運動をしました

機嫌の高低があるので、少し運動などをして疲労したほうがよい。元気があるから意識を自分でコントロールできる範囲以上に広げて飛ばしてし余計なものを覚知して対応してネガティブな感情を創出してしまう。私は元気をなくするべきなのだ。しかし悔しいことに最近は体力に余力がある。土日祝日いっさい休まず西へ東へ出張つづき、朝に北方にクロマチンの不均等分布を見つければ行ってdeeper sectionを頼み、夕に南方に病変不明の切り出しあれば裏を切ったらいいと告げ、北北西にほくほくして、南南西になんなんだろう、西南西がうるせぇなん、東北大は仙台にあります。まあ充実しているということなんだろう。学生のころの落ち着かない身持ちに比べたら百倍マシだ。未来にも過去にも見通しができなかった視野狭窄の20代に体中に刻印された圧挫痕を撫でながら男性更年期の不安を鼻でせせら笑う。この程度でつらいと言っていればいいくらいの年齢になった自分を寿ぐほかあるまい。それにしても機嫌の高低があるので、少し運動などをして、もう少しくらいは疲労したほうがよい。

ペペロンチーノという言葉に可能性を感じている。「みみっちいのう!」というケチなジジイの文句に近い語感に可能性を感じている。みみっちい、という言葉の語源ははっきりとしないようだが、微々たるもの、という微々がなまったとする説や、ミミズのように小さい、という言霊感しかない説、耳を揃えるというイメージのみみ、などがあるようで、つまりみみっちいという言葉は「みみっ」のところに矮小なイメージがあって言葉の骨格となっているわけだ。するとぺぺろんちいという形容詞もぺぺろんのところになんらかの音便を伴う元単語があったと考えるほうがいいだろう。ぺぺろん、というのは口の中で遊ぶ感じがするが元はもう少し硬質だったはずで、微々がみみとなるという説があるくらいだからぺぺろんも平米論(へいべいろん)とか弁別乱(べんべつらん)とか遍弁歴(へんべんれき)のような言葉から音便したのではないかと想像される。となると、ぺぺろんちいという形容詞はおそらく、「単位体積を論じるような」、「判断が乱れるような」、「あちこちでべらべらしゃべってきた歴史的に」のような意味の言葉であったと想像されるが、このような意味が「ぺぺろん」などという軽い発音に変化するというのは、「意味だけでなく音もそれっぽい」という日本語の原則からすると理解に苦しむ。となるとこれまでの仮説はすべて間違いで、やはりぺぺろんちいというのは「ぺろんとむき出しになってなんかちょっとやらしい」、もしくは「ぺろりと食べられるくらいおいしい」のどちらかの意味の形容詞であろうと考えられるし、その言葉が実際に現代においてはある種のパスタを意味する(おそらくは伝来の過程で混同があったのであろう……)ということを考えると、結論としてぺぺろんちいという形容詞は「おいしい」という意味の古語が変化したものと考えられますか?

これでなんとかうまいぐあいに疲れた。