甲斐バンド

山を崩していく作業という感じで日々を過ごしている。いらん摩擦があちこちで生じていて、そのすべてを馬鹿正直にストレスとして受け止めると、大変なので、ほどよく無頓着でいる。たとえばこれは例え話なのだが、職場に「自分のデューティがある日にばかり有給休暇を申請する管理職スタッフ」がいるとして、休暇を好きなときに取れるのは職員の権利なのだから当然だと考えるか、毎回休まれるたびにほかのスタッフにしわよせがいくことに気づいていないことを問題と考えるか、なんとなく、後者の考え方をする人が世の中にはものすごくたくさんいるような気がするのだけれど、ここで前者を選び取って、あとはもうしわよせもなにもかも自分でさっと引き受けて忘れてしまう。そうすることで諍いも足の引っ張り合いもない職場を保ち続けていく。ちなみにこのやりかたは、私が退職した瞬間に破綻するので、結果として長い時間をかけてこの職場をだめにしていっている、と考えることもできる、けれど、そんなことを考える人のほうが世の中には圧倒的にたくさんいる、そんな、人と同じことばかり考えていても生きてる甲斐がねぇんだよォッ(テリーマン)ということなのだと思う。どういうことなのだと思う? わからないけれどそこはなんか寝技的な技術をもちいてねっとりゆっくりと改善していけばいいのではないかと今の私などは考える。思って実行してうまくいって解決、みたいな、中学生にもできる仕事ばかりしていたら、大人として給料をもらう意味がぼやけるではないか。どちらを立てても全部が立たずの場所でそれでもなんとか膝立ちくらいで全体をやりくりしていく謎の出し入れ力みたいなものを胸の奥からダンビラ的にすらりと抜いてなんぼなのではないか。ない。

OncomineとAmoy、どっちを出しますか。コンパクトパネルのほうがいいんじゃないかなあ。でもうちと違ってこの病院はコンパクトパネルをすすめる事務手続きがまだ終わってないんですよね。なんだそうか。だったらシングルプレックス乱れ打ちで出すか。いや、Amoyがいいかなあ。帯に短したぬきの流し素麺だな。なんですかそれは。あげだまを流す。ふにゃふにゃになるからやめろ。御意。

わかりやすいストーリーというのはだいたい金儲けのために構造化されており、途中で参加者たちがダレるタイミング、めんどくさくなるタイミング、うやむやになるタイミング、そういったところで金銭がチャリンチャリン発生するようになっていて、でもめんどうになった人間というのはそれをわかりやすく解消するためになんらかの支払いをものともしなくなるものであり、TikTokShopみたいなものであって、つまり何がいいたいかというと、わかりにくいストーリーを地道に歩んでいくことに心を折らなければ、長い目で見たときにちょっとだけ、悪い人間に金をかすめとられることも減るのではないかな。選挙なんてまさにそういうことだと思うんだよな。とはいえ、人生、何度かは、かすめとられて悔しく思ってそれをバネに跳躍するくらいのほうが、マリオ的な意味でジャンプできてかえってうまくいくのかもしれないね。

実家に届け物があって帰ったらスイカを出されたので食べたらうまかった。文脈まみれの行動だがやっていることはとてもシンプルだ。このようなたどり着きかたをするまでの間に、他人であれば説明しなければいけないことが無限にあるのだけれど、家族であるとそういう途中の話をすっとばせるので、本当はわかりやすいストーリーでもなんでもないんだけれど結果的にやることがシンプルになる。それが家族の効用であり所属することの効用であり、身を預けるということの効用であり甲斐の確保ということなのかなという気がする。