本日"the Letter"から配信された燃え殻さんの日記のタイトルが、「イルミネーション、ギラギラ」であった。ZAZEN BOYSの曲に「サンドペーパーざらざら」というのがあり、もう、つまり、それ以来私の脳内ではこの曲が延々と流れている。歳を重ねるにつれ、音楽に対する脳の内腔の粘着性が高くなった。いったんこびりついた曲がそう簡単にはがれてくれないのだ。その日いちにちずっと流れている、などというのは当然の話で、へたをすると1週間、あるいは半年とか1年にわたって、だいたい似たようなタイミングでいつも同じ曲がかかり続けている。北海道のAMラジオ、TBSでもSTVでもいいが、出張先で遠くのラジカセが二十年一日といったかんじで同じ曲の情報番組をずっと鳴らしているのだけれど、そこではあいかわらず氷川きよしだとか天童よしみだとか、松山千春だとかイルカだとかが響き渡っていて、それ、いつまでかけるんだよと思わなくもないのだけれど、なんのことはない、私の頭の中だって年単位、あるいは四半世紀くらいの単位でスパルタローカルズだとかアラニス・モリセットだとかレイチェル・ヤマガタだとかLOSTAGEだとかが流れているのだからいっしょなのだ。わたしたちはみな一緒なのだ。同じ土地に住み違うものを見て、似たようなものを食い同じ空気を吸っているわたしたちはみな一緒なのだ。クマさん、あんたはだめ。帰りなさい。
国内線 チェックインの案内。これをやらないと飛行機に乗れない。これをやっても航空会社の都合で飛行機が飛ばないこともあるのだから、一方的だなあと思う。税金は勝手に引かれるのに保証はこちらから言わないと出ない、みたいな話とあわせて、基本的にわたしたちはこの社会で自助しなければならない、自律しなければならない、みな本質的には自律した神経存在、つまりは自律神経である。自律神経とはすなわち交感神経であっても副交感神経であってもよくて、ただ、根本的に社会の中でちゃんとやれと命じられるときにはわたしたちは交感神経的でなければならない。こすられきった言葉でいうとFight and flight、すなわち、戦うか、飛行機にのるか、である。チェックインの案内。
食堂はA定食とC定食がある。B定食はなぜかない。むかしはあったのだけれどワークフロー上廃止になった、みたいなかんじの謎の展示スペースがある。A定食は9割が鶏肉料理だ。いつも同じかんじで茹でて同じ間隔で切ってあり、違うソースがかかっている、というのを前にもここで書いたと思う。キャベツが添えてある。いっしょだ。ずっといっしょだ。酢豚ならぬ酢鶏が出るのはこういう病院系の食堂ではほんとうによくあることである。たまーに豚が出る。でも小鉢もつくからこれでよいのだ。一方のC定食はめったに頼まなかったが丼物が基本である。本日は担々麺だった。本日の見本の横にふせんが貼ってあって、「いつものよりおいしいです! 追いラー油であったまりましょう」みたいなことが書いてある。職員食堂で、「いつものよりおいしいです」とはなかなか豪儀なことだ。よし、ためしてみよう。しかしこれ、担々つけ麺なんだな。うん、つけ麺いいじゃないか。オーダーすると20秒でどんぶりが出てきた。いくらなんでも早すぎる。そしてつけ麺ではなくふつうの担々麺である。あれっと思ったが、そうか、商品見本のところでこれをやると、麺が伸びちゃうから(毎日日替わりのメニューだから食品サンプルなどは当然ない)、あれはたまたまそうやって麺とスープをわけて見せていただけなのだな。納得はした。しかし腹落ちはしていない。腹落ちはしていないが、カウンターにある「持ち出し禁止」のラー油をドカッと追って、テーブルを探して担々麺をすする。粉っぽい麺だ。いかにもだ。うまい。ふしぎなものだ。粉っぽい麺というのはべつにうまくはないはずだ。しかし、あったかいものをあったかいまま食うというだけで、うまい。ラー油ががんがん来る。ちょっとラー油きかせすぎじゃないのか? あっ、追ったの、おれか。レッド麻辣、ダラダラ。「いつものよりおいしいです!」なるほど、これで、ふーん、いつもはどういう味なんだろう。今度、ふせんのないときに、あらためて担々麺か鶏肉かで迷う日が来る。