20キロずつ

20キロ北上するごとに平均気温が1度くらいずつ下がっている印象がある。いまのはうそだ。でもなんとなくそういう気分である。証明を試みればおそらく反証されるだろう。でも科学じゃないから言ったものがちだ。エイヤッと適当に書いただけ、しかし、案外あってるんじゃねぇかな、と内心にやりとする自分の精神が安定すればそれでいいと思う。20キロ北上するごとに道が1メートルずつ広くなる。20キロ北上するごとに街灯が50センチずつ低くなる。暗くなるというより低くなる。そのぶん狭い範囲だけがスポットライトのように照らされ、視野の上半分に漆黒の闇夜が広がる。20キロ北上するごとに闇の比率が5%ずつ上昇する。そういうのがだんだんわかってきて、そういうのにだんだん適応していく。人間の目というのは明順応とか暗順応と同じくらいのスピードで場に順応し人に順応し、さらにはこれまでと異なる免役組織化学装置由来のプレパラートに順応できる。ただしその順応速度は20キロ北上するごとに5km/hずつ減少していく。徐行運転。


なぜ私のメールにはいまだに近畿日本ツーリストとNintendo Onlineからの広告が欠かさず届くのか。理由ははっきりしている。私がこれらをブロックしていないからである。なぜJTBとかHISではなく近畿日本ツーリストなのかは一切不明。なぜSEGAではなくNintendoなのかは不明だがまあそれはわかる気がする。カービィのエアライダーがやりたくなってきた。47歳がやるゲームとも思えないけれど、20キロ北上するごとに精神年齢が5歳ずつ若くなる場合があるので油断はできない。


20キロ北上するごとに体重が500 gずつ減る。ただしこれがふしぎなことに、20キロ南下しても体重は500 gほど減る。緯度の上下と体重の増減は相関せず、ただ、移動距離に応じて私のエネルギーが消費されて体重がそのぶん律儀に減っていく。500 gはもっぱら大脳新皮質から失われているらしく、移動がおわるとたちまち私は空っぽの頭に夢を詰め込む影山ヒロノブとなっている。


豆知識: ティッシュやトイレットペーパーは安くしすぎないほうがいいが、高すぎてもそれはそれで、肌触りなどが必ずしも一方的によくなるわけではなく、結局もやっとしがちである。


20キロ北上するごとに人の距離が0.5 mmほど縮まると、自分をだましだましやっている。毎日日替わりで違うところが痛むが、逆に言えば、私は毎日日替わりで「治っている」と言ってもいいのだと思う。今日は通称シベリア廊下と言われるところを2往復した。いい運動になる。気温の変化に強くなる。体重の変化に強くなる。