今回の日本消化器画像診断情報研究会の会場の、古さが際立っていた。学会場とは思えない。区民センターというおももちである。いももちではない。でもいももちのおもむきくらいの昭和感はあった。おももちのいもむき。おいものおきもち。ももいちのにほんたろう。
市民が集っていた。「音楽室」から吹奏楽系のドラムの音が聞こえてきた。気温はさほど高くないのに蝉の声が空間をゆがめていた。奥まったスペースに100人入れるホールがあって、白飛びがはげしいプロジェクタがあって、送風が主機能であるエアコンがあって、研究会が行われた。参加者の平均年齢は55歳くらいだろうか。オンライン参加が120名、現地参加が90名。よく集まったほうだと思う。コロナ以降初、6年ぶりの開催となった胃X線系の研究会である。
X線には、近頃のドクターは見向きもしない。内視鏡があれば十分だという立場を隠さない。でも、この検査を毎年まだ何百万人もの人々が受診している。X線が役に立っていたのは20年前までだ、と、口さがなく指摘する内視鏡医もいるが、それは単純に統計を見ていないから、もしくは自分たちの権益を増大させるためのポジショントークであって、令和7年も胃X線が胃がんを見つけて命をながらえたひとたちが、統計学的に「国民の役に立っているなあ」と言える程度に存在する。そういう数字を見ている内視鏡医ならば、胃がんを発見してくれる胃X線に感謝こそすれ、「もうやめたらいいのに」なんて言わないはずだ。あるいは製薬・機器メーカーのCOIにどっぷり浸かっていることを自覚していないのかもしれない。
現時点で、内視鏡検査は胃X線の代替手段にはなりきれない。単純に国民を網羅するほどの内視鏡検査が施行できない。内視鏡医は決して少なくはないが、多くもない。医者の総数を考えると、精密検査ならまだしも健康診断に積極的に従事する医者を今後爆発的に増やすというのは事実上不可能である。診療放射線技師と保健師のタッグで全国に張り巡らされた健診施設の胃X線検査は、安定した数字を叩き出し続けており精度管理も優れている。胃X線を受けた人々の0.1%前後からがんが見つかり、その見つかるがんの6割は早期癌で、令和の今も、胃X線は着々と国民の命を救っている。地域の住民の人数と、内視鏡医のバランスとがうまくかみあった一部の地域で、「内視鏡検診」によって胃X線検査をなくすることは可能だろう。しかし国全体を見ればそういうわけにはいかないのだ。
胃X線従事者たちの研究会や講習会が続く限り、私はそれを病理学的な面からサポートし続けたい。そういうことができる大学の病理医はもういない。大学の病理医はたくさんの科の診断やカンファレンスに参加しつつ、教育も、自分の研究もしなければならないが、その中で、研究業績として認められやすい仕事を優先せざるを得ない事情は横から見ていてもまあわかる。検診の仕事の精度管理とか技師の教育とか研究会のにぎやかしまでは手が回らないだろう。一方の私は「外れ値」であって、診療放射線技師の本音としては市原よりもっと偉い病理医を呼びたかっただろうし次善の策というか「おさえ」として私を呼んだにすぎないのだろうが、しかし、私にとっては長年胃がんを勉強させてもらった大事な関わりでもあり、これからも望まれる限りで彼らの手助けを続けていきたい。
ピロリ菌に感染している若者の数は激減している。すると胃がんの罹患人数も減る。将来的には胃がんはなくなっていく。子宮頸がんがHPVワクチンによってほとんど根絶レベルにまで減らせるのと同じことだ。けれども、統計をきちんと読み込むと、2070年までは、高齢者の中にピロリ菌感染者・感染既往者は残り続ける。じつはピロリ菌というのは、一度かかって慢性化してしまうと、たとえ除菌しても(胃炎の経過に応じて)がんの発生リスクは残ってしまう。将来的になくなるがんだからと言って、今、検診まで縮小するというのは明らかに時期尚早である。
ただ、話は簡単ではない。検診・健診が有効な罹患率というのがある。あまりに発生がまれだと、偽陽性のリスクのほうが高くなってしまう。ありとあらゆるがんを早期に見つけるという悪魔のささやきみたいな商品はうそばかりだ。何十種類のがんを早期にみつける尿検査を医師が推奨していると見て誰だそのバカな医師はと思ったら知っている医師だったということがあって膝から直滑降であった。尿だろうが血液だろうがPET健診だろうが、罹患率のまれながんを早期に発見する(という触れ込みの)検査はだいたいデメリットまみれで本当に悪辣な商売である。恥を知ってほしい。
