借り物の言葉

フルーツグラノーラの「グラノーラ」ってへんな語感だな、どういう意味なんだろうと思ってちょっと調べるとけっこう込み入った歴史があった。もともとグラニューラという、全粒粉の記事を焼いてくだいた健康食品があり、それをパクって製造して売り出したのがかの有名なケロッグで、ケロッグがあとから訴えられて名前を変えたのがグラノーラだとWikipediaに書いてあった。ふーん。

ところではじめのグラニューラのほうのスペルはgranulaである。あと一文字足してgranularとすると、「顆粒状」という意味の単語になり、これはしょっちゅう組織病理学的な説明で用いている。なるほど、しかし、食べるほうのグラノーラ/グラニューラは、プレパラートを見ているときの細胞質の顆粒のイメージよりもだいぶでかくてモサモサしていて、粒度が違う気がする。でもまてよ、私のイメージこそがずれているのだろう。となると、国際的な場で細胞の性状を説明するときにgranula(r)という言葉を用いてしまうと、私の思い描いていたイメージとは違うものを表現してしまうことになるのかもな。Fine granular patternとか便利に使ってきたけどな。フルグラの雰囲気じゃなくて精製糖みたいなイメージだったんだけどな。フルグラだったのか。借りてきた言葉というのは結局そういうところがあるよな。



優秀な病理医といっしょに顕微鏡をみていると所見のとり方が細かくておもしろい。「この病気は、やっぱり核が特徴的なんですよね」という。「この病気」は、細胞のおりなす構築によって定義されるが、今眼前にある細胞たちは、これまで言われてきた構築とは似ても似つかない……いや、むりに見ようと思えば一部に面影はあるが、こじつけのように感じる。「核? どういう感じですか?」とたずねると、「そうですね、まず、これだけの異型があるのに多型性が少ない」「不同性がない」「そうです。そしてこのような開き気味のクロマチン、核が完全な円形じゃなくて、楕円形だけどすごく細長くもない、扁平率がそこまで高くない」「なるほどそこまでつぶれていない」「はい。そして核にちょっとだけ切れ込みがあって、あと核小体がはっきり見えはするんだけどものすごくギラギラしているわけでもなくて……」「うーむ」。うーむとしか言いようがない。言葉はすべて理解できて、聞いた言葉を元に細胞を見るとたしかにこれまであまり見えていなかった特徴がつぎつぎと顕在化してくるが、そこをそう読み解くのか、という解釈の妙に舌を巻く。眼前に広がる組織病理の風景には、無限の「とっかかり」があって、どこをどのように言語化するかは人間に完全に任されているが、まあ、そんなにひねった読み方をする人が多いわけでもなくて、普通は色が青っぽいとか赤っぽいとか、核が大きいとか小さいとか、クロマチンが多いとか核分裂像が多いといった、誰でも気づいて評価できるような内容に論点を集中させるものなのだけれど、この病理医の「とっかかり方」はより細かく、丁寧で、かつ「言語にすることで確かにそこの差異が際立ってくるものをチョイスしている」ので感心する。

言葉をあてるのっておもしろいな。そして難しい。核小体が「ギラギラ」というのはいったいどういうテクスチャをまとめて表現したものなのだろう。たとえば私はクロマチンのざらつきを「水ようかんのようだな」とか「石の河原のようだな」などと感じることがあるのだがこれらは果たして私以外の人間の頭の中でも同じように再生できるものなのだろうか。クオリア? はっ、くっだらねー言葉、クオリアとか喜んで言ってる奴らは核膜のきれこみに頭をぶつけて死ねばいい。そんな借り物の言葉で、このもやもやの多くを解決したような気になっているなんて、脳がオープンクロマチンなことこの上ないではないか。