スーパーが閉まる時間までに帰れなかったのだが、幸い、昨日のうちにシャケの切り身が2きれ入ったパックを買ってあって、1尾はまだ残っていたし、オルニチンたっぷりのブナシメジもまだ一房あって、玉ねぎもあって、顆粒だしもあって、味噌もヨーグルトもあって、だから私は余裕でだらだら残業していて。残業の管理の基本は自己研鑽だ。確かに人生というのはすべからく自己研鑽たるべし。「すべからく」に「べし」をつけないとものすごい勢いでアカウントが飛びかかってくる昨今だから、こういうところにはきちんと気を遣って暮らしている。こんなどうでもいいところに気を遣っている暇があったらもう少し距離の近しい人間たちに気を遣ったほうがいいのだろう、しかし、悪癖、かたむき、世の中が私にもう少しやさしくしてくれない限り、私もこの程度のやさしさで、やりくりしていけばいいんじゃないかと半分ふてくされながら精一杯の営業スマイルである。
それはそれ。
SNSでブログのリンクを拡散するやりかたは廃れたなあと思う。ブログに不特定多数のアカウントが飛びかかってくることも近頃はめっきり起こらない。Xでリンクを貼ると、インプレッションが激減して、遠くまで声が届かなくなるとのことで、告知界隈はスクショを使うとか裏垢でつぶやいて自分で引用するとか小癪なことをいろいろやっているようだけど、ばかだな、あきらめろ、つまりイーロン・マスクは、ブログなんてものに不特定多数に読んでもらおうという夢を持つなと、そうやって「撒こう」とするなと、能動的にリンクを探しにくる人間のために「刺せ」と、考えているふしがある。
私はそれはものすごく正しいと思う。
自分が文章を読んでもらいたいと想定する範囲を超えて、まったくの赤の他人が自分の書いたものを読みにきていたこの15年くらいが、特段異常だったと思う。しかし、とはいえ、あらゆる文章が手紙的になってしまうのも、それはそれでつまらないことで、それはたとえば配慮の足りない哲学者あたりが「誤配」と呼んだシステムによって、ある程度想定のずれが起こってなんぼという側面もある。しかし、ゆうちょは、いつだって正しく届けるためにがんばっているんだゾ?
看護師向けの専門誌が届いたがこれを職場で読むと自己研鑽になってしまうのでかばんに入れて持ち帰ることにした。うちで読むのはじめてだな。専用の本棚でも買うべきか。中山祐次郎先生の新刊もまだ読み終わっていない。阿部大樹先生の手紙の返事もまだ書いていない。デスクの下の紙ゴミも捨てていないし家の空き缶ゴミはいっこうに溜まらないから捨てるまでにも至らない。生ゴミを含めた燃えるゴミだけを定期的に排出しながら暮らしている。あと、水回りはいつもきれいに保っている、そう、それがこのどさくさした毎日の唯一のほこり。ほこりはきれいに。