ばんじーきゅうす

「漬け物」を、いつか再評価したいと思っていた。それはたとえばキノコ料理がおいしく感じるようになるとか、佃煮のうまさがわかるようになるとか、干物が輝いて見えるだとかいうのと同じで、老化に伴い体がそういうのをだんだん好きになってくる、そういう時期がいつか必ずくる、その暁には、世の中にあるたくさんの漬け物を、逐一あじわって、自分の舌の凹凸にぴったりはまるタイプの良い漬け物を探して、地域独特の漬け物などにも手を出し、デパ地下の高級品やら道の駅の掘り出し物やら各種出張先でのお土産屋やら、そういうのがあるのかどうか知らないがいわゆる専門店みたいなところまで、練り歩いてみたいとひそかに夢を見ていた。

しかしリアルに歳を取った私は、今、塩分が多めのもの全般をなんとなく避けるようになってしまった。しょうゆもドレッシングもマヨネーズも。当然、漬け物にも手が伸びにくくなる。梅干しも。明太子も。

しまった、と思った。存分に漬け物を味わうならば若い頃のほうがよほどよかった。そんなこと、どんな本にも書いていなかったし、誰も言っていなかった。とりかえしのつかなさを思う。

私はべつにそこまでストイックに生活をしているわけではない。九州に行ってうまい明太子があると聞けば食べるし、居酒屋でも味の濃いものをわりと好んで食べる。ただ、それは、あくまで、旅とか外食というのが「ハレ」だからだ。一方の漬け物というのは、もっと日常的に、ケの常食として楽しむイメージだ。生活の中で平均的に塩分の総量を落とそうと思うと、漬け物というのはなかなかメニューに組み込みにくい。

たまにキムチなどをいただくことがあり、びっくりするほどおいしいと思う。しかし、いただきものを食べ尽くした翌日に、私も真似してこれからはキムチを常備したいと思うか、というとそういうことはない。「もらいもの」というエクスキューズを振りかざしたチートデイだったのだ。お茶漬けの元はいつも半量ずつ。庭のきゅうりはそのまま食う。魚にしょうゆはいらない。この暮らしのどこにどうやって漬け物を入れていけばいいのかわからない。



それにしても。

キャンプは老後の趣味にはできないよ、だってそんな体力なくなるもの。とか。

退職したら本を読むつもり、なんてのは気を付けて。目だって悪くなるんだから。とか。

映画館に座って映画をみるってのは大変なんだよ。何よりお手洗いがね。とか。

こういう話はいくつもあって、わりと想像の範囲内というか、ある程度覚悟はしていた。それにしても漬け物が、まさか。

じじくさい食べ物はじじいになってから食おうと思っていた。そんな別け隔てをしていた自分はだいぶ愚かだった。「あっ、いつかやろう」と思った瞬間が、おそらく後から振り返ってみると、一番の好機だったということになるのだろう。


そうだ、明日からお茶にこだわろう。じじいくさいとか言っている場合ではない。お茶っ葉を買わねば。思い立ったが吉日。老後の楽しみにとっておいた、「縁側で陽に当たりながらお茶をすする」が、どんな理由でボツになるかわからない。夏の暑さがきびしくなって、縁側で涼める時間がほとんどなくなってしまうとか、オゾン層がきびしくなって、陽に当たるのがむずかしくなってしまうとか、いや、そんな予想可能な理由だけとは限らない、私の体のほうに金輪際お茶が受け付けられなくなるような変化がいつ起こるともわからないのだ。急ごう。躊躇している場合ではない。エイヤッときゅうすを買わねば。清水の舞台から飛び降りるつもりできゅうすを買わねば。

料理診断科

とどまることを知らない咳の連打 いくつもの 龍角散のどあめを のどあめていた(ミスチルっぽく)


もう3週間くらい前のこと。出張の合間に数日、ノドが痛くなった。噂のニンバス(コロナのなんかの名前)かと思ったが、SNSのタイムラインで言われているほどの激痛というわけでもない。検査を二度、しかし二度とも陰性で、検査陰性のコロナだったのかもしれないけれど、熱もたいして上がらないままノドの痛みも2,3日で引いた。そこから数日、ちょっとコホコホ咳が出るなと思ったが幸い外仕事もなく周りに迷惑をかけそうな環境でもなく、次の出張のころにはいったんノドはよくなった。

しかしそこからさらに数日、小康状態かと思われたノドに咳がつくようになった。

これはいわゆるsmoldering inflammation(くすぶった炎症)かなあ、などと、かつてletterに書いた概念を思い出し、やっぱりこないだのあれはコロナだったんだろうかと、だったらこれまでの1週間くらいに私と出会った人びとがコロナにかかっていたらかわいそうだなと思ったけれど、そもそも毎日顔を合わせる家人もちっとも発症しないし、周りにもコロナらしい人がちっとも出てこない。なんか、「そういう風邪」なのだろう。そういうことはある。とはいえ、コロナでなければ安心かといったらそんなこともなくて、今もこの咳はしつこく続いており、龍角散のどあめが手放せない。かつて、コロナが流行っていたころ、岸田奈美が「粉タイプの龍角散がよい」と言って、私も一度試してみたことがあったのだけれど、たしかに効き目はよいのだが粒子が細かすぎて、職場で服用しようとしてうっかり咳でもしようものなら、いや、ちょっと鼻息が荒ぶるくらいの軽いうっかりでも、まるで粉塵爆発のドラマを撮影するときのようなみごとな粉塵が部屋中に舞い上がってしまう。おまけに粉タイプの龍角散は缶の中に入っている量が半端なく多くて、買えば必ず余るし、保管しておくとお好み焼きの粉よろしくダニでも繁殖しないかと気になって、結局けっこうな量を捨てることになる。それがなんだかしのびなくて今回はまだ粉には手を出していない。

「粉には手を出していない」のイリーガル感。

こうして具合が悪いとこぼすと、やれ漢方が聞くよとか地縛霊に祈るといいよとか、周りの人たちはいろいろとアドバイスをくれる。それらをときおり摂取し実行しつつ、たまに恐山に登ったり伏見神社の鳥居を高速で往復したりもして、それでもなおだらだらと治らない咳をかかえて週末の出張をまんじりともせずに待っている。飛行機に乗っている間にあんまり咳をするのも周りに申し訳ない。口の中がカピカピになるほどにのどあめでコーティングし続けるしかない。

とはいえ、のどあめでコントロールできる程度の症状ならば軽症というべきだろう。もっときつい症状に悩まされている人も世の中にはいっぱいいる。かくいう私も、かつて頸椎症に苦しんでいたときには今の比ではないくらいに毎日がうすぼんやりと暗がりに包まれていた。寛解した今、咳くらい、頸に比べればなんということはない、という頸から目線で咳のことを見下ろしている。まあ咳の出どころはノドだから、頸椎症でしびれている左手よりもむしろ高い位置にあるので「見下ろしている」は間違いなのだが、そこはボア・ハンコックみたいに「見下ろしすぎて逆に見上げてる」をやればいいだけのことである。


WHO blue bookを通読しながら胃の良性病変についての総説のアイディアを膨らませている。言われたとおりのことを、文献を提示しながら、学術的に書いていけばそれで仕事をしたことにはなるのだけれど、せっかくだから、総説として書いているにもかかわらず読むと「あれっ、なんか新しいことを知った気になったぞ!?」というようなタイプの記事にしたい。総説(review)というのは料理に近いものがあり、確固たるエビデンスを食材とすると、その食材を加工しすぎず、かつ良さを引き出せるように調理して、食べ合わせを考えながら組み合わせて、デザインして、提供する順番などもきちんとプロデュースした上でテーマに沿った一連のメニューとして提示するとよい。一方、最近の総説は、畑でとってきた野菜を大きい順にそのまま並べただけのものもけっこうあるような気がしていて、そんなことだから和文誌はどんどん廃れていくんだと思うけれども、せっかく依頼が来たのでしっかり料理をしていきたいと思う。料理医。料理医ヤンデル。

旅立ちの前の

猛烈な日々を通り過ぎた。肌も胃もノドも腰もずたぼろだ。しかし通り抜けた。これで、ここから2週間、「凪」に入る。出張はあと1つ、乗る飛行機はあと2回、毎日ウェブで会合があるけれど、研究会はあと4つあるけれど、でも、もう、準備は全部終わっているし、今の職場でこれ以上私が新しい仕事をはじめたところで、残る人たちに引き継がなければいけない分あまり大きなことはできない。だからもう終わったのだ。荷物は預け終わり、保安検査も滞りなく終わり、呼ばれるがままに機内に入って、席を探し、座り、カバンの中からイヤホンを取り出して座り、シートベルトをし、いよいよ離陸の最終準備。Prepare for departure。機長の声が響く。心の中のCAたちが配置につく。飛び去るのだ。感慨が湧いてくる。私が出禁にした製薬会社の営業も、再来週からはまたこの検査室に入ってこられるようになるし、私が長年使っていたメールアドレスも、再来週からはメーラーデーモンによって管理されることになるし、今私の目の前にあるアナログ顕微鏡も、これからはバイトの医師によってたまに電源を入れられる程度のものになる。



ワンピースを1巻から読み返すと大変なことになるのでとりあえず61巻から読み返している。新世界に入っていくシーンの画力は今読み返すと非常にすばらしい。荒れ狂う海に笑顔で飛び込んでいく姿を見て、まさかの47歳男性がこれほど「癒やされる」のだから、マンガというのはおそるべき力を持っている。活力が出るとか奮い立つとかではなく「癒やされる」。人間、優しい言葉をかけられたり、期待されたり、見返りを渡されたりすればそれでいいというものではなくて、なんとも、びっくりする角度から満たされることがあるものだ。心にどういうカギが刺さるとどんな扉が開くかなんてのは、およそ予測のできない部分がある。ちかごろは、すでに買い揃えているマンガをいちから読み直す時間がわりとある、これがだいぶいいようだ。心が潤っているのがわかる。

私はもともと、小さいころから、字の本はめったに再読しないのだけれどマンガは何度も何度も読み返す習慣があった。それがここ最近めっきりと再読しない生活になっていたのだが職場をやめるタイミングで再びいろいろ読み返すようになり、それが思いのほか彩りになってくれている。昔やったゲームをやり直してみたらどうだろう、みたいなことも考えた。ただゲームをやり直すほどの時間はなさそうだ。あと2週間で次の嵐がやってくる。



マットレスを買った。もっと高いのにしたらよかったかなと思わなくもない。しかし、元来、畳の上にふとんで寝るのが一番性に合っている。だったらそんなに高いマットレスなんて買う必要もないだろう。

たった3行の、この程度の判断すら、もう何年もしていなかったような気がする。非線形の因果のことばかり考え続けて、「ああだから、こう」みたいなプリミティブなうなずきかたを、長いこと避けてきた。なにかむつかしいことをかんがえよう、これからのぼくは。MOTHER2。まさに40代の私とはそういうものだった。どせいさんが鼻で笑う。鼻が大きいからきっと大笑いになる。



5分後にオンラインで座談会に出る。自己紹介というのをしなければならないらしい。困ったことだ。どこから何を紹介すれば適切なのかがよくわからない。傷んだノドを気にして口の中にさきほどのど飴を放り込んでしまったがまだ溶けていない、そうだ、コロコロ鳴らしていれば、私という人間のありようが少しは重層的に伝わることだろう。座談会のテーマとして掲げられているもの。「最前線」「現場」「すれ違い」「支援」「育成」「継承」「AI」「印象に残ったもの」。どのキーワードに軸足を置いて話すべきか迷う。体験以外になにか、体幹がぐらついたときにとっさにつかめるものはないか、それがたとえば「失敗」であり「後悔」であると私らしいなと思うのだが、そういった言葉が一切提示されていない企画書を読むと、なるほど今回も私は嵐の中に飛び込んでいくようなつもりで働くしかないのだなとあきらめ半分、ほほえみ半分。

余計なお世話

白いページを開いて文章をばかすか書いて、それをそのままウェブに載せたいだけなのに、カーソルのまわりに予測変換だとか、修正候補だとか、英訳サポートアプリのポップアップだとか、AIが常時走っていることをアピる謎の点線だとかがポコポコポコポコ、出ては消え出ては消える。

