あまり頻繁にはやりとりをしていない人からぽつりと手紙が届いた。郵便ではなく宅配便になっていて、小さな品がいくつか入っておりそのどれもが絶妙に必要ない。気の利いた贈り物だと思った。宅配便の伝票に私の知らない携帯電話の番号が書かれていて、それを私はいちおうメモしておいた。
何ヶ月か経ち、ふと思い立って、その携帯電話にショートメッセージを送ってみると、送信後にすぐに小さな赤いバツ印が表示された。無効な番号なのだろう。しゃれが利いているなと思った。
燃え殻さんであればこういった話をとてもふくよかに一遍の随筆にできるだろう。一方の私はただざわつくだけだ。おもしろいことがあったよと、人に言うほど起承転結が、生じているわけでもない、それは偶然と蓋然の積み重ねでできた落ち葉の山が風に吹かれてほろほろしなだれかかっていくときの、粉っぽい空気の、ざらつきの、鼻孔の奥の引っ掛かりのようなもの。
夜が明けて4時間も経つとノートPCの向こうから差し込む光が強くなって、モニタが逆光気味になり目の周縁で光の意味がひっくり返るように思えた。レースのカーテン越しにワイシャツの胸元を照らす陽光の、照り返しが顎からメガネの裏に入り込んできて、少しまぶしい。ホテルのディスポーザブルのスリッパは薄く、足の裏に古いカーペットの湿気が伝わってくる。旅先でしか使わないマウスの反応が弱く、今日は何もかもが不十分な日なのだと納得をする。テレビをつけていないから星占いも見ていないが、今日、たとえば一行、「期待しすぎかも」と書かれていたら私はうなずくだろうし、「見逃さないで」と書かれていたら私は少し目を見開くだろうし、「乾燥しやすい」と書かれていたらマスクを新しいものに変えて、「はじめるなら今日」と書かれていたら覚悟を決める。ただ、いちおう反論をしておくと、期待はしないし、見逃すようなものならその程度だし、乾燥はしていないし、はじめるのは今日ではない。それでも星占いくらいにどうでもいい距離感から投げかけられた言葉を私はどこか愛せる。
それはこの20年で、もしかすると、私が手に入れたもっとも汎的なスキル。レベルが上がれば上がるほど、手に入る魔法が強力になるという、ドラクエのシステムに私は長年疑問を持っていた。それはフリーレンの世界ではうまく逆張りされたなと思う。魔法というのは、だんだんどうでもよく、マニアックに、使い道の微妙な方向に研ぎ澄まされていくものであるべきだ。それは科学においても言えることであろう。
私は現在レベル47だ。たいていのゲームだとそろそろラスボスと戦う資格が出てくる。メラゾーマやベホマズンくらいは習得できそうな雰囲気もある。しかし現実の私が近頃手に入れた魔法は、「占いが楽しく読めるようになる」とか、「胸の苦しさを水だけで解消できるようになる」とか、「懐かしい人の顔を適度に忘れても悲しくなくなる」といった、使い道がなく味わいやすいものばかりである。レベルアップというのはそういうものである。スキルアップなんて恥ずかしい言葉を同義と思っていてはだめなのだ。