眠りに付く前に、これから意識が途切れるときの自分のことを考えはじめると、とてもながい時間、眠れずにもぞもぞすることになるのだけれど、それでも連想の蔦をがさごそと脳表の掌で手繰っていくと、自分の意識から少しだけ離れたところにある、人間、間柄、偶然、めぐりあわせ、そういったものに思いを散らす瞬間が必ず来て、その、自分の意識から少しだけ離れたところにあるものの、アフォーダンスを少し欲張って拾い集めようと思った瞬間に、カオスエッジの片側に急峻に落ち込んでいくように意識は拡散して人格の境界があいまいとなっていく。
みずからの境界が薄ぼんやりとしはじめたことを数秒遅れて自覚すると、とたんに、レリーズボタンを半押ししたときのように、私自身の細胞膜がぎゅっと明瞭化する。
それはあたかもレーザーの束をレンズに3回通したときの、あの、いったん広がって、そこから細く、さらに細くなって最終的に薄切のような薄いシート状になるときの、エンジニアの確信的ほくそ笑みを伴う調整のようである。
透明になった組織内の細胞核から励起光を取得するにあたっては、いったん太くぼかしたレーザーをあらためて細く収束させるのが一番ぶれがない。
その励起光を奥行方向に物理で移動させて、3次元の組織ブロックを立体にスキャンするにあたって、レーザーの最終反射源を組織ブロックに対して移動させるだけではなく、カメラのレンズも同期させて動かさないといけない。
これはつまり、なにかをみるための励起光と、それを取得する受像機とは、いつも連動した状態で等間隔を保っておかないと、立体を3次元に走査するだけでは不十分だし、カメラの被写界深度だけで奥行きをすべて捉えるのも不可能だということである。
私はこの励起と受像との関係に、意識をのぞきみるときの心の動きを重ね合わせていた。
見せてもらったラボの記憶が蘇る。このまま意識が切断されて今日の死を迎え、明日また新生するまでの間に、今日のこの、脆く心細いおびえのようなものを、あるいは私は失うのかもしれなかった。自分を守るための腕組みをした。自分を守るために足を組み替えた。そういった細かな反応、適応、ランチョンマットの上にこぼした小さなビーズを、掌の小指側のふくらみで、そっとこすって集めるときに、必ずマットにひっかかって取り逃がす、ランダムに回収できないでいるあのいまいましいビーズ達のように、私はこの眠りの奥に何かを落としていく、そのことが怖くて怖くて、私は自分から離れたところにある人間、間柄、偶然、めぐりあわせのことを集中して考えることができずに、何度も何度も自分の細胞膜の中にある、ゴルジ体や粗面小胞体ばかり撫でて夜を過ごしていた。