メールの着信音、アイコンの上に表示される未読ありの通知、Microsoft teamsのリマインド、LINEとGmailとGoogle photoとでちょっとずつ違うスマホのバイブレーション、クリーニング屋のクーポン、Peatixの新着イベント。

気が散る要素を数え上げていること自体も、気を散らしている。かまわなければいいのに。放っておけばいいのに。でもこれらの通知は選択圧の末に「人間に放置されないような音色、色味、配置」で出てくるように調整されていて、私の本能はこれらを無視できないようにコントロールされている。

削ぎ落とさなければまっすぐ歩けない。それで近ごろの私たちはいつもふらふら歩いている。


たとえば薬膳というのは気の散る料理だ。メニュー以外に文字を読まなければ味の理由がわからない構成というのはいろいろ間違っていると思う。だいたい味に理由を付けなければいけない時点でおかしい。しかし、そういえば、近ごろの料理、外食というものは、どれもこれも薬膳的で、どのような理由で素材が選ばれているかを学ばなければ食べる資格がないし、どのように食すればいいかを教わらなければ箸でのつまみかたすらもわからない。見た目を客が意味ある角度で撮影できるよう提供されていなければ話題の端にも登らない。つまりは食事はすべて薬膳化してきたのだと思う。意味が後からついてくるような体験というものが、レアになった。感想を予測できない経験を積むことが難しくなった。



これらがすべて、世の中を少しずつ良くしているのだろうということも、わからないわけではない。自分の信念に基づいて、詐欺師を我が子だと思い込み金を振り込もうとする老人たちが、不審な挙動をアプリに指摘されて未然に詐欺を防げれば、それはとてもすばらしいことだし、絶対に失敗したくない家族旅行を口コミに基づいて念入りに下準備して、結果、当日自分は何も楽しめなかったとしても子どもたちのはしゃぐ顔を何千枚も写真に収められるのだとしたら、それほど幸せな思い出もまたないだろう。

つまりはなんというか、私たちが、至らなかったり、気づかなかったりするせいで、とりこぼしてきた小さな幸せを、アプリや情報があらかじめ拾い集めてくれてはいるのだと思う。

そんなことをわかった上で、なお砂漠にいるようないがらっぽさを感じる。ごほんとむせてしまう。



幸せになるために生きているという前提、おしきせ、それをいったんなしにして、世界とむき身でぶつかったり、空間にまっすぐ己を試したりするとき、「オマエをよりよく導いてやるよ」「オマエを今より少しだけラクにしてやるよ」「オマエをどちらかというと幸せな方向に運んでやるよ」と声をかけてくる有象無象、そういったものがみな、うっとうしくてたまらないのである。幸せになりたいかどうかを自分で決めさせてほしい。幸せが唯一の価値だと決めつけないでほしい。私はときに、不安の中に飛び込んでいきたいし、おさめようのない痙攣に魂をふるわせて自分の輪郭がおさまるのを待っていたいときだってあるのだ。

JAの存在感

コロナの検査を二度やって二度陰性だったのだが、ノドの痛みが二日ほど続いて治ってからかれこれ二週間、へんなタイミングで咳が止まらなくなるのが続いている。そういうところ、コロナっぽいけど、違う風邪なのかな。Zoomのマイクをすかさずミュートにするテクニック。講演の前にはメジコンを飲んだり龍角散ののど飴を使ったりしてなんとか咳を抑え込む。移動中はマスクが欠かせない。不如意な咳払いの中年はマスクをしていたほうが周りに圧を与えなくて済むだろう。地下鉄ではなるべく椅子にも座らないようにしている。中年男性が隣に座るだけで少し警戒してしまう人も多いと聞く。気遣いなんてこんなんいくらあったって困らないですからね。気道と外気が直接連絡しないように遮断し、他者に熱感も振動も何も与えないようにすみっこで息と気を抑える。猗窩座が気づかないくらいの存在感を理想とする。

左の前腕の内側に謎の黄ばみ、というか少し茶色みがかって肌のテクスチャが変わった領域がある。触って押してみると少し痛い。おそらく気づかないうちにどこかにぶつけていたのだろう。こういうのを見ると、しみじみ、「自分のことは自分ではわからない」と感じる。自分の輪郭の大きさを間違えて足の小指を角にぶつけたり、手の振り幅を計算せずに電車の座席に手をぶつけたり。ところで今の私は、先程買ってきたペットボトルに手を伸ばし、右手のボトルを左手に持ち替えて、その後右手でフタを開けに行く、そういう一連の動作に何の困難も感じていない、これはまたずいぶんとうまく調整された運動だなあと関心したりもする。たとえば、左手でボトルのどの高さを持ち、右手でフタを迎えにいくときに左手よりもどれくらい上にずらした部分に右手を持っていくかといった微弱な調整、これをペットボトルを見ることなく自然と行うことができるというのはなんとも高度だなと思う。自分の身体の大きさはあまりわからないのに、ペットボトルの大きさは反射と行動にしみついている。優先順位にエラーが生じていないだろうかと心配にもなる。

脳は心象の世界で世界を仮想的に再現する。それはたとえばペットボトルのサイズとか物性をいちいち目視しなくても手指が覚えているといった話もすべて含んでいる。ただし、どうも脳は、自分自身をその仮想世界の中に再現しようとはしないのではないかとも思われる。脳が構成する仮想世界とはあくまで「対・自分」的なものであって、自らの身体の状況を包含した仮想世界というものではないようなのだ。もっとも、超一流のサッカー選手は自分を含めたフィールド全体を脳内で鳥瞰して把握できるというが、それも果たして本当なのかな、そんなに人の脳って自分の座標をきちんと世界に置いているものなんだろうか。脳内でイメージを作っているのは自分の目の「外」にあるものばかりだ。自らの肌より内側の部分は仮想世界には持ち込んでいないような気もする。


わからない。知らない。自分のことは。自分のことだけは。


デスク引っ越しに際して周りにある細々としたものをつぎつぎと袋や封筒にしまいこんできれいにした。クラファンでもらった近江神宮のお守り、SNS医療のカタチで作ったおかざき先生デザインのキーホルダー、堀向健太からもらった目のひかるウサギの置物、かつてモンゴルで買い求めた名刺入れ、先日妻がタイのおみやげに買ってきたゾウの模様のカードケース、折り目の少ない2000円札。あれこれたくさんあって次の職場でもお店を開くようにこれらを並べて置こうと考えているが、そんな中、どうしてもある一つの小品だけが出てこない。その名も「JAバッヂ」。北海道厚生連の職員は必ず支給されるバッヂ、弁護士が襟元に付けるような感じで、厚生連の集まりがあるときにはこれをつけろというのだけれど、私はこのバッヂをどこかに紛失した。一度も使ったことがない。きれいなケースの中にちゃんとおさまっていて、私はそれをつい数ヶ月前にもどこかの引き出しの中で見ていたはずなのに、いざ、引越し前にそれらを探すと出てこない。規定を読む。JAバッヂは退職の際に返却してください。紛失した場合は実費:500円を請求します。うわあ。500円かあ。タンスの角に小指をぶつけたときのようなダメージを私は心の足元のところに負う。

そこでスーツは役に立つ

ロビーから見上げる空は雲でかげり、気温がすっと下がってきた。スーツのジャケットを着たままでも不快と感じない。本日はこのままスーツのまま移動してしゃべって飯を食ってホテルに帰ることになるだろう。夏が終わったなと思う。

近頃、上半身の筋肉が落ちてきたせいか、昔つくったスーツに着られているような、なにやら後ろからだらしなく覆いかぶさって来られているような着こなしとなっている。やや恥ずかしいが、家族や友人はみな、「大衆は私のような中年の見た目など気にしていないから心配しなくていい」と言う。かくいう私の脳も、スーツにネクタイにメガネの人間が視線の端っこに映った瞬間からもうその一縁の風景については情報処理をしようとしていないように思う。注釈も懸念もいらない記号と化すことで、環境にかける負担を減らす、それが私たち中年男性が事あるごとにスーツで動き回る理由ではないかと思う。この理屈でいうと、胸ポケットにハンカチーフを挿したり、デザイン性の高いネクタイやベルトのバックルを用いたりするというのは、無駄に情報を発生させて周囲にアフォーダンスを押し付けているということになり、こと、講師としては心がけが足りない、ずれている、そういうところに注意を払わせようとする心根が講演という場にそぐわない。講師を名乗るからには自分ではなくプレゼンの内容をなるべくロスなく伝えることに全力を注ぐべきだろう。しかし、思えば、近ごろの学術講演はだいたい半分くらいが、「学問」よりも「その人」を伝えようとやっきになっている。よくない傾向だと感じる。学問さえもインスタ化してきている。

空港で隣に座っていた中年男女の元に大柄の着信音と共に電話がかかってきた。胴間声の男性が電話をとり、周囲に気を遣いながら遠くに歩いていくのだが、離れるごとに声が大きくなる、距離の二乗に反比例して減衰するはずの声がどれだけ離れてもほとんど同じボリュームで私のいるところまで聞こえてくるので微笑んでしまった。気遣える騒音源というのは悲しきモンスターである。返事がなかなか来ないメールの催促を打ち込んでいた私もだんだん仕事がばかばかしくなってPCを閉じようとし、まあ、そうか、と思い直して今こうしてブログを書いている。

周りと自分との関係、周りと自分との間のことをしばらく考えている。この議題は、コミュニケーションとか社会的存在とかそういう話でよく語られるであろうが、私の場合は病理診断の、診断の文章・所見・そういったものの「軸足」をどこに置くかという文脈で展開されている。たとえば、多くの病理医は診断の所見を「見たものを科学的に、客観的に、あますところなく書く」というような訓練を受けており、もしくは訓練を受けずとも自らそのように考えて文章を整えている。しかし近ごろの私はその程度の営為ならばべつに人間がやらなくてもいいのではないかという気持ちが若干高まってきており、もう少し「間」に置くことを前提とした文章を書いてみてもよいのではないか、というある種の浮気心をしばしば抱えている。科学というのは主観ではだめだ、客観的に解析して述べる業こそが科学技術だという内容のことを、実際に科学を為していない物書きの類がたまに語るのだけれど、それは近似的にはそうだが実践としてはけっこう間違っていると私は考えている。科学とは客観的な現象を主観的にしか体験できない人間のさみしさを引き受けるジャンルでなければならず、その際、主観を廃するなどということは高校生でも発想するが、主観という矛盾を飲み込んで、客観よりもなお平等な主観のふるまいがないかと問い続ける姿勢こそに科学のわびさびがあるのではないかということをわりと本気で考えるのだ。しかしそれは、あるいは、患者の向かいに立って患者の外見と患者の血液検査データと患者の画像所見とをはすに構えて眺めようとしている臨床医の斜め後方にきちんとスーツを着て立って、「ちなみにそこ、もうちょっと違った見方もできるよ」と声をかけることが病理医の本当の仕事なのではないかと私が信じきっているという大きなバイアス、悲しいほどの肩入れに基づいた、偏見でしかないのかもしれない。

残りの人生であと何食楽しめるかわからないし一食もむだにしたくないとほざくエセ文化人のアンチ

盛岡のホテルの朝、汁物をよそったら「きりたんぽ鍋」と書いてある。そうか、そうかと受け入れて自席にもどり、ふと気づいた。盛岡で? きりたんぽ? しかしすぐに理解する。これが東北の安定的なホスピタリティなんだろう。一度の仕事や旅行で岩手と秋田に両方行くことなんて、そんなにない。東北というのはひとからげにしてしまって、朝食にどちらも楽しめればたいていの客にとっては悪いことなどないということなんだろう。ただ、問題は、私がこの日の夜には秋田に移動するということだ。

翌朝、秋田の宿、朝食会場には果たしておいしそうなきりたんぽ鍋が並んでいた。前の日の朝に盛岡で食べたばっかりだ。なんか2日連続ってのは別にいいかな、と、結局秋田ではきりたんぽ鍋を食べなかった。失策という二文字が目の裏を走り去っていく。

