大牟田から

福岡空港に到着すると、到着ロビーの柱に「草刈機まさお」の広告があって、ああ、福岡ってこういうおもんないところあるよなーと安心。大阪的な意味でのおもんなさではなくて、じわっとオヤジギャグで温かい空間にしとこうぜっていう感じのおもんなさ。けなしてません。ほめてます。まだまだ絶賛改修中の福岡空港だが、そろそろいい感じできれいに仕上がりつつある。しかし本日の集合場所は、まさにその、改修しているところを迂回して行く必要がある立体駐車場の1階だ。空港の建物から直結してないので、しかたなくいったん外に出る。むわっ。暑い。もう9月になろうというのにこの暑さ。さすがに北海道はここ1週間くらい涼しくなってきていたのだが……。内地ってそういうとこ、遅れてるよな。けなしてません。ほめてます。ほめてない。ダラダラ暑い中をスーツケースを引っ張ってガラガラ歩く。立体駐車場の1階に、「車乗降場」とやらがあって、空港から出てきた家族や仕事相手を10分だけなら停車して待っていいという厳格な待機スペースが申し訳程度にある。さて、本日迎えに来てくださる方のお顔……を……私はぜんぜん知らない。さきほどスマホのショートメッセージで、あと数分で着きますってのが入ってたから、たぶんここにいれば車がやってくるのだろう。どれかな。なんとなくこれな気がするな。ピンと来た。ランクル。運転席に30代の男性。いかにもボスに命ぜられて車を出した若手内視鏡医という風情ではないか。具体的には目つきとか服装とか。決め打ちで助手席側から近づいて、アイコンタクトしてみると、向こうもこっちに気づいて、「もしや……市原先生ですよね?」、はい正解でした。こんなふわふわの待ち合わせって今どきあり得るんだな。ヤクザとか投資家の舎弟だったかもしれないのであとで考えるとずいぶん思い切ったなと身震いする。そこまでではない。

若いドクター2人と合流し、車で大牟田市まで送ってもらう。1時間程度だという。福岡県の南端にある大牟田市、なぜだかよくわからないのだが、私はこの地名をかねてより知っていた。理由は不明。大牟田は炭鉱のまちなので、昔、地理かなにかで習って、それで覚えていたのだろうか。うーむ。ドクターたちにも不思議がられる。「よくご存知ですね」「たしかに……あ、桃鉄の駅にある、とかですかね?」、しかし彼らはあまりピンと来ていない。そもそも調べてみると桃鉄に大牟田駅はない。後日わかったことだが、循環器学会の岸拓弥先生が大牟田にお住まいとのことらしく、SNSで無意識に地名が脳に引っかかっていた、ということがあるのかもしれない。そうかもしれませんよ。

大牟田市はかつて一度「過疎地域」に認定されたが、その後認定解除されたというふしぎな町だ。持ち直すことってあるんだ。人口は10万人ちょっと。ただし近隣の荒尾市などからも人の出入りがあるようで、商店街は火を失っていないし、北海道の地方の町村などとは背骨の強さが違う感じがする。フォーブスジャパンにいい町だなんつってほめられたこともある(2007年)という。

大牟田の病院に到着すると16時すぎであった。17時から講演である。建て替えの後らしく、会議室も応接室もきれいで落ち着いている。PCをセッティングして待っているとスタッフがおみやげを届けてくれた。うれしい。おそらく大牟田で買い物をする時間はないだろうと思っていたから純粋にうれしい。いつもは荷物が多くなるから出張先でおみやげもらうのって微妙なんだけど今回はうれしいなあ。めんべいの大牟田バージョンなどいろいろ入った中に、草木饅頭というのがあって、これは密閉していないタイプですからさっさと食べちゃってくださいと言われ、5個入りの1個を口に放り込んだらかなりうまい。結局その場で食べ尽くしてしまい腹いっぱいの状態で講演に入った。血糖をバキバキに上げてしゃべることになる。

今回の九州出張をぜんぶアレンジしてくださったのは山鹿中央病院のK先生だ。彼はかつて、私に「そのうち山鹿に来て、私が日頃から悩んでいる症例の、内視鏡を見ながら病理の解説をしてください」と言ってくださった。それはもしかすると社交辞令だったのかもしれないのに、私が「行きます! 行かせてください! 退職前に時間があると思うので行きますよ! 自腹で行きますね!」などとホイホイ承諾して無責任なことを言うものだから、かえって後に引けなくなってしまったのではないか。今となっては申し訳ない気持ちでいっぱいである。全国に弟子やら教え子やらがたくさんいる大ベテランが、「せっかく九州まで来て、山鹿だけというのはもったいないですから、私が付き合いのある大牟田市と熊本市と、それぞれ講演をしていってください。熊本では症例検討会も別に用意しますから!」などと、空路、陸路、それぞれの移動やら宿泊やらをまるまる調整してくださった。確かに思えば私だって、自分より20くらい年下のドクターが、「交通費も宿泊費もいりませんから勉強させてください」なんてことを言い出したら、意地でも予算をつけようとするし足りなかったら自腹でなんとかするだろう。逆の立場の方にそれをさせてしまったことは「未必の故意のタカリ」だったんだなと恐縮する。でも結局、御厚意に乗っかって、本日、新千歳から福岡への直行便、そこから車で送迎までしていただき、まずは大牟田で講演。これはさすがの私でも気合いを入れざるを得ない。

