ふと手を見る。竹刀を振らなくなって20年以上が経ち、左手の小指のつけねの筋肉はすっかりぺらぺらになった。重いものを持っていない手。使わなければおとろえていく。タンパク質だけに限った話ではない。一人暮らしの台所を一切使わないまま数年くらしていたときのあの独特のさびれかたを思い出す。油汚れが浮かず水垢と綿埃が溜まっていく感じ。「廃用性萎縮」の原風景、北海道大学北18条門から徒歩10分、北19条西5丁目、第一野村荘2階204号室。いまや跡形もない。使わなければ消え去っていく。ハイヨー。
毎日の仕事が終わるとカラッと忘れてまたすぐに次の仕事にうつっていくような暮らしだから海馬も萎縮している。短期記憶が持たない。現在を維持するにあたって遠い記憶ばかり反芻している。いまどうしてるかを書き始めたはずのブログに過去が入り乱れる。私の正体は緩慢な走馬灯なのだが、そこからまわりに灯りが漏れているだけなのに、自分が灯台であると勘違いをしている。
LINEのスレッドをときどき消す。これ誰だっけと忘れた状態でアイコンを見ると傷つくから、忘れる前に消しておくとよいのだ。人付き合いの廃用に関する姑息的なライフハックである。無理に点滴してむくみをふやすようなことをせず、乾かしたままで、おだやかにコミュニケーションの末期をささえる。アレクサ、看取って。
なぜかはわからないのだが定期的に西日本の旅行会社からの営業メールが古いメールアドレスに届く。いつ、どこで、なんのパックを組んだ際に、メールアドレスを登録したのだろう。札幌に支社があるかどうかもわからない中堅どころのツアコンだ。長崎とか高知とか石垣島への旅行はいかがですか。HTMLではなくテキスト形式の営業メール。届くとすぐにポインタを乗せてデリートしているのだけれど、なぜか、いまだに、配信停止の手続きをとらないでいる。中高の友達は切ったのにトラベル会社の営業は切らないで残している。惰性という言葉で十分だと思う。いずれ、残しておいてよかったと思うものなのだろうか。残しておけばよかった数々の記憶の残骸をかきわけながら、ああ、これは残っていてよかったと、安堵する日がくるだろうか。こうしてブログに書いてみてああもういいやと思ってたった今、配信停止のリンクを押した。2つタップしてこれでもう届かない。ハイヨー。