気を取り直して、いぶりがっこをはじめとするうまそうな漬物をつぎつぎ拾っていく。明太子もあるから拾っていく。秋田はお米のおいしいところだ、お米に合うおかずをたくさん置いてくれているのだ。うれしいことだ。自席にもどり、米をかきこみながら、ふと気づく。明日、私は福岡である。なぜここで明太子を食ってしまうのか。失策という二文字が上顎洞の柱の陰からこちらを見てほくそ笑んでいる。


ゆくすえを脳内に描き出す力が弱い。困りものだ。あわてて生きているという感じ。暮らしの尻周りがむずむずする。


週末の研究会に私は出席しない。別の場所に出張しているからだ。しかし臨床医が出るというので、病理の写真を準備して送った。研究会からのレギュレーションが届く。今回からバーチャルスライドの提出が求められているという。慌てた。しまった。そういうことならもっと早く準備をしておかないと間に合わない。今日も明日も私は出張で不在なのだ。準備時間がない。ばたばたとする。何人かに手伝いを求める。幸い、プレパラートのバーチャル取り込みを請け負ってくれる病理医が手を挙げてくれた。助かった。早朝にその病理医からデータが送られてくる。さっそく、研究会のホームページから、指定されたオンラインのフォルダにデータをアップロードする……が、これ、見る人は、このファイル名だとちょっと面倒なのではないか。ひとつひとつのスライドデータをダブルクリックする前に中身の予想が付くように、ファイル名を急遽、体系立てて変更していく。連番、アンダーバー、染色名。マクロ写真も必要だろう。切り出し図の解説だって付けるべきだ。日がだんだん高くなって検査室が明るくなっていく。大汗をかきながらファイルの準備をすべて終えて送信。


お茶を買いに出る。スマホだけ持つ。ろうかの自販機は下のコンビニよりも値段が高い。高いが、このへとへとの状況で、階段をふみはずして転倒したら、数十円をケチったために数万円を失うことにもなるなと思って、寸暇をけちって自販機で買う。大判の麦茶。140円。高い。しかしまあいいだろう。買って戻る。デスクに身を投げ出す。ふと未明にほうりなげたカバンの中に視線が行く。同じお茶が入っている。水滴がついている。数時間前、ここにやってくるときに、まったく同じ自販機でまったく同じお茶を買っていたこと、あれ、昨日かおとといのことかとさっきまで思っていたが、数時間前のことだった。頭を抱える。どちらのお茶もまだ未開封だということになぜか心をえぐられる。どちらを開けようか。古い方はぬるくなりつつある。新しいほうは冷たい。だったら新しい方を飲もう。新しい方を開けた。飲む。古いほうは水滴を拭いて、職場の冷蔵庫にしまってまた冷やして置こう。冷蔵庫のドアを開けると、昨日買っておいた全く同じ麦茶がおいしそうに冷えていた。

ナッツアンドミルクは社内の何がきっかけで生まれたのだろうか

シュロスバーグの感染症学を次の職場に送ってしまっていた。出張のついでにもう一度、持って返ってくる。ついでに微生物プラチナアトラスも取り戻してきた。こちらの職場でもぎりぎりまで仕事をしようと思っている。となると、手元に本がない状態では困るので、移動の日まで動かせない荷物がいっぱい残っている。それだと大変だから使用頻度の少ない本から先に引っ越しを済ませていたのだが、やはりだめだ、たまにしか使わない本も、めったに使わない本も、使うときは使うのである。早く引っ越しを終えてシンプルな所属になりたい気持ちが募っていく。手元の名刺はこれで使い切りか。あと60枚くらいあるだろうか。残りの出張で使い切ることはおそらくできないだろう。

デスクはほとんど片付いたが本だけが残っている。どこぞの評論家とかコメンテーターの、Zoomの背景に並んでいるような量の本は必要ないにせよ、およそ12冊くらいは手元に残して置かざるを得ない。移動の日、きっと腰をやるだろうなあと思う。小さなサボテンとか、大阪大学に寄付したときにもらった羽海野チカデザインのマグカップなんかもまだここにある。引っ越し屋さんを頼むほどの量でもないがスーツケースでは運べない量になってしまった。ままならないものだ。

コロナ、検査、2回陰性。ややいがらっぽいノドを龍角散のど飴でなだめる。身近にもノドハナの調子が悪そうな人間がぽつぽついて、みんなにコロナの検査を勧めたのだがだれも陽性にならない。つまりはそういうタイプの夏風邪が流行っているということか。人類はバイラルワールドのよしなしごとを、まだ何もわかっていないのだろう。


バイラルで思い出したけれど、むかし、ファミコンソフトに「バイナリィランド」というのがあった。バイナリィ・ランド! なんて夢のあるタイトルなんだろう。あらためて思い出してほれぼれとする。バイナリといえば二進法で、プログラマーたちにはまあそうだねというくらいの意味しかもたないかもしれないけれど、画面を中央で二分割したパズルゲームで、左右のキャラクタ(オスメス一対のペンギン)が、一度の操作で左右対称に移動し、それぞれ異なるパズルの中で敵をよけたり障害物をよけたりしながら、最後には画面上部のゴールに同時にたどり着いてキスをするという、「2つの要素によってなりたつもの」という意味でのbinaryとはまさにゲームのタイトルにぴったりだし、しかもこのゲーム、たしかハドソンの中で社内恋愛をしていた二人によって制作され、裏技を入力するとカップルの名前が表示されるのである。家庭用コンピュータゲーム黎明期を二人三脚で作ってバイナリィランドとはすばらしく気の利いたタイトルではないか。プログラミングにハマったキテレツの頭、バイナリィ。


自分が「たのむもの」とは何なのかなあということを近頃たまに考える。依頼するという意味ではなく、よりかかる、たよりにする、くらいの意味で、私がみずからの行動原理としている美意識とか経験とはどういったものなのかな、ということだ。どうも私の場合は幼少期から2つ違いの弟としょっちゅういっしょにゲームなどして遊んでいたこと、その際にあまり弟にコントローラを渡さず私が基本的には「主人公然」としていたこと、これらが、良いか悪いかでいうと若干悪いほうのニュアンスで、だいぶその後の性格形成に影響していると思われる。当時の私をふりかえり、大学院生くらいまでトレースしてみると、人並みに「自分」というものに興味があったことはおそらく本当だが、おそらくはそれよりも「自分の目の前に映っているもの」により強く心を惹かれていた。自分の時間を大事にするよりも、自分が今見ているものの中でうごめいている時間のありようを、少しでも長く追いかけていたいという気持ちが大きかったのではないかということにはたと気づいた。それはつまり自分の体験なのだから、やはり自分を眺めているのといっしょだよ、くらいのことを、雑な心理士だったら言うかもしれない。でも私はそうやって観察している間ずっとマイルドに離人していたようにも思う。そこにあきらかにポジティブな意味合いで結合したのがおそらくはファミコンをはじめとするゲーム文化で、それはテレビ、ラジオ、音楽、舞台、ライブハウスなどから得る刺激に比べて「自分で操縦する割合」が少しだけ高いタイプのコンテンツで、目の前にあるものに自分の意識を流し込みながらもあくまでそれは自分の外のものだというバランスが、私の幼少期からの立ち居振る舞いにはとてもよくマッチしていたのではないかと思うし、あるいは逆に、まだ私が未分化だった小学校低学年くらいのときにゲームというUIに触れたことが私の1.5人称的人格を強化して今に至ったと考えることもできなくはないと思う。

バイナリィランドというのが左右方向での「ニコイチ的遊戯」であったとして、私もまたバイナリィであった。ただしそれは奥行方向、もしくは、コンテンツという強固な壁を挟んで手前にユーザー、奥に開発者、それらが壁の部分にあるコンテンツにそれぞれコミットして、交流するというのとも癒着するというのともちょっと違う、弱い連携と弱い対立とをしていく構造となって機能していた。そういう私から見た世界というのはどこか、私の目の中では私に向けて作り物の笑顔をよこすような存在であって、また、私にとっての私というものも、それは決してアイデンティティと呼べるような確固たるなにかを信じるべきものではなくて、その都度自分が向き合っている外界に対して「あるもので何かをこしらえて提供するような」感じでぐにゃぐにゃ作り変えられるようなものであり、それはたとえばマリオをやっているときの自分とドラクエをやっているときの自分と、甲竜伝説ヴィルガストをやっているときの自分と摩訶摩訶をやっているときの自分が全部同じとは思えない、ただし弟から見ると私はあくまで「いつまでもコントローラを離さない強権の兄」であったのだから、彼に対して「私はアイデンティティが霞のような幼少期を送った」などと言ったらきっと鼻で笑われるだろう。

自分の今日を昨日と同じように定義できる人たちのことがややうらやましい。本もなしに自分の言葉を心の中から素直に出せる人たちにも嫉妬する。私はこの年になっても確固たる自分というものを信じられずに、間や場に流れ込む他者からの「探り汁」みたいなものと、急速解凍した自分から漏れ出る「ドリップ」とが混じったものに目線を奪われて、これがここでの私の役目ということか、などとしゃべりながらそのドロサラの液体を匙でかきまぜたりしている。病理医ヤンデルなどというのはまさにその最たるものであった。

スネ夫ドラえもんジャイアン小文字のしずちゃん略して

夏の暑さがすこしおとなしくなると虫が出てくるようになって、たまに虫さされの雰囲気すら感じるようになった。いっそ夏の酷暑で蚊も絶滅していればよかったのに。生態の多様性が重要などというけれど、蚊くらい絶滅しても悪いことはないのではないか? 蚊が哺乳類の血液をあっちからこっちへと媒介することで病原体もまた伝播する。人類にとって脅威となるような疾病の一部は間違いなく蚊のせいで生じている。もちろん、感染症という選択圧を乗り越えていくことで人類の遺伝子が鋭く選別され、結果的に進化とされる状態を歩んでいることはいうまでもないが、この先、人類、別に進化しなくてもいいから、蚊には刺されたくないと思う。25年ほど前、学生時代、「風邪と肥満を治す薬ができたらノーベル医学賞だよ」みたいな話をよく聞いたが、蚊を滅ぼしたらノーベル平和賞もついでにあげていい。

蚊め!

このような、他の生命に対する嫌悪感というものは、私がかかえる攻撃性の中では、まあほうっておいても別にいいのかな、という気がする。同属のヒトどうしで嫌い合うのはどうかと思うけれど相手が蚊ならいいだろう、だって、蚊だぜ。


「ググったら、蚊を食べる小動物もいて、蚊のおかげで生態系が成り立っていることもいるとわかりました。だから蚊であっても絶滅はだめです」


そうですか。そんなん別にハエでいいじゃん。ねえ。蚊がなければハエを食べればいいじゃない。だいたい、何もかも多様なまますべてを守ろうなんて、虫が良すぎるよ。蚊だけに。SDGsだって所詮は政治とか営利企業が便利に使っているシンボルにすぎないわけでしょ。多様であり続けることが大事なのはいいけど、多様性を織りなすひとつひとつのコンポーネントが、ときに増長し、あるいは逆に消滅したりするのも、栄枯盛衰ってことでいいんじゃないの? 欧米生まれのコンセプトは往々にして情報の刈り込みがはげしすぎるよ。とはいえ、あまりこう、何も調べないで適当なことを書くと、「じつはSDGsというのは純粋に日本から発信されている概念です」みたいなこともあり得るから気をつけなければならないけれど。



