残りの人生であと何食楽しめるかわからないし一食もむだにしたくないとほざくエセ文化人のアンチ

盛岡のホテルの朝、汁物をよそったら「きりたんぽ鍋」と書いてある。そうか、そうかと受け入れて自席にもどり、ふと気づいた。盛岡で? きりたんぽ? しかしすぐに理解する。これが東北の安定的なホスピタリティなんだろう。一度の仕事や旅行で岩手と秋田に両方行くことなんて、そんなにない。東北というのはひとからげにしてしまって、朝食にどちらも楽しめればたいていの客にとっては悪いことなどないということなんだろう。ただ、問題は、私がこの日の夜には秋田に移動するということだ。

翌朝、秋田の宿、朝食会場には果たしておいしそうなきりたんぽ鍋が並んでいた。前の日の朝に盛岡で食べたばっかりだ。なんか2日連続ってのは別にいいかな、と、結局秋田ではきりたんぽ鍋を食べなかった。失策という二文字が目の裏を走り去っていく。

気を取り直して、いぶりがっこをはじめとするうまそうな漬物をつぎつぎ拾っていく。明太子もあるから拾っていく。秋田はお米のおいしいところだ、お米に合うおかずをたくさん置いてくれているのだ。うれしいことだ。自席にもどり、米をかきこみながら、ふと気づく。明日、私は福岡である。なぜここで明太子を食ってしまうのか。失策という二文字が上顎洞の柱の陰からこちらを見てほくそ笑んでいる。


ゆくすえを脳内に描き出す力が弱い。困りものだ。あわてて生きているという感じ。暮らしの尻周りがむずむずする。


週末の研究会に私は出席しない。別の場所に出張しているからだ。しかし臨床医が出るというので、病理の写真を準備して送った。研究会からのレギュレーションが届く。今回からバーチャルスライドの提出が求められているという。慌てた。しまった。そういうことならもっと早く準備をしておかないと間に合わない。今日も明日も私は出張で不在なのだ。準備時間がない。ばたばたとする。何人かに手伝いを求める。幸い、プレパラートのバーチャル取り込みを請け負ってくれる病理医が手を挙げてくれた。助かった。早朝にその病理医からデータが送られてくる。さっそく、研究会のホームページから、指定されたオンラインのフォルダにデータをアップロードする……が、これ、見る人は、このファイル名だとちょっと面倒なのではないか。ひとつひとつのスライドデータをダブルクリックする前に中身の予想が付くように、ファイル名を急遽、体系立てて変更していく。連番、アンダーバー、染色名。マクロ写真も必要だろう。切り出し図の解説だって付けるべきだ。日がだんだん高くなって検査室が明るくなっていく。大汗をかきながらファイルの準備をすべて終えて送信。


お茶を買いに出る。スマホだけ持つ。ろうかの自販機は下のコンビニよりも値段が高い。高いが、このへとへとの状況で、階段をふみはずして転倒したら、数十円をケチったために数万円を失うことにもなるなと思って、寸暇をけちって自販機で買う。大判の麦茶。140円。高い。しかしまあいいだろう。買って戻る。デスクに身を投げ出す。ふと未明にほうりなげたカバンの中に視線が行く。同じお茶が入っている。水滴がついている。数時間前、ここにやってくるときに、まったく同じ自販機でまったく同じお茶を買っていたこと、あれ、昨日かおとといのことかとさっきまで思っていたが、数時間前のことだった。頭を抱える。どちらのお茶もまだ未開封だということになぜか心をえぐられる。どちらを開けようか。古い方はぬるくなりつつある。新しいほうは冷たい。だったら新しい方を飲もう。新しい方を開けた。飲む。古いほうは水滴を拭いて、職場の冷蔵庫にしまってまた冷やして置こう。冷蔵庫のドアを開けると、昨日買っておいた全く同じ麦茶がおいしそうに冷えていた。