夏の暑さがすこしおとなしくなると虫が出てくるようになって、たまに虫さされの雰囲気すら感じるようになった。いっそ夏の酷暑で蚊も絶滅していればよかったのに。生態の多様性が重要などというけれど、蚊くらい絶滅しても悪いことはないのではないか? 蚊が哺乳類の血液をあっちからこっちへと媒介することで病原体もまた伝播する。人類にとって脅威となるような疾病の一部は間違いなく蚊のせいで生じている。もちろん、感染症という選択圧を乗り越えていくことで人類の遺伝子が鋭く選別され、結果的に進化とされる状態を歩んでいることはいうまでもないが、この先、人類、別に進化しなくてもいいから、蚊には刺されたくないと思う。25年ほど前、学生時代、「風邪と肥満を治す薬ができたらノーベル医学賞だよ」みたいな話をよく聞いたが、蚊を滅ぼしたらノーベル平和賞もついでにあげていい。
蚊め!
このような、他の生命に対する嫌悪感というものは、私がかかえる攻撃性の中では、まあほうっておいても別にいいのかな、という気がする。同属のヒトどうしで嫌い合うのはどうかと思うけれど相手が蚊ならいいだろう、だって、蚊だぜ。
「ググったら、蚊を食べる小動物もいて、蚊のおかげで生態系が成り立っていることもいるとわかりました。だから蚊であっても絶滅はだめです」
そうですか。そんなん別にハエでいいじゃん。ねえ。蚊がなければハエを食べればいいじゃない。だいたい、何もかも多様なまますべてを守ろうなんて、虫が良すぎるよ。蚊だけに。SDGsだって所詮は政治とか営利企業が便利に使っているシンボルにすぎないわけでしょ。多様であり続けることが大事なのはいいけど、多様性を織りなすひとつひとつのコンポーネントが、ときに増長し、あるいは逆に消滅したりするのも、栄枯盛衰ってことでいいんじゃないの? 欧米生まれのコンセプトは往々にして情報の刈り込みがはげしすぎるよ。とはいえ、あまりこう、何も調べないで適当なことを書くと、「じつはSDGsというのは純粋に日本から発信されている概念です」みたいなこともあり得るから気をつけなければならないけれど。
台風が列島を横断していて遠方に住む息子の家の周りにもなんかちょっと一時期あぶない勧告が出ていたらしい。別れた妻が「水とか買った?」とLINEを送ると、「大丈夫、豆乳とかあるから」と返事をしていた。ああ、豆乳を飲んでいるのか、それはいいな。味のある暮らしだな。私はメインの食事とはべつに趣味半分、気まぐれ半分で食しているものというと今はヨーグルトくらいしか思いつかないけれど、それがたとえば納豆であっても梅干しであってもかまわない、「添え物」的なものにちょっと気を配ったり目を配ったりできる人生というのは豊かでとてもいいと思う。何も教えていないのにそういうところをきちんとやっているのだなと思ってうれしい。いっぽうの私は次の職場に移るにあたってまだ半分くらいしか買い物を終えていない。残り時間が少なくなってきた。豆乳でも買っておくべきではないか。あるいは、豆乳でも納豆でも梅干しでもないなにか、そうだな、キムチとかでもいいか、自分の人生を進行方向とは関係ない方向にぐっと拡張するなにかを、買ってから次の世界に飛び出していったほうが、「厚みのある人間」っぽくていいかもしれないな。うっす! 発言が、うっす! 内容、無(な)! 中身、しょぼ! デスクにいるのが蚊だと思って叩き潰したらさきほど私がうっかり机に描いてしまっていたボールペンのインクで、叩いた手は痛いしその衝撃でマウスがふっとんでいって球面の一部が欠けてしまった。生活が多様で、飽きなくていい。