物に満足している。

内田百閒をこれまでぜんぜん読んでこなかった。そもそも昔の作家をほんとうに読んでいない。「教養のなさ」である。昔の文章というのは、往々にして、昔のマンガの絵面とおなじで、今となっては読みづらい。すぐれた先達に影響を受けてさらに洗練された作家に感銘を受けてそれをさらに超えるべく努力の末に生み出されたものが今の本屋のラノベ棚に並んでいる。そっちのほうが読みやすいし平均的なことを言えば含蓄だってあったりする。古典名作は当時読むから名作なのであって今読んでもだめ、みたいなことはたしかにある。しかし、やっぱり、内田百閒の書くものはしみじみ心に桃の皮みたいに刺さってきて、私は思わずバスの中で読みながらもらい泣きをしてしまった。人がいいと言っているものをもっと素直に読むべきだ。古典はいい。小説を読んだことがなかった32歳がはじめて本を読む企画が先日本になってホクホク読んだがそこでも同じことを思った。太宰も芥川ももっと読めばいい。これまで読んでこなかったといって後悔する必要はない。これから読めばいい。青空文庫でだっていくらでも読める。とはいえ私の性格的にはちょっとでもいいから金を出して入手したほうが読む気になるんだろうな。



西日本新聞というおよそ今の私となんの関係もないローカル紙のオンラインを有料購読している。月額1100円。Spotifyは無料で使い続けているしNetflixにもまだ金を払ったことがないのに西日本新聞は購読している。理由はもともと豆塚エリさんの文章が読みたかったから、なのだが、豆塚さんの文章が載っていなくても、遠い土地の新聞を購読するという歯がゆさがそれなりに楽しくて、今も契約を続行したままだ。偏差だなとは自覚している。

西日本新聞からはときどきメールマガジンが届く、あらゆるメールマガジンの担当者は空間のクレバスに落ちて別次元にふっとばされればいいと日頃から真剣に願い神仏に懇願しているが、西日本新聞のメールマガジンだけはたまにヘッドライナーを読んだりリンク先を読みにいく。重ねて言うまでもないことだがこれはべつに西日本新聞が特段優れているからとかメールマガジンに伝説の書き手がいるからといった前向きな理由ではなく、「人生の太い幹とは別になんとなく間引きせず残しておきたい脇芽」という風情で残しているだけのものである。

で、今日、そのメールがさきほど届いて、タイトルに

「まれに見る大ホームラン」

とあった。大谷翔平かそうでなければ今の時期だと山川穂高あたりの話だろうなと思っていると続く言葉が「北九州市の資さんうどん、240億円大型取引の舞台裏」だったので不意を突かれて大笑いしてしまった。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1256600?utm_source=daily_newsletter

そうかそうか。そういうホームランもあるよな。本文はきわめてふつうの経済×社会ニュースであり特段おもしろいことはない。おもしろいことはないのだが私はなんだかこういうのを毎日でなくともたまに金を出して読むというのは案外いいものかもしれないなあと感じた。まあ金を出して購読しているからひいきをしているのかもしれないけれど。


なんでも無料で読める時代になぜ金を出してわざわざ読むのかと考えると、うーん、なりゆきというか気まぐれという理由が大きいなとこれまでは考えていたし、たぶん私の心の底から引き出される理由は今もそれと大差ない。ただ、意図とはべつに、結果的に役に立っていることがある。それは、「金をかけてコンテンツを入手することで、ほかにあるたくさんの無料コンテンツを間引き、自分が向かう先を『限定』することができる」ということだ。SNSでだらだらとウェブ漫画を読み漁り、YouTubeでお気に入りのVtuberを延々と検索していると、いつしか摂取する情報が脳の一日のキャパを越えていて、翌朝目覚めると結局昨日はなにをしたんだっけ、タタミイワシみたいに敷き詰められた情報が色彩をうしなって真っ黒につぶれて見えるような気がして、ああなんかいっぱい見たな~、まあ時間はつぶれたからよかった、チャンチャン、となってしまう。一方、金を払ってなにかを入手すると、ほかに無料のコンテンツがたくさんあっても、「とりあえずもったいないからここから読むかな」というように、自分の中に優先順位が生まれ、無限の情報がキュンと刈り込まれて有限化され、360度に張り巡らさなければいけなかった視野が前方30度くらいにしぼりこまれる。それは端的に言って「いいこと」なのかもしれないなと思った。資さんうどんのニュースなんてちょっとも興味なかったけれど私はあの記事を読んでよかった。ただ書いてて思ったけどサブスクはその意味では、金を払うことで自分の持ち物にするという感覚を半減というか10分の1くらいにしてしまうよな。サブスクってほんと堕落した仕組みだよな。