ベーシックツラインカム

目的があってそこに向かっていく、昔のマリオ(右にしかスクロールできない)みたいな人生を、20代から30代にかけてなんとなくやってきた。そういうものでいいかなと正直考えていた。それが、30代の中頃くらいから少しずつオープンワールド化してきて、ブレワイやティアキンのように常に未達のクエストをいくつか抱え、わりと大きな目標はあるにはあるのだけれど、そこに直行するとゲーム自体が一段落してしまう、それがいやで、当分の間はガノンも倒さないしゼルダも助けないで、素材を集めたり祠を踏破したりといったサブクエにいそしみ、大目標を達成するために小目標を積み上げているというエクスキューズを掲げながらじつは大目標の方面を丁重に避けてうろつく暮らし、に完全に移行した。

今になって若い人を見回す。あるいは、自分が若かったときに周りにいたひとたちのことを思い出す。かつての私のように「人生とはマリオである」と考えている人間が決して主流派ではない。もとから世間には、いくつものサブクエをこなしながら、メインクエストもまあやぶさかではないけれどもうちょっと先でいいよ、みたいなスタンスの人がたくさんいた。私はどちらかというと遅ればせながらそういう「普通の人生」に参入したのだろう。結果的にかなり遠回りをした実感がある。

成長よりも整腸だ! 「レベルを上げなければ先に進めない」から、「健康で持続していればレベルも自然と上がっているはずだし、今の時点で進めない場所にはそもそも進むべきではない」という方向へと舵を取った。健康こそが最大の資本。消尽よりも精進だ! 精進料理って気をつけないと基本的な栄養が足りなくて体壊すよ。


どうして自分はマリオからゼルダの世界に帰ってこれたのか。ひとえにそれは、事務仕事が増えたからだろうと思っている。大きい方へ、強い方へ、めんどうな方へ、高い方へ挑もうとするとき、盛んな血気だけでやりくりできるのはまさに20代くらいのもので、それはおそらく山登りなどといっしょで、ある程度の標高を越えてアタックしようと思うと綿密な準備がいるし執拗な事務が欠かせない。で、この、事務というのが、かなりサブクエ的なもので、メインルートの攻略のために必ずしも必要ではないけれどやっておくと楽になるみたいな構造になっている。そして、サブクエのクリアのためにはさらにその下位にある別のサブクエをクリアしておく必要があったりもする。結局、一目散にゴールの旗を目指して走っていたはずが、これ以上進もうと思うとどうしても事務が必要なので、まっすぐ進んでいるだけではどうにもならなくなり、途中から令和マリオのように左に戻れるタイプのマリオになって、平成マリオのように3D視点の自由度の高いマリオになって、そこからはもう早くてあっという間にティアキン化していく。つまり、根幹には、一本道の人生がよくても結局途中から事務作業に意識を散らされるので誰もがオープンワールドでやりくりしていかなければいけないという、「中年が衝突する世界の基本ルール」みたいなものがある。


最近、たまに自称ADHDの方々の生きづらさみたいな話を聴く機会がある。そういった方々の話す生きづらさというのは、一般にはメインルートに集中できないという「マリオでありつづけられないしんどさ」と解釈される。そこで、アドバイスとしては、世の一部が定めているわかりやすい目標とか義務とか成績といった価値観からフリーになってやっていこうぜ、みたいなものが好まれる。でも私は、世にあふれる「ADHDを救うためのアドバイス」は、違う……というか少し映像がぼけているように感じることがある。ADHDの生きづらさというのは、必ずしもメインルートに集中できないということではない。そもそも、マリオ的にメインルートにまっしぐらという人生は、一時的にはあり得るけれど、ずっとマリオのままでいられる人は少ないように思う。現代、誰もがわりとゼルダ的だ。だったらADHDのつらさもまた、マリオをやり続けられないつらさだけではなく、他にもあるのではないかと感じる。たとえば、事務的なサブクエに対する愛着がわかない、みたいな、一段複雑でよりめんどくさいレイヤーにこそ、ADHDの本質的なつらさが存在するのではないかと思う。ADHDだから事務作業が苦手、という浅いほうの意味ではない。ADHDだとむしろ乱発するサブクエすべてに対応できてしまうことがある。ちらちらと目線がそれる先にあるサブクエ全部を同時に対処しはじめてみたりもする。ただしとにかく愛着というものがわかない。けっこうな量のサブクエを突破し続けているのだが、そこから達成感のようなものを得ることができなくて、人生が灰色になってきてしんどい、みたいなのが本質なのではないかなと思うことがある。じゃあどうすればいいかと聞かれると別にそこは解決できるものではないし解決が必要なことでもないと今の私は思う。ベースにあるつらさはなるべく減らしたいと思うが、ベースなのでたぶんなくなんないんだよね、だったらそこはもうあきらめて、「そういうつらさはあるよね」ということだけ認識して、ほかのことを考えて過ごしたほうがいいのかもな、と、私自身は自分に言い聞かせて今日もばちばち事務仕事をやっている。