台風が列島を横断していて遠方に住む息子の家の周りにもなんかちょっと一時期あぶない勧告が出ていたらしい。別れた妻が「水とか買った?」とLINEを送ると、「大丈夫、豆乳とかあるから」と返事をしていた。ああ、豆乳を飲んでいるのか、それはいいな。味のある暮らしだな。私はメインの食事とはべつに趣味半分、気まぐれ半分で食しているものというと今はヨーグルトくらいしか思いつかないけれど、それがたとえば納豆であっても梅干しであってもかまわない、「添え物」的なものにちょっと気を配ったり目を配ったりできる人生というのは豊かでとてもいいと思う。何も教えていないのにそういうところをきちんとやっているのだなと思ってうれしい。いっぽうの私は次の職場に移るにあたってまだ半分くらいしか買い物を終えていない。残り時間が少なくなってきた。豆乳でも買っておくべきではないか。あるいは、豆乳でも納豆でも梅干しでもないなにか、そうだな、キムチとかでもいいか、自分の人生を進行方向とは関係ない方向にぐっと拡張するなにかを、買ってから次の世界に飛び出していったほうが、「厚みのある人間」っぽくていいかもしれないな。うっす! 発言が、うっす! 内容、無(な)! 中身、しょぼ! デスクにいるのが蚊だと思って叩き潰したらさきほど私がうっかり机に描いてしまっていたボールペンのインクで、叩いた手は痛いしその衝撃でマウスがふっとんでいって球面の一部が欠けてしまった。生活が多様で、飽きなくていい。

熊本まで

熊本県医師会館で開催される研究会の名前は「くすのき」を冠していた。熊本の県木らしい。若手からベテランまでが揃う消化器系の研究会として、クスノキの名前はじつにふさわしい。出席者は大学を中心に20名程度かなと思っていたら35名ほど。会議室のテーブルと椅子がちょうど埋まっていて、みごとな読みである。事前に、講演の内容は前日の大牟田といっしょでもいいですよと聞いていたのだが、けっこう入れ替えて『大腸鋸歯状病変の組織学的解釈の実際』とした。

大牟田では市中病院や開業医が多く、熊本だと大学のメンバーが多い。とはいえ、別に熊本の会に開業医がいないわけではないので、話す内容としてはそこまで変えなくてもよかったのかもしれない。ただ、これに関しては、2日連続で話を聞いてくださるK先生を「主たる聴衆」として設定させていただき、K先生がおもしろく感じられるかどうかを基準にしたかった。2日連続で同じ症例の話ではつまらないだろう。レベルはどちらも似たようなものだが、切り口は変えようと思った。なにより2日同じ話だと私の緊張感がとぎれてしまう。かたや全身全霊でフライング頭突きみたいに飛び込んでいき、かたや前日の記憶も新しいままに講師という役割を演じる、ではよくない。

講演がはじまる前に1時間ほど症例提示がある。1時間で3例だから、1例に使える時間は20分程度である。ただし、提示者が画像や病理を一通り出したあと、フロアの誰かがその画像を読み込んだりコメントをしたりするわけではなく、すぐに私(病理医)にコメントを求められる形式である。今回は病理医が講師だからいいけど、今まではどうしていたのだろう、と思ったら、研究会はなんと第1回なのであった。初回の講師に私を呼ぶのか。ありがたいことである。

提示症例3つはいずれも興味深い。1例目はすでに論文化もされている珍しい大腸の前がん病変。形態が複雑というか奇天烈で、いや、奇天烈というよりもなんだろう、自然界の物理法則の織りなす妙に美しい模様のたぐい、雪の結晶だとか、蜂の巣だとか、橋の構造計算のときのあのなんかきれいな色のやつとか、そういったものを彷彿とさせる形態をしていた。2例目はこれまた複雑で、ある珍しい病気を背景として出現した、表層にあまり露呈してこないタイプの、すなわち「化けの皮をかぶったタイプ」の腫瘍である。深部で悪さをするので表面からいくら見ても悪さを感じない……のだが、それが本当に「悪くない」のであれば矛盾する所見がいくつかあるだろうと、丹念に理屈を積み重ねていく過程が診断に結びつく。3例目は、会の趣旨からはちょっとずれるのだが、私がくるというのでぜひ見てほしいという演者が持ってきた、消化管とはあまり関係のない症例。これは内視鏡ではなくCT, MRI, エコーで判断すべきものなので、会場の内視鏡医たちをある意味置き去りにして、物性の話とか音響インピーダンスの話などをいくつか議論した。

へっとへとになる。3例しかやってないのに。でも山鹿でやってきた18例とはまた違った重さだ。学会発表形式で提示される症例の、写真には意図が込められており、考察には重心の偏りがあって、それらは多分に「狙ってそのようにずらされたもの」であるから、病理医としてそれらにコメントするにあたっては、相手の「ずらし」に対応してこちらも目線と思索の線とをずらす必要がある。あるいは、全くずらさずに、野球でいうところの「自分のタイミングでボールを打つ」のような感じでコメントしてもいいのだろうが、私はそういう「行動が線形である病理医」のことをあまり好まない。

3月のライオンでいうところの土橋九段のような、相手がやりたいことにとことん付き合って、その歪みでどこまで走っていけるのかを見たがるようなタイプの病理医に私はあこがれる。そして、つまり、そういうことをするためには、「将棋でいうところの研究」をずっと積み重ねていく必要がある。「将棋でいうところの研究」とは、自分の知っていることを並べて把握することではなく、どのような盤面で、相手がどのように動き、自分がどのように動くと結果がどのように転がっていくのかと、相手と自分と盤面の3つが揃った状態を想定してやることである。それは医者や医療者が日頃から大学界隈で考えている「研究」とは、言葉は似ているけれどかなり違うのではないかと私は考えている。

24時間内に2本の講演。このパターンを今月はあと1回、東北でも経験する。魂を燃やしてしゃべっている最中、40分を経過したあたりで、背中になんらかの違和感を覚えてああこれはどこかの筋がイッた、というか筋やら腱やら関節やらの疲労をごまかしている分の脳内麻薬がとうとうそっちをほっぽらかしにして、脳を癒やす方向に向かっているのだなあと判断。ラストの20分で大牟田で語らなかった難解症例に対する「がぶり寄りの仕方」みたいなものを一気にしゃべって、結局今日も4分ほどオーバーして講演を終了する。今日も聴衆の食いつきは非常によく、会場からの質問もさまざまなレイヤーから矢継ぎ早に飛んでくる感じで、なんとも、24時間の間にこれだけ多くの「反射光」を浴び続けるというのもなかなかない経験で、本当にありがたいことだなと思った。

17時半ころに会は終了、そこらじゅうの人びとに挨拶したあとで懇親会に移動する。熊本市ではこの日、花火大会があるという、まだ昼間の熱がしっかり残っている夕暮れの熊本市内にはちらほらと浴衣の人が出始めており、私もそこに浴衣でまじりたいなと思いつつスーツケースをとぼとぼ引きながら懇親会場に入る。

前回熊本にやってきたときは、たしか、夜に講演をやって、そのあとあるはずだった懇親会をキャンセルして羽田まで急いで帰ったのだ。台風が近づいており、翌朝の飛行機だと札幌まで帰れないと、急遽知恵をつけられて、羽田まで帰っておけば翌朝のイチ便で新千歳まで行けるでしょうと、おおあわてでとんぼ返りしたあのとき食べられなかった、馬刺し、辛子蓮根、一文字ぐるぐるなどを次々といただく。一文字ぐるぐる、分葱(わけぎ)の根本に分葱の葉っぱを巻いて、辛子酢味噌で食べるだけのシンプルな料理なのだが、まさに熊本という感じがしてしみじみうれしかった。酒はあまり飲めず、せいぜいビールと焼酎のお湯割りくらいであまりペースもあげないようにする。胃から疲労が確実に上がってきておりしんどかったが、会う人、声をかけてくれる人、みな熱心で、懇親会と言いながらどこか研究会の続きのような雰囲気があり、つまりそれは私が好むタイプの懇親会であった。

学会や研究会の懇親会などで、学術の内容とは関係のない、ゴルフとか婚活とか金稼ぎのような話に終止する場面をたまに見るのだけれど、私はああいうのが苦手だ。おそらく、学会や研究会の最中に、そういうまじめな方向にフィックスし切った脳を、30分とか1時間くらいではプライベートのモードに切り替えられないのだろう。「飲みの席でおそれいりますが……」などと言いつつ、症例の話の続きをされるほうが私はよっぽど居心地がよい。ただしそれは言ってみれば「昼間の学術の延長線」なのであって、夜までそのペースだとエネルギーはカスッカスになる。

もうこれ以上今日は何も出てこない、というタイミングで懇親会はおひらき、19時半くらいだった。K先生と熊本駅に移動して軽くつけ麺などいただき、新幹線で福岡に向かう。寝落ちしそうだ、ここで寝たら広島まで着いてしまうので緊張が途切れないように少し空気椅子にしたりスマホでスイカゲームをやるなり(スイカゲームで完全に寝落ちしかけたのであぶなかった)してなんとか福岡到着。翌朝のサンドイッチだけ買い求めてからホテルにチェックインして、シャワーも浴びずにそのまま寝てしまった。

最悪6時に起きれば十分すぎるほど間に合うというのに目が覚めたのはいつもと同じ5時、アラームもかけていない日曜日の朝なのでそういう一つ一つの染み付いた行動に若干落ち込む。福岡から新千歳までの直行便のあと、空港の温泉に入り、リラックスルームでマンガなど読んで時間をつぶして、スーツケースを持ったままエスコンフィールドに入って野球を見る。入場券と荷物預かりサービスしか確保していないので席はないが、エスコンは立ち見にやさしい球場で、どこにいてもけっこういい角度で野球が見られる。狙い通り2回表くらいに球場に入り、しばらく野球を見ていたのだが、さすがにこの2日間の疲れがえぐくて7回くらいで観戦をあきらめて帰路についた。荷物を解きながら妻の帰りを待っておみやげの数々を確認、軽い晩飯をとって就寝すると、夢で私は深い森の中で次から次へと、ティアキンのリンクのように木を切って木材に変えていて、1本5分で切らないと終わらないんですよと誰彼かまわず話しかけていた。

山鹿で

大牟田から山鹿へのタクシーは事前にいただいていたチケットを使う。楽天のチケットが使えるタクシーと使えないタクシーがあると思います、と言われ、ホテルのフロントでたずねてみるが、タクシー会社におたずねください、フロントの横にあるその受話器を持ち上げると自動的にタクシー会社につながります、とのことでまあそのほうが私もシンプルでわかりやすい。最近あまり見なくなった、この、タクシー会社直通電話、持ち上げるとランプがついたり消えたりするので接続が不安定なのかなと少し気になる。けどこれ有線のはずだよな。

つながったタクシー会社の担当にタクシーチケットの話をたずねると、「受話器を手で押さえて後ろにいる別のスタッフに大声で聞いている様子」がありありとわかった。まあ映像を見ているわけではないのだが間違いなくそういうシーンなのだろう。今こうして書いていて思ったけれど、「受話器」という言葉、10代にはなじみがあまりないのだろうか、それともバイト先などでまだ目にするから大丈夫なのだろうか、少し気にはなる、が、10代と我々との交流を前提として文章を整備するなんてことは大事なものリストの上位30位にも入ってこない(3時間特番ならランキング外だ)。40代、50代、60代、70代、80代、90代、100代くらいの方々がなんとかわかってくれる文章を書くことが私のやるべきことだろう。まあ……100代の人の前でワクチンが2倍になったらワクワクチンチンとか言う気はないのだが……。

大牟田の地元のタクシー会社でぶじチケットが使えるという。呼ぶと10分くらいで一台やってきた。トランクを開けてもらい、スーツケースを入れて、後部座席に乗り込む。窓がうっすらと空いている。なるほどそうなのかと気付いた、はたして、タクシーの冷房が劇的に弱くてあまり冷えてこない。外はすでに32, 3度といったところでちょっとハラハラする道行きがスタートした。幸い運転手は道中なにもしゃべろうとしない。お客さんどこから? どこまで? のトークがあると今回はめんどうだなと思っていたので助かる。大牟田からちょっと走るとあっという間に山の中に突入する。昨日も思ったが山の木々の立ち方が北海道とは違うなというのを、九州で車に乗るといつも思う。山肌の木々の先端が尖っており手のひらで撫でると痛気持ちいい感じなのである(撫でられない)。一方、北海道の木々はもうちょっとモフ感が強い。外からはぬるい空気が伝わってくる。ただ木々の間を走り抜けているためなのか、そこまで猛烈な酷暑の中を我慢して走っているという風情でもなかった。助かった。

