落選

SNSのトレンドというのは内閣の支持率みたいなもので、母集団の20数%くらいにしか認められていなくても、ほかの選択肢の支持がそれよりはるかに低ければ第一党になれてしまって、つまり、「一番人気だけど国民の多くはべつにそこまで興味がない」ということが生じる。知らない芸能人、知らないスポーツ選手、知らない事故、知らない不祥事。えっ、私、そんなの応援してないよ。大丈夫、世の中で一番支持されている話題ですよ。毎日こんなミスマッチ。そういう建付け。

その他大勢、という言葉を、「おおぜい」と読むよりも、「たいせい」と読んだほうがふさわしい。ただし大勢とは寄せ集めである。「支持しないことで一致団結する集団」などというものは存在しない。団結したらそれが第一党になるはずだがそんなことはない。互いにいがみ合いながら第一党に対してはひとからげに文句を投げつける。そんなものだ。これは政治の話ではない。SNSのトレンドの話だ。

視聴者数や購読者数を稼ごうと思ったら、なにかに与してはいけない。第一党ですら20数%にしか支持されていないのだから、そういったものに同調、認知、共感するような発信をしても効率が悪い。するなら反論だ。第一党に反論をすれば、100マイナス20イコール80%前後の「大勢」に届く可能性がある。こうして、広くたくさんの人に読んでもらえるレベルの美文・公文を書ける人間たちは、次第に組織の中で、第一党に反論するような文章ばかりを書くようになる。

発信者の手法として「反論」がいわゆる第一党になる。しかしそれもまた20数%の一番人気に過ぎない。80%弱の人間は、「マスコミのやりかたは別におもしろくねぇな」と感じている。

次は、マスコミほど強い発信力を持たない、比例代表で1人を送り込めるかどうかという小政党のような発信スタイルが見直される。与党のように世間に対する責任を負う必要はない。自分たちがぜいたくに暮らすのに必要なぎりぎりの金額だけ稼げるだけの客を囲い込めばよい。それが世間の1%だろうが0.5%だろうがかまわない。視聴者の総数を稼がなくてもよい、視聴者からむしる金銭の単価を釣り上げればよい。そういう目算を立てると、強い与党が存在しないことはむしろ、追い風になる。一番人気が不在なほうが弱小政党にとっては都合がよい。

そうやってうまく回っていく。

ちなみに政治とSNSの大きな違いとして、SNSのほうは毎日与党が入れ替わる。昨日は知らないアイドルグループの新曲が発表され、今日は知らない詐欺師が捕まり、明日は知らない炎上が知らないままに吹き上がって鎮火する。否が応でも第一党がしばらく持続する政治の世界とは、そこが違う。与党がない。だから長期的な政策も望めない。刹那的に毎日その場しのぎの繰り返しで構築された複雑系は、毎日解放が変わる脱出ゲームのようなものだ。

動物園でのんびり大型動物などを3時間ほど見ているうちに世の中の50%くらいが入れ替わる。映画作品の1本あたりの長さはトレンドがぎりぎり移り変わらない時間である89分くらいに設定される。

小さくなり、短くなり、揺れて、入れ替わる。ふるいにかけられた小麦粉のようだ。後に砂金が残ると信じている人もいる。


こういうのを見ているうちに、「おとなしく暮らしたい人々」はだんだん、政治とトレンドについて語ることをやめる。デフォルトが反論と日替わりで構成されていると攻撃性や射幸心が強すぎて胸やけしてしまうのだろう。みんなの価値観が細かくすれ違う中で、すこしでも多くの人々の興味にひっかかるような、でも、順位を争うほどでもないような話題。

食べ物。

猫。

加齢。

まあそのあたりか、本や音楽が入ってこないのが残念ではあるが、そんなものであろう。私はどれも選ばずにダジャレを選んだ。比例に1席も送り込めなくて、政治家になれない。