それなりに早い時間に駐車場についたが、病院入口に近いスペースはおおむね埋まっている。夜勤のやからだろう。先行者たちの特権をすり抜けて、次に近いあたりに車を停めようとするけれど、ちょうど停めたい場所のすぐ横に私と同じ車が同じ色、同じテカリで停まっている。なんだか気恥ずかしい思いがあってさらに少し離れたところに車を停めた。すぐあとからやってきた軽自動車があっさりと、私のに似た車の隣に車を滑り込ませて、私のほうを見て一瞬怪訝な顔をしたあとでなるほどといった顔に戻る(主にヘッドライトのあたりで表情が読み取れる)。
紅葉インデックス40%といったところ。落ち葉を踏みしめながら歩くと歩道の縁石のそばはだいぶ水がたまってぐちゃぐちゃになっているのでなんとなく縁石の上を平均台のように歩く。まだ1か月も経っていないがこれが果たして私の毎朝の習慣になるのだろうか。中年の平均台はかつてウイスキーか焼酎かなにかのCMでさんざんいじられたのでもはや我が国にはエクスキューズがない。
気温は先ほど車内の温度計で4度と出ていた。4度となると必ず思い出すのは「水が一番重い」というあのフレーズだ。そんな微妙な違いを体感する機会など生涯に一度たりともないはずなのだが、4度の朝は水たまりがアスファルトを下に押し付けているところを思い浮かべる。秋の水は重い。朝、天気予報を見ようと付けたテレビ番組では日ハムの終戦の話題とクマが人里に出没した話題でいっこうに天気の話をしなかったが、そんな中、ようやく出てきた季節の話題は「川霧」についてのものだった。
”川の上や川の 付近 ふきん に発生する 霧 きり 。 蒸気霧 じょうきぎり の 一種 いっしゅ 。 川のあたたかい水面から 蒸発 じょうはつ した 水蒸気 すいじょうき が,川の上をふきわたるつめたい空気にふれ, 凝結 ぎょうけつ してできる 霧 きり である。”
どうしてGoogleが急にいっこく堂みたいになったのか訝しんだが、元ネタが学研キッズネットとのことで、ああルビの処理がこうなるのか、とそこそこ納得はする。しかし川霧を検索してGoogleが最も有用だと考えるのが子供向けのオンライン辞書であることにまで納得したわけではない。
川霧という苗字はあるのだろうか。「川霧 始(かわきり はじむ)」とかラノベのモブっぽくてよいなと思ったが、検索してみた限りで川霧という苗字はないらしい。桐川ならあるのだが。川の水面に水蒸気がうろつくあの光景を誰かが苗字に使おうとは思わなかったということか。そのような過酷な自然状態と共に暮らす人々にとって苗字などはどうでもよかったということか。
未明から早朝にかけて、道北や道東のまっすぐな道を走っているとき、眠気を声にしてだらしなくあくびをしながらふと車窓の向こうに川霧を見ることがある。タンチョウがそこにいればテレビ局が喜ぶ冬の風景になる。しかし何もない、誰もいない川にただ霧がかすんでいるようすは、帰りの電車で直す化粧のようで、気の抜けた私は少しなじられたような気になってまっすぐ前を向いてハンドルを握り直すほかない。
落葉の中を軽く歩いて職員用入口に付いたところで、昨日と同じミスをおかしたことに気づく。車を降りたときからうっかりマスクをしていたために、メガネが曇って、病院の入口の顔認証が作動しない。入職時、事務の職員に、「伊達メガネで認証登録するってのも変な話ですね」と乾いた笑いをとった自分のおろかさを思い出す。しばらく入口でメガネの曇りが取れるまで待つ。一歩下がる。あとからやってきた職員が少し怪訝な顔をしてからなるほどと言った顔に戻る(主にヘッドライトのあたりで表情が読み取れる)。