木々を眺めつつ、インスタのストーリーズに動画上げるのってどうするんだろうな、そうかこの写真撮影のマルボタンを長押しするだけでいいのか、でも今のこの風景を載せようと思っても4Gすらたまに圏外になるし別にこの画角だときれいでもないな、みたいなことを考えているうちに山鹿の市内に入る。人口50000人に満たない山あいの里で、温泉もあるらしいのだが滞在はせいぜい2時間半といったところで、残念ながら今回は町歩きもできない。まあ普段から町歩きなんてしないんだけど。山鹿中央病院にタクシーを付けてもらって降りると熱波がやってきて、車からスーツケースを降ろすだけで全身に熱がまとわりついてくるように感じる。土曜日の午前中。駐車場に思ったより車があるなと思いながら病院のロビーに入ると待ち合いに人がみっしりと座っている。そうか、ここは土曜の午前も診療する病院なのだと理解する。時間は11時になろうというところだ。前日の夜、私は朝はやく起きるのは苦痛じゃないので、集合時間をもう少し早くしてもいいですよと伝えても、「いやあ、11時で大丈夫ですよ。我々もそれまで働いていますから」などと言われていたのはそういう意味だったのかとようやく理解する。土曜日は休みという習慣にいつのまにか心のそこまで浸りきっていた。

ロビーでK先生にショートメッセージを送る。数分待っているとスクラブ姿のK先生が迎えに来てくださった。さっそく小さな会議室に移動する。PCを接続できるモニタ、顕微鏡を接続してあるモニタ、大量のプレパラート、内視鏡写真のメモなどが所狭しと置いてあるテーブルの周りに椅子が4脚。K先生とその部下というか弟子の若手2名と私、4名で椅子を占拠して、さっそく今回の九州行のメインイベントである「症例の照らし合わせ」をはじめる。

K先生が内視鏡写真をパワーポイントの写真にまとめてある。それをみんなで手短に見る。白色光観察、NBI拡大、インジゴカルミン・クリスタルバイオレット散布観察の写真の要点だけをK先生がさっと解説して、私はそれを見ながらすぐにプレパラートを顕微鏡に載せる。1枚のプレパラートには1病変だけが乗っているというわけではなく、同じ患者の複数のポリープやら粘膜やらが乗っていて、番号が付けられている。間違えないようにK先生に尋ねる。◯◯-◯◯◯◯、誰々さんの、①ですか、②ですか。えーとこれは③ですね。なるほど③。ではこの切片ですね。

K先生の疑問点は非常に細かい。病変の診断とかはもはや滞りなく終了している。そういうことではなく、とても狭い範囲の、多くの人が読み流してしまうような複雑な所見を、共通言語に翻訳しつつ、言語化がむずかしい部分については雑に言葉に置換することなく「描写的に」語って、ここが気に食わないんだ、と感想を述べてくる。それを受けて私は、病変がそのように観察されている様子と、実際にその病変の内部にどのような細胞がどうやって配列しているのかを、まずは自分の目元で、レンズの向こうの細胞と内視鏡画像を対比して考え、次にそれを内視鏡医たちにどの順番でどう強調して語るかのバランスを考えてから、画像を全員に提示する。

この病変はそもそも腫瘍と診断するのがとても難しいわけですが、細胞的にはこの部分のこの所見をもって腫瘍と診断できます。ただし普通の腫瘍と比べると、陰窩の間の変化がやや強く、増殖帯の位置が通常とはやや異なり粘膜内で少しだけ深い部分にあり、したがって陰窩の密度が一番高くなる部分も、いつものような粘膜の最表層というわけではなく、もうちょっと低い部分でこう、ぎっしりと詰まっていて、これはあれですね、満員電車で全員がダウンジャケットを着ていると、頭どうしは互いに離れていて余裕があるのだけれど、肩周りのところはどうにも身動きとれないくらいにギッチギチになっている、というような……。

それを受けたK先生がまた質問をする。内視鏡でこことここは微妙に違って見えるのですが、これらの領域に細胞の違いはありますか。

私も応える。細胞はじつは違わないのですが、細胞間の間質の浮腫の程度が違っていますね。

このやりとりを延々と繰り返す。今回、K先生が私を九州まで連れてきてくださった一番の理由が、この「対比」であり、症例は18例ほどある。問題はこの、症例の量と質にある。

15時から熊本市(車で1時間くらい)で別の研究会・講演会が待っているので、ここを13時半には出たい、となると11時からはじめた検討はせいぜい2時間くらいしか続けられない。120分だ。1例の検討を5分で終わらせたとしても24例。私たちは日頃、症例検討のとき、興味深い1例の検討に最低でも20分、多いときは90分くらいかけているのだ。それを5分に縮めても24例が限度。そしてK先生の用意した症例は、どれも激烈にひねってあって細かな疑問や興味が尽きない。5分なんてもったいない症例だ。どうしたって時間が伸びそうになる。それをぐっと我慢して……というか、思考と会話のスピードを倍くらいにすることでむりやり5分超におさめる。2時間ノンストップで対比を行って検討は13時ぴったりに終了した。

医局に案内される。ゆめタウンで買ってくださっていたサンドイッチのセットをいそいで頬張る。先生方はそれぞれがご自身の車1台ずつに乗るという。私はそのうち、年の近いドクターの1台に相乗りさせてもらう。わナンバーのヤリスだ。レンタカーである。噂によるとこのドクターの愛車は本来ポルシェなのだそうだ。あまり人を乗せたくなかったからレンタカーにしてくださったのかなと思う。かえってありがたい。この疲労の状態でポルシェの助手席なんぞに乗って、うっかりコーヒーやらよだれやらを座席にこぼしてしまったらと思うと緊張で筋肉が石になっただろう。

13時半になる前に病院を出る。山鹿の滞在、本当に2時間半で終わってしまった。不気味に脳まわりが熱を持っているのがわかる。まだ真っ昼間で、これから研究会の解説と講演があるのだけれど、すでに大きな仕事をひとつやり遂げたような気持ちになっている。危ない。このまま安心しきってしまうと危ない。仕事が終わってから疲労と付き合うようにしないと夜まで持たない。

熊本までの道中、運転してくださっているドクターと、K先生をはじめとするこのあたりの医師たちのつながりや歴史についての談義になる。出張のときはだいたいそういう話になりやすい。尊敬する医師がどうやって人と人とのつながりを広げてきたのか、今回こうして集まる人びとがどこでどう知り合って、どんな仕事を一緒にやっているのかというのを、聞いておくことは純粋にうれしい。ただ、私は残念ながら、人の過去とか連環といったものを、大好きなのだけれど一切覚えられないというおよそ人の間に立つ仕事をしている人間とは思えない大弱点を持っている。残念なポケモントレーナーみたいなもので、集めるだけ集めて自分のストックに何があったかを忘れる。それは興味がなくて忘れるわけではないのだ、「やっぱりこういう人たちには、それだけの縦横の糸がたくさんあるんだな」ということを確認すること自体は大好きなのだ、しかし、そのような織物というか曼荼羅の複雑系を、線形に近似して理解することができないため、情報量過多でふつうにオーバーフローしてしまう。

共通の知り合いの医師の話などをしているうちに熊本市内に入る。1時間というのはドライブにちょうどいい距離だ。初対面の人間同士の会話が尽きる前に目的地が近づいていく。熊本城の一連の光景が目に入る。そうですか、熊本城のすぐ横でやるんですね。天守閣の修理は終わったんですね。ええ、まだ堀のあたりだけ、工事はしてるんですが、そろそろ終わりますね。あの地震はだいぶ前でしたか。2016年とかですね。私は2本とも市内で経験したんですがやはり忘れません。大変でしたね。工事、やっぱり10年かかるんですね。城だけでも10年。そうですね。人の話が土地の話となって拡散しかけたころに車は医師会館の近くのコインパーキングに到着した。14時半である。

研究会の開始は15時。17時には終わって、そこから懇親会がはじまるのだ。今日は熊本市内では花火大会があるらしく、あまり遅い時間に設定してしまうと、街は混むし若い人も参加しづらいだろうという判断があったらしい。熱気の予感の中を医師会館に向けて歩く。

大牟田から

福岡空港に到着すると、到着ロビーの柱に「草刈機まさお」の広告があって、ああ、福岡ってこういうおもんないところあるよなーと安心。大阪的な意味でのおもんなさではなくて、じわっとオヤジギャグで温かい空間にしとこうぜっていう感じのおもんなさ。けなしてません。ほめてます。まだまだ絶賛改修中の福岡空港だが、そろそろいい感じできれいに仕上がりつつある。しかし本日の集合場所は、まさにその、改修しているところを迂回して行く必要がある立体駐車場の1階だ。空港の建物から直結してないので、しかたなくいったん外に出る。むわっ。暑い。もう9月になろうというのにこの暑さ。さすがに北海道はここ1週間くらい涼しくなってきていたのだが……。内地ってそういうとこ、遅れてるよな。けなしてません。ほめてます。ほめてない。ダラダラ暑い中をスーツケースを引っ張ってガラガラ歩く。立体駐車場の1階に、「車乗降場」とやらがあって、空港から出てきた家族や仕事相手を10分だけなら停車して待っていいという厳格な待機スペースが申し訳程度にある。さて、本日迎えに来てくださる方のお顔……を……私はぜんぜん知らない。さきほどスマホのショートメッセージで、あと数分で着きますってのが入ってたから、たぶんここにいれば車がやってくるのだろう。どれかな。なんとなくこれな気がするな。ピンと来た。ランクル。運転席に30代の男性。いかにもボスに命ぜられて車を出した若手内視鏡医という風情ではないか。具体的には目つきとか服装とか。決め打ちで助手席側から近づいて、アイコンタクトしてみると、向こうもこっちに気づいて、「もしや……市原先生ですよね?」、はい正解でした。こんなふわふわの待ち合わせって今どきあり得るんだな。ヤクザとか投資家の舎弟だったかもしれないのであとで考えるとずいぶん思い切ったなと身震いする。そこまでではない。

若いドクター2人と合流し、車で大牟田市まで送ってもらう。1時間程度だという。福岡県の南端にある大牟田市、なぜだかよくわからないのだが、私はこの地名をかねてより知っていた。理由は不明。大牟田は炭鉱のまちなので、昔、地理かなにかで習って、それで覚えていたのだろうか。うーむ。ドクターたちにも不思議がられる。「よくご存知ですね」「たしかに……あ、桃鉄の駅にある、とかですかね?」、しかし彼らはあまりピンと来ていない。そもそも調べてみると桃鉄に大牟田駅はない。後日わかったことだが、循環器学会の岸拓弥先生が大牟田にお住まいとのことらしく、SNSで無意識に地名が脳に引っかかっていた、ということがあるのかもしれない。そうかもしれませんよ。

大牟田市はかつて一度「過疎地域」に認定されたが、その後認定解除されたというふしぎな町だ。持ち直すことってあるんだ。人口は10万人ちょっと。ただし近隣の荒尾市などからも人の出入りがあるようで、商店街は火を失っていないし、北海道の地方の町村などとは背骨の強さが違う感じがする。フォーブスジャパンにいい町だなんつってほめられたこともある(2007年)という。

大牟田の病院に到着すると16時すぎであった。17時から講演である。建て替えの後らしく、会議室も応接室もきれいで落ち着いている。PCをセッティングして待っているとスタッフがおみやげを届けてくれた。うれしい。おそらく大牟田で買い物をする時間はないだろうと思っていたから純粋にうれしい。いつもは荷物が多くなるから出張先でおみやげもらうのって微妙なんだけど今回はうれしいなあ。めんべいの大牟田バージョンなどいろいろ入った中に、草木饅頭というのがあって、これは密閉していないタイプですからさっさと食べちゃってくださいと言われ、5個入りの1個を口に放り込んだらかなりうまい。結局その場で食べ尽くしてしまい腹いっぱいの状態で講演に入った。血糖をバキバキに上げてしゃべることになる。