大牟田での講演は、K先生によると、「地元の開業医とかも来るので、精密検査の内視鏡と病理の対比だけじゃなく、少し幅広い対象に向けてお話しいただいたほうがいいかもしれません」とのことだった。

中規模以上の病院や、大学病院などで働く医者は、患者に胃カメラや大腸カメラをするにあたって、その症例がどれだけ珍しいかとか、遺伝子やタンパク質の検査を加えるかとか、統計学的珍しさがどうとか、分子生物学的背景がどうといった、どちらかというと解析的な内容を気にする。一方、開業医として内視鏡を握っている人は、精密な検査をするのは大学などにまかせていることが多いし、高血圧とか高血糖とか便秘といった病気で病院に通っている人についでに内視鏡もするような、「消化管だけじゃなく、その人ぜんぶをみる医療」のほうに興味を持っているケースも多く、どちらかというと実践的な内容を気にする。

立ち位置・居場所によって興味の持ち方が違う。内視鏡医、というひとつの職業でくくってしまうのが乱暴なのだ。

そういう多彩な内視鏡医がやってくる場所で、ひとりの病理医が講演をするというのは、私としてはだいぶむずかしい。みんなが同じように満足できるほどの「濃度」を込めたプレゼンは不可能に近い。しかし、その不可能を、できればなんとか達成できないかと思って直前まで試行錯誤した。

タイトルは「大腸粘膜内病変の病理 基礎から最近の話題まで」とした。医者からすると、「最近の話題」とあればそれは新しい薬の話だと連想するかもしれないが、病理診断の世界にも実はトピックスくらいある。

さあどうかなと、講演をはじめた。すると思った以上に「食いつき」がよい。食いつきだなんて聴衆を魚釣りの魚扱いするみたいで失礼な話ではあるのだけれど、このまま釣りのたとえを続けるならば、めちゃくちゃに「糸を引いてくる」感じであった。視線がきちんとスクリーンを追いかけている。私が熱を入れてしゃべればしゃべるほど、私の呼吸に合わせてうなずいたり腕を組んだりしていかにも参加してくれている。正直、うれしい。ありがたい。

我ながら盛り上がってしまい、定められていた時間を5分ほどオーバーしてしまった。私はいつもこうだ。決めた通りの時間で講演をきちんとやりきるということを、あまりうまくできない。能力が足りていない。ただ、今回はもう、これでいいのではないかと思った。講演を頼むほうの経験から言うと、しゃべる人間は決まった時間に、きっちり勉強になる内容をパッケージして出せということを本気で願うし、しゃべる方がそれを引き受けるからには、ごしゃごしゃ言わずに時間内にしゃべりをまとめることこそが「仕事」である。しかし、私はもはや、講演を仕事の一言で理解することが難しい。これはなんというか……将棋の棋士が対局に挑むことを「仕事」ととらえているだろうか……というニュアンスに近いがまあ言い訳ではある。そのときの全力を出して列席者に評価していただく、胸を借りるようにぶつかっていく、そのとき、「時間を守ること」の優先順位はだいぶ低いと正直考えてしまっている。よかれと思って時間を破っているわけではないし、このスタンスが間違っているということは十分に自覚している。それでもだ。あれだけ楽しんでもらえるならば、時間を忘れるほどにこちらも熱心にしゃべってみたいものだと、今日ばかりは考えてしまっていた。

薬屋と学会がタイアップしてやるような講演会ではこんな理屈は通らない。



講演がおわり、質疑応答も終わって、8名ほどでご飯を食べに行った。銀座通りと書かれたレトロな商店街のはしっこのほうにある洋食の店「chez ホシノシト」という店、我々が入ると中には先に2組が食事をしており、うち1組は誕生日かなにかの祝いをしているようだった。我々もちょっとだけ声を落としながら、きたあかりの冷製スープからはじまる丁寧でうまい料理を満喫した。なんというか、こういうビストロがある町というのは本当に豊かだなと心から感心した。ただ、飲みながら聞いた「頼めるのはビールと、冷奴やうずらなどを含めたわずかな食べ物だけ、あとは、注文とかしないでも勝手に店主が1本10円の焼き鳥を、客の飲み食いする様子をみながらじゃんじゃん出してくる」という、地元の名店のことが気になって気になって、もし次、また大牟田に来ることがあったら、今度はその店に行ってみようと心に決めた。大牟田、元禄、覚えたからな。いつかまた来る。ホテルに帰ってぐったり休んで翌日、必要十分な朝食をとったらタクシーで50分、次は山鹿に向かった。