ナッツアンドミルクは社内の何がきっかけで生まれたのだろうか

シュロスバーグの感染症学を次の職場に送ってしまっていた。出張のついでにもう一度、持って返ってくる。ついでに微生物プラチナアトラスも取り戻してきた。こちらの職場でもぎりぎりまで仕事をしようと思っている。となると、手元に本がない状態では困るので、移動の日まで動かせない荷物がいっぱい残っている。それだと大変だから使用頻度の少ない本から先に引っ越しを済ませていたのだが、やはりだめだ、たまにしか使わない本も、めったに使わない本も、使うときは使うのである。早く引っ越しを終えてシンプルな所属になりたい気持ちが募っていく。手元の名刺はこれで使い切りか。あと60枚くらいあるだろうか。残りの出張で使い切ることはおそらくできないだろう。

デスクはほとんど片付いたが本だけが残っている。どこぞの評論家とかコメンテーターの、Zoomの背景に並んでいるような量の本は必要ないにせよ、およそ12冊くらいは手元に残して置かざるを得ない。移動の日、きっと腰をやるだろうなあと思う。小さなサボテンとか、大阪大学に寄付したときにもらった羽海野チカデザインのマグカップなんかもまだここにある。引っ越し屋さんを頼むほどの量でもないがスーツケースでは運べない量になってしまった。ままならないものだ。

コロナ、検査、2回陰性。ややいがらっぽいノドを龍角散のど飴でなだめる。身近にもノドハナの調子が悪そうな人間がぽつぽついて、みんなにコロナの検査を勧めたのだがだれも陽性にならない。つまりはそういうタイプの夏風邪が流行っているということか。人類はバイラルワールドのよしなしごとを、まだ何もわかっていないのだろう。


バイラルで思い出したけれど、むかし、ファミコンソフトに「バイナリィランド」というのがあった。バイナリィ・ランド! なんて夢のあるタイトルなんだろう。あらためて思い出してほれぼれとする。バイナリといえば二進法で、プログラマーたちにはまあそうだねというくらいの意味しかもたないかもしれないけれど、画面を中央で二分割したパズルゲームで、左右のキャラクタ(オスメス一対のペンギン)が、一度の操作で左右対称に移動し、それぞれ異なるパズルの中で敵をよけたり障害物をよけたりしながら、最後には画面上部のゴールに同時にたどり着いてキスをするという、「2つの要素によってなりたつもの」という意味でのbinaryとはまさにゲームのタイトルにぴったりだし、しかもこのゲーム、たしかハドソンの中で社内恋愛をしていた二人によって制作され、裏技を入力するとカップルの名前が表示されるのである。家庭用コンピュータゲーム黎明期を二人三脚で作ってバイナリィランドとはすばらしく気の利いたタイトルではないか。プログラミングにハマったキテレツの頭、バイナリィ。


自分が「たのむもの」とは何なのかなあということを近頃たまに考える。依頼するという意味ではなく、よりかかる、たよりにする、くらいの意味で、私がみずからの行動原理としている美意識とか経験とはどういったものなのかな、ということだ。どうも私の場合は幼少期から2つ違いの弟としょっちゅういっしょにゲームなどして遊んでいたこと、その際にあまり弟にコントローラを渡さず私が基本的には「主人公然」としていたこと、これらが、良いか悪いかでいうと若干悪いほうのニュアンスで、だいぶその後の性格形成に影響していると思われる。当時の私をふりかえり、大学院生くらいまでトレースしてみると、人並みに「自分」というものに興味があったことはおそらく本当だが、おそらくはそれよりも「自分の目の前に映っているもの」により強く心を惹かれていた。自分の時間を大事にするよりも、自分が今見ているものの中でうごめいている時間のありようを、少しでも長く追いかけていたいという気持ちが大きかったのではないかということにはたと気づいた。それはつまり自分の体験なのだから、やはり自分を眺めているのといっしょだよ、くらいのことを、雑な心理士だったら言うかもしれない。でも私はそうやって観察している間ずっとマイルドに離人していたようにも思う。そこにあきらかにポジティブな意味合いで結合したのがおそらくはファミコンをはじめとするゲーム文化で、それはテレビ、ラジオ、音楽、舞台、ライブハウスなどから得る刺激に比べて「自分で操縦する割合」が少しだけ高いタイプのコンテンツで、目の前にあるものに自分の意識を流し込みながらもあくまでそれは自分の外のものだというバランスが、私の幼少期からの立ち居振る舞いにはとてもよくマッチしていたのではないかと思うし、あるいは逆に、まだ私が未分化だった小学校低学年くらいのときにゲームというUIに触れたことが私の1.5人称的人格を強化して今に至ったと考えることもできなくはないと思う。

バイナリィランドというのが左右方向での「ニコイチ的遊戯」であったとして、私もまたバイナリィであった。ただしそれは奥行方向、もしくは、コンテンツという強固な壁を挟んで手前にユーザー、奥に開発者、それらが壁の部分にあるコンテンツにそれぞれコミットして、交流するというのとも癒着するというのともちょっと違う、弱い連携と弱い対立とをしていく構造となって機能していた。そういう私から見た世界というのはどこか、私の目の中では私に向けて作り物の笑顔をよこすような存在であって、また、私にとっての私というものも、それは決してアイデンティティと呼べるような確固たるなにかを信じるべきものではなくて、その都度自分が向き合っている外界に対して「あるもので何かをこしらえて提供するような」感じでぐにゃぐにゃ作り変えられるようなものであり、それはたとえばマリオをやっているときの自分とドラクエをやっているときの自分と、甲竜伝説ヴィルガストをやっているときの自分と摩訶摩訶をやっているときの自分が全部同じとは思えない、ただし弟から見ると私はあくまで「いつまでもコントローラを離さない強権の兄」であったのだから、彼に対して「私はアイデンティティが霞のような幼少期を送った」などと言ったらきっと鼻で笑われるだろう。

自分の今日を昨日と同じように定義できる人たちのことがややうらやましい。本もなしに自分の言葉を心の中から素直に出せる人たちにも嫉妬する。私はこの年になっても確固たる自分というものを信じられずに、間や場に流れ込む他者からの「探り汁」みたいなものと、急速解凍した自分から漏れ出る「ドリップ」とが混じったものに目線を奪われて、これがここでの私の役目ということか、などとしゃべりながらそのドロサラの液体を匙でかきまぜたりしている。病理医ヤンデルなどというのはまさにその最たるものであった。