今回の九州出張をぜんぶアレンジしてくださったのは山鹿中央病院のK先生だ。彼はかつて、私に「そのうち山鹿に来て、私が日頃から悩んでいる症例の、内視鏡を見ながら病理の解説をしてください」と言ってくださった。それはもしかすると社交辞令だったのかもしれないのに、私が「行きます! 行かせてください! 退職前に時間があると思うので行きますよ! 自腹で行きますね!」などとホイホイ承諾して無責任なことを言うものだから、かえって後に引けなくなってしまったのではないか。今となっては申し訳ない気持ちでいっぱいである。全国に弟子やら教え子やらがたくさんいる大ベテランが、「せっかく九州まで来て、山鹿だけというのはもったいないですから、私が付き合いのある大牟田市と熊本市と、それぞれ講演をしていってください。熊本では症例検討会も別に用意しますから!」などと、空路、陸路、それぞれの移動やら宿泊やらをまるまる調整してくださった。確かに思えば私だって、自分より20くらい年下のドクターが、「交通費も宿泊費もいりませんから勉強させてください」なんてことを言い出したら、意地でも予算をつけようとするし足りなかったら自腹でなんとかするだろう。逆の立場の方にそれをさせてしまったことは「未必の故意のタカリ」だったんだなと恐縮する。でも結局、御厚意に乗っかって、本日、新千歳から福岡への直行便、そこから車で送迎までしていただき、まずは大牟田で講演。これはさすがの私でも気合いを入れざるを得ない。

大牟田での講演は、K先生によると、「地元の開業医とかも来るので、精密検査の内視鏡と病理の対比だけじゃなく、少し幅広い対象に向けてお話しいただいたほうがいいかもしれません」とのことだった。

中規模以上の病院や、大学病院などで働く医者は、患者に胃カメラや大腸カメラをするにあたって、その症例がどれだけ珍しいかとか、遺伝子やタンパク質の検査を加えるかとか、統計学的珍しさがどうとか、分子生物学的背景がどうといった、どちらかというと解析的な内容を気にする。一方、開業医として内視鏡を握っている人は、精密な検査をするのは大学などにまかせていることが多いし、高血圧とか高血糖とか便秘といった病気で病院に通っている人についでに内視鏡もするような、「消化管だけじゃなく、その人ぜんぶをみる医療」のほうに興味を持っているケースも多く、どちらかというと実践的な内容を気にする。

立ち位置・居場所によって興味の持ち方が違う。内視鏡医、というひとつの職業でくくってしまうのが乱暴なのだ。

そういう多彩な内視鏡医がやってくる場所で、ひとりの病理医が講演をするというのは、私としてはだいぶむずかしい。みんなが同じように満足できるほどの「濃度」を込めたプレゼンは不可能に近い。しかし、その不可能を、できればなんとか達成できないかと思って直前まで試行錯誤した。

タイトルは「大腸粘膜内病変の病理 基礎から最近の話題まで」とした。医者からすると、「最近の話題」とあればそれは新しい薬の話だと連想するかもしれないが、病理診断の世界にも実はトピックスくらいある。

さあどうかなと、講演をはじめた。すると思った以上に「食いつき」がよい。食いつきだなんて聴衆を魚釣りの魚扱いするみたいで失礼な話ではあるのだけれど、このまま釣りのたとえを続けるならば、めちゃくちゃに「糸を引いてくる」感じであった。視線がきちんとスクリーンを追いかけている。私が熱を入れてしゃべればしゃべるほど、私の呼吸に合わせてうなずいたり腕を組んだりしていかにも参加してくれている。正直、うれしい。ありがたい。

我ながら盛り上がってしまい、定められていた時間を5分ほどオーバーしてしまった。私はいつもこうだ。決めた通りの時間で講演をきちんとやりきるということを、あまりうまくできない。能力が足りていない。ただ、今回はもう、これでいいのではないかと思った。講演を頼むほうの経験から言うと、しゃべる人間は決まった時間に、きっちり勉強になる内容をパッケージして出せということを本気で願うし、しゃべる方がそれを引き受けるからには、ごしゃごしゃ言わずに時間内にしゃべりをまとめることこそが「仕事」である。しかし、私はもはや、講演を仕事の一言で理解することが難しい。これはなんというか……将棋の棋士が対局に挑むことを「仕事」ととらえているだろうか……というニュアンスに近いがまあ言い訳ではある。そのときの全力を出して列席者に評価していただく、胸を借りるようにぶつかっていく、そのとき、「時間を守ること」の優先順位はだいぶ低いと正直考えてしまっている。よかれと思って時間を破っているわけではないし、このスタンスが間違っているということは十分に自覚している。それでもだ。あれだけ楽しんでもらえるならば、時間を忘れるほどにこちらも熱心にしゃべってみたいものだと、今日ばかりは考えてしまっていた。

薬屋と学会がタイアップしてやるような講演会ではこんな理屈は通らない。



講演がおわり、質疑応答も終わって、8名ほどでご飯を食べに行った。銀座通りと書かれたレトロな商店街のはしっこのほうにある洋食の店「chez ホシノシト」という店、我々が入ると中には先に2組が食事をしており、うち1組は誕生日かなにかの祝いをしているようだった。我々もちょっとだけ声を落としながら、きたあかりの冷製スープからはじまる丁寧でうまい料理を満喫した。なんというか、こういうビストロがある町というのは本当に豊かだなと心から感心した。ただ、飲みながら聞いた「頼めるのはビールと、冷奴やうずらなどを含めたわずかな食べ物だけ、あとは、注文とかしないでも勝手に店主が1本10円の焼き鳥を、客の飲み食いする様子をみながらじゃんじゃん出してくる」という、地元の名店のことが気になって気になって、もし次、また大牟田に来ることがあったら、今度はその店に行ってみようと心に決めた。大牟田、元禄、覚えたからな。いつかまた来る。ホテルに帰ってぐったり休んで翌日、必要十分な朝食をとったらタクシーで50分、次は山鹿に向かった。

具体例はないしょ

近頃自分が書いた文章を読み直すと、どうも、ふつうに人が読みやすいレベルの文章というものを書けていない気がする。自分の中で思考の火花が次の導火線に引火してバシバシ疾走していく、あるいは思考のドミノが右に左に迂回しながら次々カタコト倒れていく、その様子を、GoProかなにかを持ちながらダッシュでおいかけて、めまぐるしく画面が移り変わっていくような雰囲気の文章ばかり書いている。それはブログだけが特段そうだというわけではなくて、偉い人に出すメールも、込み入っていることがままあるし、内容を複数混ぜ合わせたような感じになっている。

それがいいとか悪いとかじゃなくてなんだかそういうところでプラトーに入ってしまったんだなあと思う。しまったんだなあというか、そういうプラトーへの入り方をするタイプの人間だったのだなあという感じである。



診断というのはそういうものではだめだ。一読して複数の解釈がありえるような文章を出すことは、

(1) いい
(2) どちらかというといい
(3) どちらかというとだめ
(4) だめ

の4つの選択肢でいうと、「(5) 論外」となるであろう。

思考の軸から視線を左右にずらして随時反射していくような文章というのでは困る。判断が難しいからといっていくつかの可能性を併記して終わってしまうというのも困る。

創作物などだと、「わからないことをわからないというのはとても大事なことだ」みたいなフレーズがでてきて、それは全くその通りだと思う一方で、たとえば診断の場面でわからないことがあり、AなのかBなのか決められないと書くのであれば、その次の瞬間からその病理医は、いつでも悩める臨床医からの問い合わせに窓口を全開にして付き合うだけの覚悟がなければいけないと私は思う。

病理医にできることはここまで、あとは臨床的にご検討ください、と書くのは百歩譲って許すとしても、しかしその「臨床的な検討」にも病理医として参加するだけの覚悟がないなら「わからない」という言葉を安易に書いてもらっては困ると、私は思っている。


人に理解されないようなものを外部出力していいことというのはあまりない。そこはやはり、学術論文のように、論理的で筋の通ったことを、きちんと責任もって提示していくというのが、大人のお作法であろうし、医師としても研究者としても当然考えておくべきことなのではないかと思う。

ただし、そういう大前提とか日常の決まり事はともかくとして、私がまだ出力していない、あるいは出力することに魅力を感じていない部分を詮索して、「何を考えているのかわからない」などと言いたがる人というのも世の中にはいて、そういう人には純粋に、「わかるわけないだろう」と言いたい。人間、本来、脳の中では、そんなに単純な一本の筋道で思考しているわけではないと思うのだ。片側のAという論理が構築されていく横で、それと完全にずれるわけでもないが、同系統というわけでもない、偏りと圧力を持ったBという概念が、Aに向かってにじり寄ったり、やや溶け合うような感じで癒着したりして、AとBと、さらにはCもDも、A.5みたいなものだとかD/Bみたいなものもやってきて、ぐちゃぐちゃになっていて当たり前だと思うのだ、それを、公的な場所にあたかも出力されたもののように、ここは筋が通っていないように思えるなどと、気軽に評価する人間の地頭というのはあまりよくないんじゃないかなと思ったり、思わなかったりしている。

あぐらをかき背骨をまるめて

出張先のホテルにいる、まだ1時間半くらいここにいる必要がある。ホテルの周りを散歩でもするかと思ったが、外の気温がだいぶ高そうだ。じつは浜まで歩いていける場所なのだけれど、部屋の窓から潮風が感じられないくらいには距離もあって、朝とはいえ、往復するだけで汗だくになりそうだ。出歩くのはやめて夕方の講演のプレゼンを見直すことにする。見直してよかった、冒頭、扉のページの、研究会の名前を間違えている。これだと秋田県でしゃべることになってしまう。ここは福岡県だ。ぜんぜん違う。こういうのは列席者を冷めさせる。とはいえ、秋田と福岡では、野球もサッカーも特にライバル関係ではないから、まあ許されるかもしれない。そんな理屈はない。ないけれど念には念を入れておこう。

冷房の効きすぎた部屋だ。しかし設定温度をこれより上げるととたんに汗が吹き出てくる。目覚めたときに瞬間的にノドの奥にうるさく主張してくる小さなカタマリが感じられて、あっ、これはやったか、ウイルスのお越しかと恐々としたが、たんに冷房負けだったのだろう。朝食をとったらノドの小さな腫れは引いていった。あるいはウイルスに免疫が勝つ瞬間を私は自覚していたのかもしれない。その答えは医学博士にもわからない。


旧知の編集者に西洋の哲学を勉強したいと告げたとき、やや長い間の後に彼は、「市原さんの場合はユクスキュルから入るといいと思います」と言った。その後、彼のすすめたすべての本が抜群に刺さってきたかというと、そういうわけでもなくて、私の教養の足りなさゆえに彼の感じていたおもしろさに私がたどり着けないことのほうが多かった。しかし、「ユクスキュルから入るといいと思う」という言葉の意味は、今ならよくわかる。自分がどのようにここにあって、どのように世界を感じていて、どれくらい世界を担当し得ているのかというおそろしい問いかけをするにあたって、環世界とかアフォーダンスとか、あのへんの話がいちばん、私のような「前提を前提と気づかず、天動説的に世界を覚智してきた通り一遍の科学人間」にはぴたりとハマった。

私の歩んできたみちのり、そのみちのりを整地してきた過去の人たちの歴史、文化、習慣、記号、そういったものにどっぷり浸っている。あちこち辺縁の欠けた視野で、数限りない偏見をまぶした情景を、「客観的に」眺めてきて、「論理的に」考えてきた、そういうおかしさとか滑稽さを、おそれつつもちょっと笑ったりして、引き受けるしかないんだよなということが、今はちょっとわかる。自覚しながら囚われる。囚われながら作業をして社会貢献をする。私は再犯者であり模範囚だ。一家にいくつも必要のなさそうなトートバッグを織ったり、いくつあってもかまわないパンを焼いたりする。そんな私が一日の終わりに世界の仕組みに祈るため、手元でわしづかみにする古ぼけた冊子、それが私にとって「ユクスキュルから入るといいと思います」という言葉であったように思う。



