出張先のホテルにいる、まだ1時間半くらいここにいる必要がある。ホテルの周りを散歩でもするかと思ったが、外の気温がだいぶ高そうだ。じつは浜まで歩いていける場所なのだけれど、部屋の窓から潮風が感じられないくらいには距離もあって、朝とはいえ、往復するだけで汗だくになりそうだ。出歩くのはやめて夕方の講演のプレゼンを見直すことにする。見直してよかった、冒頭、扉のページの、研究会の名前を間違えている。これだと秋田県でしゃべることになってしまう。ここは福岡県だ。ぜんぜん違う。こういうのは列席者を冷めさせる。とはいえ、秋田と福岡では、野球もサッカーも特にライバル関係ではないから、まあ許されるかもしれない。そんな理屈はない。ないけれど念には念を入れておこう。
冷房の効きすぎた部屋だ。しかし設定温度をこれより上げるととたんに汗が吹き出てくる。目覚めたときに瞬間的にノドの奥にうるさく主張してくる小さなカタマリが感じられて、あっ、これはやったか、ウイルスのお越しかと恐々としたが、たんに冷房負けだったのだろう。朝食をとったらノドの小さな腫れは引いていった。あるいはウイルスに免疫が勝つ瞬間を私は自覚していたのかもしれない。その答えは医学博士にもわからない。
旧知の編集者に西洋の哲学を勉強したいと告げたとき、やや長い間の後に彼は、「市原さんの場合はユクスキュルから入るといいと思います」と言った。その後、彼のすすめたすべての本が抜群に刺さってきたかというと、そういうわけでもなくて、私の教養の足りなさゆえに彼の感じていたおもしろさに私がたどり着けないことのほうが多かった。しかし、「ユクスキュルから入るといいと思う」という言葉の意味は、今ならよくわかる。自分がどのようにここにあって、どのように世界を感じていて、どれくらい世界を担当し得ているのかというおそろしい問いかけをするにあたって、環世界とかアフォーダンスとか、あのへんの話がいちばん、私のような「前提を前提と気づかず、天動説的に世界を覚智してきた通り一遍の科学人間」にはぴたりとハマった。
私の歩んできたみちのり、そのみちのりを整地してきた過去の人たちの歴史、文化、習慣、記号、そういったものにどっぷり浸っている。あちこち辺縁の欠けた視野で、数限りない偏見をまぶした情景を、「客観的に」眺めてきて、「論理的に」考えてきた、そういうおかしさとか滑稽さを、おそれつつもちょっと笑ったりして、引き受けるしかないんだよなということが、今はちょっとわかる。自覚しながら囚われる。囚われながら作業をして社会貢献をする。私は再犯者であり模範囚だ。一家にいくつも必要のなさそうなトートバッグを織ったり、いくつあってもかまわないパンを焼いたりする。そんな私が一日の終わりに世界の仕組みに祈るため、手元でわしづかみにする古ぼけた冊子、それが私にとって「ユクスキュルから入るといいと思います」という言葉であったように思う。
萩野先生がおもしろいと言った本を無理して読むといつも心の中の薄汚れた戸板のようなものがギイと開く。そこはもちろん利便のために建てられた、しかし使われることのなかった思考の物置で、風雪によって建付けがゆがみ、錠前は錆び、土台の石がむき出しになっている。蜘蛛の巣が張り、昆虫の死骸や獣の糞などが転がっている。デッド・スペース。籠もった空気を逃がして中に入って扉を閉めると、それまで世界に満ちているのが当たり前で、内耳のほうで勝手に干渉して消していたホワイトノイズがまびかれて、無音以下の無音のような感覚がやってきて、私は含み損に歯噛みする個人投資家のような顔になる。昨日、未明、『誤読と暴走の日本思想』を読んでいて、この本は私にとってはあたかも「地面からにょきにょきと生えた巨大な伽藍からの空爆」のようである。皮肉な洞察に満ちていて、でもこの本のことを萩野先生は悲喜劇であると書いていた。自分の朽ちるはずだった小さな小屋の中から誰も邪魔しないように外を見てため息をつく。完全に遮断されたかに思えた環世界からの光が格子状の壁板のすきまから中に入ってきて、干渉の縞模様を私の胸元に映し出し、ああ、なんだか、まばたきも惜しいくらいの光の中で、どこまでもいつまでも山や川や森や海を見ながら走り続けることも、できたはずなのに、私はこうして部屋の中にいて、ligand-dependentな過形成を来した自意識の領域性を苦々しく拡大観察している。