また白目から出血しやがった! ここんところ頭周りもずっと重くて、これはなにか高血圧とか眼圧の上昇だとかそういうものがあるのではないかと気になっていろいろ検査したのだが、すべて異常なし、結論として、「単に疲れている」ということになった。。。。。。なら安心だ! ワァア! 単に疲れている! 「単に」! 因 果 が 単 一 で あ る ! ワァァアアッ! 会場のボルテージが沸騰。矢印が一本で説明できるカスケードがまだ証明されずに残っていたなんて科学史の奇跡であろう。原因が一箇所にあるならそれをつぶせばすべて解決。原因は……疲労! その理由は……様々! グアアッしまったァッ! 一本の矢印をたどってみたらその先にあるはずの源泉が複数あるのかッッ! ところでオッサンの「オ」と「サン」は敬称だから「ッ」だけ呼べばいい、みたいな構文が先日からThreadsではやっていて気持ち悪いなと思う。中年男性だけは差別していいみたいな感覚がある。まあ中年以外とか男性以外に差別が行くよりはマシってコト!? 差別自体がダメなんですケド!? ダメでも世の中にあり続けるものってあるよな。公助と福祉の精神がないまま大人になるとかな。福祉の精神とは! ゆりかごから若葉まで! おいそれ短くねぇか?
ゴミのような報告書を渡された。ゴミ、残滓、さまざまに使われた後のもの、あらゆる報告書は本質的にどこかゴミに近い性質を抱えている。古びて、摩耗して、こすれて、やぶれて、テクスチャがビロードのようになっていて、手垢やほこりがついていて、経年の蓄積を抱えており、手遅れで、懐かしい。それが報告書というもので、やはりどことなくゴミと相似である。報告書を書くというのはゴミ処理だ。リデュース、リユース、リサイクル、リダンダント、リベレイション。大事なことである。報告書を読むというのはじっくり積分されたものを短期間に微分しなおすようなことである。ゴミはくずかごへ。
後任の主任部長が大変優秀で、今は建前上、引き継ぎ期間ということになっているのだけれど、実際には私が引き継がせてもらっているようなものだ。顕微鏡の見方、特殊染色のオーダーの仕方、遺伝子検索結果の読み込みの深度、解釈の広さ、論文化するにあたっての構成のうまさ、展望の明快さ、あらゆる面で、私よりもひとまわり以上優秀な病理医で、本当におどろく。新任地で私は、おそらくいちからやり直しになることだろう。そうしなければならないと思わされる毎日だ。私の脳の、シナプス間隙は塵芥にまみれ、跳躍伝導が足をすべらせる今、物事を学ぶ効率は劇的に低下している。しかし、効率が低下していても物量を叩き込めば最低限の入力量は確保できるだろう……という考え方自体、学ぶということに対する一面的な理解、たった一本の筋道でなにかを解釈しようとするナラティブ型の思考の弱さを露呈してしまっているのかもしれないが。そうも言っていられない。まだとうぶんの間、社会になにかを、誰かになにかを、私になにかをもたらす努力だけでもしておかないとつまらない。私は自らを報告している場合ではない。ゴミにもゴミの燃え方がある。できれば炭でありたいものだ。燃えたあとでもさらに火がついて、遠赤外線によって肉をおいしく焼く、炭のようになりたい。