萩野先生がおもしろいと言った本を無理して読むといつも心の中の薄汚れた戸板のようなものがギイと開く。そこはもちろん利便のために建てられた、しかし使われることのなかった思考の物置で、風雪によって建付けがゆがみ、錠前は錆び、土台の石がむき出しになっている。蜘蛛の巣が張り、昆虫の死骸や獣の糞などが転がっている。デッド・スペース。籠もった空気を逃がして中に入って扉を閉めると、それまで世界に満ちているのが当たり前で、内耳のほうで勝手に干渉して消していたホワイトノイズがまびかれて、無音以下の無音のような感覚がやってきて、私は含み損に歯噛みする個人投資家のような顔になる。昨日、未明、『誤読と暴走の日本思想』を読んでいて、この本は私にとってはあたかも「地面からにょきにょきと生えた巨大な伽藍からの空爆」のようである。皮肉な洞察に満ちていて、でもこの本のことを萩野先生は悲喜劇であると書いていた。自分の朽ちるはずだった小さな小屋の中から誰も邪魔しないように外を見てため息をつく。完全に遮断されたかに思えた環世界からの光が格子状の壁板のすきまから中に入ってきて、干渉の縞模様を私の胸元に映し出し、ああ、なんだか、まばたきも惜しいくらいの光の中で、どこまでもいつまでも山や川や森や海を見ながら走り続けることも、できたはずなのに、私はこうして部屋の中にいて、ligand-dependentな過形成を来した自意識の領域性を苦々しく拡大観察している。

末次先生とかおかざき先生とかのことである

ネクタイ忘れたから空港で買うか。でもマイルドに高いんだよな。出張先でいろいろ手配をしてくださった医師たちに渡す手土産も買っていかなければ。出張の朝、いまさら、ばたばたしている。準備が悪い。心が整っていない。申し訳ないことだ。

私のような病理医が、医療者向けに講演をするといったとき、お薬屋さんの企画には乗りづらい。治療の話をしないからだ。「いずれ治療につなげるための診断」の話ではあるのだけれど、「具体的にどの薬をどれくらい使ったら患者がどうやってよくなるか」みたいな話は一切しない。マスの患者を数字に置き換えた話をぜんぜんしない。なにより私自身が外来で薬の処方を書いていない。だから、お薬屋さんからすると私は顧客とは認識されていない。

そのため、私にしゃべらせたい人たちは、しばしばスポンサー探しに難重する。今度、札幌の市原を呼んで講演会をやりたいんですけれども……。「市原? 病理医? そのお話は弊社の製品となにか関係がありますか?」とまではさすがに言わないけれど、「なるほど承知しました。社内の稟議にかけますね。……すみません、来年度の予算編成がもう終了しており、今回はご希望に添えませんでした。しかし次回以降の講演会の演者候補として登録させていただきます」みたいな紆余曲折で削ったあとに実はまっすぐ断る返事でにべもなく切られて終わり。お薬屋さんのバックアップがない勉強会は、もちろん金がかかるし手間もかかる。会場レンタル費用、オンライン配信費用、会の告知の手間、会場の準備の手間、源泉徴収を済ませた講演料をどのように用意するか、遠方からの招聘に際し交通・宿泊をどのように手配するか……。有志で寄付を募る。医師が車を運転して空港まで迎えに行く。そういった大量の気配りの末に、ひとりの病理医が呼ばれる。とんでもないことだ。ありえないことだ。交通費も講演料も早め早めの連絡。プレゼンのバックアップについても、共同開催する研究会の内容のシェアも、何もかもが一連の心配り、同窓会(LV. 100)の幹事をやるようなものである。しんどい。

それほどの恩のある人たちに呼ばれるのだ。そんな朝なのだ。そんな朝に、私はまっすぐ空港に行かずにいつものように出勤して、メールに返事をしたり書類のまとめなおしをしたりして、あげくにネクタイを忘れただとかおみやげをまだ買ってないだとか、どう考えても心得違いなのである。私はどうもこういうとき、自分のポンコツさ、それは近ごろの世の中ではしばしば「生きづらさ」みたいに変換されて、「バリアは社会のほうにあるのです」とかフォローされて、むしろ優しさの対象となっていたりもするようだけれど、そういうポジティブな意味ではなくて、これは掛け値なしに自分の欠陥だと思う、そういう自分のダメさ加減を、つくづく思い知る。

ぺらぺらと指ばかりよく回るけれどしっとりと気を配ることが苦手だし、訓練しなければいけないとわかっているのにこの年になってもまだ改善の見込みがない。罪の一種であろう。あるいはその前にあった自分では気づいていない罪に対する罰の一貫なのかもしれない。



八方に気を配りながら、かつ、「人間はふつう、そこまでいろいろと気づくことはできない」ということをきちんと引き受けている人というのがたまにいる。たまにしかいないが確実にいると思う。実生活でもこれまでおそらくたくさん出会っているし、オンラインでも数人、該当する方がいる。その一部はとても繊細な物語をつむぐ達人で、ふつう、創作者というとなんとなく、自分の創作するもの以外には無頓着なタイプを想像するし、それこそ手塚治虫なんて私生活はボロボロなんでしょ、みたいに思っていたのだけれど、現在ばりばり現役の、国民的な漫画の作者の中に、この人の気配り力というか気を感じ取るアンテナの感度はどうなってんだ、そのアンテナが接続している計器の精度はどうなってんだと舌を巻く方がいる。そういう方々の仕事と遊びとを遠巻きに拝見していると、ああ、いい仕事をされている方がこれほど人にもやさしいとなると、私はこの先どれだけいい仕事をしようとしてもそれが日頃の行動の免罪符にはならないんだよなあと、絶望的な気分に満たされる。ていうかいい仕事だけでも異常にむずかしいのにその上、人にやさしくするなんて。逆か。逆なのかもしれないな。

魚じゃないのよ転座は

自施設でFISH(fluorescence in situ hybridization法)をできたらいいなあ、と思って「FISH やりかた」で検索してみたら、ちゃんとFISH法のプロトコルが表示されて、ふんふんと思いつつGoogleのページをスクロールすると、画像のところに突然魚のさばき方が出てきて、笑ってしまった。



本文と画像とがミスマッチなんだな。なるほど。

そしてよく見ると、一番右側のTikTokの画像、フィッシュボーンというのは髪の結い方のことだ。瞬間的に一周回ってこれは病理学のページかもしれないと思った、けれどTikTokのロゴがあったからすぐにその可能性は棄却した。FISH やりかた で髪の結い方を探す人間が果たしてどれくらいいるのだろうと思うけれど、アルゴリズム的にはここに載せておく価値があるくらい、私の知らない場所でのニーズはあるのかもしれない。

組織病理の世界にはfishboneならぬherringboneという用語がある。細胞がニシンの骨のような感じで配列することをherringbone pattern(ヘリンボーンパターン)と呼ぶ。ヘリンボンボンヘリンボンボンヘリンボンボンボーン。ああ、これ、発音、ヘリングボーンじゃなかったんだな、gは発音しないのかあ(今知った)。

ちなみに、herringbone patternという言葉はべつに病理だけの専売特許ではない。普通に編み物・織物の模様をあらわす表現である。Herringbone pattern、日本語に訳すと何になるのかなと思って調べると、「杉綾」と呼ぶらしい。杉綾! 風情! 日本語ってときどき目の覚めるような美しさを纏うなあ。まあ、何語であっても、そうなんだろうけれど。


世界のあちこちにある、その言語特有の美しい言葉というものを、のべつまくなし集めるサイトなどがあったらおもしろいだろうなと思う。いや、まあ、どこかにはあるだろう。今ほどSNSが盛んではなかったあの頃、たくさんのおかしなサイトが存在して、なぜそんなものばかり集めているんだろうと笑ってしまうような、かつてのタモリ倶楽部、今だとマツコの知らない世界に出演していそうな不可思議な数奇者の試みが、ちらほら見受けられたものだった。今はもうたどり着けない。マニアックなコンテンツというのは性質上、相当の熱量か、相当の商売力がないといいねがたくさん付くことはなく、なんらかの形で映えに結びつかない限り、いかに侘び寂びがあろうと外連味があろうと由無し事があろうと、現在のアルゴリズムではピックアップされず拡散のウズに乗っていかず、それだけでなく、そのまま路地裏で誰かに見つけられるまでしぶとく咲き続けているというわけでもなくて莫大なノイズに埋もれて消えてしまう。路地裏の誰も知らない花、検索もSNSも抜群に進歩した今、金にならないマニアックスは、灰をかぶって化石になるならばまだしも、たいていの場合は風化して塵になる。淘汰。そこにある憐憫を、私がうっかり風情と勘違いしているだけという可能性もあって、それはだいぶ失礼なことなのだけれども。


組織用語にはwhorl patternというのもあって、同心円状を基本としながらもどこかうずを巻いてつながって流れていくようなパターンのことを指すのだが、さてこれは日本語にするとどうなるのかな、と思って検索すると画像の大半は指紋なのである。指紋はwhorl patternなのだな。


本当はほかにもwhorl patternを呈するものはあると思う。それこそマフラーとか絨毯とか、織物の模様にだって使っていい言葉のはずだが、しかし、オンラインにおいては、指紋認証、セキュリティ、自己同一性、そういったもののほうが圧倒的に金になるし興味を集めると見えて、whorl patternの画像のほとんどは指紋であって組織病理の写真なんて出てもこない。こうやって世界は、最も掴みやすい一つの尖りに向かって猛烈に収束していくようになっている。誤差が吹き飛ばされ、偏差が踏み固められて、最大公約数の中でだけで遊ぶAIの戯言が文学だと私たちは勘違いさせられるようになる。

アロスタシス

日々忙しいのだが日々暇である。やることはいっぱいあるが、ひとつひとつが2時間以内に「準備、作製、報告、フィードバック」まで終わってしまうようなことばかりで、それはたとえば講義の準備であったり、講演の仕込みであったり、問い合わせに対する返事であったりするのだが、なんかそういう仕事ばっかりやっていると、忙しいんだけど暇、みたいなメンタルステータスに入る。1週間とか1か月とか、年余にわたってじっくり取り組むようなタスクが今はない。異動のためにそういう継続性のある仕事を一時中断している。なにかを常時考え続けているときのプレッシャーというか脳の忙しさ、あれはほんとうにきついが、しかし、充実のタネでもあったようだ。いやなタネだけど。

3時間の映画を1本見るのと、10秒の動画を1080本見るの、の、違いのことを考えている。今の私の働き方というのはTikTokerのようだ。くるくるとよく回って忙しいが、浅瀬で引き返していくばかりでいつまで経っても泳ごうとしない私はやはり暇を持て余している。


1年以上放置している原稿のことを思い出す。本当はあれがあるかぎり、私は暇とは言ってはいけない。四六時中その原稿のことを考えるべきだ。それが私の課題なのだから。でも、実は、ここんとこ、原稿のこともしばしば忘れる。忘れるようにしている。保留。というか脳の中に留め置いていないので保留とも違うか。いったん2軍に落とす感じ。腕が振れない状態のチェンジアップなんていくら投げてもバッターからするといいカモなので、そういう球を投げないように、もっと打者の手元で鋭く曲がるスライダーの切れ味なんかを取り戻すように、期限を決めずに2軍で調整をすすめる、山崎福也に対する新庄監督の采配みたいなイメージ。

次の出張の戻りは日曜日になる。日曜日の早朝便でさっさと帰ってくることにして、午前のうちに空港についたらまずはそこで温泉に入ろう。スーツケースの一角に短パンと無地の白いシャツを入れておいて夏休みの小学生の格好になろう。時間調整してから北広島に移動して昼から野球を見るのだ。シートの指定がないかわりにどこで立ってみてもいいという入場券が2000円で買える、マイルで獲得したクーポンを使えば1000円だ。今年度、エスコンフィールド来場は5回目になるので、タオルをもらえるだろう、そのタオルを首にかけて内外野のどこかの1階席の後方の、立ち見スペースで楽天戦を観戦しよう。金曜日と土曜日に、2つの病院で合計2つの症例検討会と2つの講演を行った帰りだから、たぶん途中で私は失神すると思う、それでも、3時間なにかにかかりきりになる時間が私には必要だ。立ち見で太ももがプルプルすることも、食事やトイレで離脱したらもう元の立ち見スペースには戻れなくなるという緊張感も、私には必要だ。「次の動画」ボタンを押せない環境に身を置くことが、私のクロマチンをリモデリングして、心の増殖活性を高めて、うっかりparadoxical differentiationを来したり脱分化したりするリスクを軽減させてくれるだろう。そう、細胞だって、自分の中のプログラムだけでコントロールされるわけではないということが、最近けっこうわかってきた、細胞でできあがっているところの私たちもやはり、周囲環境との相互作用によってアロスタティックにやりくりしていくわけなのである。野球って勝ったり負けたりするまでの間にだらだらいろんな時間が流れるのがいいんだよな。