胃がんも、発生率が減少すれば、いずれ検診事業は廃止するべきである。しかしそれは今ではない。数字を見る限りでは、だいたい2050年くらいまでは胃X線検診によって命を救われる人は残る。どこかで順次内視鏡検査に切り替えたい医師も多いとは思うが、事実上、2040年くらいまでは無理だろう。新たな技術とAIでなんとかなるか。正直それもむずかしい。理由は山程あるのだけれど、一番大きい理由(かつ、専門家じゃないとわかりづらい理由)は、ピロリ菌の罹患率が低下することで「がんの周囲の胃粘膜の状態が刻一刻と変化する」こと、それによって、「AIが学習するデータが毎年古くなってしまうこと」がでかい。簡単にいうと、今年の胃がんを大規模データとして収集して学習しても、再来年の胃がんは見逃す可能性がある、それが胃がんの難しさなのである(ちなみに一部の病理AIにも言える)。こういう領域におけるAIは、思ったより精度が高まらない。まあほかにも理由はあるのだが、とにかくAIをからめた胃がん検診というのはおそらく成功率が低い。チャレンジする価値はあると思う。でもその成功を期待して今の検診を先細らせてはならない。
胃X線検査は、あと25年……最低でも15年は必要。これだと、今年、新卒で病院に勤め始めて、胃X線検査にたずさわった若手は、退職までは続けられない。昔の生涯雇用的感覚からするとリスキーなキャリアになってしまったなという思いはある。でも、逆にいえばまだ25年は続く世界だ。地方の路線バスといっしょで、それで命をつないでいる住民がいる間は、私たちは整備を怠ってはいけない。研鑽を続けなければいけないし、25年従事できるならわりとありなんじゃないかと、やや冒険気味にいうこともできる。そもそもありとあらゆる医学的な業務は、25年も経つと変わる。開腹手術だってどんどん減ってロボット手術に置き換わっている。だからといって手術の技術を学んで無駄だったと言う外科医はいない。いまどき、長くなった人生を、なにかひとつの技術だけで生き抜いていこうという若者のほうが少ないのではないか。まあそのあたりの若い人の本音なんてものは私にはわかりようがないのだが。
わからない若者に頼ってもいられまい。あと25年。これは、私がなんとか働き続けるであろう時間とだいたい一致する。つまり私は、私の世代は、胃X線の健診・検診を最後までサポートしつづける世代だ。最後まで本気を出し続けることは、おそらく、私が間接的に命にたずさわる人数を増やし続けることでもある。
さて、研究会である。前回、岩手で開かれたときには現地に診療放射線技師300人以上が集まった。それに比べると集まりが悪い。検査の人気がなくなったからというよりは、どこの施設も、出張費の捻出が厳しくなったからかなと思う。飛行機が高い。新幹線が高い。宿が高い。ライブ配信があるならそれでいいという考え方が一般的だろう。私たちは少しずつ、少しずつ、「現地集合」の魔力から離脱しつつある。そんな今、勉強をするためにわざわざ全国から集まってくる人々というのは、どこか、頭のねじが数本はずれたところがあって、まあ、こういう物言い自体が過去の遺物なのだろうが、私にとっては若干居心地がいい。
単位がとれて職場の理解もまだ良好な「学会」ならばまだしも、「研究会」に自腹でバカスカ何百人も参加していた時代はほんとうに過ぎ去った。はやらない。今の熱心な若者たちは現地に集まることなくオンライン教材を用いて我々以上の知識を容易に収集している。我々ヴェテランは、古びて、郷愁にひたり、ぶつぶつと愚痴をいうか、それが恥ずかしい場合はむしろ底抜けに明るく振る舞って、刹那の研究会をなんとか輝かせようと腰椎を分離させながらマウスを振り回し額に汗してレーザーポインタを交錯させる。
どうも私はちゃんとおじさんになっている。古きにしがみつき、一方的な立場から自分の正当性を主張し、大所高所からのものいいをできずに、旧知のつながりに依拠して学術的ではないことをちまちまやっている。こういう私が肩入れする業界だから人気がなくなっていく、ということもあるかもしれず、おじさんとはいつも、自己嫌悪によって自己を懸濁しながら謙虚に縁の下にもぐりこんでいく存在でなければならない。本当に大事なことはどんな検査であってもどんな医療者がどのように暮らしていても関係なくてただ患者や国民の命や生活が今より少しだけ良くなっていくよう振る舞うことである。その過程でおそらくしばらく役割があるであろう胃X線検査を「かばう」のではなく「使い切る」おももちで私は正しく振る舞い続けなければならない。