というわけでご無沙汰の新幹線だ。いい歳をして、いまだに新幹線に乗るとわくわくする。同年代にこのことを言っても微妙なリアクションしか得られない。カマトトぶってんじゃねえよという顔。このたびはじめて、スマートEXをダウンロードしました。はあ? カマトトぶってんじゃねえよ。
突然の出張が間にはさまり予定がずれた。いつもの職場で仕事を終えてその足で直接名古屋に飛ぶつもりが、女満別空港方面にいったん寄らなければならなくなり、結果、翌日の名古屋での仕事に間に合わせるためには女満別空港からの最終便でいったん東京泊とする。もとのフライトのキャンセル、新たなフライトの予約、もとの名古屋のホテルのキャンセル、取り直しの東京のホテルの予約、立て続けに進めて、一番わからないのが新幹線であった。たくさん走ってるから余裕だよ、朝イチは空いてるよ、とかつて友人たちは言っていたが、インバウンドとオーバーツーリズムで現在どれくらいの乗車率なのかが読めなくて心配になる(結局空いてた)。えきねっとで予約するとチケットは紙になります。えっなんで。じゃあなんのためのアプリなの。東海と東日本は違うから? 地続きの島のくせに、カマトトぶってんじゃねえよ。
それでもかつてに比べると私は摩耗した。究極のところでは「まあなんとかなるだろう」という感じでいられる。紙チケットの発行・受け取りを駅で直接、券売機にクレジットカードを突っ込んでやってくださいと言われたら、昔の私なら朝にひと手間やることがあるだけでひどく緊張して予定の1時間くらい前には駅についていただろう。でも今は違う。社会のインフラがそこまで整ってないはずがない、という、よくわからない信頼もしくは諦念みたいなのがあるし、これで万が一交通に失敗してもそれで誰かが死ぬわけでもあるまいし(私の社会的信用は死ぬが)、さほどピリピリすることでもないかなと思えるようになった。ただうっすらとワクワクはしている。
5時間寝るために24000円が必要であった。東京駅にほど近いビジネスホテルにはたくさんなアメニティ、Refaのシャワーヘッドとドライヤー、選べる枕、スタッフの手描きの案内板があってなんともホスピタリティ満載だったが部屋に入るとWi-Fiのパスワードがどこにもなく、でもまあ寝るだけだからいいけど脳内口コミは☆ひとつである。朝、ストーリーズにいいねを付け、シャワーを浴び直し、買っておいたパンを食べて薬を飲み、歯を磨いてネクタイを締め、ブログの更新告知をして外に出るとうっすらと霧である。八重洲口は開場前のスタジアムのような光を放っていた。地下道から入ろうかと思ったがまだシャッターが降りている。信号を待っていると手ぶらのおっさんが道を斜めに渡ってあちらからあちらへNPCのように移動していくのが見えた。改札が開くまで少し待つ。始発ののぞみはすでにホームにいてすぐに中に入れたが、こんなに早く座ってしまうと事実上、東京・名古屋で2時間座っている人間になってしまう。どうも、新幹線なのに飛行機のように乗ってしまっている。東京駅の周りには思ったよりコンビニがないということも、改札が5時半にならないと開かないということも、すべての座席にコンセントがついているわけではないということも、窓際の座席をとると通路側にがさつなサラリーマンが座ったときに身動きが取れなくなるということも、私はこの歳にしてまだ何も知らなかった。それを知らなくても電車は滑り、名古屋が刻一刻と近づく。PCなんて持ち歩いてやるものか! 早めに、念のために、細やかに見落としなく、隅々まで心を配ってシミュレーションをして、そういう動きがすり減って、私はちょっとずつ雑になっている。このあと名古屋でキーノートスピーカーをやったあと、タカシマヤの文具店で万年筆かなにかを買って、息子への祝いとしようとふと考える。彼は新しいものを欲しがらない。あるいは自分用のPS5なら欲しいのかもしれないが、新型のiPadもおしゃれな時計もカバンも別に困っていないのだというから、そうか、なくてもいいし、あってもそこまで使わないけれど、もらったという事実だけあればやぶさかではないという感じ方はあるよなと、自らの血の記憶を思い出して私は息子に文具を贈ろうと考える。そのあと札幌にいったん戻り、千葉に出張してから東京で一仕事。この間もずっと新幹線なんてハイカラなものに乗る予定はない。今日は久々の新幹線で私は楽しくなって軽くはしゃいでブログまで書いてしまった。