所見の定義

顕微鏡で細胞を見て、そこにある光景をある程度の「枠」の中に収めていく。このがん細胞が「ひとまず固有筋層のあたりをゴールに設定するぞ」とみずから考えて組織の中にしみこんでいくわけではないのだが、そのありさまを見る病理医のほうは、「固有筋層にたどりついているな」とか「漿膜下層にもがんがあるな」といったように、あたかもがんが「なにがしかの達成」をしたかのような擬人化をしながら、その動態を切り分けて、分類していく。

とても小さい、100マイクロメートルだとか50マイクロメートルだとかいうサイズのリンパ管とか静脈といった構造物の中に、がん細胞が入り込むことがあって、それは例えるならば髪の毛くらい、もしくは縮れた枝毛くらいの細さの構造物なのだけれど、そこにがんが入り込むと
「そこからがんが遠くに転移する」とまことしやかに信じられている。たくさんの症例を調べて統計をとってみると、たしかに、「小さな静脈や毛細血管の中にがん細胞が入り込んでいる場合」のほうが、転移の割合が高いのだ。このような現象は顕微鏡以外ではほとんど観察することができない。どれだけ高性能なCTやMRIでも、ミリ単位ならまだしも数十マイクロメートル単位を直裁的に見て取ることはむずかしい。したがって、この「リスクの高い所見」をとれるのはもっぱら病理医ということになる。

しかし、いかに顕微鏡があるとはいえ、サイズ的にはとても些末な変化である。単純に見逃してしまう可能性も高いので、そこは病理医が個人の責任をもってしっかりと顕微鏡を見る。

さて、いざ、「それっぽい像」が見つかったとして、それが本当に静脈侵襲/リンパ管侵襲なのかについては、相当大きな問題がある。「小さな管の中にがん細胞が入り込んでいる所見」なんて、見ればわかるだろうと思われがちなのだけれど、簡単にいうと、「がん細胞が管の中にずっぽりとはまりこんでいる」ものはよいとして、「がん細胞が管の壁を外からやぶって、中をチラ見している(ように見える)」ものをどう判断するか。先っぽだけ入っている状態と言ってもいい。これは入ったことになるのか。さらには、「管を外から押し付けているだけで、壁は破っていないけれど、けっこうきちんと押しているので、管の壁がそこだけぼこっとへこんでいる」というものをどうするか。

ミクロの世界では、あるものがあるものの「中にある」のか、「となりあって、片方がもう片方を強く押してへこませている」のかの判定もときにむずかしい。

「そんな微妙なかたちのものは、所見としては取らないほうがいい。『疑わしきは取らず』だ。絶対にそうだと言う切れるものだけを報告すべきだ」という考え方がある。とてもよくわかる。しかし今度は、「絶対にそうだと言い切れるものとは、具体的にどういう形か?」という定義がはじまる。

果てしないのである。

そこで、現在、病理医たちはどうしているか。足並みが完全に揃っているわけではないのだけれど、たとえば大腸がんの世界では、研究者が、「病理医ごとに意見がわかれるような顕微鏡所見のとりかた」を「均(なら)す」ためにどうしたらいいのかということを考えた。

一番効果があった手法はこうである。

「みんなが読む本に、静脈侵襲とはこういうものだと、書いておく」

大腸癌取扱い規約第9版(金原出版)の32ページにこのような文言がある。

「注6:腫瘍胞巣周囲に半周以上の弾性板が確認できるものをV(ヤ註:静脈侵襲のこと)、半周以上のD2-40陽性内皮細胞が確認できるものをLy(ヤ註:リンパ管侵襲のこと)とすると脈管侵襲の判定者間の不一致が改善される」

この文章があるだけで、大腸がんの世界における病理医の意見はぐっと揃った。同じ本の中には、写真で、「これがVだ、Lyだ」と説明してあるのだけれど、写真だけではだめで、このように文字にするというか、文章にしておかないと、病理医ごとに判定のばらつきが出てしまうのだという。

逆に言えば、「目で見て考える」という病理診断においては、「定義をきちんと言葉にして、それを参照しながら見て考える」というプロセスを踏むことで、病理医どうしの格差をつぶすことができるということだ。



「診断の定義」はWHO blue bookなどでもばしばし採用されているが、「所見の定義」にまで踏み込んだ報告というのは思いのほか少ない。

おそらく今も全国で、病理医を目指すタマゴたちは、訓練の過程で、「この本に書いてあるpseudo-rosette patternというのは結局どういうことなんだろう?」とか、「macrotrabecular massiveというのはどれくらいマクロでどれくらいマッシブなものを言うんだろう?」みたいに、細胞の見た目を言い表す言葉のファジイさに悩んでいる。遠くに住んでいる、顔も性格もわからない病理医が、文章ひとつを読むだけで「ああ、静脈侵襲とはこうやって定義すればいいのか」とわかって、それを実践の中で運用できたらすばらしいことだ。


そして、定義されたものから順番に、「経験の浅い病理医やAIでも余裕で検出できる所見」となっていく。奥は深いので油断はできないが、しかし、そうやって一つずつ解決していくたびに、もっとむずかしい、もっと込み入った、もっと変な蓋が開くような、顕微鏡所見の解釈がないかどうかと探っていく、それが病理医というものであろう。