朝、気づいたらふとんの上に正座していて、妻に怪訝な目を向けられる。4時くらい。外はもう明るい。むりやり起こされて寝ぼけている。今日はそこまで早く起きなくてもいい日だから交感神経のスイッチを入れるのがちょっと早すぎる。切る。軽くうがいをしてから麦茶を飲み、トイレに行って、またふとんに戻って、寝直す。気づいたらアラームが鳴っていて、6時である。今度はちょっと遅い。5時には起きようと思っていた。イチモニを見ながら朝飯を食って、庭の野菜に軽く水をやる。日差しはしっかりしているが空気がそこまで暑く重くはない。視線のぎりぎりふちにずっと同じモンシロチョウが飛んでいる。今年は、キュウリの苗にアブラムシがぜんぜん付かない、不思議だなと思う。虫も暑さにやられたのだろうか。あるいは隣のお宅の畑の防虫管理が完璧で、うちの庭の虫もいっしょに追いやられているという可能性もある。育ったキュウリを1本ねじって採って、終わった花の花びらをむしって捨ててから家に持って入る。
出勤してメールに返事をしながら早朝のウェブ研究会の準備をはじめる。あまり時間がない。Zoomリンクを踏んで立ち上げている間にヘッドセットをつなぐ。事前に準備しておいたパワポの病理解説の部分を読み返しながら内視鏡医たちの読影を聞く。思った以上に画像の細かい部分を深く鋭く読まれていてうれしいことだが、読みが深いと病理解説にも深さが必要になるのでその場で修正をかけていく。写真の用意はもう間に合わないけれど写真を見たときの解釈と開示の配分については調整が可能である。1時間のウェブ研究会で症例は3例提示され、つまり、1例あたり20分の計算になり、1症例ごとに内視鏡画像の読影と解釈の時間に15分くらいずつ使うから、病理解説は1例につき5分。5分で解説しきる必要があって毎回ブートキャンプ的な頭の体操になる。現在、デスク引っ越しの真っ最中で、デュアルモニタは梱包して送ってしまったから、ノートPCひとつでZoom画面とパワポのいったりきたりをしなければならず、それが私の指先の動きに2秒ずつの遅延をもたらしている。
解説と解説の間に、別の病院の病理医から、「胃型の腫瘍を疑うのだが自信がない」というメールが届く。鍵付きファイルの資料をダウンロード。患者IDが入念に消去された画像を開いて細胞をみる。ぜんぜん腫瘍ではない。これは腫瘍ではない。内視鏡像も添付されている。およそ腫瘍には見えない。ではなぜこれを見て、「胃型の腫瘍を疑う」のかを考える。ミミック。模倣。腫瘍ではないのに腫瘍に見えてしまうときの、診断者の、思考、前提知識、その流れと偏りを、トレースする。「こんなの知ってりゃ間違えないよ」ではコンサルテーションにはならない。自分がわからない診断をどこぞの専門家にたずねて、「これはAです。おわり。」という返事が返ってくるとかなり困る。なぜか、がわからない。どうやって同じ結論にたどり着けばいいか、がわからない。次また似たような症例が来たときにどう考えていけばいいか、がわからない。そんなコンサルテーションだと本当にがっかりする。だから、私が、誰かから何か聞かれたときには、そうならないようにする。「なぜ、そう考えられるのか」「どうやって、考えを進めていけばいいのか」「次、似たような症例に出会ったときに、この問い合わせをきっかけとして、少し自信のある自分になれているだろうか」。ヒント。プロセス。メカニズム。
研究会が終わる。北向きの窓の前面がとても明るくなっている。始業のチャイムが鳴っている。午前はもう4時間もない。いつもあまり病理にくることのない医者が、検体の提出方法を聞きに病理にやってくる。同僚が相談をもちかけてくる。昨日送ったメールの返事の続きをつくる。封入装置の不具合の原因がわかった技師の報告を受ける。引っ越しの荷物として梱包しなかった、これは手で持っていこうと決めた、サボテンの水が半分くらい減っているので水をやることにする。また水やりをしている。