iPhoneこそは家族のためのツール

iPhone 16が発表になったので買い替えるだの見送るだのいう話題がタイムラインを流れている。スマホってそんなにほいほい買い替える必要ないだろうとかいうのは野暮で、これはいわば「正月」といっしょの風物詩だ。定期的にめぐってきたらそれに向かい合って労力や金銭を投入してみんなでワイワイ言うことが大事。昼はたまにしか会わないよその家の子(比喩)のめんどうを見て、夜はたまにしか会わない親族(比喩)と酒を飲んで、ふだんはむしろ仕事や学校やバイトや趣味で会話もなくなっている同居の家族(比喩)とも珍しくだらだら話し込んでしまったりして、決め事に追われつつもいつもと違うという中途半端に気だるい時間、ハレでもないケでもない宙吊りの半祭礼状態にほうりだされる。それが正月、そういう古き日本の定例行事が、家族単位の変化と共に失われつつある昨今、人間の本能が求める互酬……というか「互いに無駄をおしつけあうコミュニケーション」の代替として浮上したのが、Apple製品の定期的なアップデートとそれにまつわる大騒ぎなのだろう。たまにしか会わないF/F外の子のポストを見て、相互フォロー同士でいいねを酌み交わし、エアリプ以外でやりとりのない古参とも珍しく直リプをやりとりしたりする。iPhone買い替え騒ぎイコール正月理論。

みんな好きに楽しめばいい。かくいう私はそういう定期的な祭礼は正月だけで十分だと思っているのでこれからもApple製品は使わないけれど、ジョブズを毛嫌いしているわけでも黒のタートルネックが生理的に無理なわけでもないし、iPhoneを買い替えたといって楽しそうに自撮りする人の写真がTLにあふれてもみなさんの想像以上に優しい目でそれを見ていて何なら心から応援しています。

テレビ番組で「有吉の夏休み」というのがあって、有吉弘行は毎年似たような芸能人(田中、吉村、みちょぱ等)を集めて夏休みと称して数泊の長いロケをするのが定番になっている。これぜんぜん休んでないよね、みたいなことをテレビのこちら側でだらだらつっこむところまでがワンセット。そしてiPhoneの新作が出るたびに盛り上がる人間というのは有吉の夏休みのディレクターと似たような思考回路なのだろう。それはさぞかし楽しいだろう。金はかかるし合理的な意味もないんだけどたまに集まってワイワイ言うだけで心が洗われるような気持ちになるだろう。ちなみにくだんの番組はたぶんけっこう視聴率がいい。テレビというコンテンツを見るのはもはや45歳以上が中心で、それより若い人がたまにテレビを見るのは「コンテンツを放映した場所がたまたま今日はテレビだった」以外に特に意味はないように思うので、視聴率という数字もまたほとんど意味をなさなくなっているのだけれど、ともあれ45歳以上はコンテンツがなくてもとにかくテレビに正対することにまだ意味を感じている。何を見るかを決めずにテレビをつけてザッピングしているときに有吉の夏休みをやっていると思わずそこで止まってみてしまう、それが「視聴率が高い」のリアルな意味合いだろう。思えばiPhoneとテレビも似ている。ほかにいろいろある中でたまたまiPhoneというのではなく、とにかくiPhoneの前に正対してそこからどうするか考える。iPhoneの新ナンバリングの発表というのはそういう人たちにとって「有吉の夏休み」的、祭礼的、焼き芋屋さんの巡回的、箱根駅伝的に視聴率が高そうだ。値段が高額だから45歳以上だけ盛り上がっているということだけではないように思う。後期中年はテレビ的マインドの残滓をiPhoneにさし向けているのだろう。

ところでレギュラーメンバーを「ファミリー」と呼ぶあらゆる企画・番組・仕組み・しきたりが嫌いだ。「火曜日レギュラー」とかも気持ちが悪い。番宣で入れ替わる俳優以外に毎回固定で出演するタレントたちを「ファミリー」と呼んでなれなれしくセットにするあれ、どこがファミリーなんだと思う。毎週仲良くいっしょに働く関係なんて家族でもなんでもないだろう。家族というのは、一緒にいすぎると居心地が悪いとか、効率のためにしかたなくセットになっているけれどお互いの心まで癒着しているわけではないとか、もっとずっとドライで容赦ない概念だ。「ずっと仲良し」というのはカップルであってそれは家族ではない。「仲良しなこともけっこうあるよ」くらいがリアルで平均的な家族の姿ではないか。そういう意味でいうと、まさに「iPhoneの新作が出たらTLで自分と同じくらい騒いでるやつ」なんてのは、本当の意味でのファミリーの距離感かなと思う。そのへんでうろうろされても別に不快だとは思わないがとりわけいつもチェックして追いかけているというほどでもない、長年連れ添ったパートナーや親子兄弟のような相手が、iPhone新作だといって妙にテンション上がっているのを見て、ったくしょうがねぇなーみたいな気持ちになるこれって家族に対する感情でいいじゃないか。もっとも、「iPhone 16出ましたね! もちろん買いますよね! 買わないなら盃を返すということですからそれはつまり切腹です」というマフィア的ファミリー感覚で盛り上がっている人もいるにはいるがそれは少数派だろう。iPhone新作に仁義のあるなしを語る人間は減ってきた。iPhone新作はもっとずっとファミリアだ。いつもはお互いにわりと積極的に無視していて、なんなら軽くいがみあっているような間柄でも、iPhoneの新作が出ると同じ話題で盛り上がっているのがわかって、ああそれって家族みたいなすてきな関係ですねと思ってほっこりする。今、私はiPhoneの話をしながら家族愛の話もしている。iPhone、なんてすばらしい商品なんだろう。iPhoneは令和に生きる私たちが忘れかけている家族のぬくもりを思い出させてくれる。正月の宴会で玄関に吐き散らかして親戚の子どもの靴を汚したことを何年経ってもねちねち言われてつらいから正月には実家に帰らないことにした、と言いながら、親に内緒で仕事をやめて投資で生計を立てている元同級生のことを思い出す。彼はiPhoneの新作が出るたびに買ってFacebookに毎回自撮りを載せる。彼だけが年をとりiPhoneの見た目は基本的にサイズとカメラの個数以外あんまり変わっていない。変わらないものを真ん中に据えて「また進化した!」と騒ぎながら本人ばかりどんどん老けていく。ああ、家族みたいだ、ほっこりする、iPhone、なんてすばらしい商品なんだろう。