それを指摘されたら顔が真っ赤さぁ

踏み固められた獣道のように、そのようにおさまってきたとしか言いようのない、私の職場のレイアウト、デスク、棚、通路、物を置く場所、プリンタの配置、提出物の収納スペース、連絡事項を引き受けるラックなどは、引き継いだものをツギハギしながらいじっていくうちにこのようにできあがっているものに過ぎないので、歴史を知らない新任の主任部長からすると非効率な部分がたくさんあり、だから私はここを去る前に、「これがここに置いてあることには(私の日常になじむ以外の)特段の理由がないから捨てていいですよ」とか、「ここに新たにこれを設置してぜんぜんかまわないし、むしろそうすべきだし、なぜ今まで私がそれに気づかなかったのか、あなたがやってくることでこの科の抜け・落ちがたくさんわかってお恥ずかしい限りですね」などと毎日のようにつぶやいている。

デスクの横の電話は外され、外来の何も知らない看護師から病理医に「報告書の印刷をしてほしい」という直電がかかってくることもなくなった。生検体の提出にあたって主治医が電話をかけてきた際、それまで私の頭の中で整理しておけばよかったものは、電子掲示板でスタッフに平等にシェアされることになった。報告書の書式はシステマチックになり、Geboes histopathology scoreは簡易版ではなくフルで記載することになり、所見は長く、免疫組織化学は多くなった。

すべてがいい方向に進んでいくかつての自分の職場を眺めている。私は出張医の座るデスクに座って顕微鏡を見て、ステージが振動することに気づいてニコンの関連会社であるホクドーの、嘱託再雇用の旧知の技術屋に、顕微鏡の修理を依頼した。鏡筒にステージが接続する部分の3つのネジのうち2つが緩んでいたのだという。気づかないまましばらく放置していたから、ここ数年、当院に出張にいらした先生方は、レンズのレボルバーを回すたびに細かく振動するこのイカれた顕微鏡でがんばって診断をなさっていたのだろう。申し訳なかった。こういうところにまで気が回らないまま私は18年をここで過ごした。

空調の角度。ゴミ箱の位置。パソコンでいうとメモリに相当する、デスク上のフリースペースの広さ。椅子のクッションの強さ。マウスの精度。ペンのインク。セル・カウンターの押しやすさ。キーボードの汚れを掃除する。バーコードリーダーの柄のところを掃除する。

まだ1か月ここにいる。立つ鳥跡を濁さずという言葉がこれほどまでに広まった理由は、鳥でない人間は跡を濁さざるを得ないために、鳥に仮託するしかないからなのかもしれないが、私はせめて最後は鳥となって、棲み馴れたこの職場をきれいにしてから去りたいと思う。老兵は死なず、ただ去りゆくのみ、と生意気にもほざいた軍人は退職の前に掃除をしたのだろうか。事務員にお礼の挨拶をしたのだろうか。各部署に菓子折りを配ったのだろうか。新式の掃除機を寄贈したり、したのだろうか。

哀愁の町が耳に降るのだ

よぉーし依頼のあった組織写真を取ってパワポに並べて解説を付けて共有ファイル内にアップロードして電話し終わったぞぉーっ、ギャー! ドンピシャのタイミングで受付からコンサルテーションのプレパラートがごっそり届けられて声帯が痙攣。な、な、なんというベストなタイミング。これより10秒早ければ私は複数の仕事を抱えてそれぞれのクオリティと自らのたるんだ肩をがっくり落としていただろう。これより10秒遅ければ私の脳内のパズーの親方が「ボイラーの火を落とせ!」と叫んで私は心のボイラーをシャットダウンしてしまい次の仕事に対応できなかったであろう。こうやって仕事というのは紡がれていく。縦の糸は彼方。横の糸は私。そのままの自分が持続するわけではなく、どこかからかやってくるさまざまな色味の糸に絡め取られて、その都度、織物となったり結節となったりしながらギッコンバッタン紡がれていく。人生。毛玉ができてる。

出張の旅程をいろいろ考えていた。最初に引き受けた大学の単発の講義だけならワンチャン日帰りもできたのだが、その後、せっかくだから夕方に講座で病理医にレクチャーもしてほしいと頼まれて、それはもちろんとても光栄な話なので二つ返事で引き受けるとして、交通手段はかなり複雑になってくる。平日の朝から移動して、うまく乗り継いで昼過ぎの講義には間に合うのだけれど、夕方のレクチャーが終わってからはどう急いでもその日のうちには帰ってこられない。一泊し、翌早朝から動き出したとしても、帰りはなぜか行きほど接続がうまくいかないようで、アプリの乗換案内通りに移動するならば講義の翌日も完全につぶれてしまう。講義に呼ばれて2日間欠勤するというのは申請のバランスとしてはあまりいいことではない、せめて1日半不在にして最後はおざなりな出勤をしつつ夜中まで残務処理をしながらみんなにヘコヘコ謝ってみせるくらいでないと新しい職場の信用はえられないだろうと思う。アプリを信用せずにいくつかの裏技を考える。このことをじつは昨日の夕方くらいからずっと考えていて、寝ている間、夜中にちょっと目が覚めたときなどもすぐに乗り換えのことを考えている。ああ、飛行機、遠回りするくらいの乗り継ぎを使えば、あるいはなんとか半日かけて帰ってこられるようだ、しかしこの交通費は先方からは出ないだろうな、早割でうまいことやったらどうかな、まあでも陸路がいいのかもしれないな。たくさんの本をかかえて読みながら帰ってくるというのも、体力的にはごっそりやられるけれど、こういう機会を用いて少しずつ本を読みためていくほうが、後で振り返ったときに「うまくやれてはいないけど、うまかった日々だな」と、なるのではないか。

オーディブルという手もあるのか。そうだな。遠方の病院の技師からの伝言用紙に、用件とは別に書かれていた近況報告として、「ちかごろは運転中にオーディブルを使っている、眠くならなくていい」というのがあって、私はわかりやすく影響を受けた。オーディブルって使ったことないけれど、どうなんだろうな、あれっと思って数ページ戻って読み返す、みたいなことをしょっちゅうやりたくなるような本には向いていないとか、そういう向き不向きみたいなものがあるのだろうか。それとも、オーディブルという「型」にはまった瞬間にそれは紙の本や電子の文章を読むのとは全く違う空間でぜんぜん別のルールの上で物語が流れ込んでくるから、元の読み口とはあまり関係なく楽しめるものなのだろうか。ひとまず東野圭吾や伊坂幸太郎の旧作なら、何も考えずに聞けるし読後感もいいんだろう、一方で、あまりに幻惑的なものを、特に運転中に読んでしまうと、心の中に車窓とは別の風景が展開してしまって、前方不注意とかになっても困りものだ。過去の記憶に猛烈に戻っていきたくなる本というのもいまいちかもしれない。椎名誠か。椎名誠がいいかもしれないな。椎名誠の本はずいぶん読んだけれど、もし、オーディブルになっているのならば、そのすべてをオーディブルで、疾走するように読み返して私は赤マントとなればいいのかもしれないなと思った。Amazonオーディオブックで検索をかけると椎名誠のコンテンツはなんと、たった8つしかない、私は思わず肩を落とす、ちなみにそうやって検索した中に異質な9番目、これはいったいなんだろうと思ってクリックするとそれは椎名へきるのASMR音声なのであった。耳かき・ヘッドスパ・炭酸シャンプー。運転中にこれはやばいのではないかと思う。

Vまではやった

有給休暇があと33.5日余っているので9月はいっさい出勤しなくてもいいと思うが、なかなかそういうわけにもいかない。というか、いっそのこと、10月、11月、12月と半分くらい休みながらダラダラ出勤すれば冬のボーナスをもらってから退職できるという話もあるがそこまで頭が回っていなかった。もらえるものをもらってからやめるべきだし、もらったものは運用すべきだし、節約すべきは節約して、ポイントカードなども活用して、悪いことでも裁かれないことなら目をつぶって、人が悲しんでも自分がうれしいならそこはよく考えて……みたいな生き方をすることで令和の人格になれるとしたら、私は昭和に生き続けたいと弱く願う。ファンデルワールス力くらいの弱さで願う。

職場から退職にかんする連絡が来た。「JAバッヂをご返却ください」。紛失しました。「組合の割引に使えるカードをご返却ください」。紛失しました。「保険証をご返却ください」。ワァーッ! これは持ってる! 俺エライー! エッグーイホームラン! ここまで1勝2敗。3連戦なら目を潜めるが最悪ではないので監督の辞任には追い込まれないレベルである。さすがに私はきちんとしているなあと思った。JAバッヂ、1回くらい付けておけばよかった。付けてFacebookに直立した写真を載せて学会の大会長と懇意にする政治家のマネとかをすればよかった。惜しいことをした。退職前にマイルドに勤め先の印象を落としていくのはよくないのでこれくらいにしておこうと思う。18年、その前のバイトを含めたら22年か、長く世話になった。ありがとうございました。

昨日の夜、そこそこの腹痛で目が覚めて、体はじっとりと汗ばんでいて、窓を開けると珍走団の屁の音が遠くにずっと響いていた。ブオーンブオンブオン。ブブブブーオンオンオン。腸が悪いんだろうな。ヨーグルトを食うといい。民間療法で一番いいのはヨーグルトだと思う。糖のあまり入っていないもののほうがいい気もするがそんなのは正直どうでもいい気もする。人間というのはある程度のバッファを備えていて、適切な生活というものにも幅がある。その幅のはしっこを渡るか真ん中を渡るかという話において、なんでもかんでもとにかく真ん中を歩きなさいというのが基本的な医学の作法であり、これに対して、医術の作法としては「多少はしっこを歩いてもかまわないよ、ニコ」とやって患者とのラポールを形成する。ラポール? であってたっけ? レポール? ラポルト? ググる。ラポールであっていた。フランス語で「橋をかける」という意味らしい。橋! さっき俺、橋のこと考えていたよ! このはしわたるべからず! 何ぃッ! それじゃワシでも倒れるワイ! なぜ一休さんからグラディウスIIIにスムースに移行したのか自分でもよくわからない。あわてないあわてない。一休み一休み。33.5休み。


スッとブログを書き終えそうになったけれど最近ここで書くものの文字数が少し減っている気がする。千々に乱れた断片という感じだ。どうでもいいけど今使っているGoogle変換、「ちぢにみだれる」が変換できない。古語ということだろうか。みんなもう今は乱れていないということだろうか。そうかもしれないな。安全装置がいっぱいあって、我々は今や、心も体もバラバラになりそうなときにもうっすらと、じゅんさいの保護粘液のようなものに体と心をくるまれているから飛び散らないのだ。そういえば桃鉄には昔「とびちりカード」というのがあったのだが、最近の桃鉄にはそういうカードはなくなっている。かわりにあるのが「うんちの壁カード」といって、糸魚川、松本、小淵沢、静岡にうんちを落とすことで日本の東西のルートをすべて遮断して通れなくなるというわけのわからないカードである。最初に見たときゲラゲラ笑った。そしてこの発想はどちらかというと「大戦略」とかのそれだよなという、あまり笑いきれない連想に落ち着いていった。分断は各個撃破につながる。私達はSNSをはじめとするたくさんの力によって次第に、国民とか市民といった括り方から独立して、千々に乱れた断片のようになっており、これはつまりいずれ各個に撃破される予兆なのだろうなということを、私などが今さら言わなくてもたくさんの光栄ゲームユーザーが口にしているだろうと思ったら彼らは相変わらず三國志の新作の話しかしていないのであった。三國志ってIIIくらいが一番おもしろかったよな。