武者だったのか

予定が二転三転して落ち着かない日々が続いているが、「落ち着かない日々に暮らすことに安定している」という側面が私にはある。おそらく、仮にこの先、この落ち着かなさをもたらしている些末なイベントの数々が失われ、凪のような、新月の夜のような日々がやってきたら、そのとき私はこれまでで一番不安定になることだろう。剣山の上だからこそ花を立てていられるということはあり、川の中でだけじっとしていられる小魚というのもいる。マッサージャーを延々と使用したあとに電源を切ったら背中が妙に熱くなって不如意になって、思わず畳の床にごろんごろんと転がりたくなる、みたいなこともある。私は落ち着かない日々に好んで生息するタイプの動物だ。だったら今のこのありようを寿ぐ以外になにができようか。

仕事で使っている顕微鏡が壊れ、年代物だったので修理もままならず、代替え機をしばらく使っていたのだが、私の異動に伴いその代替え機を次の主任部長に使ってもらうこととなった。新任なのだから新品をご用意したいところだが病院にはもはや金がない。申し訳ないがしばらくはこれでがまんしてもらうしかない。私はノマドの民となり、定時の居場所をなくしてなんとなくふらふらしながらたまに出張医用のデスクに座って小さく診断をする。この、出張医用の顕微鏡が、妙にゆれる。びんぼうゆすりや手遊びでゆれるのとは違う。レンズを入れ替えるだけで細かくゆれる。視野を動かすだけで細かくゆれる。どうも不思議なことになっている。顕微鏡というのは、ミクロの世界を超拡大して観察するためのものであるから、プレパラートを乗せるステージは文字通り盤石でなければならず、どれだけ視野を動かそうとも振動とは無縁、微動だにしないというのが前提なのだが、この顕微鏡はゆれる。おかしくてちょっと笑ってしまう。しかし仕事にはしっかりと支障を来す。診断のスピードがワンアクションごとに1秒ずつ遅れていく。拡大、縮小の際に手動でレンズの刺さったレボルバーを回す、そのたびごとに、ステージが細かくふるふるとふるえておさまるのを待たなければならない。デジタルパソロジーよりも顕微鏡のほうが圧倒的に見やすいと長年思っていたけれど、それはあくまで、素敵なボスが私のために用意してくれた高級な顕微鏡があってのものであり、出張医にあてがうような廉価品の(ただしレンズだけはしっかり高いのだが……)顕微鏡だとデジタルとの差はだいぶ縮まるなあと思う。

おそらく似たようなことはAIにもあるんだろう。しっかりじっくり細やかに仕事をしている限りAIなんてものは脅威にはならないのだが、流れで、新陳代謝で、入れ替わった人間の仕事がすこうしずつ廉価版的になったタイミングで、なんだこの程度しか担保されないのならもうAIでいいじゃないか、となって、全体の仕事のクオリティがAIベースに落ち着くことになる。それはとてもつまらないことだ。かもしれませんね。


カレンダーを見て落ち着かず、顕微鏡を見て落ち着かず、座っていても尻やら耳やらなんだかかゆくて落ち着かず、歩いていても土踏まずや母趾球筋やらがかゆくて落ち着かず、いつもふりふりゆれている、それがデフォルトだとすれば私の脳内映像を構成する仮想の眼球にはなんらかの手ブレ補正機能がついていなければ困るわけだが、先日読んだマンガ『君にかわいいと叫びたい』の冒頭に、「手ブレ補正が武者震いに負ける!」とあって笑ってしまった。そうだよな、補正にも限度というものがある。考えようによっては私は八面六臂の大武者震いを標準装備して日々を暮らしているということで、そうか、つまり私は。